第15話

 悪魔は二度現れる。

 最初は天使を装い、次に自らそのものとして。

 

 火星開発テラフォーミングロードマップ。

 その引き直しの日常ルーチンを終えた担当者はおやと思いもう一度それを見た。

 微妙に? 改善した??。

 チームリーダーに許可を取り、再確認してもらう、事実だ、いや。

 チームリーダーは微妙な表情からぱっと顔を明らめた。

 遂にそれは現場統括プロジェクトプランナーに達する。

「改善している? 本当かね」

「ご覧ください、ここ一月の変化です」

 サブプランナーが下から急遽上がって来たデータをその前に示す。

「これは……! 」

 いつも世界の幸福を呪っているようなプロジェクトプランナーのしかめ面が、みるみる満面の笑みに変わった。

 ひたすら遅延を嘆いていたそれが、誤差に留まらない有為データとして確実な改善の兆しを示している。

 火星開発に萌した希望の光栄。

 やった、俺たちの未来に希望が見えて来た。

「今夜は軽く飲むか! オレが驕るぞ! 」

 常にない言葉にスタッフが驚き眼を剥く。

 時計の針が逆廻ししている様に、ゆっくりとしかし確実に、事態は進行した。

 マイナスを示していた指標が0に迫ったとき、越えるか越えないかそれは何時かのオッヅが立った。

 0に達した時には記念パーティが開催され、地球に誇らしげなレポートが届き、現場に振る舞いもあった。

 0.1を示したとき、初めて、火星支部に動揺が走った。

 進捗超過対策。

 プロジェクトプランナーも正直、困惑していた。

 否、それは全員だった。

 これが、官の苦しいトコロだ。

 工期短縮、民間であれば話は早い、慶事である、経費も減る。

 しかし官では、0が求められる。

 実は結果は始めから出ていた。

「許認可で縛るしかない、か」

 申請認可を遅延させる事で調整する。

 リスクは高い、モラルハザードの生起も当然、懸念される。

 LM:最新ステータス0.2

 何故だ、いや、なぜだではない。

 当然、こうなる、然るべく監督指導していた。

 つまりマイナスフェーズでのリカバーとして、成果の事後報告を認可、暗に推奨していたのだ。

 地球には事前計画通りのゼロベース報告を実施、都度追加修正報告をまた実施する。

 現場からもまず定例ゼロベース申告を前提に、追加で実測を受理する。

 マイナス前提で回すシーケンスであったものが、プラス修正の加算で爆速。

 0.2、120%、計画より成果は先行している、してしまっている。

 火星ネコ共! お前らの頑張り過ぎだ! 、何が始まるんです? 、いや始まっているのか。

 頭が痛い。

 地球は何も知らず無邪気に喜んでいる。

「開発自滅戦」 メーリングリストには唯一言そうあった。

「作戦方針」  休まず遅れず安全第一でたっぷり遊んで休んで働く事を遵守する。

「作戦目標」  テラフォーミングの工期短縮。

 安全無事故で働く事だけに専念。

 火星臨時政府「裏番内閣」からの待ちに待った発令第一号への反応は低調であったが、ニキ達には思うところがあった。

 確かにモラルの低下からのパフォーマンス低下及びインシデント多発、進捗遅延というデフレスパイラルがある、これを撤廃するとどうなるのか。

 ニキ達の安全指導徹底が始まった。

 始めは、ビハインドプレッシャーから手順軽視で作業重視の現場の空気を、地球のイヤミと遅延は忘れろ、基本に還れと徹底指導。

 とにかく安全作業手順の徹底、ちゃんとヨシる。

 それで、十分であった。

 事故もミスも現場から無くなり、工事は飛躍的に進んだ。

 ゼロベースを賞賛、逆にインセンティブを設けると、劇的な影響を与えた。

 タイムアタックのノリで各現場が工事成果を競うまでになると、もう規律を締め付ける必要も無くなった。ノーミスノートラブルが完全にスタンダードとして、栄誉を以って現場に定着した。

 シリを叩かれるまでも無く、無事故維持を遊びながら工事は進んでいた。

「ホワイトな地球の職場を血と涙と怨念でドス黒く染め上げてやる、そのお手伝いをする、自分たち自身の手で。」

「質問ですが教授、それは地球サル共が、じぶんたちから進んでブラックホールに行進していく、というコトで。」

「ナイスな表現、そうだね、いまここで命名、作戦名、ブラックホール・レミング」

「オレ達が安全無事故で働くとそうなるワケで? 。」

「そうなる」

「???」

「あとでちゃんとネタバレするよ、それで成果が出なかったトキはボクの負けだ、そうだな、シビルの処女を進呈するから皆で好きに廻して突きまくればいい、判るね、自信と覚悟の程。」

 火星支部は更なる苦境にあった。

 何といって、今回の成果につき、理由が明示されていないがそれは何故か、と。

 実際不審である。

 今回のような場合通例であればああハイハイえらいえらいと生返事、辟易するくらい、本日を迎えるに至るまでの苦心惨憺と其れを如何に今日の栄光に辿り着いたか微に入り細に渡り得々と成果報告があって然るべきを、淡々と事実データの羅列とあってはまさか、ではあるが疑念の一つも湧くつまり、失礼だが、粉飾報告ではないだろうかと。

 その、疑念を払拭する、具体的な対策と、その効果としての成果についての、報告が欲しい。

 当然である。

 しかし。

「対策、監督、指導……」

 なにか、あったか? 。

 全員で首を捻る。

 直近の視察でよりキツイあてこすりをしてしまったのを押し隠し、何も、と、最新報告を提出した担当がやや硬い表情で同意する、何も。

 地球に報告すべき内容で、自分たちが成果に関与した、評価し得る改善努力は、微塵もない。

 何かを過大に脚色しようとしてもその些末な端緒すら見当たらない。

 磨き上げられた鏡面の如き一枚岩のスラブを見事下したもののどう攻略したのか第三者に説明出来ない、ベースキャンプで登攀計画を練り一夜明けたら山頂に立ってましたでは成果を誇りようが無い。

 遂に、作文が始まった。

「つまり、誤認だったと」

 重大な見落としがあり、改善は事実だが観測誤差の範囲で、先の躍進は誤りであった、大変失礼した。

 だよねー、地球も納得したのかそれで収まった。

 収まらないのは現実で、インジケータは0.2に張り付いたまま尚恐ろしい事に微増傾向にある。

 今更ようやく、意を決しての、抜き打ち大規模査察が敢行された、まさか現場で虚偽申告しているのでは、であればハナシは早い。

 歓待された。

 丁度いいので大歓迎パーティが開催された、もはや一日二日の遅延は問題にもならない。

 ニキ達は上機嫌で挨拶周り、盃を満たして廻る。

「やーどもわざわざむさ苦しいトコまでおいで頂きまして! 」

 やっぱ基本っすよね基本! 、無事故安全最優先徹底で現場が止まる事ないですし皆心配も焦りも無くなって集中力も増す、気分も良くて士気旺盛、サボル奴もいない、無駄な注意監督も無くなって上司も上機嫌、何も悪い事ありません、ウィン、ウィンって奴ですかね。

 定かではないある時点から意識改善が始まり、みるみる好循環を生み、今の成果を産み落とした。

 それが、確認された。

 なるほど、なるほど。

 手が付けられなかった。

 原因不明の劇的改善を、マイナス進捗管理など意図しようものなら、たちまち水泡に帰す、その危険は計り知れない。

 そして、逆も当然あり得る。

 原因不明の良化は、悪化も当然あり得る。

 仮にゼロまで巻き戻ってしまっても全く問題ない、その兆候があれば初めて実際的な対策を行えば良い。

 それまではのらくら通例通り修正報告で繋げばよい。

 悪化隠蔽という最悪の事実は確認され無かった。

 安心材料を得て火星支部は引き揚げた。

 しかし破局は訪れた。

 報告値ではない実測が0.25を指した。

 そして、申告があった。

「高度資材の不足が深刻だそうで、何とかしてくれと」

 量コンチップに代表される、地球特産のハイテク資材が現場で不足しているので、供給して欲しいのだ。

 火星支部は二重の危機に直面した。

 修正報告により、地球からの追加支援の申し出は双方合意でキャンセル。

 しかし現実問題としては、資材欠乏が発生し、その具体的要因により、遅延が再び現実化を迎えている。

 火星支部による、二重の意味での、痛恨の業務上過失であった。

 そして尚、この事実は火星支部内部のみの問題なのでもあった。

 追い詰められたその選択には、やはり最悪の結末が用意されていた。

「随分と面白い芸を見せてくれますね、

 感激のあまりクソが漏れそうですよ。

 火星じゃあ簡単に人が死ぬ、昔噺じゃありません、今でもね。

 新人たちが精度と速度を上げた新マニュアルを作りましてね、

 作業前安全確認手順を今はトリプルで回せるんです。

 マーズ14を知ってますか。

 開発初期に殉職した、ニキたちのリストです。

 Six と合わせて現場ではH2O、20人の英雄を祀ってます、

 俺たち火星組は彼らに見守られて毎日生かされてる、

 一瞬だって忘れません。

 知らずとも、理解も共感も、強要はしません、

 でも邪魔だけはしないで下さいよ。

 さて、監督官庁自ら、地球の高級官僚による、宇宙開発現場でのサボタージュ工作、

 その現行犯逮捕ですか。

 ウォーターゲート事件もびっくりだっていうね。

 失礼ですが、地球ではこういう時、どうオトシマエを付けるんです? 。」


「ハイカットー」


「ニキすごいです噛まずに言えてる! 。」

「馬鹿野郎猛特訓したんだよ! 。」

「キャットシット01、01、ビッグシット、奴らまた来ました! 。」

 01待機、いつも通り無事故安全にだ、よし本番行くぞ野郎ども! 。

 

 ノクトヴィジョンにパワードガードアーマ。

 動力防護作業服、高度現場仕様で完全武装した作業員1コ班が通常業務と寸分差異なく、一斉にハンドサインで返した。

 』

「さて、どうしましょう。」

 火星支部会議室で上映された寸劇を前にした、密かに招集された上層幹部は全員、無言で冷や汗を流し、顔面を俯かせ、何一つ反応出来ずにいた。

 同夜、同じ映像は、裏番内閣ネット会議の席上で限定公開された。

 火星支部から押収して来た二重ロードマップ、レポートも次々共有する。

「……役人って奴は」

 お役所仕事の総決算かと、ぽつぽつ感想が流れた。

「民間以上にとかく責任がついて廻るからねえ、同情の余地はあるんだ、うん」

 しれっとした教授の講評に、で、と。

 まだ、黙ってドカチンしてればいいんです? 。

 いや、と明確に否定。

「第二幕を上げるよ、もちろん。」

 総ての準備は整った。

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