【KAC20212】仮想世界で見知らぬ君と、すれ違っても惹かれ合う(お題:走る)

 朝の晴天が嘘のように、オフィスを出ると雨が降っていた。天気予報は大当たり、いよいよ東京も梅雨入りらしい。

 憂鬱な気分で傘を差し、駅へ向かって歩き出した。昨日までは一秒でも早く帰りたかったのに、今の足取りはすこぶる重い。


 昨日の夜、俺はプレイしているネトゲの中で、パートナーの「ミナミさん」を泣かせてしまった。

 いつも遊んでいる友達と予定が合わず、珍しくパーティー募集システムを使ってダンジョンに行ったミナミさんは、落ち込んだ様子で二人の邸宅に帰ってきた。そしてキッチンカウンターで緑茶を飲んでいた俺を見るなり、どこか拗ねたような表情で「なんで言ってくれなかったんですか」と呟いた。

 どうやらパーティー中の雑談で、俺の悪評を耳にした様子だった。

 俺たちが遊んでいるのは、二ヶ月ほど前に正式サービスが始まった〈FantasticDaysファンタスティックデイズ!〉という最新のVRMMOだ。

 この最先端技術を使った仮想世界に、ベータテストから入り浸っている俺は、一般的なプレイヤーよりもキャラクターのレベルが高い。装備も段違いに整っているので、みんなが討伐できないようなボスモンスターも仲間内だけで倒してしまうし、後発のプレイヤーPキラーKに襲われて負ける事もない。

 妬みや無理解から陰口を叩かれる事は、もはや俺の日常だった。あまりにも慣れ切っていたせいで、逆にミナミさんの言葉を捉えあぐねた。

 いったい俺は、彼女に何を言うべきだったんだ?

 俺は悪名高きネトゲ廃人です、とでも言えば良かったのか?

 一緒にいてもロクな事はないよ、そう言わなきゃいけなかったのか?

 ずっと呪いのように付き纏うそれらは、事実だ。こんなにも深く関わる前に、伝えておくべきだったのだろう――そんな思考にしか、辿り着けなかった。


「俺たちは……仲良くなるべきじゃ、なかったのかな」


 抑えきれない感情が、口から漏れた。ネトゲの中では口調を変えているのに、もはや取り繕うことすらできなかった。

 その途端、彼女の目が一気に潤み、大粒の涙がぼろぼろと零れていった。


「私みたいな頼りない初心者じゃ、何の支えにもならないですよね……ごめんなさい、余計な事を言いました!」


 その言葉で、やっと彼女の真意を理解した。咄嗟に「ちがう」と言った俺の声は、はたして届いたのだろうか――ログアウトした彼女の身体は、目の前で跡形も無く消えた。

 俺の言葉が彼女を傷付けた事は明らかだった。涙も表情もそのまま伝えてくる新技術のVRシステムが、この時ばかりは恨めしかった。



 ログインすると、俺は〈Suzakスザク〉として邸宅のリビングにいた。ミナミさんはオフラインだ。いつも俺より先にログインして、ここで帰りを待っていてくれたのに。

 寂しさと苛立ちがないまぜになって、VR用のグラスモニターが鬱陶しく感じる。それでもログアウトは踏み止まった。今日はたまたま遅くなっているだけかもしれない。

 それにミナミさんがいなくても、俺がゲーム内でする事は変わらない。普段から俺たちは別々のコミュニティを持っている。

 俺が彼女とパーティーを組み、高レベルモンスターを狩りまくってレベルをあげてやるのは簡単だけど、それはゲームの楽しみを損なう行為だ。ネトゲ初心者の彼女には、同じ目線でコンテンツを攻略していく友人が必要だった。

 だから俺たちは一緒にフィールドへ出掛けた事もなく、それぞれの友人たちがログインしてくるまでの数時間を、この邸宅で穏やかに過ごしていた。

 俺はそれだけで満足していたけれど、ミナミさんは違ったのだろうか。

 心に秘めた悩みや迷いを共有すること、そんなものまで望んでいたのだろうか。

 彼女が欲しかったものを、俺は知らない。今からでも間に合うのなら、その全てを聞かせて欲しかった。

 背負っていた剣を、抜刀する。この赤く光る曲刀シミターこそが、俺のプレイヤーとしての誇りだ。

 ベータテストの最終週、世界の全サーバーで行われた〈月竜ムーンドラゴン〉の討伐イベントで、俺たちのサーバーだけが討伐に成功した。

 討伐貢献度トップのパーティーに贈られた報酬、月竜武器。そのひとつである〈紅月こうげつ〉の所有者である事は、俺にとって誇りだった。

 妬みで悪評を垂れ流されても、ただ聞き流せばいいだけだった。

 それなのに、今は無性に苛立ちがつのる。

 ミナミさんの目に、俺はどう映っているのだろうか。


「たかがゲーム、なんだけどな」


 時折よぎる思いを口に出してみる。それは自嘲であり、そして本音でもあった。


 いくら思いを巡らせようと、彼女がログインしなければ、何ひとつできる事はない。俺はギルドのメンバーに集合をかけた。アバターの向こう側には生身の人間がいて、それぞれ都合をつけつつログインしているのだから、ギルドマスターの俺が約束をたがえたくはなかった。

 いつもの面子と合流して、いつもの場所で狩りを始める。

 現在実装されている最高レベルのモンスターが生息する狩り場「狂気の洞穴」は、ダンジョンのように入り組んだタイプのフィールド狩り場だ。

 回復職ヒーラーの〈聖職者クレリック〉も支援職エンチャンターの〈祈祷師シャーマン〉もいない俺たちのパーティーは、〈吟遊詩人バード〉の歌が命綱だ。

 俺の親友、詩人のルードが〈マジカルリリック攻撃力増加〉と〈ミラクルエピック会心率上昇〉を詠唱する。あとは被弾時に〈アブソーブエレジー生命力吸収〉を歌うだけで、そう簡単には死ななくなる。

 避けるべきものは全て避け、自分たちの火力と耐久度を見誤らずに、モンスターの敵視ヘイトをコントロールしていけばいい。いつもの日課だ、特別な事はしていない。何もかも、普段通りのはずだった。


 狩りを始めて一時間が過ぎた頃、視界の端にあるテキストチャットがアラート音を鳴らした。必要なログを見落とさないよう、自分で設定した通知だ。


【お知らせ:友人〈ミナミ〉がログインしました。】


 そのシステムメッセージを見た瞬間、俺は周辺状況から意識がれた。気がつけばルナティックベアーから〈会心の一撃クリティカルヒット〉を食らっていた。


【戦闘不能:神殿に戻りますか?(蘇生可能時間:残り180秒)Y/N】


 やっちまった、と思いながら、俺は地面に転がった。

 後は散々だった。攻撃力特化編成のパーティーで、主力の俺が沈んだのだ。こうなると建て直しは無理に等しい。あっさりとパーティー全員が地面に転がされ、死亡ペナルティとして所持アイテムをいくつも撒き散らしていく。俺はよりによって〈紅月〉が洞穴の壁に突き刺さっていた。

 神殿に戻ると、俺以外のギルドメンバーがゲラゲラ笑っていた。神殿に響き渡る明るい声は、とても全滅したパーティーのものには思えない。


「スザクどうしたー? 腹でも減ったかー?」

「お前、紅月落としてるじゃん! 早く回収いこーぜ!」

「やっべ、俺もパンツ落としてるわ」

「タマゴのパンツとかどうでもよくねえ?」


 俺がネトゲ初心者だった頃から知ってるギルドの連中は、今でも「まーたスザクがやらかしたわー」ぐらいのノリなんだろうと思う。

 だけど、ルードだけは違った。


「スザク、何かあったな?」


 コイツに見抜かれるのは、仕方ない。学生時代からの長い付き合いだし、ミナミさんとの事情も知っている。泣かせた事は話してないけど、おそらく彼女絡みだという事ぐらいは察しているに違いない。


「悪いな。落としたアイテム、ロストしたら弁償するから」

「いや、一番ヤバいの落としてるのはお前なんだけど? いつもなら血相変えてすっ飛んでくとこだぜ、紅月より気になる何かがあるんだろ?」


 図星を指された俺は、黙り込んだ。

 たかがネトゲの恋人だ。たかがログインメッセージだ。そんな大層なものじゃない。そう思うのに、実際に俺は意識が逸れた。

 仲間全員を神殿送りにして、自分も激レア装備を落としたというのに、それよりも彼女が気になってる。またログアウトする前に、どうにかあの子を捕まえないと、二度と言葉を交わせないかもしれない――そんな焦りが、消えてくれない。

 信頼よりも、誇りよりも、俺は彼女を選んでいる。ありえない選択だと思うのに、それが今の真実だった。


「回収どころじゃないんだったら、俺たちで拾ってきてやるけど?」


 まるで全てを見透かしたように、ルードが笑った。

 一瞬の躊躇の後、俺は神殿を飛び出した。ごめんとみんなへ叫びながら。


 洞穴から最も近い都市、首都リブリの神殿へ送られていた。

 全力で表通りを走り、街の中心にある拠点間転移石ゲートストーンへ飛びついて、初心者の集まるフィルスポート村へ飛んだ。

 フレンドリストに表示されているミナミさんの現在地は「フィルスポート」になっている。村に隣接した小さな港で、モンスターも出ない、クエストも特にない、プレイヤーは滅多に立ち寄らない場所。そんなところに、いったい何の用事があるというのか――それを考えた時、彼女と出会った日の事を思い出した。

 初めて会った時、彼女は「VRのゲームは初めてなんです」と言い、まっすぐに歩く事すらできなかった。

 俺は朝まで、操作の練習に付き合った。村外れの人目につかない場所で、朝までずっと手を繋いで、よろける彼女を何度も抱き止めた。あれは確か、港の小屋の裏手だったはずだ……彼女はきっと、あの場所にいる。自惚れてるかもしれないが、俺を待ってるような気がした。

 初心者だらけの広場の真ん中を、場違いな姿を晒して駆け抜けた。近道の為に茂みを掻き分け、木の葉まみれになって小屋の裏手へ辿り着くと、ミナミさんの背中が見えた。

 膝を抱えて海を見ていた彼女は、俺に気付くと即座に立ち上がった。


「会いたかった」


 それだけを伝えて、彼女を抱きしめた。

 言いたい事はたくさんあったはずなのに、他の言葉は一切出てこない。傷付けた事に対する謝罪も、俺なりの言い分も、彼女の顔を見た途端に吹き飛んでしまった。

 俺を見つけたミナミさんが、嬉しそうに笑っていたから。


「紅月……どうして無いんですか?」


 俺の背中に手を回したミナミさんが、不思議そうに問う。

 それよりも大切なものが、あったんだよ――そう、俺は言った。


(了)

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