第19話

『マリーは病気だ、悪くなるばかりだ……』

『お気の毒に、気持ちは判るわ、でもめげてちゃダメよ』

 予定にない地球・月秘匿ラインの交信開始に情本防諜班は色めき立つが対象が割れると直ぐに緊張を解いた。

 地球側は例の名物男。

 相手も圏外会議で名を上げた女傑。

 甲乙共にまっさらな公人、月例脅威評価指定対象外。

 交信内容もどこをどう読んでも私信、不幸自慢のイチャコラ。

 人騒がせな。

 マリーがどうしたって? 事案でもないのにルーチンタスクでいちいち奴のクリーニングなんてやってられるかハイハイご馳走さまでした。

 防諜対策監視除外指定登録、手順通り履歴は保存。

 ……これがマリコだったらビッグデータ即同定、身に覚えありまくりの機密漏洩重大犯罪、軍法会議待ったナシの案件であった。

 マリコ、太平洋戦争、で検索、NHKでドラマ化もされてる、勉強になるなあ。

 火星情勢への地球側最終動態、そのリークであったのだ。

 テルオとしても、軍人ではあるが、防諜にせよ諜報にせよ情報そのものの扱い、殊に評価手法については明白に畑違い、プロに敵わない、素人を任じている。

 しかし。

 素人眼に見ても、否、素人眼には、この動きは理不尽に過ぎる。

 業界の友人何人かにも打診した。

 結果、同意を得た。

「絶対に、俺の名前は出さんでくれよ」

 念押しした上にジャンマー負けチャラのオファーで割らせた口から引き出した。

 場末のゲイバーで普段飲まない知人がぐいぐい杯を重ね、ここぞとばかり機密をブチ撒けていく。

 評議レクとして情報筋は当初は見てくれの通りを、首謀者の本意は不詳ながら騒乱はフェイク、偽装工作であり反政府のエモは希薄、寧ろ公的なコミットによる事態の鎮静並びに和解を期待している旨のアナリシスを提供していた。

 もとより事態不拡大を歓迎する地球にとり願ったりかなったりであったので、当然その方向に対処は進んでいた。

「それが、ブレ始めた」

 二重経路。

 一発免職モノのソースをさらっと口に載せる。

 現地から、極めて確度の高い、つまり工作員一次情報として、真逆の内容が上がって来た。

 即ち、叛意を糊塗する欺瞞行動であり、隠蔽された現地の反政府感情は重篤で、対処不能の段階にある。

「引っ繰り返ったっていうのか?! バカな! 」

 火星の反地球感情、そんな、それこそフィクションを鵜吞みにしただと。

「全部燃やしてしまえば後腐れない、むしろ人類の、為政者のセオリーだろ」

 酔いに任せたか、醒めた、投げ遣りな口調で知人は吐き捨てる。

 挙句の果てに、招聘された。

 要件はもう判り切っている。

 こんなクソ仕事を押し付けるのに、恐らく間違いなく最適の人材はここに居る。


 一方で月、月政府は突然の椿事に上から下までパニックに見舞われていた。

 否、慶事に皆が浮かれ、舞踊っていた。

 英雄の帰還である。

 100年来、自ら決して表舞台に立とうとしなかった、新世紀元年、月入植を率いるリーダーとしてその足跡をここブラコロ市、前、ブラウン・コロリョフ月入植基地、基地司令、そして初代市長である、ヴィクラム・サラバイ月航宙保安局永久名誉元帥、その彼が。

 明日、現職月市長ジャワハルラール・ネルーへの表敬訪問を突如、表明。

 ここだけのナイショばなし、優先度首位の極秘情報は身分立場の隔たりなく超光速で月市民を席巻した。

 一般公開は不明だがサインに殺到する市民への事前対処、早速物販の問い合わせ、クレーターの数ほどある大小官公民各種組織から殺到する面会許可申請。

 ノーコメント、ノーコメント、ノーコメだっちゅうの式次第どころか現時点で何一つ決まってねえ俺が知らねえてか何でお前ら知ってやがんだ防秘底抜け責任者出てこい俺もだが、広報課長mjg。

 全部現場に丸投げで市長がそそくさ定時に市役所裏口から退勤すると、いつもの公用車が定位置に在った。

「よ、久しぶり」

 上機嫌に笑いかけるドライバーは常為らなかった。

 めんどうを避ける秘書が慌てて車外へ飛んで逃げる、見ざる聞かざる言わざるはいそんな事実はありません私の責任じゃない! 。

 独り逃げ遅れ取り残された市長は天井に神の名を呼びしかし苦笑、観念して後部座席にどっかとあぐらをかく。

「で、これはいったいなんの真似ですか、伯父さん」

「義理でも少しは驚け」

 おざなりな、変装とも付かぬ着付けないハイヤードライバーの扮装、渦中のヴィクラム・サラバイ元帥その人が、居た。

「わーびっくり、はい、どうぞ」

 現場を陣頭で切り盛りしながら人類代表相手に一歩も譲らず今日に至る月の繁栄、その礎を築き失脚も無く威風堂々凱旋勇退を果たした初代市長である。

 これくらいはちょっとした茶目っ気、そうなのだろう。

「今年の夏コミに出る、壁サーだぞ、コレはどうよ? 」

 これは、驚いた。

「……mjd?? 」

「うん、マジ寄りのマジ」

 因みに当時も無論、実績の無いサークルに壁を譲るほど運営は腑抜けでは無い、テロリストいや権力とは交渉せず不偏不党、例えそれが全人類的英雄であろうと。

「それはその、おめでとうございます」

「もっと喜べよ、お前の名も挙がるぞ? 」

「いえいえそんな、私ごときとてもとても! 」

 何故か、市長はタジタジ。

「欲が無いな、だが、それがいい」

「そうでしょうとも、しかし……」

 随分早い、動き掛けた口許を英湯は無言で、眼圧で閉じさせた。

「それはそうと、この騒ぎはどう収めるんですか? 」

「それな、まあ昼の部も開催するさ、サービスサービス、月の前祝いだ」

「月、の? 」

「そうさ、英雄が今度こそ地球制圧だ、まあ見ておけ」

 全世界は息を呑むだろうってな。

「ダメなやつですよそれ」

 翌朝、一般公開各種メディア満漢全席、銃砲弾いがいのあらゆるものが飛び交う下を定時当庁の市長と肩を並べ、英雄は姿を見せ、そのまま消えた。

 どやどやとメディアも続く。

 緊急特番生放送、現市長と初代市長が全市民と共に談話会、「私達月市民のいままで、そしてこれから」は正に絶賛放映中である。

 だからまるで競うように開始された航宙保安局の大規模救難演習など何一つ話題を取れず、番組ワクすらナシでペッと一行告示テロップされただけで広報涙目。

 ハトがでますよー

 とつぜん英雄が声を上げ、次の瞬間、数羽のハトがその手元から飛び立ち市議会の高い天井を自由に舞い、踊る。

 正に、我々の未来の栄光を約束するような光景です、実況アナウンサーが感極まった私情。

 遅れじと実況画面にも通ちゃん技術部がアスキーアートでハトをオーバーライト。

 数々の伝説を打ち立てて来た英雄の手腕を現市長はもはや半わらいで1オーディエンスとして観劇していた、呆れ、感心するしかない。

 歴史の道化師、奇術師。

 ふと、市長はその視線を遥か中空に据える。

 地球の、火星和平船団が、そろそろ月軌道に差し掛かる頃合いだ。

 地球代表と火星臨時政府との会合は完全に極秘の環境で行われ、事後、火星陣営は良好な結果を得たと簡潔に声明を発し、地球側も、和解と友愛の証として火星開発への臨時支援を表明、地球産高度資材を満載した「和平船団」と名付けられた臨時輸送船団を編成、北米から進発させ模様は全太陽系規模で実況報道されていた。

 船団は月スイングバイによる加速と月からの航行支援、推進剤の供与及び貨物の追加、タグボートによる牽引により改めて火星に向け旅立つ。

 火星危機。

 人類初の宇宙戦争勃発の可能性を孕んだこの歴代一大事件に、月の反応は薄かった。

 これについては後日、放置すれば当然知る権利報じる義務で大騒ぎを演じるであろう各メディアに対し、月指導部から穏和な箝口令の発布があり、交換材料としての月初代市長の最新動向についてのリークがあった旨、非公式に認められている。

 そうでなければ今次事態に際し、最悪の有事には月こそが火星侵攻の地球陣営拠点となるその当事者がノーコメントを突き通した無為無策無責任を、権力監視機構として当然に追及、説明責任の要求というムーヴメントが発生すべきが当局が用意したどんちゃん騒ぎに積極的に加担、結果上から下まで火星事態を看過する事を可能なさしめ、それはほぼほぼベターな選択であった、そう評されている

 ここに一つの林檎が存在する。

 これは定性、定量的には事実と評し得る。

 しかしそれすらも、話法という外部仕様に規定された都合でしかない。

 その林檎が重力を証明したというのは、評価に過ぎない。

 歴史に於いては事実も真実も規定し得ない。

 それは常に、現在での評価としての所産であるに過ぎない。

 当時太陽系で進行していた諸般も、当時の最大限の努力の帰結ではあった。

「愉しんでるかい、うぇーい」

 幸い、というべきか。

 燦然と輝く主星、その第三惑星の衛星である月、正にそれに似た立ち位置で現職は喧騒の脇に身を置き、少し酔いも廻ったので市役所中庭のベンチで取り巻きも取材もなく独り、涼んでいると、そこへまたまた、ほろ酔いどころか通例は樽で呑んでも顔色一つ変えず淡々と議事進行する英雄がパーティの主催者にも関わらず何をどうしたものか赤ら顔で現れた。

 ダブル、影武者の2、3も準備済みなのだろう、いまさら驚く術もないもう何も怖くない。

 全月人参加、未来会議は大盛況に延長延長英雄スピーチアンコール、月昼の部は何とか終演。

「月独立祝賀会へようこそ」

「あ、言っちゃった」

 初代は宣言してしかし急に醒めた表情で、ぼそりと。

「これで駄目なら、未来永劫永久に地球の丁稚さ、だろう? 」

 英雄は更なるビッグサプライズを振る舞っていた。

 生前エージェント人格、英雄アプリの配布である。

 エージェント人格はフレッシュな位牌、この慣習も一時に壊してしまった。

 サインなぞ全月人が忘れた。

「地球も盛り上げてくれますよね」

 ああ、と平板に。

「火星派遣軍、それな」

 現職はふとこの贅沢な時間を今少し楽しもうと前向きに。

 この際だ、英雄談義も面白かろう。

「キューバ危機、御存じですか」

 ネタ振りに眼を輝かせた。

「紀元前の劇場型国際政治イベントってヤツだろ、一級フラグ建築士が建て壊して世界平和を護りました自由主義陣営の盟主にして世界の警察官USA! USA! 寡聞にしてあんま知らんが」

「いや十分でしょ」

 因みにその立役者であるJFKは結局使い捨てにされるワケだが。

「軍は無罪だ、恐らくな、知ってるか」

 英雄では無く、ヴィクラム・サラバイの顔で言う。

「軍人こそ平和主義者だ、開戦となれば平時に預かった血税を自分の命で支払わなりゃん、俺も空軍に居たから言う、判るな」

「官僚間の人事力学、余人からは理解不能な計算結果ですか」

 あの精強無比な海兵隊も予算と世論には勝てなかったからなあ、と苦笑。

「三軍だって喰わなにゃらん、説得に命令じゃいかにも分が悪い」

「で、リークと、誰か何とかしてくれ、俺たちにはムリゲ」

 地球人に信義が無い訳ではあるまい。

 しかし、組織では無く、全人類への公共の福祉。

 真なるパブリックサーバントとして、その信義を尽くすに、そうした選択もまた、存在するのであろう。

 正義では無く、良心への信託として。

「英雄は~気楽な稼業ときたもんだ~♪」

 おどけ一転。

「いやいや、英雄はつらいよ、それなりにな」

 寂しい笑顔で、告げた。

 二人、暫し無言でベンチに腰掛け、それぞれ宙に視線を投じていた。

 よし、と初代市長が立ち上がる。

「じゃましたな、パーティを愉しめ」

 現職に一言の相談も無く、立ち上がり、決然と立ち去った。

 太陽系の未来をその背に負う、指揮官の孤独と共に。

 サラバイはその足で便所に立ち寄りしかし用は足さず代わりに修理中のはずの大用個室を開け光学迷彩で手早く変装すると先に現職と会話したときの扮装、月最大手物流配送員コスをそのままに、市役所裏口の闇溜まりにひっそりとその身を控え待機していた同社営業大型配送車一台丸ごと買収改装、移動前線作戦支部に姿を表す。

「状況は」

「最悪」

 所狭しと展開されたホロスクの合間に顔を突っ込み呼び出した本部は即答。

「ローマ時計なら零時5秒前です」

 サラバイは安堵する。

 大丈夫だ、こいつらまだやれる。

「じゃあ余裕だろ、一月は寝て過ごせる」

 どっとスタッフが受ける。

「自身も」

「自身も」

「血を流してでも勝利するくらいなら、素直に手をあげよう」

 脳裏に在りし日の盟約が蘇った。

 自決すら出来ん、我ながらなんてマゾゲ。

 青かったなあ。

 苦笑する総司令官に副官は怪訝な視線を向けしかしヤレヤレと。

「で、どうします」

「どうしますってお前、丸投げかよ」

 あなた作る人私食べる人。

 作戦参謀が立案した複数案から採択決断するのが通例の作戦行動である、通例の。

「無線封止のまま火星派遣艦隊は月フライバイ、宇宙塵、対宙警戒の護衛艦艇多数確認、我が救難演習艦隊は既に地球の頭を抑え月の裏、地球観測不能宙域で地球艦隊に不幸な事故が発生するのを観測、事後全力救難の万全な配置、予備案として」

 上は騙せても下は騙せない。

 火星が陽動と割れれば残る月の算数。

 政治動向とは別に、地球軍や情報の人間が今次事態をどう評価しているかは、月でも察知していた。

 首謀が月であるなら好機として、月近傍で本格的な抵抗を示す事。

 人類史を紐解けば、その見解は間違いない。

 よって地球艦隊ガチマジモード、指揮官が有能なら尚更。

 総司令は圏外会議でも地球軍使として巧妙に双方メンツを立てながら、のらくら踊って円満離婚の実現を見せたタフプレイヤーの一人。

 正に最悪。

 勝算は常に1000%。

 仮戦完勝だからどうした。

 戦わずに勝つ、否。

 戦わない、だから、勝ちもしない。

 それなのにああそれなのに。

「閣下、元帥閣下! 」

 平静を欠いた経験不足の若年兵、しかしムリもない、胸バク頭沸騰ブッ壊れ寸前の若く黄色い声が場を通った。

「公設秘書の! クラーク卿から! たったいまごれんらくがが!!」

 どうどう。

 周りが宥める中サラバイは即電。

「私だ何か」

「地球光」

 クラークは完全に本件から切り離していた、その彼が静かに一言伝言を伝えた。

「判った」

 未読一件から折電する。

 ツーコールで出る相手のプロフをその間に読み取っていた。

 アレクサンドラ・スターナ・コンドラチェンコ月航宙保安局退役准将。

 圏外会議月軍使。

「ご機嫌麗しく、永久元帥閣下」

「やあサーシャ、地球が綺麗な晩だね」

 あらあらうふふ。

「流石は英雄、こちらも安心ですわ」

 彼女はそれを、公文書を読み上げるように口にした。

「友人を一人、紹介させて下さい、彼の個人的な、少し気の利いた発案と併せて」

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