ファンタスティックデイズ!(KAC2021まとめ)

水城しほ

KAC参加作品

【KAC20211】仮想世界で見知らぬ君と、飯事みたいな恋をする(お題:おうち時間)

 軽く蒸し暑さを感じる、五月の週末。

 珍しく定時に仕事が終わり、ネクタイを緩めつつオフィスを出たところで、同期の塚原つかはらに声をかけられ足を止めた。コイツが週末に声をかけてくる時は、だいたいロクな事じゃない。


須崎すざき、この後ヒマ?」

「ヒマじゃないし、ヒマだとしても塚原に割く時間はないし、合コンの数合わせなら他を当たってくれ。それとも前みたいに塚原の奢りで、一切喋らずタダ酒飲んでもいいか?」


 過去に騙されて参加させられた時の恨み辛みを込めつつ断り文句をぶつけると、塚原はうへぇ、と顔をしかめた。


「なーんか須崎、最近付き合い悪くない?」

「俺の帰りを待ってる子がいるからな」

「はぁ、お前みたいなネトゲ中毒に彼女なんかできないだろ? もしかして二次元嫁? モニターの中に生息してる?」

「うるせえ、ちゃんと実在してるっつーの。まぁ遠距離恋愛だから、モニターの中なのは間違ってないけど」

「あー、田舎の同級生とでもくっついた? それじゃ誘えないな、悪い悪い」


 勝手に納得したらしい塚原は軽く手を振ると、そのままスマホを弄り始めた。誰か代わりを探すんだろう。俺も手を挙げて応え、そのまま駅へ向かって歩き始める。自分の言葉がおかしくて、うっかり笑ってしまわないように必死だった。誰と誰が遠距離恋愛だって?

 VRMMO〈FantasticDaysファンタスティックデイズ!〉のサーバー内にある個人用邸宅で、俺の帰りを待ってる〈聖職者クレリック〉の女の子――ミナミさんとは、塚原が思ったような関係じゃない。

 俺がミナミさんについて知っているのは、ゲーム内のアバターとボイスチャット越しの声だけだ。現実世界の彼女のことは何ひとつ知らない。

 ゲーム内では仲睦まじいのかというと、今のところはそういう雰囲気でもない。そもそも俺とミナミさんは、レベルもプレイスタイルもあまりに違っていて、ゲーム内で一緒にできるコンテンツが少ないのだ。彼女の穏やかでのんびりしたプレイは微笑ましいけれど、俺は最高レベルの狩場で効率的な狩りを模索したり、少人数でのボス討伐を企画する方が楽しい。

 そんな俺たちが出会ってしまったのは、ゲームシステムが気まぐれを起こしたせいだった。先月の正式サービスイン当日、ミナミさんが開始チュートリアルに促されてフレンドマッチングを起動したところ、本来ならば同じレベル帯のキャラクターを選ぶはずのシステムは、何故かベータテスターでサーバートップクラスに高レベルな俺を結び付けてしまった。

 正直、俺は評判の良いプレイヤーではない。元々はボス狩りギルドのマスターで、ベータテスト中にレイドボス討伐で特殊な武器を手に入れた俺は、匿名掲示板を覗けば罵詈雑言を浴びせられてるような存在だ。関わらないで欲しいと思う気持ちもあった。しかし初心者を邪険にもできず、同時に「初心者なら普通の友達になれるかもしれない」という思いも湧いて、そのままフレンド登録を受けた。

 VRのゲームで遊ぶのが初めてという彼女は、移動すら危なっかしくて、とても放っておけなかった。その日は朝まで操作の練習に付き合い、翌日以降もわざわざ初心者が集まる広場へ様子を見に通い詰めた。

 その時点では、決して下心はなかった。雛を見守る親鳥くらいの気分だった。だけど彼女に会えなかった日、俺の日課は以前と変わらないのに、どうしようもなく寂しくなった。ログインが合わなかった日も、彼女の気配を感じたい――らしくない事を考えた俺は、彼女を「邸宅の同居人」に誘った。邸宅をシェアしておけば、気軽に伝言やアイテムを残しておくことができる。もともと転売用に押さえただけの物件だから、内装も何もかも好きにして構わないと伝えた。

 その結果、初期設定のままだった邸宅はなんとなく温かみのある家になり、彼女は俺のログインを邸宅で待つようになった。そうしてまんまと現実リアルの俺は同僚の誘いを蹴る付き合いの悪い男になり、いそいそと自宅へ帰るようになったわけだ。

 ネトゲ恋愛なんて不毛だ、と思ってはいる。いつかは電子の海へと還る存在同士の仲なのだ。もっと確かな関係を求めるなら、少なからずお互いの事情へ踏み込まねばならないが、それが良い結果になるとは思えなかった。現実リアルの俺には、ずっと忘れられない人がいる。

 身勝手だとは思うけど、今はまだ彼女を手放す気になれなかった。日課のようにログインして、仮想世界で二人穏やかに過ごす、子供の飯事ままごとみたいな時間に満足している。俺が飯事に飽きるより、彼女に嫌われてしまう方が先だろうか……そんな事を思いながら、足早に駅の改札を通り抜けた。



 ログインすると、自宅のリビングにいた。邸宅内か町の宿屋でログアウトすると、狩りをした時の経験値や通貨の入手量が増える「レストボーナス」というゲージが貯まるので、必ずどちらかでゲームを終了するようにしている。

 今日もミナミさんは既に邸宅内にいて、キッチンでくるくると動き回っていた。頭上のキャラクターネームの横には製作中のアイコンが表示されていて、料理中なのだと一目でわかる。

 俺の姿を見つけた途端、彼女の表情がぱあっと明るくなった。


「スザクさん、お帰りなさい!」


 キャラクターネームが〈Suzakスザク〉という俺を、ミナミさんはいつだって丁寧に「スザクさん」と呼んでくれる。きっと現実リアルでも、他人を丁寧に扱う人なんだろう……とは、思う。

 だけど俺だって、ネトゲの中では自分を「僕」と言い、なるべく丁寧な物言いをするようにしている。キャラクターレベルと共に威圧感が増してしまうのか、普段通りに喋るだけで悪評も増していくからだ。つまり、ネトゲの中の態度なんてアテにはならない。この世界は全員がロールプレイヤーだ……ああ、こんなにも余計なことを考えてしまうのは、おそらく塚原のせいなんだろう。

 今ここにいる彼女は「ミナミさん」以外の何者でもない。この世界の「スザク」にとっては、ただそれだけで十分のはずだ。


「ただいま。料理してたの?」

「はい、生産レベルあげたくって……ちょっと作りすぎちゃったけど、もうすぐレベルが上がるから、つい」


 カウンター越しに覗いたキッチンの作業台には、大量の〈三種のおにぎり〉が並んでいた。サブ職業〈調理師コック〉だけが作れるアイテムで、材料が安価なのでレベル上げの為に量産される事が多い。効果は低レベル向けの防御力強化で、俺には意味のないアイテムだけど、それはそれとしてこの世界の食事はおいしい。現実の腹は満たされないけど、ちゃんと匂いも味もある。おまけに「作りたてがおいしい」という製作陣のこだわりまで実装済みなので、付与効果が低くても狩場でキャンプ飯を作り出すプレイヤーがいるくらいだ。


「いつも一緒に遊んでくれるお友達に、お弁当を作ったんですけど……よかったら、スザクさんも食べてくださいね。えっと、具は鮭と梅干しと昆布です」


 ふんわりと笑う彼女が可愛くて、現実リアルでも家にいればいいのにな、なんて思う。健全に幸せな生活が送れそうな気がする。ネトゲに理解のない恋人は絶対に無理だけど、彼女なら何の問題もないじゃないか。理想過ぎる、最高かよ……今の「ミナミさん」のままだったら、だけど。

 ダメだ、考えるのはやめよう。迂闊に干渉して壊れてしまうぐらいなら、この世界だけの仲でいい。俺はキッチンの中に入り、手を洗ってから食器棚を開けた。アイテムとして持ち歩けるとはいえ、どうせなら温かいうちに食べたい。


「お願いミナミさん。僕がお茶を淹れるから、いま食べる分も下さい」

「あ、現実のごはん食べてないんじゃないですか?」

「駅前でラーメン食ってきました」

「もう、いつも麺類ばっかりじゃないですか。ちゃんとお野菜も食べましょうね」


 早く帰ってログインしたいから、時間がかからないものばかり食べてしまうんだ……とは、さすがに告白できなかった。それはそれで叱られそうだし、何よりも「じゃあ私はもうログインしませんからね」なんて言われたら立ち直れない。

 この時間を失くしたくないと思ってるんだから、俺はもう重症なんだろうな。



 塚原の誘いを断った翌週、今度は部長がサシ飲みに誘ってきた。滅多にないことで色々勘繰るけれど、まさか断るわけにもいかず、喜んでいる体で供をすることにした。

 以前にも一度だけ連れて来てもらった小料理屋で、出されるままに箸をつける。さんざん世間話を繰り広げた後、部長は一度だけ大きな咳払いをした。


「須崎、入社して何年になる?」

「六年っす」

「ずっと本社勤務だな。地元に戻りたいとかはないか?」

「ないですね。言われた場所で自分の仕事をするだけです」

「……そろそろ、所帯を持つ気はないか? 良い話があるんだ」


 部長の神妙な表情に、やっぱり来たか、と思う。うちの職場にはありがちなのだ。気に入った部下に縁談を世話する、みたいな風潮。この流れだとおそらく上層部の親類か何かで、縁談を受ければ出世コース確定のやつだ。

 おそらく塚原みたいなタイプだったら、大喜びで話に乗るんだろう。俺だって「上司に気に入られている」という事実だけを拾えば、この件で不快になるわけじゃない。引っ掛かることが何もないなら、一度くらいは会ってみても良かった。

 だけど、今は到底そんな気持ちになれない。もし俺が「現実リアルで結婚する」と言ったら、ミナミさんはどんな顔をするだろうか? それを思うと、俺の返事はひとつしかなかった。


 残念がる部長を宥めながら久々のマトモな飯を平らげて、すっかり酔っ払った部長をタクシーに押し込んでから、俺は最寄の駅に向かって歩き出す。

 腕時計を見ると二十三時を回っていた。すっかり遅くなってしまった、こういう時に連絡が取れないのは困るな。彼女が迷惑でないのなら、メッセンジャーでも登録して貰おうか――仮想世界で俺を待つミナミさんは、現実リアルに生きている人なのだから。

 ふんわりと笑う彼女に会いたくなった俺は、足早に駅の改札を通り抜けた。


(了)

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