【KAC20214】仮想世界で見知らぬ君に、何をされても構わない(お題:「ホラー」or「ミステリー」)
殺人的な暑さに蝕まれた八月、世間は盆休みだ。
大学進学で東京に出てきて早十年、一度も盆に帰省などした事のない俺は、今年もネトゲ三昧を決め込むことにしていた。家族と仲が悪いわけではないが、この時期はゲームのイベントが目白押しだ。
いま俺がプレイしているVRMMO〈
【イベント詳細】
・イベントクエストを遂行するには、ペアでの参加登録が必須です。次期アップデートにて実装予定の〈パートナーシステム〉の一部機能を体験する事ができます。
・クエストを受諾すると、キャラクターに特殊魔法がかかり、死亡ペナルティが適用されなくなります。効果時間は十八時間ですが、戦闘不能およびログアウトで消失します。
・「ストーリーのクリア」と「特殊魔法の効果時間満了」の両方を満たすと、クエスト達成となります。報酬として、一時的に死亡ペナルティを無効にする消耗アイテム〈メリルの涙〉が付与されます。
・イベント開催期間中、全てのアンデッド系モンスターが経験値二倍になります。
告知を見た感想は「やるしかない」だった。
結婚にあたる〈パートナーシステム〉は、相手のいる座標へ飛べる「パートナーテレポート」が体験できるはずだ。他の主な仕様は共有倉庫と邸宅の共同購入権、それと「特別なコミュニケーション」と濁された怪しげな何かなので、今回のイベントには関係ないだろう。
死亡ペナルティの無効化も魅力的だ。戦闘不能になっても経験値が減らないし、所持アイテムもばら撒かないのなら、ノーリスクで背伸びした戦術を取れる。
クエストのペア相手は、悩むまでもなく決まっている。ゲーム内パートナーのミナミさんだ。
ベータテストからプレイしている俺と、正式サービスからプレイを始めた彼女は、レベルの差がなかなか縮まらないでいる。これは差を埋めるチャンスだ。ミナミさんに話を持ちかけると、デートですね、と嬉しそうに笑った。
◆
イベントストーリーは「悪霊メリルの御霊を浄化する」というものだった。
村の神官と会話をすると、ペアの片方が別の村の神殿にワープさせられて、残された方がテレポートで追いかけるとストーリーが進む。最後は大神官に渡された剣でメリルの霊を刺し、怨念から解き放ってクリアとなった。
ミナミさんと昼過ぎにストーリーを終わらせて、その後は〈廃聖堂墓地〉でゾンビを狩る事にした。普段は
途中で休憩を挟みながらも、夜まで延々と狩りを続けた俺たちは、特殊魔法の効果を残したまま邸宅へ戻った。二人揃って〈腐臭〉というステータスが付いたからだ。このゲームは五感が再現されていて、モンスターと戦うと様々な臭いが付着する。腐乱系のアンデッドに付けられる〈腐臭〉は本当に酷い臭いを放つのだ。
とにかく風呂へ入る事にした。臭いはログアウトでも消すことができるが、今日は特殊魔法が消えるまでログアウトできない。一番風呂をミナミさんに譲ろうとしたのだが、家主は俺だからと固辞されたので、ならばいっそ一緒にと誘った。
照れながら頷くミナミさんは、かわいかった。
ひとしきりじゃれ合った後、もう一度フィールドへ出なおす気にはならなかった。明け方までログアウトできない俺たちは、グラスモニターを着けたまま眠る事にした。
装備をひとつ残らず解除して、ベッドの中でそっと抱き合う。性行為が未実装の世界、俺たちにできる愛情表現は多くない。腕の中のミナミさんは、それでも満足そうに目を伏せた。
これが
寝息をたて始めた彼女を眺めているうち、俺にも優しい睡魔が訪れた。
不穏な気配で目が覚めた。
ミナミさんが俺の胸に顔をうずめて、熱い吐息を漏らしている。何事かと焦る俺の目に、パーティー情報のステータスが映った。
俺の特殊魔法は残り十分を切っていて、ミナミさんのステータスには見慣れないアイコンがあった。効果がわからず詳細を表示すると〈憑依:メリル〉とだけ書かれていた。
「スザクさんっ、私、操作ができません……っ!」
ボイスチャットで、涙声のミナミさんが訴える。普段ならありえないことに、その音声とアバターの唇の動きが
サーバー全員に届くワールドチャットのテキストログを見ても、所属ギルドのチャットログを確認しても、こんな状況を報告している人はいない。
焦る。落ち着け、たかがゲームだ。特殊魔法を消去すればいい、おそらくはそれで解決だ。
「ミナミさん、イベントを放棄しよう。ログアウトはできる?」
「ダメです……戦闘中はログアウトできませんって、弾かれてしまって」
「戦闘中!?」
全く意味がわからなかった。彼女は俺の腕の中にいるのに、戦闘中とはどういう事なんだ?
彼女の頬に触れ、その顔をゆっくりとこちらへ向かせた。目を合わせて「大丈夫だよ」と言うつもりで。
しかし次の瞬間、ひっ、と自分の喉から音が漏れた。
「あ、アバターが壊れてる……のか?」
ミナミさんの目が、なかった。
眼孔の中にあるのは、深い闇だけだった。
そんな彼女が俺の腰に跨って、甘えるように抱き付いてくる。抗いがたい嫌悪感、腹の底から湧きあがる恐怖。これはミナミさんだ、と心の奥で唱えた。
「スザクさんっ、ごめんなさい! 私、いま、勝手に動いて――」
『ちょうだい、あなたのからだをちょうだい』
クエストで耳にしたメリルの声が、ミナミさんの声を掻き消した。畜生、悪趣味なイベント考えやがって!
憤った俺の首筋を、ミナミさんが、噛んだ。
ぶち、という嫌な感触まであって、血が溢れ出るのがわかる。俺のステータスには〈出血〉のアイコンが付いた。
メリルに憑依されたミナミさんが、俺を噛み殺そうとしている。ゲーム内での怪我は慣れてるし、痛覚の反映には上限が設定されていると言っても、精神的なダメージが大きい。
クエストは再受注できるだろうし、死亡ペナルティは適用されない。だけどミナミさんはどうだ? 他人の肉を噛みちぎるなんて状況、平気な女の子がいるか? 感触や匂いが伝わっているなら、相当酷い事になっているんじゃないのか?
グラスモニターを外させよう。退席中モードにすれば感覚のリンクは切れるし、今の状況も見なくて済むはずだ。
「ミナミさん、グラスモニターを外して……」
「ダメです! この演出、絶対何かあるんです! 追加クエストですよ、スザクさん!」
涙声になりながらも、彼女は俺より冷静に状況を分析していた。すげえ、と思わず声が出た。この状況でそんな事、普通考えられるか?
だけど彼女の言葉に、俺は賛同しかできない。何もないわけがない……そうだ、これがイベントの本編だ。パートナー体験で釣ってまで、ペア登録を必須にした理由は、ここにあったに違いない。
判定のタイミングでペアが一緒にいると、片方の特殊魔法が変質する。
噛まれた方は、自分が死ぬ前にパートナーの憑依を解除しなければいけない。
おそらくこれは、そういうクエストなのだ。
「……わかった、攻略しよう」
俺は頷いた。サーバー内で何人が発生してるかわからない本編……ああ、すごく滾る。制限時間は残り五分、どうにか解法を導き出さなければ。
あの、とミナミさんが落ち着いた声を出した。
「ストーリーがお手本なら、私を殺すんじゃないですか?」
「それだけはダメ」
彼女の意見を、俺は受け入れられなかった。俺がミナミさんを殺すなんて、何があろうとできるわけがない。そこだけは絶対に譲れない。
それに、おそらくハズレの選択だ。戦闘不能で憑依を消したところで、クエストクリアにはならないだろう。
たった三日間のイベントだ、必ずヒントがあるはずだ。俺はイベントの仕様について、一つずつじっくり考えていく。何かあるはずだ、何か……首筋にひときわ強い痛みが走った瞬間、俺はふと閃いた。
「ごめん、ちょっと乱暴な事をするよ!」
俺は
血塗れの唇から、ちょうだい、とメリルの声がした。
「ミナミさんになら、俺は何をされても構わない!」
噛みちぎられるのを覚悟で、唇を重ねた。
普段なら触れる事のできない柔らかな感触、艶かしい唾液の音――アタリだ! パートナーシステムで、キスが実装されるんだ!
その途端、ミナミさんのアバターは一気に脱力した。特殊魔法のアイコンが消えている。俺のステータスも正常に戻り、周囲に撒き散らした血液も綺麗に消えていた。
どこからか「こんぐらっちゅれーしょんず☆」とメリルの声が聞こえた。
「悪趣味なイベント考えやがって……!」
「ホントですよね……でも、ちょっと嬉しかった、かも?」
呆れ果てていた俺の顔を、可愛い瞳のミナミさんが覗き込んだ。
◆
さんざんな目にあったイベントだったが、俺たちの他に「メリルの憑依」を経験した話は一切聞かなかった。友人たちの検証でも再現性はなく、運営からのアナウンスもなく、特にイベントの報酬が増えたということもなかった。
公式サイトから問い合わせをしても「攻略情報についてはお答えできません」と言われて終わりだ。
あれはいったい何だったのか?
アップデートを迎え、システム的にもパートナーになったミナミさんと、キスをするたび思い出す。
そんな夏の思い出は、決して幻なんかじゃない。
俺のアバターの首筋は、今でも少し窪んでいる。
(了)
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