第14話

 以下に記されるのは現在、未だ機密指定にある、事件当事者のみが知り得る筆者の調査能力、想像力の限界、その先に存在が想定される更なる物語、その断片となる。

 しかしながら、本項の存在を無視する事もまた、読者諸賢に可能な選択であり、結果として、本件概要についての理解については全く支障を来さない事も、ここに申し添えておく次第である。

 それでは吟味願いたい。


 NL、宙保情報室。

 レシピ漏出についての捜査。

 そしてその途上に於いて予期せず浮上した新情報である「地球光」計画。

 宙保在籍バイオロイド職員に関する機密事項である前項については、完全に当局の職掌であり尚予断が許されない状況の現在案件であった。

 しかし偶発に捕捉した次項については、判明した限りに於いて、その対処は既に宙保の権能を大きく逸脱している事が理解されていた。

 執務卓にその小柄な体躯を押し込め、ラマナ・ヨガナンは虚空に視線を据えたまま思案に耽っていた。

 彼には懸命にして、自らの思念を例えば独り言に類される最悪の形で開示するような性癖は無論持ち得ず、その内面についてはあくまで想像上の事でしかないのだが彼の能力と職務に鑑み推計する処或いは以下の如きがその脳裏に去来あったとするに不自然ではなかろう。

 選択肢は幾つか在る。

 このまま握り潰しておく。

 最悪だ、発覚時の不利益を思えば有り得ない。

 捜査の継続。

 レシピの附帯で得た新事実では在る、このまま洗いたい、成果もあろう。

 別に手柄を惜しむ意図は無いが、しかし、ムリがある。

 管轄外であるという事は、能力的にも超過である事を意味する。

 強行しても効率に劣る、鮮度劣化も著しい。

 本局に移譲する以外の決断は、改めて、無い。

 しかしだ。

 どの様な形を取るかは、更に難しいのだ。

 室次長のそんな煩悶は一事を以て呆気なく吹き飛んだ。

 水星に潜伏する現地工作員が、レシピによる攻撃を受けた。

 つまり、当局在籍のバイオ職員がだ。

 突発事態に全局が騒然となる中、次長は困惑の只中に置かれた。

 水星での工作について、認可申請も無論認可の記憶も、記録も無かった。

 部内調査により事情は直ぐに判明した。

 管理官の独断であった。

 次長は更に困惑した。

 彼女の人となりは熟知している、そんな人物ではない確信がある。

 聴取により、更に奇異な経緯が見えてきた。

「本省指示」

 宗教用語を口にする口調でそれは発せられた。

 本省火星出向高級官僚からの、現地捜査協力要請であったのだ。

 しかも既に、当局の許諾は得ているので速やかに従事されたしと。

 無論、またしても次長にはその様な記憶も、確認すれば記録もまた存在していなかった。

 しかしながら本件を本省に糺すもまた憚りありと言える。

 調整不足、の一語で決着される可能性が当然に予想される、組織の上下構造とはそうしたものだ。

 それにしても杜撰極まりなかった。

 正規手順不備につき、公電が多用された。

 防秘も何もあったものではない。

 寧ろこのアクションが結果、現地水星を危険に晒したものと順当に推定出来る。

 組織力学の贄となった彼女を叱責する理由は無かった、聴取終了と同時に次長権限により本件総て不問と為し職務に復帰させる。  

 本件はしかし、これからが本番となる。

 これは正に僥倖以外のなにものでもない、正に偶発、外宇宙艦隊所属艦艇、正規には艦ではないらしいがその点はこの際問わない、オンステージのそれ、ミッションに割り込みを掛け事件現場の掌握と関係者身柄確保の算段が付いた。

 本来、そのカバーのまま偽装職務を全うし予定に従い現場を離れていれば、潜伏状態維持のまま何も問題が無かったものが、事故による報告義務により宙保情報工作が露見する事態を招来していた。

 幸い、上層部もまた、事態隠蔽に協力的姿勢を示した、監督責任もまた不問に伏せる交渉が成立する。

 黒塗りの断片的情報を発信してしまえば、社会医療危機、ナノメディ体制への信頼まで揺るがしかねない、当該職員の身分、バイオ出身である件だけは死守要件である、アカデミズム最前線の、そのわずか2件の希少なポストの一つへ軍情報部が明らかに越権的コミット、 しかも生身の人間では無くバイオロイドを派遣していたとあってはこれを統括する防衛族並びに周辺政界を巻き込んだ一大スキャンダルとして大々的に喧伝される事態を惹き起こす。

 しかし此れを惹起した月の意図は奈辺にあるのか。

 逆だと、ヨガナンは断じる。

 地球攻撃材料であれば、レシピによる直撃ではなく、事実をそのままにリークすれば良かったのだ。

 結果対応余地無く連日メディアの攻勢を浴びる地球議会の権威は大きく失墜する。

 しかし月はその選択を採らなかった。

 脇が甘いとの指弾、攻撃を以って地球側に自力リカバーの機会を与えたのだ。

 これは、月のオファーだ。

 バーターを要望しているのだ。

 火星支援への減免か。

 外惑星拡充か。

 或いはまた別の何かなのか。

 未だ判らない、しかし時期がくれば、月は敢然とそれを突き付けるであろう。

 だが、事態収拾に奔走する次長に、重大本件すら些末となる別件が発生した。

「地球光」を火星支部に通達した、だと。

 報に接したヨガナンは、今度こそ茫然自失の淵に呑まれ、しばし立ち尽くした。

 信じられない。

 あり得ない。

 結局ヨガナンは思案の末「地球光」をトップオーダー、最高責任者たる内務省情報本部長その人に直接、手ずから自ら、引き渡し完了していたのだ。

 レシピ漏出の情報流路が未だ完全に追跡出来ていない現段に於いて、そのプロパティとして浮上した「地球光」を、汚染濃度未定の内部に、無策に出す事は危険過ぎる、その最終手段としてのトップオーダーであった。

 それが、当該工作対象である火星現地に下げ渡された。

 ばかな。

 まるで素人ではないか。

 内偵が完了したのか、月を挙げる証拠固めが既に、いや、この短期では不可能だ。

 では、これは。

 トップオーダーの事実を知るのは、次長と本部長、この世にただ、二人。

 ……まさか。

 ラマナ・ヨガナン航宙保安局情報室次長は、事実の積算の末に導かれた一つの結論に、その執務卓、最新情報を閲覧しブラウズ中の姿勢のまま、自らが信ずる世界を構成するその総てが崩壊する虚無を、感覚の喪失を覚えていた。

 本部長の評価は一定していた。

 無能、との評のみが当てはまらない、そんな人物だった。

 初の情報畑出身の議長誕生の観測まで流れている。

 その彼の、余りに稚拙な、情報処理。

「キム・フィルビー」

 次長の唇を衝いて洩れた、同業にあっては悪魔や死神の名より尚不吉、不浄な、紀元前中期に業界を激震させた一ブリティッシュの名を耳に入れたスタッフは凍り付き、なぜにそれを発したのか全く理解も想像も及ばない上長を恐怖を交え、視た。

 ヨガナンはしかし、その一件をきれいさっぱり忘れる事が出来た。

 内部告発など想起もしない。

 身の危険、保身などでもさらさらなかった。

 例え卓越したスパイマスターであったとしても、否、であればこそ。

 自ら望んで職責を越える業務を抱える意志は、微塵も無かった。

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