その魔女を渇望してはならない
その日から、俺は
てっきりこの店が本業かと思ったが、
外に出られない俺が
「……ねえ、今日は舌を弄らせて?」
いつもの香水をまとわせて部屋に
これは最近自覚したのだが、
「落ち着いているみたいでよかった。出会った時の貴方、本当にやけっぱちだったもの」
麻酔をかけられた後、舌の感覚が完全になくなるまでの間、
「昨日話してくれた人の事、考えていたのだけれど……貴方の言う事、正しいと思っているわ。あえて酷い言葉を使うのは、その人が悪いもの」
支払い中はどうしても時間がかかるので、それしか話すことのない俺は、ありきたりな恨みつらみを
……わかっている。わかっているのだ。原因は全部俺にあることも。それでも罵倒をしてくる奴らのことが許せなかった。わかっている傷口をえぐってくるような奴らの性格の悪さが、憎くてたまらなかった。死のうと思ったのだって逆ギレが大半だ。ただ、俺が全部悪いだなんて言ってしまえば、俺はこいつらに殺されると思っていた。
そんな毒にしかならない話を、
「今日は、ここまでね。また明日、……いいかしら?」
肯定の意味で、何度も顔を縦に振った。一時的な別れの言葉と共に黒いワンピースがドアの向こうへ滑るのを見送って、俺は言いつけ通り薬の準備をし始める。まどかのくれる痛み止めの処方は、いつも完璧だ。それもあって、俺にはこの支払いが全く苦ではなかった。むしろこの支払いは、今まで何もいいことがなかった俺へのささやかな褒美にも感じるほどだった。
(ああ、明日まで待てば、また会える)
貰った薬の袋から
彼女に宛てられた「魔女」とはどうやら誉め言葉らしいが、俺にとっては
**********
(俺はなんでここにいるんだっけ。まどかを探さないといけないのに……)
自分でもよくわからない疑問が浮かぶ。あれから支払いを数十回はやったと思うが、俺はずっと同じ生活を続けていた。
支払い後に「俺は
なので、最初と比べるとずいぶん姿は変わったと思う。
特に一番大きく変わっているのは、腹だ。ピアスやタトゥーに傷がつかないように、俺は激しい運動をとにかく避けた。その結果、中途半端に出始めていた腹を見た
そんな俺を見る
きっと、
……今、まどかは出かけている時間だったような気がする。毎日必ず来てくれるのだが、なんだか今日は一段と遅い気がする。もう時間も分からないのに、そんな気がした。まどかがいない。落ち着かない。俺は背中を丸めて重い腹を守りながら、ふらふらと部屋の中を
「……まどか、まどか、来てくれ」
体中のピアスをまさぐりながら、俺はまどかが来るのを待ち続けていた。食事もどうでもいい。別に寝なくてもいい。とにかくまどかが来るまで、俺は落ち着くことができなくなっていた。俺はいつしかうなりながら床をひっかき、まどかの名前を呼び続けた。膨らんだ腹が床にあたり、まどかに優しくなでられていた時を思い出す。まどかの声が聞こえた気がしたが、途中で切れて何も聞こえなくなってしまう。それがたまらなく悲しくなり、体を、ピアスを、腹を、何度も振るわせて大声をあげて泣いた。
泣いている間に、腹の下から細い水の音がして、足元に黄色い水たまりができる。……この恩知らず。せっかくまどかに腹を膨らませてもらったのに。なんでおしっこなんかするんだ。ばかだ。おれはばかだ。まどかにもらったものを捨てるなんて、おれはばかだ。あんなにきれいな水を、くさくてきたない色にしやがって。ばかめ、ばかめ、しんでしまえ。……うそだ。こわい。たすけて。うそなんだよ。ゆるして。うそだっていってるのに。
こんなによんでいるのに、まどかがいない。ふあんでしかたがない。
きゅうにへやにきたひどいことをいうやつが、もらしたおれをばかにしている。
たとぅーがかってにうごいている。
たすけてくれ。
「たすけてくれ、まどか……」
―――――ふいに、きたないおれのてを、だれかがにぎった。
あまいにおいがする。……まどかの匂いだ。
「泣かないで、あたしはここにいるから」
隣にまどかがいた。まどかがいる。よかった。少しだけだが、おちついてきた。いつ部屋に入ってきたかはわからないが、俺がそれどころじゃなかったから気が付けなかったんだろう。
息が荒い俺に、まどかがハーブティーをくれた。飲み干すと、すっと気分が楽になる。冷静になってようやく、俺は相当呼吸が浅かった事に気が付いた。意識して呼吸を整え、部屋を見回し……そして、絶望する。
「ご、ご、ごっ、ごめん、汚くして……」
「大丈夫よ。少しの間だけ、触らせて頂戴ね」
言葉に詰まる俺をあやしながら、
俺は、自分が恐ろしくなった。
部屋の掃除を終えた
「
「今日に全部、ありとあらゆる体の部位を使ってくれ。おれから
「迷惑だなんて……」
「俺は、
言葉の途中でも構わず、必死で
「その言葉、本当よね?」
「ああ、何なら、今からやってくれ」
「そう……。わかったわ。本当に、ありがとう」
俺の気持ちが伝わったのか、
案内された部屋の中には手術台があり、いろいろな器具がぶら下がっていた。ああ。これから
手術台にタトゥーとピアスだらけの体を預け、麻酔を入れられる。もう目覚めなくてもいいのだが、それは
ぼんやりとした視界の先に
―――――やけに、笑っているように、見えて。
「……ああこれで、あたしは貴方を愛せるわ」
ひんやりとしたメスが顎に当たるころ、俺は意識を失った。
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