第3話 解決編


 三月半ば。

 私は都内のとある教会に来ていた。ステンドグラスが綺麗な教会で、結婚式場にもよく使われるそうだ。

 教会内のベンチに腰掛ける。静かだ。静寂。何もかもが止まっている。深呼吸。私の呼吸の音が響いているような気がする。暗い。照明が落とされているからだ。外の街灯が投げかけてくる明かりだけが教会内を照らしている。ステンドグラスを透過したその光は七色の影になり床を彩っていた。美しかった。美しいなんて感情は実に不思議なものだ。

「サークル仮説を知っているかい」

 唐突に。

 私は、語り出す。

「デヴィッド・カンターという学者が一九〇〇年台終盤から二〇〇〇年台にかけて行った研究なんだ」

 返事はない。静寂。

 さっきも言ったが、教会の中は暗かった。当たり前だ。営業時間外……なんて言葉は神聖な場所らしくないか。とにかく時間外。しかし神父がいなくなっても教会自体は開け放たれて罪の懺悔に来る人たちを待っている。私は懺悔に……来たわけではないが、目的があってこの教会に来ていた。私は続ける。

「日本だと羽生和紀という学者が行った放火魔の研究が有名かな。放火という事件においてはカンターのサークル仮説が一部しか支持されなかった。罪種によって犯人の特性に差異があること、地理的知識に濃淡があったことなどが理由に挙げられていたかな? 詳しいことは忘れてしまったよ。随分昔に、学部生時代に読んだ論文だから」

 私は話し続ける。ほとんど講義をするように。

「ま、とにかく、だ。連続犯は自宅周辺での犯罪を嫌う傾向がある。また、一度犯行に及んだ場所は住民や当局の警戒が強くなるので避ける。結果、何が起こると思う?」

 私は反応を期待した。しかし何も返ってこない。

「連続犯の犯行現場をプロットすると円形に分布するんだよ。そして、犯行が起きない『謎の空白地帯』ができる。つまりドーナツ型になるんだね。そのドーナツの穴の部分に……そう言えば、ドーナツの穴だけ残して食べるにはどうしたらいいと思う?」

 無言。私は笑う。

「ドーナツの穴の中に犯人の居住がある場合が多い」

 私の言葉に、今度は微かな反応がある。

「一件目。山梨県都留市」

 空気が震える。何だろう。妙に懐かしいな。

「二件目。神奈川県藤沢市」

 またも振動。ようやく分かった。そうか。これは。

「三件目。千葉県市原市」

 思い出した。カップラーメン。インスタントコーヒー。

「四件目。埼玉県熊谷市」

 空気を震わせていた原因が姿を現した。私は微笑む。

「これらの地点を円状に結んで、ドーナツ型を作ってみる。もちろんこんなのは仮説だ。占いみたいなものだ。根拠はないしこんなのに人の命を預けるなんて馬鹿げている。だが今回は……たまたまだが……当たったようだな」

 ひとつ。私は指を立てる。

「ドレスは入念に用意されている。ミシンを使ったね? 手縫いじゃあんなのは作れない」

 ふたつ。私は指をもう一本立てる。

「女性をどんなデザインにするかも前以て決めているね? その場で思い付きのままにデザインする芸術家タイプではなさそうだ……ある意味、彫刻家というか、ある程度完成形を見据えてから作業……つまり犯行……に及ぶ。違うかね?」

 みっつ。私は指をもう一本立てる。

「ターゲットは顔見知りだ。どんな女性がいいか品定めしてから殺しているね。被害女性の外見的特徴に共通性は見いだせなかったが、この間、最近の被害女性の部屋に行った時にようやく分かったよ。共通項が」

 私はある日付を口にする。その時点になってようやく、暗闇の中で動く影が見えた。

「さっきのサークル仮説だが」

 話を続ける。

「犯行地点を円形に結ぶ。その中央に来るのがここだ。多摩地区。この地区内で、カトリックの教会はひとつしかなかった。ここだ」

 暗闇の中から、姿を現す。

 遠藤壮太。人権団体しおり代表。カトリックの神父。……女性の権利を、第一に主張する人間。



「何で分かった?」

 遠藤壮太は訊ねる。手には純白のドレスがあった。きっと作っている最中だったのだろう。神に祈りでも捧げながら作っていたのだろうか? そうだとしたら、滑稽だな。そんなことをするからこうして見つかってしまう。

 さすがに暗い中では作業もできなかったのだろう。神父の傍にはスタンドライトがあった。無印良品で売っていそうな。それを見るとつん、と鼻の奥が湿る。右手で擦って、話を続ける。

「電気を消したのは正解だったね」

 私は笑う。

「教会の敷地に入った音が聞こえたかな?」

「……神の啓示だ」

 くだらんことを言った。正義の執行が神による啓示? まぁ、私が正義か、という疑問はあるが。

「暗い中で潜むのは得意なのかね?」

「……殺したからな」

「それもそうか」

 私は会話を楽しむ。向こうが楽しんでいるかは知らない。そんなことはどうでもいいのだ。壁の向こうの上半身がどうなっているかということと同じくらいどうでもいい。

「女性の人権を守る君が女性を物みたいに扱うなんて最高だね」

 これは私の素直な感想だった。遠藤壮太が青白い顔でこちらを見る。

「何が最高なんだ」

「矛盾がだよ。人は矛盾を孕む生き物だ。そしてその矛盾点が大きいほど……美しい」

 私は指を鳴らした。小枝が折れるような音。乾いた音。

「君は女性に幻想を抱いていたんだね」

 私は滔々と続ける。

「神聖なものだと思っていた。清らかなものだと思っていた。だから人権を守ろうとした。最初はそう思っていたのだろう。おそらく純粋な気持ちだったはずだ。そうしてそこで、女性たちと接する機会を得た。幻滅する。世の女がどれだけ醜いか……まぁ、女に限った話ではないが君にとっては女性が強調されたのだろう……どれだけ努力を嫌い、どれだけ欲に忠実で、どれだけ貧弱な思想をしているか、君はまざまざと見せつけられた。そして失望した。一方で、君は聖職者だ。色々な女が晴れの舞台を迎える場面を見ている。そこで思う。この花嫁も裏で別の男のペニスを咥えたのだろうか。アナルに舌を這わせたのだろうか。その唇で夫にキスをするのか。汚らわしい、汚らわしい……君の心情を察するにこんなところか?」

 沈黙。遠藤壮太は黙っている。馬鹿なのだろう。黙秘は肯定を意味することがあることを知らない。

 私は立ち上がる。暗がりの中にいる、遠藤壮太の方に向かって歩き出す。

 彼の手には何もない。そのことを確認してから近寄った。暗がりにはデスク、ミシン、紙切れ、そして写真。手に取る。笑う。

「福山遥じゃないか」

 私の嘲笑に遠藤は応じる。

「下劣な女だ」

「どこがだね」

「まだ若いのに、学生なのに、男を知っている。男の血を体の中に流している。処女じゃない。清らかじゃない。こんな女が将来花嫁衣裳を身に着けるところなんて、想像したくもない……だから、私が着せてやることにしたんだ」

 論理というものに欠けている。これだから馬鹿は。そうは思ったが口にはしない。

「これはデザイン画かな?」

 デスクの上の紙を手に取る。ドレスがデザインされていた。いやらしい、卑猥な、男の欲望ハッピーセットみたいなウェディングドレス。描写してやろうか? 

 上半身はほぼ裸だ。申し訳程度に腰の辺りに布がある。コルセットかな? くびれを強調している。乳首はニップレスで隠すことにしているらしい。このデザインに凝るようになったのかな? スペード型。前回のハート型に対向しているのだろうか。まぁそんなことはどうでもいい。スカートは省くことにしたらしい。下半身はほぼ剥き出し。ガーターベルトにタイツは履かせることにしたようだ。ほとんど性交用にしか役に立たない。肝心なところがハート形の穴になっている下着。今時二次元のエロでもこんなデザインの服ないぞ。

 そして、このドレスを。

 福山遥に着せる予定だったらしい。犯行計画……というより、福山遥をどうデザインするか……もデスクの上にあった。

 傑作だった。こいつは天才だ! 他の尺度においては間抜けもいいところだが、女性を辱めるという点においてはこいつは天才だ! 

 どうもシャンデリアにする予定だったらしい。両足に鎖をつけて、大股開きでぶら下げて、女性器にブーケを突っ込み、膝やスペード型のニップレスで隠した乳房の上に蝋燭を立てる。まぁ、計画としては無茶苦茶だが発想としては面白い。これが学生の研究だったら応援してるね。

「警察は来ているのか?」

「いいや」

 遠藤の質問に私は即答する。

「つまりあの日付のことを知っているのは君だけなんだな?」

「ああ。私はまだ警察にこの仮説を話していない」

 あの日付。私が遠藤壮太に行きついたきっかけになった日付。

 三月八日だ。五人目の被害者の家。机の上にあったカレンダー。パソコン。カレンダーには三月八日に丸がつけられていた。そして三月八日は。

 国際女性デーだ。私がミーティングに参加した日。福山遥に連れられて馬鹿どもの様子を観察しに行った日。その日に丸がつけられていた。五人目の被害者は……フェミニストだったのだ。

 フェミニスト=人権団体しおり=遠藤壮太という論理には欠陥がある。むしろ欠陥しかない。だが先程のサークル仮説、そして気になる点がもうひとつ。

 福山遥は人権団体しおりのことを「遠藤壮太の所属する組織」として認識していなかった。いや、認識はしていたが重要なファクターとして意識していなかった。「しおり」と聞いてすぐに「遠藤壮太」に行きつかなかった。そして遠藤壮太の周りにあの馬鹿げた……鮭の切り身みたいなピンクの……シャツを着た人物はいなかった。このことから推定するに。

 人権団体しおりは一人しかいないのだ。遠藤壮太一人の団体。あるいは、設立当初は何人かいたのかもしれない。もしかしたら、被害者の中に設立メンバーがいたのかもしれない。その可能性が高い。自身のデザインしたドレスを改造された女がいた。河原でバーベキューみたいに殺された女がいた。裸より恥ずかしい恰好でブリッジをさせられた女もいた。そんな中で、五件目は比較的「まともな」方だ。海の見えるホテルのテラスで展示される。これは推定だ。根拠はない。だがこう言ってもいいだろう。「最初の四人は『人権団体しおり』のメンバーであった可能性が高い」と。四人だけ異常な殺された方をしている。四人だけ向けられた殺意が強い。まぁ、シャンデリアにするのもなかなか先鋭的ではあるが……六回目だ。調子に乗り始める頃。そして調子に乗ったのだろう。

「化粧はどこで学んだんだね?」

 私が質問を返すと、遠藤壮太はじりじりとこちらに寄りながら答えた。

「フェミニストをやっていると色んな女性と知り合えてね。彼女たちが発信する情報の多くは美容だ。いっぱい学べたよ。神の道を学んでいた頃には知り得なかった知識をね。誰かに披露したかった。そんな意味合いもある」

「幼稚園児みたいだな」私は笑う。「今日習ったことを見せたかったの、って感じか」

「馬鹿にするな」遠藤の声に怒気が孕む。私は笑い続ける。

「人の原始欲求だよ。承認されること。大事な行動原理だ」

「女は、汚らわしい」

 前後の脈絡がない一言。おそらくだが、頭に血がのぼっている。

「人を惑わせ、悪の道へと導き、散財し、欲のままに動き、楽園から私たちを追放させた、忌むべき、避けるべき存在で……」

「大枠は同意する」

 私からの同意が意外だったのだろう。遠藤壮太はぽかんとした。

「私の母や姉はそれはひどい女でね。ある年頃まで、私は女性が苦手だった。けれど一人前に性欲はあったから、悶々とした日々を過ごしていた。そんな私を二人の女性が変えてくれた。二人の女性が、愛について教えてくれた。女性のいいところだ。男性よりも愛情や精神的繋がりに敏感で、心をそっと満たしてくれる。私はかつて、満たされたことがある」

 私は話す。

 懐かしい日々を。部室で過ごした青春時代。

 私は話す。

 二人に抱いた気持ちを。どちらが優れてどちらが劣るなんてことはない。それぞれの良さ、それぞれの魅力を愛していた。不思議がられるだろう。でも考えてみてほしい。好きな人が一人じゃなきゃいけないなんていうのはある種宗教めいた思い込みじゃないか? 愛を多くに向けてはいけないのか? 多くでもないじゃないか。広い世界のたった二人。後にも先にも、私が愛した女性はあの二人だけだ。今頃はきっと、家庭も持って幸せな人生を送っていることだろうが……送っていることを心の底から願っているが……生涯で十人も二十人もの女性と付き合ったりデートしたりセックスしたりする男に比べれば私なんて潔白な方だ。

 私は話す。

 愛情とは何か。

「存在の全肯定だ。いかなる形でもいかなる状態でも認める。肯定する。それが愛だ。私は家庭環境がひどかった。私は性格が歪んでいた。私は頭がおかしかった。そんな私でも、二人は受け入れてくれた。抱き締めてくれた。泣いてもいいと分からせてくれた。あの日食べたカップラーメンは美味かった。多分私はもう、一生、あの味を知ることはできない」

「愛は神から向けられるものだ」遠藤。「人間に愛はない」

「一理あるな」

 私はデザイン画をデスクに放る。ミシンは旧型。詳しくない私が見ただけで旧型と分かるのだから相当古い型だ。

「さて、君は私をどうする」

 遠藤壮太に問う。彼の手には……ハサミ。

「殺すか?」

 私は両手を広げる。微笑む。怖くはなかった。人生の絶頂は、もうあの時経験した。あれ以上の幸福はなかったしこれからもないだろう。だからいいんだ。死んでも。なくなっても。二人が幸せでいてくれれば、それで。

「殺すのではない」

 遠藤神父がハサミを掲げる。

「神の元へ送るのだ」

「それは嬉しいね」私は広げた両手を落とす。「神ってセックスしたがるのかな?」

「……その汚れた発想を浄化してやる」

 学問。

 それは神を解明しようとする試みだった。

 学問。

 それは人間を取り巻く環境に説明をつけようとする行為だった。

 学問。

 それは神が作ったとされる世界を分解する挑戦だった。

 私は心理学者だ。学者だ。神を分解し、説明し、解明する。そんな私が神の元に? なかなか面白い冗談だ。



「遠藤壮太」

 その声が聞こえてきたのは突然だった。私自身も驚いた。慌てて私は後ろ手に、デスクの上にあった写真を手に取る。ポケットに突っ込む。暗がりでよかった。デスクに近づいておいてよかった。

「殺人未遂、及び四件の殺人容疑で逮捕する」

 声は西島のものだった。私は驚いた。いつの間にこの教会に? そして私は気づく。私も遠藤も会話に夢中だった。お互いの牽制に夢中だった。外部への注意が削がれていた。多分西島は……警察故、だろうか……気配を消して中に入った。と、いうことは。と、いうことはだ。

 私は彼にこのことを話していない。私は彼に仮説を聞かせていない。なのにどうしてここが分かったのだろう。

 私の驚きを察したのだろうか。西島が遠藤の向こうで薄っすら笑う。

「失礼かと思いましたが、捜査の協力依頼をする段階で先生については調べていました……尾行をつけてね。先生が違法風俗に通っていたことについては目を瞑ります。こうして連続殺人犯を、捕まえてくれたわけですしね」

 私の壁尻バー通いがバレていたというわけだ。私は笑った。優秀な男だ……優秀な男だ! 

「西島さん、ひとつ言いたいことが」

 遠藤を取り押さえた頃。

 私は提案する。

「今後、警視庁から捜査依頼をする時は窓口役になってくれませんか。私はあなたを、尊敬した」

 西島はふっと笑う。

「俺でよければいつでも」

 彼の使った「俺」という砕けた一人称に私は嬉しくなった。振り返って、遠藤のデスクを見る。

 無印良品で売っていそうなスタンドライト。あれを見ると思い出す。

 あの日のカップラーメン。あの日のインスタントコーヒー。



 戦利品はあった。

 遠藤のデスクにあった写真だ。

 これまでの被害者を撮影したもの。捜査資料、という意味でのそれはたくさん持っていたが、それらはあまりに色気がなかった。しかし遠藤が撮影していたのは違った。

 さすが、職人。

 被害女性が最も美しく見えるアングルでの撮影だった。一人目の女性はまるで天に召される魂のようだった。二人目の女性は美の化身のようだった。三人目の女性は素朴な、草原に生える草花のようだった。四人目の女性は、命を司る神様のようだった。五人目は、海辺に佇む人魚のようだった。たまらなかった。たまらなかった。

 壁尻バーには、しばらく行けない。

 だがこれらの写真があれば。

 私の生活は、しばらく安定しそうだ。

 湯が沸く。私は食事をとる。カップラーメン。食後のインスタントコーヒー。これが私の至高の……最後の晩餐である。


 了

 

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ウェディングドレス殺人事件 飯田太朗 @taroIda

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