排斥や哀れみや忌避でなく、理解を。

この小説の作者さんは、他にも「宗教二世」題材とした作品を書かれています。
本作の他、「沙羅双樹」「明日のことは明日考えよう!」「もぐらの泪」を併せて読まれることをお勧めし、またこのレビューがそれらの作品を読んだうえでのものであることを先にお断りしておきます。

宗教二世に関しては当事者の皆さんが表に出て声を上げ始めていたところ、昨年の元総理襲撃事件でより世間の注目を集めた問題です。

少なくない人々がこの問題に関心を持ち、SNS上でも多くの意見が上がりました。
ニュースや雑誌記事でも「何が起きたのか」「何が起きていたのか」「どうしてそうなったのか」ということを題材にしたものがほとんどだったと思います。

曰く、献金の金額、合同結婚式、体罰を伴う虐待。宗教二世の問題を親子関係に求めるものもあったかと存じます。

一般の倫理観と照らし合わせて、いかにそれらの新興宗教が異常であるかをメデイア(SNS、テレビ、ネット、新聞雑誌)は喧伝しましたが、それは果たして被害者である「宗教二世」を救う動きだったのでしょうか。

本作を含む上記四作で、作者は宗教二世当事者としての心の葛藤を赤裸々に書き表しています。その宗教における歴史の捉え方、神の在り方、信仰の在り方の詳細な記述は、それらの知識が今もなお、作者さんの中で生きていることを現わしているように私には思えました。

「宗教二世」と呼ばれる人たちは生まれた時から青年期にいたるまで、信仰を基盤とした人格形成を余儀なくされてきました。

「何が起きたのか」「何が起きていたのか」「どうしてそうなったのか」。
メディアが追求したそれらの事柄は、ほんとうに「宗教二世」を救うためのものだったのでしょうか。

むしろメディアは「宗教二世」の置かれた環境がいかに異常であったかを執拗に取り上げ、宗教そのものを排斥する意見を扇動したように思います。
「宗教二世」の人たちにとって、否定しようにも分かち難く自分の一部でもある信仰を第三者に「悪」だと攻撃されることは、とてもつらいことなのではないかと私は思うのです。

宗教とは何か、信仰とは何か、そして新興宗教とは。

私たちはなぜ、それらの問題を日常会話にのせることを躊躇うのでしょうか?
本当の問題はそこにあるのだと私は考えます。

「宗教二世」当事者といわれる人たちが、どのように自分の宗教を、信仰を捉えているのか。ぜひ本作「仔ライオンの泪」を含むこちらの作者さんの小説を読んで多くの方にそれを知っていただきたいと思います。