呼び声
鶴森はり
悪夢
呼んでいる。
独りは寂しい。あれが欲しいと、すすり泣く声。早く、早く。と催促する。
懇願が心に直接流し込まれ、黒く塗りつぶされるような。おぞましい感覚。
冷たい水に飲まれていく。意識が混濁し、沈み。そして。
――がたんごとん。揺れる中、重たい瞼を上げた。
誰も居ない、強烈な茜色に染まった電車内を見渡して数秒。男は……赤崎は自分が眠っていたのだと気が付いた。
流れる景色は随分昔に決別した地元。もうすぐ目的地に到着するだろう。
重たい旅行鞄から携帯電話を取り出せば、何十件も通知が届いていた。全て呼び出した幼馴染みからだ。早く来い、それだけだろう。確認せずに乱暴にポケットに突っ込んだ。
それと同時に、電車は音を立てて停車した。鞄を抱え直して降り立つ。
駅員すらいない寂れた無人駅。掃除も行き届いていない。駅名の書かれた看板も、塗装が剥がれ錆びた鉄を覗かせていた。
「ほんと、つまんねぇ」
娯楽がない地元。生気が無く、無意味に生きている住人。心底吐き気がする。
身に纏わり付く空気は懐かしさを覚える、遺憾ではあるが、肌に馴染む。
生まれ育った場所なのだと自覚させられる不快感に、赤崎は舌打ちをした。
駅を出て田んぼに囲まれた畦道を歩く。すれ違う人間などおらず、静かだった。
何も植えられていない畑には鴉が数羽いて、鳴き声を発すると大きく羽ばたく。そのまま近くに見えている山へと飛び立っていった。
自然と目で追い、山を視界に捕らえる。
山は唯一の暇潰し。幼馴染みの二人が鬱陶しくて、嫌な思い出しかない。
今回もまた二人に呼ばれたのだ。遠く離れても解放されない。
「そろそろ行かないとな」
歩くこと二十分、一件の家が見えた。場所など忘れたと思っていたが体は覚えていたらしい。
痛んだ木造の家屋へと近づく。
ひっそりとしていて、長年人が住んでいるとは思えない程の荒れ具合である。伸び放題の雑草をかき分けて玄関へと辿り着く。機能しているか怪しい呼び鈴に手を伸ばして。
「――遅い、遅いよ」
鳴らす寸前、家主である幼馴染みの女が玄関から飛び出した。
待ち構えていたのかと驚くより早く、女は錯乱した様子で掴みかかる。
爪が肌に食い込む痛みに眉を寄せたが、女は無視して捲し立てた。
「毎日彼が言うの、お前のせいだってッ!」
ヒステリックに、無造作に伸びた髪を振り乱す。
唐突な会話だが、自分と女の間では容易く真意を読み取れた。
落ち着くように、なるべく穏やかに、ゆっくりと語りかけるように努めた。
「っいきなりどうした。あれは事故で」
それすら疎ましいのか、女は違うと遮って叫んだ。
「違う、私、私が――ころ、したのよ……ッ」
触れてはならぬ、決して口にしてはならぬ言葉。
ぼかすことすら出来ない、考えつかない精神状態なのだと察する。
赤崎は目を細めて、彼女の状態を観察した。見定めるために。
とある男が崖から転落したのは数年前。
幼馴染みの男に迫られ、恐怖に混乱した女が突き飛ばした先に偶然崖があった。
悪意はない。ただの事故である。
それだけの話。
随分経つが彼女も未だ罪悪感に捕らわれているらしい。
もう限界なのかもしれない。聞く耳を持たない、都合の良い言葉以外は。
予想通りの展開に赤崎は、気持ちを切り替える為に深呼吸をした。
これで楽になると笑いそうになるのを、堪えた。
「なら最後に謝ろう。その後に警察に行く」
「本当? もう、一人にしない?」
勿論だと頷けば、彼女は泣きじゃくりながら拝み、お礼の言葉を繰り返した。
あぁ。そうだ、独りになんかしないよ。
目を閉じれば蘇る光景。暗い山の中。
赤崎は彼女が立ち去ったのを見届けて、崖の下に降りた。
血を流して横たわる幼馴染みの男が呻く。瞬間、化け物のような力で襲いかかってきた。
お前がいなければ俺を選んだ。お前さえ。
呪う声は消えない。
無我夢中で石を奴へと振りかぶったのも鮮明に焼き付いている。
頭蓋骨を割った感触が、こびりついている。
土のベッドで寝ている奴は彼女を呼んでいる。あれが――彼女が欲しいと囁く。ならば届けてやらなければ。それが奴の贖罪になると信じて。
長年の問題が全て片が付く。解放される。
さぁ、山へ行こう。奴と一緒になるために。
痩せこけた彼女は、幸せそうに微笑んだ。
呼び声 鶴森はり @sakuramori_mako
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