【KAC20213】仮想世界で見知らぬ君に、僕の背中を預けたい(お題:直観)

 梅雨前線が猛威を振るう、大雨の夜。

 俺は女友達と二人きりで、家の近所の居酒屋に来ていた。誘ったのは俺の方だ。やましい気持ちは微塵もないが、悪事を働いている感覚がぬぐえず落ち着かない。

 かんぱーい、と上機嫌でビールに口をつけた、スーツ姿の女の子――のえるは、オンラインゲームで知り合った友人だ。俺と同い年の二十八歳で、大学生の頃はよく現実リアルでも遊んでいた。


「あー、スザクと飲むなんて久しぶりだー!」

「キャラ名で呼ぶなよ。オフの時は須崎すざきって呼べって言ったろ?」

「私のことはのえるって呼ぶくせに?」

「お前の本名、知らないって」

「あはは、そうだっけ!」


 のえるがケラケラと笑う。いつも通りだ。毎日の連絡を取り合わなくなって四ヶ月、そう簡単に人は変わらないらしい。


「で、話って何? 私、もう縁を切られたと思ってたんだけどな?」

「そんなわけないだろ。俺はのえるが悪いだなんて、一度も思ったことはないよ」


 絶縁したつもりは、無かった。俺にとってのえるは、本当に大切な存在なんだ――昔も、今も、ずっと。


「のえる、頼みがあるんだ……うちに、戻って来てくれ」

「えぇ!?」

「頼む、お前がいないと駄目なんだ!」


 困惑するのえるに向かって、俺は深々と頭を下げた。


 昨日、俺がプレイしているVRMMO〈FantasticDays!ファンタスティックデイズ〉は、次期アップデートの情報を公開した。キャラクターレベル上限の開放、新しいダンジョンなどの新要素が、今秋の早い時期に実装されるという。

 四月の正式サービスインから始めたプレイヤーにも楽しみなところだろうが、ベータテストからプレイを続け、既に上限へ到達している俺にとっては、まさに待望のレベル開放だ。マスターを務めているギルド〈Mistletoeミスルトゥ〉のメンバーと、存分に新要素を堪能したかった。

 ベータテスト時代、のえるも〈Mistletoeミスルトゥ〉の一員だった。いや、もっと前から俺たちは、それこそお互いネトゲ初心者だった頃から、いつも一緒に遊んでいた。

 しかし新技術を使ったVRシステムは、俺たちの関係を変えてしまった。

 のえるは回復職ヒーラーの〈聖職者クレリック〉でゲームをプレイしていた。五感までが再現された仮想世界の中で、彼女はまるで「自分たちを護る聖女」のように見えたし、現実リアルの姿を知る俺から見ても格好良かった。

 問題は、そんな紅一点の彼女を独占したがるメンバーが現れた事だ。ギルドの雰囲気は険悪になり、ベータテストの最終日、俺は半数近いギルドメンバーを除名した。足を引っ張り合う状況が我慢できなかったのだ。

 その直後、のえるは自らギルドを脱退して、そのままログインしなくなった。

 帰って来てくれとは言えなかった。俺たちに見切りを付けたのだと思ったし、無理強いもしたくはなかった。それでも他の〈聖職者クレリック〉を探す気にはならず、ずっと〈吟遊詩人バード〉の回復スキル頼みで狩りをしてきた。

 だけど新狩場では、その程度の回復じゃ通用しない。特化職である〈聖職者クレリック〉が必要なのだ。状況に負けた俺は、一応言うだけ言ってみようと、腹を括ってここにいる。


「俺たちにとってのヒーラーは、のえるしかいないよ」

「でも須崎くん、ヒーラーの子と付き合ってるんでしょ?」

「誰に聞いたんだよ!?」


 不意打ちを食らった俺は、思わず声を荒らげた。

 のえるが言っているのは、俺のゲーム内パートナー「ミナミさん」の事だ。正式サービス初日に知り合った俺たちは、VRに不慣れだった彼女の面倒を見たことで深い付き合いになり、今は「恋人」ということになっている。ゲーム内限定ではあるけれど……現実のミナミさんの事は、何も知らない。

 そのあたりの事情を知ってか知らでか、のえるはニヤニヤ笑っている。


「私を呼び戻すより、その子を誘えばいいんじゃないの?」

「いや、まだレベル差がありすぎるんだよ」

「アップデートまでは時間あるし、少しは縮まるでしょう? それとも……組めないくらい、下手なの?」


 ミナミさんの力量を問われて、俺は言葉に詰まってしまった。

 実は、彼女とパーティーを組んだ事が、ない。


「わからない」

「え?」

「一緒に狩りをした事がない、いつも別々に遊んでる」

「えー、それでパートナーって言っちゃうの? どういう付き合いなわけ?」

「俺の邸宅で喋ったり、アイテム作って贈り合ったり……そんな感じ、だけど」

「須崎くん……そういうの、不毛だって言ってたのにね……」


 はあ、とのえるが息を吐いた。驚いているのか呆れているのか、須崎くんがねぇ、と繰り返している。俺もそう思う。ミナミさんと知り合う前は、効率的なダメージの与え方しか頭に無かった俺だ。

 何も言えずにいると、のえるがニヤリと悪そうな笑みを浮かべた。


「復帰してもいいけど、ひとつ条件。彼女さんを〈Mistletoeミスルトゥ〉の狩りに誘って!」

「はぁ!?」

「須崎くんだって、彼女と一緒に遊べた方がいいでしょう? 一度みんなで遊びに行こうよ、立ち回り方は私が教えてあげるし!」


 双方に対して俺のイメージが保てるか、という点に不安はあるが、悪い話ではない。二人は同職の〈聖職者クレリック〉で、そしてのえるの腕は確かだ。もしミナミさんに「上手くなりたい」という気持ちがあるのなら、のえる以上の指南役は絶対にいない。


「彼女次第だけど……俺の気持ちとしては、お願いしたい」


 俺は改めて、のえるに深く頭を下げた。

 今日は全額持つから好きに飲め、という言葉を添えて。



 翌日の夜、俺はログインするとすぐに、ミナミさんを連れてフィールドに出た。

 のえるの出した条件を、ミナミさんは笑顔で受け入れてくれた。一緒に街の外を歩くのは初めてで、彼女は嬉しそうに微笑んだ後「ちょっと緊張しますね」と言った。かわいい。

 目的地の〈狂気の洞穴〉へ着き、いつも陣取る場所へ行くと、先に来ていたギルドのメンバーがこっちに手を振っていた。のえるも一緒だ。ミナミさんは照れながら「はじめまして!」とお辞儀をした。誰が何と言おうと、かわいい。

 俺はミナミさんの手を引いて、モンスターがうごめく広場の入口に彼女を座らせた。最初はひとまず見学だ。あまり近付きすぎるとターゲットにされる可能性があるので、のえるの待機位置よりも少し下がらせておく。


「ミナミさん、怖くはありませんか?」

「はい、大丈夫です!」


 強がる彼女の頭を撫でてあげると、ボイスチャットのギルドチャンネルでメンバー全員が「スザクがスザクじゃねえ!」と爆笑しまくっていた。やかましいわと一喝しても、そんなもの誰も聞いちゃいない。

 全員集まったところで、パーティーを編成していく。〈暗黒騎士ダークナイト〉の内藤くん、〈僧兵モンク〉のTKG、〈精霊使いエレメンタラー〉のStarrySky、〈吟遊詩人バード〉のルード……そして〈聖職者クレリック〉ののえると、〈剣士ソードマン〉の俺だ。編成上限は八人で、空き枠にミナミさんを入れた。パーティーメンバーのステータスや、使用スキルのログを見せる為だ。

 ミナミさんの視線を感じつつ、俺は狩りを始める合図を出した。

 のえるにとっては初めての狩り場だし、俺たちのキャラクター性能も完全には把握してないはずだ。それでも俺は、のえるを信頼している。この狩り場は現在実装されている最高レベルのモンスターが生息していて、俺たちでも気を抜くと一瞬で戦闘不能にされてしまうが、のえるさえいれば「全滅」の文字はないのだ。

 そして俺の信頼に応えるように、今日ものえるは完璧だった。


 四十分ほど狩りをして、広場から通路へ引き上げた。小休憩だ。普段なら余裕で二時間くらいはノンストップだが、ミナミさんの感想を聞いてみたい。

 どうですかと声をかけると、ミナミさんは目を輝かせた。


「のえるさん、この狩り場は初めてなんですよね? すごいです……敵の攻撃パターンとか、事前に調べておくんですか?」

「ううん、私は予習は一切しないよ。新しく実装された狩り場だと、自分たちが開拓する側なわけだし……〈Mistletoeミスルトゥ〉って、そういうギルドだからさ」


 その返事に、ミナミさんは目を丸くした。いきなりそんな事を言ったら、彼女は自信を失くしてしまうのではないか? 俺の焦りとは裏腹に、のえるの語りはヒートアップしていく。


「私たちはみんな、自力で攻略法を見つけていくの。自分の中に蓄積されてる経験が、自分に答えを教えてくれるって言うか……直観、って言えばいいのかな」

「直観!」


 のえるの言葉を聞いたミナミさんは、興奮気味に立ち上がった。


「わっ、私も……みなさんみたいに、なれるでしょうか!」


 ミナミさんはすっかり頬を紅潮させ、キラキラと輝く瞳でのえるを見つめている。俺も初めて見る彼女の姿に、のえるはすっかり気分を良くしたようだった。


「なれるよ! 私たちだって最初はひどかったよ? 何回みんなで死んだかわかんないもん! ミナミちゃんもいっぱい転がればいいよ! スザク、何度だって心中してくれるよね?」


 からかうように、のえるが言った。

 冗談じゃないぞ、のえる。死亡ペナルティで経験値がどれだけ減ると思ってるんだ。所持品だって撒き散らすし、装備を失う可能性だってあるのに。

 だけど、ミナミさんの成長に、それが必要だというなら。

 俺が見ている景色の中を、一緒に歩いてくれるというのなら。


「ミナミさんの為であれば、僕は何度死んでも構いませんよ」


 ネトゲ用の口調でミナミさんに接する俺を見て、ギルド全員がゲラゲラ笑っている。スザクがスザクじゃねえ、という言葉はもう聞き飽きた。

 ミナミさんなら「そんなにご迷惑はかけられません」と慌てるに違いない……俺はそう予想したのだけど、彼女はふんわりと笑った。


「頑張りますから、よろしくお願いしますね!」


 その笑顔を見た瞬間、ぞくり、とした。

 明確な理由はないけれど、彼女はいい回復職ヒーラーになるはずだ――そんな予感が止められず、俺は彼女へギルドの勧誘を飛ばした。

 きっと彼女は、のえるを超える。俺の背を護る存在になる。それは確信にも似た、きらめくような期待だった。


(了)

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