第11話

「レシピ、レシピ、ねぇ」

 あまりといえばあまりに茫漠とした依頼であったと言える。

 見る者によっては汚部屋そのものの仕事部屋、いや、本人以外にはとうてい、情報倉庫とは認識不可能な、書籍、メモ、玩具とも小道具とも判じかねる小物にデジタル、メカニカルガジェットの数々、それらが渾然一体とまき散らされている六畳一間の空間の、辛うじて確保されているクラシカルな、壁面モニタの前、更にオーバーライドされたファイル、フォルダをサーチするでなしぼんやりと視線を巡らせながらリクライニングチェアをぎしりと鳴らし、河本産業代表取締役戸川弘明は回答した。

「はい分かりました、やりましょう」

 幾つかの質問と取り決めで短い通話が終わった。

 仕事部屋、社長室から一歩出るとそこは一変別次元の、チリ一つ落ちていないオフィスが開けていた。

 女性社員二人のうち、ロングヘアに小柄スレンダーな一人が叩いているのはタイプライターで、もう一人、ボブで凹凸放漫なトールガールが向き合っているのもノーパソでは無くワープロだった。

「行ってらっしゃいませ」

 姉妹の様に仲睦まじいがだからこそよと背中合わせに陣取っている間を通り抜ける間、二人とも顔も上げず業務に没頭していたが、社長の背中に向け同時に唱和した。

 弘明も片手を掲げ無言でそれに返礼した。

 会社の裏で電モクを二本吸い切る間に相棒が到着した。

 トヨタ・セリカGT-FOUR。

 自動運行システムを縫ってわざわざ骨董品で移動すれば当然、悪目立ちもする、007の名札をブラ下げ往来を闊歩するような間抜けぶりは百も承知だが譲れないものは誰にでもある。

「該当なしだな」

 ドライバーズシートに身を沈める全身筋肉の巨漢、幼馴染で悪友の鈴木渉がぼそりと告げた。

「そりゃそうだ」

 けらけら笑う弘明。

「地球上にあるかもわかんねえ」

 笑いを収め真顔でぼやいてみせる。

 応えて狭い空間で渉は器用に肩を竦めてみせた。

 移動しながら何件か会話を投げるがやはり成果は無かった。

「確定しているのは2点」

 ぴっと弘明は渉にVサイン。

「一つ、レシピは符丁だが同時に実体を持つ組成式」

 人差し指を折り、続けた。

「二つ、それが、流出した」

 Vサインをゆるやかに振って見せた。

「すると、どうなる」

「ばーん」

 弘明は両掌を広げ苦笑する。

「人類社会の存亡」

「なるほど、そいつはいちだいじ」

 情報屋でゴールキーパでピースメーカ、世界の危機、この業界、珍しくもないフレーズだが真面目くさって渉は同意する。

 荒川を渡りさいたま区に入ると路上の光景は一変した、周回ルートを巡るロジ、バス、タクシー以外の自家用車がどっと溢れた。

 別にダさいたまの珍景ではない、東京他各州首都以外の、である。

 上尾町某所で二人は車を降り、傍目には一般住宅にしか見えない電子要塞の門をくぐった。

「喜多さん久しぶり~」

「おー待ってたよ~」

 門番兼管理人である有限会社代表喜多次郎が二人を笑顔で出迎える。

「いつもの? 」

「いつもの」

 弘明と渉はコクーンに身を沈め、カウントダウンを待った。

 No Such Agency。

 紀元前の情報機関、アメリカ国家安全保障局、NSA。

 現、地球連合内務省がその資産を引き継ぎ、中核と為した。

 シギント、電子防諜の代名詞であるエシュロンは、正にナノメディにより全地球的完成を見た、そのエンジンは前掲通り量コンである。

 人類総員の位置、状態情報把握。

 桜の木の下以外の校舎裏で心拍数と発汗が増大すれば虐め現行犯逮捕。

 心臓麻痺、脳卒中、即時救急。

 会話は声帯から直接読み取り。

 お前の一存だ俺は知らんと罵言を吐く選良。

 殺人はもとより不可能犯罪となり、あらゆる知能犯も一次情報により摘発される、裏社会は炙り出され独裁者は失脚した。

 恐怖でも統制でもない、健康安全情報把握社会の実現。

 ユートピアとも言い切れないが、アリ寄りのアリか、と人類は納得した。

 その、情報の海にぽつりと浮かぶ泡。

 電子的に透明な存在、それが、河本産業の業務であった。

 ダイブした二人は迷うことなくいつもの通り、受託条件であるバックドア、世界の裏口から世界に足を踏み入れた……裏切られたら即、試合終了であるが確殺刺し違える、議会を即日解散させるくらいの準備も常時万端である、余裕で、殺られる前に殺れる、前兆を察知したら躊躇なくクラック済制御下にある、何時でも押せる核スイッチがダースである、それは常にクライアントにも判る形で通達している、結果世界は未だ平和だ良かったね。

 識者の云う、電脳空間など存在しない、あるのはサーバと接続回線だけ、という言質は確かに正しいがしかし、人間がそれを客観的現実として、まして今日の量コン環境を認識し理解し読解することの、不可能ではないが極めて困難であることは理解出来ることと思う。

 コンピュータ言語を総てマシン語、01でプログラミングするのでは無い様に、便宜的手段としての、あくまで主観的世界認識状況把握を補佐するGUI、或いはビューワでありフィルタであり、世界がその様な形で存在する事を意味してはいない。

 粒子の集積であるスカスカの虚空を解像度分解能の限界により、人間が可視光線でこのように日常として認識する現実把握と実は大差ない。

「レシピ」

 コマンド、オブジェクション、マッチング、文書、音声、映像、兆、京、垓……辺りで漸く止まった。

 当該想定情報群。

 無条件マッチング、世界が「レシピ」として認識している情報、現在存在しその知覚し得る総てが今、ここに集積された。

 ここから丹念に切り分け削り出し磨き上げていく。

 今日の料理、伝統調理、ザ・フェフ、食道楽、二人とAIの、業務経験とセンスでばっさばっさと切り棄て搔き分けていく。

 弘明は斬る、切り捨てるイメージで作業を進めていく、快刀乱麻を断つというアレ、らしい。

 イメージツールなので無敵の切れ味だ、斬鉄剣も裸足で逃げ出す。

 一方渉はブッパを好み、得意とするようで、砲兵の対地支援の様なイメージで、大地を耕す如く、或いは巡航ミサイルを連射する勢いでノイズを焼き払っていく、細かくなったので持ち替え、それでもバズーカで吹き飛ばす。

「ストーップ!! 」

 情報山脈相手に永遠とも感じられる格闘開始から、数本の糸を探りだす発掘工程となる。

「これ、で、いいのか? 」

 渉が巨躯に似合わぬか弱い問いを投げた。

 ああ、しかし、これが結果だ。

 自分を信じる、信頼すると書いて、自信。

 自信はある、今日までの蓄積と実績、今回の業務内容。

「不合理故に我信ず、ってか」

 弘明も面白くはない。

「レシピ」とリンクする2つのユニークプロパティ。

 二人は顔を見合わせる。

 1つは、まあ、アリ、か。

 しかし今一つは……。

「評価出来るか、保険屋」

 弘明の指示にAIは即答した。

「情報確度、0.97142560102」

 イレブンナインには程遠いが、企業としては及第点だろう。

 何より。

「げんかい」

 リアルクロックに同期した瞬間、二人とも相次いでブラックアウトした。

 喜多さんにサルベージされて後、弘明が目覚めたのは翌朝8時。

「どう、いいハントが出来た? 」

 居間で差し出された濃いブラックをちびちびすする。

 よし、まずまず覚醒した。

「いちおう、始末はつけたよ」

「ほう、短時間で気張ったね」

 作業イメージでは2、3日連続完徹の荒行だったが、実経過時間は2、3時間の小規模タスクだった。

 それだけ知覚を加速処理してなんとかやっつけた。

 隣ではまだ相棒が高いびき、叩き起こす。

 荒川手前で二人は分かれた。

 弘明は徒歩で会社に向かう。

 ナノメディを持たない透明人間は身体資本だ、日頃の鍛錬が欠かせない。

 ノーマライゼーションを身上とするバイオサイボーグともなれば尚更である。

「おはようございます」

 社長の社長出勤に、二人唱和で出迎えた。

 彼女らは二体とも真正バイオロイドで、ヒューマンエラーを0%にする業務上必然からの設備であった。

 社長室入口脇未決ボックスに、本件2項の決済成果物が提出されていた。

 保険屋が発送、先行処理されていた、小規模だが当然、河本産業も連なる透明人間業界は存在している。

 ターミネイトしていたのは以外にもあやしい方で、他方にはまだ微細なブランチが存在した。

 弘明は社長室に入り、施錠し、約1時間掛け完全防諜をブートし、成果を提出した。

「追加は? 」

 無かった。

 納入終了、業務終了。

 次の依頼が1時間後か来年かは、判らない。

 世が平和であれば、暇なのだ。

 明日からはまた、楽しく苦しいゲームプランナーの再開だ。

 んーと軽く伸びをし、セキュリティをノーマルに戻し部屋を出る。

 二人は既に退勤していた。

 因みに、彼女らは仮面レイヤーペアである。

 そのまま弘明も退勤し、駅前までぶらぶら歩き、ついと立ち食いに入る。

 弘明はつまんだ小瓶を刹那、睨んだが結局、いつもの様に隣の客が引く勢いで、置かれたソバを七味レシピで真っ赤に染め上げ、一息で喰い尽くした。

 味覚障害が進むのだが。


 NL本局、ラマナ・ヨガナン航宙保安局情報室次長。

「辞職したい」

 独語は意想外によく室内に響いた。

 スタッフはもちろん、全員見てないし聞いてない、知らないし今忘れた。

 自分の存在が零下に凍り付かせている室内の空気なぞ全く頓着する事無く、それでも次長は両手を動かし続けていた。

 確定した、もはや、間違いない。

 ダブルチェックによって、「レシピ」流出の事実が、今度こそ確定したのだ。

 内部調査と、外部での発見によってであった。

「圏外事案」の余波であった。

 未曾有の混乱の中、軍機が一つ、するりと抜け落ちた。

 しかしそれでも、現時点での状況確定は幸いだった。

 最低限、流出前提での対策が可能だからだ。

 寧ろ現在の問題は、新情報の出現にあった。

 もちろん、そのブランチは洗う、可及的速やかに、だ。

 だが、これは、外部情報なのだ。

 部内濃度が不明である以上、引き続き外部で進める、それ以外の手段は現時点では無い、無いが。

 情報重心の重複はこれを厳に避けるべし、防諜、諜報の別なく業界メソッドでの、セオリー中のセオリーだ、本件に鑑みるはされど、リスクは分散より拡散にある。

 裏の裏の打ち筋、今回は敢えて重複のコストを取る、それがベストムーヴだ。


 翌朝10時の定時出勤で弘明は驚かされた。

 ブランチ洗浄の、まさかの追加発注だった。

 納期はなる早、精度優先。

 経費は無制限。

「びみょー」

 少しの時間考えるフリをしても無論、選択肢は無い。

「もしもしー喜多さん、今度ちょっと囲みましょ」

 2時間後、みすぼらしい、特徴の薄い鈍色に彩色された、さいたまナンバーのバンが社屋裏に到着し、そのまま地下駐車場に消えた。

「やーどーもどーも」

「昨日の今日で商売繁盛羨ましいね」

「お互い様じゃん」

 電子要塞出張サービスだ。

 それから三日三晩、喜多さんのバックアップで河本産業社員3人総出三交代

で潜り続けた。

 結果。

 間違いない。

 これで、間違いない。

 ……絶対、間違いない。

 『昨年12月28日(土)西地区 あ-50a』

 サークル「UGO」。

 月在住サークルからの委託販売を実施、完売。


 当惑は単に人生経験の差異、基礎知識が決定的に欠落しているが為の状況把握難易度の問題であり、それがコミケ、同人誌即売会という異次元文化であろうがおたく、ナードの祭典であろうが、大規模情報離合集散ステージであるという実態把握、本質理解に何とか認識が追い付いた後の判断、実行は淀みなかった。

 ヨガナン次長は躊躇なく状況申告、コミケ全件サーチを内務省本局に依頼。

 申請にコミケだぁヲイヲイmjk? というような、先方もまた揶揄も冷やかしも無く平静実直にこれを受理。

 2秒後に回答。

 -10。

 委託販売の10冊は、10人の透明人間により購入されていた。

 情報本職の策動を感知。

 ビンゴだった。

 

「で」

「そう、デッドロック」

 そこまでだった。

 その、現物が、どうしても追えない。

 いや、一度は手にしかけた。

 正に全人類圏を捜索し、それは、発見された。

 火星のアングラサイトに、唯1件。

 暗号アーカイブは光で開錠。

 しかし、フォルダの中にあったのは、現代芸術作品に似たイメージファイルが一つだけだった。

 元データがあった、とする。

 しかし、それをどう変形させたか。

 これを無限の可能性で復号して、その結果がへのへのもへじであろうがおまえのかーちゃんでべそであろうがノストラダムスの四行詩であろうが、何が正解かは、判らない。同定先か、変換フィルタのどちらかが必要だ。

「なるほど、お手上げだねえ」

「そうなのよ」

「で何を探してるの? 」

「えーとね」

 作品タイトル。

「あるよ」

「だよね……はい?! 」

 弘明は、耳を疑った、返答に。

「最近孫が」

「ファースト潰します」

 非常事態符丁を発しコムを叩き切る。

 灯台下暗し、ホントかよ。

 依頼連絡先にワン切り発信。

 3秒後の返信に舌打ち2回でまた切る。

 防諜ブートの間に渉を呼び出した。

 防諜完了、報告。

「発見」

 3時間後に、返信。

「I go」

 翌朝早朝、一人のインド人が会社に来訪した。

「航宙保安局情報室次長、ラマナ・ヨガナンだ。」

 流暢な日本語で名乗った小男はがっしりした右手を差し出した。

 そのまま3人で、公共交通機関のみを使い上尾まで移動する。

 喜多さんが駅まで出迎えた。

 インド人は上尾の街並みを眺めるでなく半眼で後部座席に身を置き、無言無表情に現地への到着を待った。

 車内で仲良し中年仕事仲間三人も、いつもの軽口も無くこの業に自然、従う。

 そのまま先日と変わらぬ所在、喜多氏邸自宅兼社屋兼本業たる電子要塞に到着し、3人は茶の間に通され、少しして喜多さんがB5版の小冊子1部を手に戻って来た。

 表紙の書影が一致した。

 差し出されたそれを、ヨガナン次長はぱらぱらとめくり、閉じた。

 正に意想外の敵失。

 デコイの評価選定に失敗した。

 透明人間につまりは転売ヤーが混じっていたのだ。


「で、で」

 上機嫌でステアを回す喜多さんを二人で小突きまわしながら、移動していた。

「いくらよいくら」

 にっと喜多さん、気持ち悪くウインクで返して曰く。

「企業秘密」

「いやーここは山分けでしょ? 」

「そうだよ喜多さん、アレうっかりチリ紙交換に出しててみなよ! 」

 んーと喜多さん。

「そうだねーそうだなー」

「ま、今夜はとりあえず喜多さんの驕りね」

 悪友中年サークルの、ちょっとした臨時ボーナス受給打ち上げ、祝勝会の開催が決定した。


 ヨガナン次長は業者と別れ、往路経路の総てから外れる形の復路ルーティングを策定しそのまま単独行動継続、無事、情報室に帰還した。

 直ちに辛うじて個人裁量内、信頼し得る何人かを極秘に参集しアナリシスチームを編成、物件解析の作業開始を指令する。

 それは、手書きの個人誌だった。

 一見、内容不明であったが、直ぐにエスペラントと判明した。

 そして、驚愕の内容であった。

 チームは作業の終了並びに作業内容結果報告準備の完了を直ちに申告した。

 早朝2時であったが宿直仮眠にあったヨガナンは直後に姿を現した。

 促すまでも無くチームリーダーがハードコピーを片手に口頭で内容結果報告を開始した。

 それは、架空の惑星をモデルとした、詳細な、ある計画だった。

 敢えての仮称は記載諸元から直ぐ火星と同定。

 火星での、叛乱及び独立の詳細手順計画。

 それが、サークル地球光年間誌、「地球光通信」の全容であった。

 

 業務終了。

 あとは、趣味の時間。

 ホントはこの業界ダメ絶対禁止タブー、即忘却無関心それ絶対法則。

 だけど、ちょっとだけ、調べてみる。

 ロボットアニメ、これは違うか。

「これかなあ」

 紀元前のペーパーバック。

 西暦1955年刊行、サー・アーサー・チャールズ・クラーク。


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