三人妻ありて(大団円)
翌朝、岡埜は投網や刺し又などの捕物道具を持った捕り方を引き連れ、根津権現の裏手にやって来た。
源太郎の店と屋敷を取り囲んで、夜明けを待った。
朝日が昇ると同時に、捕り方が枝折り戸から突入した。
雨戸を木槌で叩き割り、
「御用だ!」
と押し入ると、仔牛ほどの大きさの黒い犬が飛び出して来た。
思っていたよりもはるかに大きな犬が、いきなり向かって来たので、捕り方一同腰を抜かしてひっくり返り、捕まえるどころの話ではなくなった。
大犬は枝折り戸を駆け抜け、指揮をとる岡埜に跳びかかった。
まさに喰いつこうする一瞬、駆け寄ったひとりの牢人が、抜刀しざま脇差を下から跳ね上げた。
牙こそ岡埜の喉仏に当たったが、嚙む寸前に斬り落とされた犬の首は、地面にごろんと転がった。
そこに、脇差を下げた着流し姿の東洲斎が、飄然と立っていた。
やがて捕り方が、源太郎をしょっ引いて来た。
たしかにお化けだか柳のように、ひょろりと背だけは高いが、立っているだけがやっとのような優男だった。
「源太郎は、生真面目な男だが、お香にのぼせ上った挙句、終いにはすべての歯車が狂ってしまった。非力なので、力業ではかなわない。それで、犬に恋敵たちを襲わせた」
「犬はどこで?」
「中野で、犬たちを戦わせて賭ける賭博があるらしい。おおかた、そこのいちばん強い犬でも買って来て、殺人犬に飼いならしたのだろうよ」
お新が、朝からこさえて井戸で冷やしておいた蕎麦を、政五郎と浮多郎は競うように食べた。
軒下の風鈴が、涼し気に鳴っていた。
「でもどうして麒麟なんかに扮装させたのかしら」
「回向院近くで甚六が賭場から出てくるのを待っている時、見せ物小屋の書き割りの麒麟を見て閃いたのかも知れないね。見せ物の麒麟の正体は、犬だ。これは使えると」
「親爺の源五郎はどうだろう。倅と共犯なのかねえ」
「おそらく、そうだろうと思います。麒麟犬の仕業にして安兵衛を殺し、奪った身上を倅にそっくり渡そうという魂胆で。お香との婚礼の夜、飛び込んできた犬を抱きとめるふりをして安兵衛を襲うように仕向けた。襲って来るのが分かっていたので、年寄でもそんな軽業のようなことができたのでしょう」
浮多郎は冷茶をぐびりと呑むと、
「でも、どうして東洲斎先生は、朝から団子坂などに現れたのだろう。不忍池の蓮の写生にやって来た、とおっしゃってはいたが・・・」
お新に向かって、謎をかけるように言った。
「そう言えば、お前が『麒麟を捕らえる大捕物がある。これはどうしても失敗できない捕物だ』と言うのを聞いたお新が、用事があるとか言って急に外へ駆け出したな。おおかた、お楽さんのところへ泣き込んで、東洲斎先生に助っ人を頼みにでも行ったのだろうよ」
政五郎が冷やかすように言うと、お新は顔を真っ赤にした。
寛政捕物夜話(第十三夜・三人妻ありて) 藤英二 @fujieiji_2020
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます