その魔女とまぐわってはならない

 ―――――裏路地の奥深く。癒しに狂う心がなければ嗅ぎ当てられない退廃の底に、その店はあるという。

 人としての最期を至高の癒しで彩る魔女は、癒しを与えるのであって、願いをかなえるわけではない。恐ろしいことに、彼女の癒しは心を捻じ曲げてでも悦ばせる、替えの利かない文字通りの麻酔と麻薬だ。

 そうして与えられる癒しに絡めとられた愚か者は、二度と日の目を見ることは叶わなくなる。身の毛もよだつ異形を揺らし、それでも刷り込まれる愛に溺れ、歪な命をただ一人のために展示され、死ぬことを許されない。


 だから……出会ってはならない。渇望してはならない。求められるままに、まぐわってはならない。


 それが何処にいるかも分からない、かなえ まどかという災厄魔女だ。



**********




(…………)


 ゆっくりと、目を開ける。何故か世界が、逆さまに映っていた。頭に血が上っているのか、とにかく頭が重い。首を動かすのも痛かったので、視線だけで周りを見渡した。まだちゃんと見えてはいないが、ずいぶん狭い部屋な気がする。結局俺は死にぞこなったのだろうか。

 それにしても、やけに呼吸音がうるさい。まるで、瓶を吹いたような低音だ。あと、愛してくれるとは、どういう事だろう。

 ああ、だんだん視界がまともになってきた。目の前に、いるのは……


「――――――――――!!、!!、――――!!」


 気が付いた瞬間、全力で絶叫をしたつもりだったが、ろくな音が出ずに終わる。俺がいるのは鏡張りの小部屋だった。そしてその全ての鏡に、おぞましいものが映っていた。




 目の前には、ブリッジのような体勢の俺が映っていた。体はフックで宙につるされていて、俺はそこからだらんと首を投げ出し顔を逆さまにしているらしい。その顔には、あるべきはずの場所に顎がない。その跡には舌が出る程度の穴は開いているが、口の体を成していなかった。抜かれた顎はタトゥーだらけの頭頂部に突き刺さっており、昆虫の顎のようなシルエットになっている。黒くインクを流し込まれた目の周りにも、似たような目のパーツが6つ埋め込まれている。自覚した瞬間に、気持ち悪くなり頭皮をとにかく動かした。だが、目の前の怪物の表情が変わっただけで、俺にはなすすべがなかった。

 体はもっと酷かった。前方向に投げ出していると思われる腕には、手から先がない。代わりに、虫の足先を大きくしたような毛深い棘のようなものが縫い付けられていた。足も同様に、棘の代わりに足首の感触がない。どちらも今の角度に折りたたまれて固定されているらしく、肩と股関節で少しぶらぶらと揺らせるだけだった。脇腹からは毛深い棒状のものが突き刺さっており、手足と同様だらりとぶら下がっていた。手足よりももっと目を引くのが、腹だ。これまでも膨らんでいた腹が、何かを詰めたのかさらに膨らんでいた。腹にもワイヤーがつるされており、股の間で固定されている。


 ―――――。そう呼ぶにふさわしい何かが、身じろぎをするたびに壁中の鏡でうごめいていた。そしてそれは、どうあがいても俺だった。



 目の前の鏡がくるりと反転し、一糸まとわぬ姿でまどかが現れる。醜い異形の俺と並ぶことで、美しさがひときわ強調されている。まどか、と呼ぼうとしたが、喉がぴくぴくひきつっただけだった。


「その体つき、目つき……ああ、6つ目をはめてみたけれど、こんなによく馴染むなんて。なんて美しいの」


 頬を赤らめて、まどかがくまなく俺の顔を触る。花を愛でるかの如く柔らかなほほえみをたたえているが、その実触れているのは彼女が自ら義眼をはめ込んだとなった俺の顔だ。まどかのこだわりなのか、ところどころ頬に毛が植毛されていた。その固い毛の感触を、まどかは1本1本を口で吸うほどいたく気に入っている。そのまま俺の顔に胸を擦り付け、甘い声を上げて官能的に体をよじるまどかに、俺は醜く息を吐き出すことしかできない。

 狂っている。何もかもが、狂っている。かなえ まどかという愛の暴力に、俺はただただ殴られている。蜘蛛が涙を流さないことを踏襲したのか、涙は流れなくなっていた。

 ……狂っていると言えば、俺は確かこの前まで、禁断症状のようにまどかを求めていた気がする。今はというと、精神だけはやけに落ち着いている。これは一体どういうことなのか。気がおかしくなっていなければならない時に、どうして俺はまともに考えることができてしまうんだ。


「……あたし、異形性愛ディスモーフォフィリアなの」


 熱のこもった声で呟きながら、まどかは顔から離れて俺の体に触れていく。聞きなれない言葉の意味を、考える心の余裕もなければ質問できる口もない。ただ、少女のように無邪気に笑うまどかの声だけが部屋に反響していた。


「ずっと待っていたのよ。貴方をどう彩るか、あたしは楽しみで仕方なかったわ。もちろん、いろいろ試すのは面白かったし、お腹が膨らむ貴方を見て、蜘蛛を思いつけたの。この日々は無駄じゃない事に、あたしが感謝したいぐらいよ」


 最初から……俺が店を探し当てたあの瞬間から、ずっとまどかは待っていたのだろうか。俺を、こんな姿にする瞬間を。だからまどかは、俺に優しくしていたのだろうか。

 二の腕あたりに爪で触れられる感触で、俺の腕は皮膚の下に甲羅のようなものを挟み込まれている事を知った。その事実にまどかへの残りの疑問が吹き飛ばされていった。ああ、もうこうなってしまったら当たり前だが、戻れない。殺してくれた方が、楽なのに。


「そうそう、貴方は暴れることをすごく怖がっていたけれど、怖がらなくてもよかったのよ。。たまに先に狂って死ぬこともあるけれど、それはただ残念なだけ。貴方が薬に勝ってくれてよかったわ」


 まどかの言葉について考える間もなく、まどかの手が腹だったものに伸びる感触がした。白く華奢な指が醜い塊をもみほぐしながら、丹念に口づけをしていく。もちろん皮膚に神経が通っているため、湿った舌になぞられているのがわかる。俺の性器を腹の皮でくるんでいるらしく、腹越しに触れる手の重みで揺らされて体中に甘い刺激が轟いてしまう。まどかも胸の上にまたがり、体を大きく揺らし始めた。聞こえてくる水音も相まって何をしているのかが嫌でもわかってしまった。

 そのまま、俺とまどかが果てる。艶やかなまどかの嬌声、低い音をまき散らす俺だった何か、この異常の中でも平然と熱を吐き出す性器。幸せそうなまどかと対照的に、俺はとにかく地獄だった。



 しばらくして、上気したままどかの顔が再び眼前に現れる。頬を改めて指でなぞり、甘えるように頬ずりをしながら、興奮をそのままにささやき始めた。


「ふふっ……でも本当に嬉しかったの。貴方は自分から、あたしの好きにしていいって言ってくれたわ。こんな大事な人、愛したくてみたくてたまらないじゃない。だから、ずっと愛したいから使った薬の分のを始めてみたの。後遺症は必ず良くなるわ。……食事を持ってくるから、一緒に食べましょう?」


 これまでも、まどかの治療は的確だった。今度もそうだ。だからきっと、生きてしまう。こんな姿で、生きられてしまう。当然のように食事を取りに行くその様子をみて、抗ってももう無駄だと、心がついに決断を出した。

 部屋に一人残されてから、まどかは自分の心に嘘をついていない事をぼんやりと思い出す。見ている物が違っていただけで、愛している心だけはまっすぐだ。こんな醜い怪物しか愛せないらしいまどかに同情しないかと言ったら、嘘になる。醜い何かになった代わりに、彼女が愛せる誰かになれたことを喜ぶ心も、思い起こせばなくもない。


(そうだ、もう狂っているのだ。この身体のまま悠々と思考を巡らせている時点で、どこかこの体を歓迎している節がある時点で、俺の頭もおかしいのだ。俺たちは両方とも狂った化け物なのだから、交じり合って離れなくなってしまえばいい)


 うなり声のように、ひたすら笑う。これがまどかにどう見えているかはわからない。喜んでいるように見えるか?絶望しているように見えるか?狂っているのだから、そんな心の機敏はない。この笑いには、本当に意味がなかった。ただこの瞬間、俺の中のありとあらゆる人間は、この醜い蜘蛛に食べられて消えた感触があった。


 いつの間にか服を着ていたまどかが、野菜スープを手に俺の前に立つ。最初に出会った時と同じように、まどかは常に美しい。慈愛の表情を見て、改めてそう思う。


「……大丈夫よ。こんなに美しい貴方を、あたしは隅から隅まで愛しているわ。そのまま、とても美しい貴方でいてね?」


 まどか俺の口に近づき、口移しで咀嚼物を流し込んでいく。俺はそれを、彼女が割いた舌で受け止め、飲み込んだ。終わり際に差し込まれたまどかの舌を2つの舌先で挟んでみせ、俺は醜く笑う。その顔を愛おしそうに撫でながら、寄り添うまどかの熱を俺はぼんやりと感じていた。




 そうして結局いつまで生きたのか、俺は知る由もない。

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偏愛メズマライズ 蒼天 隼輝 @S_Souten

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