第2話 事件編その二
フェミニストの会合とやらに参加したのは一月某日のこと。場所は一応伏せる。
駅前で福山遥と会った。気合が入った服。やはり体のラインを強調している。本人もこのプロポーションが武器だと分かっているのだろう。ぴっちりしたセーター。黒。スキニーパンツ。興奮した。この女にあの卑猥なウェディングドレスを着せることができたら……たまらない。たまらない。
私の目論見通りだった。
会場までの道のりは階段が多かった。必然女の尻が目の前に来る。たまらん。何度か押し倒しそうになった。しかしこの手の我慢は先の「壁尻殺人事件」で慣れている。私は脳内で何度も福山遥を犯した。犯して犯して犯しぬいた。私の頭の中で福山遥は無表情だった。
会合の主催者は男だった。男性のフェミニストも昨今は多い。こんなコメントを何かで読んだことがある。
「親しい女性が。大切な女性が。そういう目で見られる。蔑まれ、物として扱われる。そのことがたまらなく不快だった。ひどいと思った。だから私はフェミニスト。だから私は、人を守る」
下らん。多かれ少なかれ人は人を傷つける。程度の問題だ。ちょっとかすり傷を与えるのと重傷を与えるのと何が違うのか分からない。傷はつけているのだ。相手が女だろうと男だろうとそんなことはどうでもいいのだ。女性にばかり意識を向けている段階でその人物は視野が狭い。馬鹿は視野が狭い輩に多い。つまりフェミニストは馬鹿。まぁ、フェミニストに始まった話ではないが。
「こちら、私の大学で犯罪心理学を教えています、稲村秋人先生です」
福山遥の紹介で私は主催者に挨拶する。主催者こと、遠藤壮太は私に名刺を渡してくる。私も名刺を返す。
〈人権団体しおり 遠藤壮太〉
受け取った名刺にはそう書いてあった。
「大学の先生ですか。犯罪心理学。難しそうだなぁ」
難しいかどうかはさておき。
「ご職業は?」
一応私は訊ねる。まぁ、定番の話題だろう。すると遠藤氏は答えた。
「神父です。カトリックでして」
聖職者のようだ。なるほど、それで女性を神聖に扱うわけだな。
推定四十代。おそらく白髪染めの黒髪を後ろに撫でつけている、いい男だった。いわゆるイケオジとかいうやつである。背も高い。おそらく百八十台後半。体つきもたくましく、腹がたるんでいることもない。スポーツジムなんかで汗を流しているタイプだろう。太い腕。がっしりした体に厚い胸板。まぁ、この手の男に興奮する女はいるだろう。ニキビだろうか。頬の一カ所に肌色の何か。外見に気を使えるタイプの人間のようである。暑苦しい雰囲気であまり好印象は持たなかったが、身綺麗ではある方だろう。
「こんにちは。今回は会合に参加していただいて大変嬉しく思います」
遠藤氏が握手を求めてくる。応じる。太い指。男性的な指。力強い握手。私も力強く返す。
「会合と言ってもお茶会なので、リラックスしてください。女性の権利、特に国会議員における女性議員の少なさについて討論しますが、あまり肩肘張らずに聞いて下さい。私が資料を発表して、それに対するリアクションを求めるだけなので」
「分かりました」
フェミニズムに興味はない。何度も言うが。国会の女性議員が少なかろうとノーベル賞に女性が少なかろうと男湯に女が少なかろうとそんなことはどうでもいい。まぁ、茶をしばくとしよう。ペットボトルのお茶ではなく、茶葉を使ったお茶のようである。女性会員と思しき人物がひとりひとりのカップに注いでいる。この「女が茶を注ぐ」という行為はフェミニスト的にどうなのかとは思ったが、それには触れるまい。
さて、資料の発表、およびそれに関しての討論である。
熱かった。特に遠藤さん。熱のこもった口調でこう宣う。
「日本は女性の権利が軽んじられている」
「真の男女平等を目指すべきだ」
「そのためには女性をもっともっと社会に押していくべきだ」
「家事手伝いという名のもの不正に働かされている女性がどれだけ多いか」
「女性の幸せを考えることはひいては男性の幸せにもつながる」
まぁ、下らん意見だ。検討の価値もない。
まず。
女性だけのサービスデーを接客業が設けている国は日本くらいのものである。確かに国会という切り口では女性は軽んじられているのかもしれないが、世の中に尺度は複数ある。ひとつだけ取り上げてぎゃーぎゃー言うのは馬鹿のすることである。
真の男女平等など不可能だ。まず体が違う。遺伝子が違う。平等になんてしようがないのだ。女に精子が作れるか? 男に子供が産めるか? やってみろ。やれるわけがないがな。
女性の社会進出はいいことだろう。だが考えてみてほしい。例えばセクハラ問題。同じ部屋にいるだけで何かしら理由をつけて男性が弾劾される。もちろん本当のセクハラもあるのだろうが、あんなのは女性の取り方次第で明確な基準がないので如何様にも言える。つまりセクハラという概念が存在する社会で考えると、女性であるということだけでリスクなのである。同じ部屋に女性がいたらそれだけで男性には危険が及ぶ。セクハラという概念がある以上、逆に女性は社会に進出すべきではなくなる。
女性をもっと社会に押していくべきだ。構わん。そうすればいい。でもそれを望む女性がどれだけいるか、下調べをして来い。おそらく女性全員が社会進出を望んではいないと思う。昨今は男も社会に出たがらないのだ。社会に出たがらない人間に男も女もない。故に女で社会に出たがらない人種も存在するだろう。
家事を労働ととるか。まぁ、労働ととっていい。では時間を明確にする必要がある。一日八時間まで、週四十時間。まぁ、共働きなら半分ずつでいいだろう。週二十時間。それくらいは私はやる。他の男性がどうかは知らないが、私と同じ意見の男性もいることだろう。うちの夫は違う? 全人類が自分の夫だとでも思っているのか。家事に時間を設定すること自体がナンセンス? まぁ、その意見には頷けるな。生きるために必要な行為だ。でもその代わりいくらでも手は抜ける。家事がどうたらこうたらと抜かす奴はおそらく仕事がどうたらこうたらとも抜かす可能性はある。つまり要領が悪いのだ。洗濯板で洗濯をしていることに文句を言っているタイプである。じゃあ洗濯機を使え。それだけ。皿洗い? 食洗器を使え。掃除? ロボットがいるだろう。調理? 外部サービスも充実しているし、簡易料理機だって充実している。やりようはいくらでもあるのにやらないのは怠慢だろう。怠慢のくせに怠慢を批判するのは自分で自分をぶん殴っている馬鹿である。
幸せの概念は人によって異なる。何をすれば結果幸せになるなんていうのは価値観の押し付けでしかない。いいだろう。女性の幸せが男性の幸せという条件は飲んでやる。じゃあ男性の幸せが女性の幸せという条件も飲めよ? 男女平等だろ?
要するに下らん会合だった。検討の価値なし。あの遠藤壮太とかいう男性は、弁は立つし外見上は魅力的だから人が集まるのだろうが中身がない。すかすかだ。
討論の途中から眠くなってきた。しかし眠るわけにもいかないので紅茶をがぶ飲みする。香りから察するにアールグレイ。私の好きなお茶だ。そのことだけが救いだった。そうじゃなければこんな下らん会合、時給をもらわないと割に合わなかった。
私の隣で福山遥がうんうんと頷きながら話を聞く。まぁ、大学生はこういう思想に染まりやすい。馬鹿だからだ。頭を使うということを知らない。経験も不足している。そこにつけこむ輩はいる。遠藤壮太、とかな。
夕方。会合が終わる。遠藤壮太が私の元に来る。
「いかがでしたか?」
そう訊ねられる。
「勉強になりました」
私の隣で福山遥が嬉しそうに弾む。くびれた腰から下の尻に目をやる。いい尻だ。
「もしよろしければ、こういうイベントもやっていますので是非参加してみてください」
チラシ。読んでみる。
〈女性の権利を! 真の男女平等を! 国会前でミーティング!〉
まぁ、パレードだろう。ミーティングという名の。下らん。本当に下らん。歩くだけで問題が解決すると思っている馬鹿。頭を使え頭を。何が詰まってるんだその頭蓋骨の中には。精液か?
日付を見る。二カ月先。何でも国際女性デーとかいうものらしい。まぁ、気合が入っていること。この手のイベントはおそらく対になるものも存在するはずだから国際男性デーもあるはずである。まぁ、私からすれば滑稽でしかない。ラベルの問題だ。ラベルは確かに大事かもしれない。毒と分かっているものを飲みはしないのだろう。だが人類という中身が保証されているならラベルの問題は些末でしかない。男だろうが女だろうが白色人種だろうが黄色人種だろうが黒色人種だろうが大人だろうが子供だろうが老人だろうが、全てに平等な価値があるし権利がある。男か女かなんてことにこだわる価値はない。枝葉末節の問題なのだ。検討考察の価値がない。もっと自由に自在に生きるのが楽しいのだ。
つまり男女平等論は下らん。そうは思ったが顔には出さない。福山遥の体を舐め回すように見てから告げる。
「もし機会があれば、是非」
これが社交辞令であることは、遠藤壮太も分かっているはずである。
*
西島洋太から連絡があったのは二月になろうとしている頃だった。
北風の寒い日だった。一通のメール。
〈第五の殺人が起きました。至急、現場まで〉
場所は伏せる。メールには海辺の地名があった。大学からそう遠くない。私はコートを着て現場に急いだ。
やはり、ウェディングドレスだった。
場所は海の見えるホテルの一室。スイートルームで、テラスからは広い海を見ることができた。第一発見者は同行者の男性。何でも、付き合って二年目の記念デートで泊まっていたそうだ。
「前日に……セックスをして……お互い寄り添って寝て……僕は夜中に起きたんですけどその時は彼女は寝ていて……で、今朝目覚めたら彼女はいなくて……僕は二日酔いをしていたんでそのまま眠ったんです……で、昼頃になって、テラスを見てみたら……」
ウェディングドレス、というわけである。
死体は相変わらず卑猥だった。
オープンブラではなかった。ドレスは腰まで。ブラの代わりにハート型のニップレスで乳首を隠していて、これはこれでいやらしかった。豊かな胸。おそらくEカップ以上。まぁ、カップ数と胸の大きさの関係についてはさておき、男性なら涎を垂らす乳房であることは間違いなかった。ドレスのスカート部分はシースルー。ガーターベルトはなかったが、捜査員が調べるとどうやら下着なしの状態で白のストッキングを履かされていたようだ。デニールが低い。つまり局部も透けて見えていた。陰毛。黒々と茂っている。
ウェディングドレスとは、という定義を問いたくなる恰好だったが、ブーケもあるし、ベールもあるし、間違いなくウェディングドレスであった。顔にはやはり丁寧な化粧。同行者の男性に訊いてみる。
「パートナーの方、普段化粧は?」
「分かりません……していたとは思いますが……」
すっぴんで彼氏とデートする女がいるか。していたのは間違いない。問題は程度だ。まぁ、お泊りのデートでセックスする時くらいはすっぴんだった可能性はあるかもしれないが、私は普段どんな化粧をしているのかを訊いている。
この馬鹿に訊いても駄目だ。私は西島に訊ねる。
「化粧が死後施されたものかどうかの判定は?」
「おそらく死後です。目玉にファンデーションと思しき粉が。生きている時の化粧なら瞬きや涙で流れます」
筋が通る。死後施されたのだろう。
「殺害方法は?」
「後頭部に打撃。ベールで隠れていますが、結構ひどい傷です」
「……これまでの事件の殺害方法は、確か……」
「定まっていません。毒殺や絞殺もありました。撲殺は初めてです」
手口に一貫性はなし。多分、その場にあったものを武器にするか、事前に下準備ができた場合のみで犯行に及んでいるのだろう。凶器の特定を難しくしている。
多くの犯罪捜査は、被害者、凶器、犯人をつなぐことで犯罪を立証する。これらの内どれかが欠けると途端に立証できなくなる。凶器の特定をさせなくするのはかなり有効な手段である。
が、しかし。
「撲殺。一撃ですか?」
「いいえ。滅多打ちです」
「そうですか」
一撃で仕留められなかった、ということだ。あるいは防衛本能が働いたか。例えば刺殺。滅多刺しの犯人の多くは小心者、特に女性が多い。相手より力で劣ると判断できる状況で、確実に殺そうとするから致命傷を与えた後も攻撃を続ける。
今回がそのケースに当てはまるか? 現時点では何とも言えない。
被害者の女性はやはりプロポーションがよかった。豊かな乳房。きゅっとしたくびれ。突き出た尻。これを壁尻にしたらさぞかし気持ちがいいことだろう……ウェディングドレスでさえこんなにいやらしいのだから。ハート形のニップレスがまたいい味を出している。こんな恰好、今時風俗嬢でもしないんじゃないか。
「衣装は?」
私の問いに西島が答える。
「出所は分かっていません。現在近隣のアダルトショップに問い合わせていますが……私の見解を述べていいですか?」
「どうぞ」
「おそらく、どこかからドレスを拝借してきてそれを加工しています。私の妻は、趣味で手芸を、それも結構手の込んだことをするので分かりますが、ここ……」
と、死体の腰の辺りを示す。ニップレスの乳が目の前に迫ったが理性で視線をドレスに集中させる。
「裁縫の跡があります。綺麗ではありますが、おそらくミシンが歪んだのでしょう。波打っている箇所がある。手を加えた跡です」
「なるほど」
「シースルーの素材との縫合箇所を確認しましたが同じような形跡が」
「素晴らしい」
心からの賛辞だった。この男仕事ができる。一緒に研究をすれば業界を揺るがす大発見ができるかもしれない。今後、警視庁に仕事を依頼される時はこの男を間に挟ませよう。調査に直接関わる機会は少ないかもしれないが、よろしく取り計らってくれるに違いない。そんなことを思いながら死体を見た。
虚ろな目。しかし丁寧な化粧。美しい。きっと多くの男性が魅了されるだろう。髪の毛にもブラシを入れたのか、綺麗に整えられている。これがこんな現場じゃなく、きっちりしたドレスで、今部屋の中で悲しみに暮れている彼氏くんの隣なら……きっと彼女も、喜んだはずだ。
「もし、問題がなければ死体を収容します」
私は頷く。
「お願いします」
さて。家に帰る。
ウェディングドレス。ニップレス。その組み合わせで検索したが引っかかるAVはなかった。やはりニッチな分野だ。ニップレスだけなら色々引っ掛かった。例えば。
豚の耳のカチューシャ。華フック。アナルには豚の尻尾の模型が付いたバイブ。つまり豚のコスプレだ。乳房にはニップレス。メスのマークを象った。たまらなく下品で、女性としての品位に欠ける格好だ。
その手の動画は山ほどあった。そして分かる。世の男性は女性を下に見たいのだ。ひれ伏せさせて、女性の尊厳を踏みにじりたいのだ。そこで思い出す。
母。姉。
あいつらは男性の尊厳を踏みにじって遊んでいた。男性を現金のように、ATMのように扱っていた。用がなくなればゴミ箱行き。ヤクザ者や不良グループに散々に扱わせて、ほとんどボロ雑巾のようにしてから捨てていた。歯がない、指がない、目が潰れる、そんな風にさせられた男性が山ほどいた。母や姉はそんな風に男性を使い捨てていた。きっと他者の尊厳を踏みにじりたいという欲求に男性も女性もないのだ。人はとにかく他者を傷つけたがる。そんな生き物。やはりラベルの問題だ。下らない。実に下らない生き物だ。
事件の捜査に進展がないまま三月に入った。メールが来た。
〈稲村秋人様。ミーティングへの参加は検討されていただけたでしょうか。返信、お待ちしております〉
遠藤壮太とかいうフェミニストからのメールだった。下らん。ゴミ箱行き。何なら迷惑メール。そう思った時だった。
追撃のようにメール。今度は福山遥からだった。
〈先生、お忙しいとは思いますが、今度のミーティング、一緒に参加しませんか?〉
私は考える。
このところ抜けていない。忙しくて壁尻バーに行けないというのもあったし、仕事で疲れて抜く気力もなかったということもあり、睾丸に精子が溜まっていた。つまりムラムラしていた。常時。常に。そこに来て福山遥。あのモデルのような女の子。
興奮した。あの女に会える。あの女を視姦できる。もうほとんど射精しそうだった。私は答えた。
〈行こうと思う。集合時刻は君に合わせる〉
返信はすぐに来た。
〈ありがとうございます! それでしたら、十二時に最寄駅にて。ランチは如何ですか?〉
たまらん。秒で返信。
〈ぜひ〉
かくして国際女性デーに女性と食事をすることが決まった。ギンギンに勃起していたので抜こうか迷ったが、福山遥に会って彼女の気配を存分に感じてから抜く方がいいと思ったので我慢した。代わりにコーヒーを飲む。インスタント。味は分からなかった。元より私は、味にはうるさくない……女の好みは、うるさいが。
捜査の協力依頼が来た。三月第一週半ば。具体的には三月三日、ひな祭りの頃。西島さんに連れられたのは、先日海辺のホテルで殺された女性の家だった。
綺麗だった。日頃から丁寧に暮らしているらしい。家具やキッチン用品ひとつとってもセンスがある。このままYouTubeにでも出られそうだ。抽斗を調べて回る。ヘアゴム。印鑑。化粧品の支給品だろう、小分けのリキッドファンデーション。ペン。ハサミ。彼氏が来た時用だろう。コンドームがいくつか。まぁ、異常はない。
机の上に目をやる。パソコンとカレンダー。三月八日のところに丸がある。目の前の壁にはポスター。どうやら洋画の。私は訊ねる。
「パソコンの中は?」
「意外とセキュリティがしっかりしていて、調査に難儀しています。まだ確認できていません」
「では当然スマホも」
「未確認です」
「ネットでどんな情報を見ていたか、くらいは……」
「ファッション系のサイトをいくつか。後は通販。それと……」
「それと?」
「性関係のものがいくつか」
まぁ、珍しくはない。女性でもアダルトくらい見るだろう。あるいは彼氏と見たのかもしれない。大穴予想は、彼氏くんがセックスを迫ったが生理中で、女性がシャワーでも浴びている間にムラムラした彼氏くんが女性のパソコンを使ってアダルトサイトを見て抜いた。なかなか滑稽である。
「何か分かりそうですか?」
西島さんの問い。私が考え込んでいたから何か分かったように見えたのだろう。私は答える。
「ええ、少し」
でも仮説の域を出ないので。
そう告げてから撤収した。捜査に関する話は、それから二週間なかった。
国際女性デー。
国会議事堂の前でパレード。実に下らんイベントだが福山遥は相変わらずセクシーだった。スプリングコート姿だがすらりと伸びた脚、その上に鎮座するあの尻。あの尻。たまらない。尻たぶを割り開いて肛門と言わず性器と言わず舐めしゃぶりたい。きっと臭い。臭うだろう。だが臭うものほど美味しいと言う。女もそれは当てはまる。
ミーティングの主催者、遠藤氏が姿を現す。
派手なピンク色のシャツ。ピンクというかオレンジか? サーモンを思わせるようなピンク。聖職者らしからぬ……というのは偏見か? 私は訊ねる。
「その服には何か意味が?」
「人権団体しおりのグッズです。よかったら買いませんか?」
周りを見渡す。そんなのを着ている奴はいない。
そう言えば、と以前もらった名刺のことを思い出す。
「先生には、似合わない色かもしれませんね」
隣から、福山さん。
私の肌の色を見てそう言ったのだろう。私はいわゆるブルーベース。この手の派手なピンク……コーラルピンクというやつか……は確かに似合わない。私服でもこの手の色は避ける。色合いが悪い。そもそも鮭が嫌いだ。そういうわけでグッズは買わない。しかし遠藤はしつこく勧めてくる。
「先生も是非おひとつ」
「あいにく持ち合わせがなくて」
「いいんです、先生なら」
「着替える場所もないし」
「この色は、全ての女性に自由と権利を、という意味があるんです」
「素敵ですね(うるせえ鮭でも食ってろ)」
察したのだろう。遠藤氏はちょっと首を傾げるとガヤガヤとうるさい大衆の中に入って行った。プラカードを掲げている奴と何やら話している。でかい。私の身長くらいある。薄い板だから重さはそれほどではなかろうが、あれ自分で作ったのだろうか。作ったんだろうな。家に置いているのか。さぞかし広い家なんだろうな。
さて、福山さんを堪能する。
まだ三月で肌寒いのにご苦労なことで、ホットパンツを履いている。脚にはデニールの高そうなタイツ。あの下がノーパンだったら……と、以前の殺人現場を思い出す。下着もなしに白のタイツを履かされていた女性の死体。陰毛が目に浮かぶ。形は長方形。黒々と生い茂っていた。一説によれば女性の陰毛は性感帯のひとつらしい。あれを優しく撫でられることに快楽を見出す女性もいるのだとか。卑猥なウェディングドレス。胸も性器も隠していないとんでもないドレス。ニップレス。豊かな乳房。ベール。滅多打ちの打撲傷。丁寧な暮らし。コンドーム。カレンダー。中身の分からんパソコンにスマホ。通販サイト。性関連のサイト。もしかしたら、それは彼氏くんが見たものかもしれない。シャワー中の一コマ。女性がいない間に必死にペニスをしごく哀れな男性。思えば、セックスを迫って女性が生理だった時の男性ほど惨めな存在はいないのではなかろうか。持っていく先のない性欲。溢れる性欲。女性は分からんだろうが男というのは良くも悪くも性欲に支配されている。一か月チョコなしで生きられる男性も一か月オナニーなしでは生きられない。女性はその逆で、一か月オナニーなしでも生きられるだろうが一か月チョコなしはちょっとしたダイエットだろう。まぁ、そういう話だ。セックスを断られるというのはダイエットをしている目の前でパートナーや友達が美味しそうなケーキを頬張っている状況に等しいのだ。まぁ、気乗りしないこともあるだろう。正直触られるのも嫌な時期というのもあるかもしれない。だが断る時は注意した方がいい。それで関係性が歪んだり、男性の方がよからぬ方向に走ってしまう危険は大いにある。生理だから、何となく触ってほしくないから、イライラしているから。感情的に訴えるのではなく論理的に訴えるのだ。生理だから、は納得いくだろうがでは一週間近く耐えねばならんとなると苦痛だろうから「終わったらいっぱいしようね」と言っておくとか(するかどうかはさておき)。何となく触ってほしくない時は「今日はちょっとコンディションが悪い。調子がいい時の方がお互い気持ちいいと思う」などと言えば次回への期待が高まる(するかどうかはさておき)。イライラしている時は当たり散らすのではなく深呼吸して「ちょっと心の調子が悪いから」と無理やりにでも笑えばいい(するかどうかはさておき)。
そう考えて、思い出す。
私が初めて女性を経験した時。
高校二年。相手は先輩の女子だった。私は文芸部にいた。特に文芸に興味はなかったが文学少年だった。家に帰れば母や姉に奴隷のように使われる。家に帰りたくなかった。その口実が図書室での読書だった。中学時代からの習慣だ。
高一の終わり。図書室で本を読んでいる私に女子生徒が声をかけてきた。先輩であることはリボンの色と上履きの色で分かった。
「いつも本を読んでいるね」
その通りだからはいと答えた。すると一冊の冊子を手渡してきた。
『献身』。表紙にはそう書かれていた。
「私たちが出している文芸誌だよ」
彼女は微笑んでいた。隣にいたもう一人の先輩も笑っていた。
私に話しかけてきた女子先輩は二人だった。一人は眼鏡をかけた大人しそうな先輩。もう一人はポニーテールのスポーティな印象の先輩。ポニーテールの方が優しく私に告げた。
「よかったら、一緒に書かない?」
特に興味はなかった。ハッキリ言うが文学なんてただの暇つぶしで、奴隷扱いから避けるための一時的な防衛に過ぎない。自分が書く気分にもなれなかった。
でも多感な時期だ。女性というものに興味があった。それも向こうから飛び込んできた女子だ。見込みがあると勝手に思った。この先輩女子を、少なくとも二人の内どちらかをものにできる可能性は高いと私は考えた。先輩は、なかなかかわいかった。眼鏡をかけている方は大人しそうな雰囲気だが、ブラウスのボタンをきっちり留めていなかった。開けている。だから、裏では大胆な女子なのだと思った。もう一方のポニーテールの女子は、スカートの丈が規定通りだった。多分、ルールなんかをきっちり守る真面目なタイプ。ポニーテールはややもすればまとめられなかった髪が飛び出る実は難しい髪型だが先輩は綺麗にまとめ上げていた。几帳面な性格がうかがえる。多分、恥ずかしがり屋。私に最初に話しかけてきたのが眼鏡の方で、次がポニーテールだったことからもそれがうかがえる。
だがこんなのは推論に過ぎない。根拠もないし統計的な裏付けがあるわけでもない。単なる直感だ。だが分かっていることがあった。
二人とも、女性的な曲線がしっかりしているタイプだった。
胸が大きい、というのもある。くびれがしっかりしている、というのもある。尻が突き出ている、というのもある。脚が細くて綺麗、というのもある。絹のような黒髪、というのもある。
入部した。文芸部はその先輩女子二人が回しているようで廃部の危機だった。私が入ることでとりあえず次の世代に引き継げたと先輩たちは喜んだ。
それから、毎日。
私は二人の女子先輩と過ごした。先輩たちはよくお菓子を持ってきた。ポッキー。アルフォート。アポロ。チョコレートが多い。二人ともチョコが好きなようだ。そして部室には電気ポットとティーセットが備えられていた。カップはちょうど三人分。アールグレイの茶葉が置いてあった。二人ともアールグレイが好きらしい。私もそれを好きになった。
勉強を見てもらうようになったのは自然な流れだった。最初は部室で教えてもらっていた。しかし、試験期間のある日。
〈私の家で勉強しない? 今日親がいないの。寂しくて〉
眼鏡の方の先輩がそう連絡を寄越してきた。文芸部の連絡網。三人しかいないのだから自分以外の二人を指定すれば事足りるのだが、何故か連絡網を作っていた。それを通じてのメッセージ。私が返答しかねていると、ポニーテールの先輩が乗っかった。
〈賛成! おやつ持っていくね!〉
かくして私は先輩の家で勉強することになった。
女子の部屋は初めてだった。
いやこれは正確じゃない。姉の部屋には何度も入ったことがある。掃除のため、洗濯のため、食事の配膳のため。私は姉の布ナプキンまで洗っていた。だから女子の部屋は、正確には初めてじゃない。
だが眼鏡の先輩の部屋は私の知らない香りで満たされていた。
甘い。甘いとしか表現できない。媚薬のように私の頭をおかしくした。ほとんど錯乱状態だったと思う。
机は二つあった。勉強机と小さな炬燵が一つ。ベッド。かわいらしいぬいぐるみが置かれていた。ピンクのラグ。カーテンはパステルブルーだった。背の高い本棚。夏目漱石やら森鴎外やら芥川龍之介やら太宰治やらが置いてあった。目覚まし時計。時計の上に耳のようにベルがついているタイプの。壁にも時計があって、そっちにはフクロウがデザインされていた。学習机の横に棚が一つ。教科書やらがしまわれていた。学習机の上には、おそらく無印良品で買ったと思われる質素なランプが一つ。机の正面にある壁にはコルクボードがあり、写真がいくつか飾ってあった。勉強会は、三人仲良く炬燵でした。
英語の勉強を教えてもらった。しかしほとんど頭に入らない。状況は部室の時と全く変わらない。男子私一人に対して先輩女子二人。一つの机に男女三人。でも甘い匂い。くらくらしていた。正常な判断ができなかったと思う。
男子の話になったのは、確か午後四時を回った頃だったと思う。
眼鏡の先輩と同じクラスの男子が、学年一かわいい女の子とセックスをした。
要約するとそんな話だ。もっとオブラートに包んでいたが。ポニーテール先輩が驚いた顔をしたり、恥ずかしそうな顔をしたりしている内に、眼鏡先輩が告げた。
「稲村くんもそういうの、興味ある?」
ほとんど悪魔的な一言だった。
ないはずがない。ないはずがない。男子高生なんて頭の中の九割九分がそれだ。前も言っただろう。私は思春期に最高で二桁台のオナニーを経験している。性欲は溢れていたのだ。そこに来て、この一言。しかし返答には困る。
「私は興味あるよ?」
眼鏡先輩。いつの間にだろう。隣に座っている。
擦り寄せられる体。
「や、やめなよ」
ポニーテール先輩。だがその言葉が嘘だということはよく分かった。彼女も眼鏡先輩に対向するように身を寄せてきたからである。
「よかったら……」
と、眼鏡先輩。頭の中が精液でも……いや、逆に精液だからこそ……この言葉の意味は分かる。
「ちょっと、そんな」
ポニーテール先輩が困ったような顔をして密着してくる。慌てた様子。そして人は、慌てている時に間違いを犯す。
「稲村くんにだって選ぶ権利あるよ!」ポニーテール先輩。
どうやらすることは確定のようである。この時点で私の悲願は達成されている。
「じゃあ、選んでもらおうか」
眼鏡先輩は元よりやる気満々である。
「え、選びにくいよっ。稲村くんだって気を遣うし……」
「じゃあ、こうしよ」
ポニーテール先輩に耳打ちする眼鏡先輩。ポニーテール先輩の顔が赤くなる。
「そんなのって……」
「でも、一番公平じゃない?」
審議。結果、眼鏡先輩が押し勝つ。
「稲村くん、いいよって言うまで目を瞑って」
言われた通りにする。いいよ。くぐもった声。仕切り一枚隔てているような。
目を、開けると。
並んだ尻。それも裸の。
「……これで、気兼ねなく選べるでしょ?」
眼鏡先輩の声が炬燵からしていた。
先輩二人が下半身裸になり、炬燵に上半身を突っ込んで尻を持ち上げていたのだ。私の前に並ぶ二つの尻。二つの臀部。女性の。女子高生の。先輩の。女性器も肛門も陰毛も何もかもを晒している。ポニーテール先輩の声が聞こえる。
「や、優しくしてね」
ほとんど発狂していた。
夢中で犯した。どっちがどっちか分からない。だって顔を隠しているのだから。尻しか味わえない。だって上半身を隠しているから。でも私はどちらも犯した。どっちを先に犯したのかは最後まで分からなかったしどうでもよかった。どっちにどれくらい出したかもさっぱり分からない。文字通り睾丸が空になるまで、いや空になっても出し続けた。その内炬燵じゃ暑いから、と裸の三人で狭いベッドでもつれ合った。先輩の肌を吸った。唇を、胸を、腹を、尻を、陰部を、全部舐めた。啜った。味わった。二人分舐めた。二人も私を舐めてくれた。唇を、胸板を、腹を、ペニスを、そこら中味わってくれた。眼鏡先輩が勉強のお供に、と用意してくれたジュースを三人で口移ししながら飲んだ。ポニーテール先輩が持ってきたチョコレートを肌に塗って舐め合った。どれが誰の唾液なのか愛液なのか汗なのか、そもそも何の液なのか、分からないくらいに全身びちゃびちゃにした。快楽のあまり失神しそうだった。していたかもしれない。とにかく。気が付いたら。
夜九時。いや十時になろうとしていた。空腹で時が過ぎていたことを思い知る。疲れ果てた私たち。
親はいない。
裸のまま下に降りた。全身びちゃびちゃ。しかし拭く気はなかったし先輩たちもその様子だった。シャワーも浴びない。私たちはそれはひどい臭いだっただろう。でも私はその匂いにすら興奮していた。勃起していた。その様子を見て眼鏡先輩がくすくす笑っていた。彼女が用意した食事をとった。三人で。家族のように。
食べている内に気が変になった。何かが上ってきて頭を支配した。熱が出た時のようになった。鼻の奥が痛い。喉から何かが出そうだ。気が付けば。
泣いていた。涙が溢れていた。鼻がぐずぐずしていた。嗚咽が漏れた。
食べていたのはカップラーメンだ。私が普段家で作る料理より味は格段に落ちる。でも美味しかった。初めて食事が美味しいと思えた。いや、人生で初めてした「食事」かもしれない。美味しかった。本当に美味しかった。
裸だった。私は当たり前のように裸だった。何もかも、ペニスも陰毛も丸出しの、哀れでむさくるしい男子高生だった。そんな私に、二人の先輩が身を寄せてくれた。
「よしよし」
頭を撫でられる。私は泣き続けた。
食後は三人でインスタントコーヒーを飲んだ。ポニーテール先輩が裸のまま家に電話をした。泊まるから。それだけ。その一言。呆気なかった。私はあえて家には連絡しなかった。多分午後六時を過ぎた段階で家に帰れば母の殴打が待っているだけだろう。今更帰っても結果は同じだ。だったら、ここで、心行くまで。そう思った。
夜通し先輩たちとセックスをした。後で思い出したように避妊をしたが、リスクはある。私は覚悟した。最悪大学には行かない。働く。出産にかかる費用も全部持つし、苦痛も幸せも何もかも一緒に味わう。一生かけて先輩たちを幸せにする。そう宣った。
先輩たちも妊娠のリスクは不安だっただろう。きっと心からセックスに集中できなかったかもしれない。でも二人とも私の頭を抱きかかえて言ってくれた。
「大丈夫だよ」
大丈夫じゃない。と私は告げた。もうしてしまったのだ。先輩たちの中には私が入り込んでしまった。リスクが高くなっている。しかし先輩たちは優しく私の頭を撫でた。
「あなたは頭がいいから。大学には行って。そしていつか、立派な大人になってね」
立派な大人。
私はなれているのだろうか。
「先生?」
一瞬。
一瞬で私はそれだけのことを思い出していた。何ならちょっと泣きそうだった。しかし今は、そんな場面じゃない。
福山さんが心配そうに私を見ていた。彼女は確かに美しい。でも私がかつて抱いた女性のようではない。そう思うとため息が出た。諦観、というような。
「君はしおりのメンバーなのかね?」
そう問う。特に意味はない。何となく口をついて出た質問だった。
「しおり?」
首を傾げる。おや、と私は思う。
「遠藤さんの団体……」
と、私がつぶやいた頃になってようやく福山さんは「ああ、遠藤さんの」と手を打った。どうやら「しおり」と聞いてすぐに「遠藤さん」に結びつかなかったらしい。
「あ、そういえば、先生」
福山さんが顎に人差し指を当てる。
「先日警察の方に声をかけられました。えーっと……西……島……さん? 学内で。何だか慌てた様子でしたけど」
「そうか」
「先生、最近話題の事件の捜査に協力しているんですよね」
「そうだ」
「怖いですよね。特に女性は気をつけなくっちゃ」
「そうだな」
「彼氏といるホテルで殺されるなんて……考えただけでぞっとする」
「そうだな」
なるほどね。
そう、一人微笑む。
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