【KAC20215】仮想世界の見知らぬ君へ、僕の心を捧げたい(お題:スマホ)

 俺は、猛然と走っていた。

 秋雨が降る週末の夜、傘も差さずに駅を目指して駆けて行く。鞄の中にあるスマホが何度も通知音を鳴らしているが、確認するのは電車に乗り込んでからだ。


 今日は、俺が現在プレイしているVRMMO〈FantasticDays!ファンタスティックデイズ〉の大型アップデートが適用される日だ。

 パッチのインストールは昨日のうちに終わらせたし、明日からの三連休を集中してプレイする為の買い出しも済ませたし、残業せずに済むよう仕事も極力前倒しで進めてきた。何が何でもサーバーオープンの十八時までに帰宅して、マスターを務めているギルド〈Mistletoeミスルトゥ〉のメンバーと合流する予定にしていた。

 新しいエリアのチェックはもちろん、追加されたレイドボスへの挑戦権を得るクエストもこなす必要がある。レベル上限も開放された事だし、どのコンテンツで遊んでも何ひとつ無駄はない。

 それだけでなく、今日は何よりも大事な約束があった。

 ゲーム内パートナーのミナミさんと、ようやく実装される〈パートナーシステム〉の契約を交わすことになっていた。つまり「ゲーム内で結婚しましょう」という約束をしていたのだ。この約束を知ったギルドメンバーが、俺やミナミさんに内緒で祝いの準備をしてくれていたのも、うっすらとわかってはいたのに。

 こんな大切な日に、俺は。

 同僚の仕事を引っ被って、四時間の残業をする派目になった。


 同期の塚原つかはらが階段から落ちたのは、昼休みが終わる頃だった。

 右手首が異常に腫れ、血相を変えた部長が総合病院に連れて行って、二時間後にかかってきた電話は「須崎すざきごめーん、骨折れてたー☆」という明るさ満点の報告だった。

 サラリーマンは相身互い、困った時はお互い様。仕方がないとわかっちゃいるが……塚原のバカ野郎、なんで今日だよ! 連休前日でよかったあ、じゃねーよ! 俺のネトゲタイムを返せ!

 街中で叫ぶわけにもいかず、苛立ちを抱えたまま、猛スピードで駅の改札を抜けた。


 ホームの電車に飛び乗って、鞄からスマホを取り出すと、通知件数が愉快な事になっていた。こちらから連絡できれば良かったのだが、うちのオフィスは私的な端末の持ち込みを禁じている。

 こういう時、ギルドメンバーはそれぞれがメッセージを送る事はせず、現実リアルでも俺の親友であるサブマスターのルードを通じて連絡してくる事になっていた。通知欄は本名の「来島くるしま」で埋まっている。


[来島:おーい全員揃ってんぞー!]

[来島:ミナミちゃんが無理しないで下さいねって言ってる]

[来島:俺は無理しろと言わせてもらう! はよ来いアホー!]

[来島:のえる様がブチ切れてタマゴが土下座してる]

[来島:内藤くんも星さんも明日仕事らしいんよ]

[来島:先に新ダンジョン行ってるーデータ取ってくる]

[来島:ミナミちゃんも連れてくからなー!(のえる様の命令には逆らえぬ)]


 ギルドメンバーの状況が目に浮かぶようで、そんな場合じゃないのに思わず笑ってしまう。笑いながらログを読み進め、そして最新のメッセージを見て、俺の笑みは完全に消えた。


[来島:ダンジョンでPKくらった、装備もってかれた]

[来島:のえるが水月、星さんが月読、ミナミちゃんがウサミミローブをロスト]

[来島:これ見たら連絡くれ]


 うそだろ、と声が漏れた。

 どうやらプレイヤーPキラーKに殺されて、死亡ペナルティで落とした装備を奪われたらしいが、俺たち〈Mistletoeミスルトゥ〉のギルドハントを襲う事が信じられなかった。

 うちのギルドはミナミさん以外の全員がベータテスターで、レベルもアップデート前の上限値に達していて、オマケにボス討伐イベントで貢献度トップを叩き出した報酬〈月竜武器〉を所有している。現時点での最強武器だ。

 常に戦闘系ランキングの上位に名を連ね、キャラクター性能がトップクラスなのは広く知られているのに、それでも挑んできたとなると……そんな俺たち、あえて喧嘩を売ってきたのだ。マスターの俺がいない時を狙って。

 あと二十分でログインする、と返信をした。帰宅したら即ログインだ、一秒だって無駄にできない。のえると星さんがロストしたのは月竜武器――俺たちの、誇りだ。


 バトルランカー集団〈Mistletoeミスルトゥ〉が、PKに月竜武器を奪われた。

 その話題は、あっという間にサーバー中を席巻せっけんした。



 アップデートを堪能するどころじゃない、荒れた日々のはじまりだった。

 それはPKを目的としたギルド〈アウトレイジ〉が、サーバー全員へ届くワールドチャットで「月竜武器をフルコンプするまで〈Mistletoeミスルトゥ〉のギルドメンバーを標的にする」と宣言したからだった。

 こうなると、無関係なプレイヤーは俺たちを避けるようになる。一緒にパーティーを組むだけで巻き込まれるし、もしも「味方」であると認識されれば、その後は自分も標的にされかねない……自分だけでなく、自分の仲間も。

 もともと俺たちは妬み嫉みから悪評を立てられていた事もあり、孤立するのはあっという間だった。

 ギルドメンバーが萎えていくのが、手に取るようにわかった。

 元々の俺たちは、ボス討伐を主目的にしたギルドだ。人を集められないのでは、大型レイドボスを討伐するのは絶望的だ。自分たちだけで狩り場へ出ても、すぐさま〈アウトレイジ〉の連中がやって来る。思うように遊べないストレスは、苛立ちよりも失意を生み始めた。

 みんながギリギリのところで踏み止まる中、最古参の〈精霊使いエレメンタラー〉星さんが、ギルドを脱退すると言った。既に月竜武器〈月読つくよみ〉を奪われていた星さんは、脱退すれば普通に遊べると考えたようだった。止めることなどできなかったし、いっそ俺も〈紅月こうげつ〉を……自分の誇りを手放して、平穏な日々を取り戻そうかと考えた。

 だけど、できなかった。これは〈Mistletoeミスルトゥ〉に売られた喧嘩なのだ。俺はギルドマスターなのだから、最後まで抗う義務がある。


 騒動が始まって二週間ほどが過ぎた頃、俺はミナミさんとのえるを――月竜武器を持たない二人を、強引にギルドから除名した。

 個別チャットのコールは、ひたすらに無視を貫いた。言葉を交わせば、気持ちが揺らぐとわかっていたから。

 のえるからはスマホに「ばかちん!」とメッセージが届いたけれど、ミナミさんと俺はゲーム外で連絡を取る術を持たなかった。冴えない現実リアルを知られる事を恐れた俺が、ずっと避け続けてきたからだ。だから俺には、寂しく思う資格などない。

 奪われた武器を取り戻して、身の程知らずの〈アウトレイジ〉を潰して、いつか三人を呼び戻そう――それが、残ったメンバーの約束になった。


 ミナミさんとは、そのまま距離を置いた。

 フレンド登録は消せなかったけど、邸宅の共有設定を外し、街中で会っても知らない顔をした。ミナミさんはいつも追いかけて来たけど、無視を続けると泣きそうな顔でどこかへ駆けて行った。

 もしも彼女と、ゲーム外で連絡を取る手段を持っていたなら、運命は何か変わっただろうか。全て片付いたらまた元通りに……なんて、そんな言葉は許されただろうか。



 二ヶ月ほどが経ち、失ったものの事すら考えなくなった頃。

 PK連中のボス討伐を崩壊させてから邸宅に戻ると、誰かが玄関先に座り込んでいた。

 ミナミさんだった。

 こんなところで言葉を交わして、俺を良く思わない誰かに見られると厄介だ。周囲に誰もいない事を確認してから、即座に彼女の腕を掴んで邸宅へ入った。あまり好まれる行為ではないが、家主は接触しているプレイヤーを邸宅へ入室させることができる。こんなにも荒っぽく触れたのは初めてで、胸の奥が苦しくなった。

 酷い事をして、ごめん。

 ずっと無視を続けて、本当にごめん。

 本当は今でも、君と一緒にいたい――。

 そんな言葉はひとつとして、伝えるわけにはいかなかった。


「スザクさん……私、言いたい事があって来ました」

「聞くよ。その代わり、もう邸宅には来ない事。いい?」

「……わかりました」


 頷いた彼女は、真剣な顔をしていた。恨み辛みなら受け止めるしかない。俺の都合でいきなり放り出したんだ、言いたいことなんて山程あるだろう。

 もし〈紅月〉を捨ててくれという話なら、受け入れることはできないけれど。

 俺が捨てたくないものは、最強武器というアイテムじゃない。仲間と積み上げてきた絆の象徴を、あんな連中に渡したくないだけなんだ。

 ミナミさんは深呼吸をした後、俺の前に立った。平手打ちくらいは覚悟していた。

 だけど彼女は以前のように微笑み、指先をくるくると回して、テキストチャットを見て下さい、と言った。


[ミナミ:メッセ登録してください minamina*minami]


 書き込まれた文字列を見て、それが何を意味するのかが、わかって。

 情けない話だけれど、俺はへなへなと膝から崩れ落ちた。


「私、ずっと後悔してたんです。待つんじゃなくて、自分から言えば良かったって」


 彼女はゆっくりと膝をつき、そして俺の頭を胸に掻き抱いた。

 その温かさに、涙が出た。


「ログインが遅くなった時、待ってるよって言いたかった。ケンカした時は、すぐにごめんなさいって言いたかった。ログインできない日も、おやすみって言いたかった……さびしい時は、さびしいって、言いたかった」


 優しい声で、ミナミさんが想いを紡ぐ。その言葉の全てが、俺の抱えてきた想いと同じだった。

 今も、俺はひとりじゃない。

 成すべき事を成した時、もう一度この子と、同じ世界を歩けるんだ。


「ちゃんと毎日、おやすみって言ってくれなきゃ、嫌ですからね?」

「おやすみ、だけでいい?」

「……おはようも、追加です」

「わかった。じゃあミナミさんは、愛してるって送ってね」


 頬を赤らめた彼女がかわいくて、俺はこっそり誓いを立てた。

 こんな俺でもいいのなら、欲しい言葉を毎日届けてあげる。

 ありったけの想いを込めて、何度でも好きだと繰り返すよ。

 仮想世界で俺を見つけてくれた、現実リアルに生きてる君へと向けて。


(了)

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