翠雨に匂い立つ白い蓮花の美しさ、閉じ込められた情動の行先は

 物語の舞台は中世の大和地方。

 その類まれな美しさゆえに寺へ稚児として差し出された義王丸は、日中は尊敬する聖人から薫陶を受け、夜はその聖人から偏執的な愛撫を受ける日々を送っています。その義王丸に寄り添って献身的に仕える純朴な従僕、拾。物語はこの三人を軸にして紡がれていきます。

 この時代について作者が持つ知識造詣は表に出ずとも文中に滲み出て、土の匂い、夜啼き鳥の声、寺院に差す朝の陽の光が、その時代の色を纏って描写される様に、作者の技量の高さを確信させられます。そしてその作者の高い技量で、丁寧に、緻密に構成された物語は、そのまま義王丸の苦悩となって読者に迫ります。

 義王丸の苦悩は、聖人への敬愛と嫌悪に引き裂かれる自分の心から生じて、聖人に引き出される自身の欲望への戸惑いと重なり、望まなくてもその愛撫に悶える義王丸の姿には嗜虐的な官能を呼び起こされます。

 一方で、義王丸の苦悩は十六歳の若者らしく自我の確立期の混乱からも生じています。若い日に義王丸と似た思いを抱いたことがある、と、読めば密やかに気づくこともあるでしょう。

 自分はこんなものではない。人の目に映る自分の姿などまやかしに過ぎない。では、本当の自分とは、いったい何だろうか。ここではないどこかに、本当の自分の居場所が。

 人を攫う天狗は、いわば人を別の場所へと誘う存在。こことは違う何処かへ誘われるのは、誘われたのは、果たしていったい誰なのか。

 この物語を読み終えて、登場人物のその後に思いを馳せた時、物語の世界の中へ知らず引き込まれた自分に気づき、人の心を攫う天狗はこの物語、そしてこの物語の作者自身だと、良い物語を読ませていただいたという深い感慨とともに、そんな感想をもちました。