【KAC20218】仮想世界の見知らぬ君に、全く敵う気がしない(お題:尊い)
軽く蒸し暑さを感じる、五月。
十年ほど帰省していない故郷から、親友の
この男に日程調整などという概念はなく、連休初日の朝っぱらにいきなり「羽田に到着、今から行く」とメッセージを送ってくるアホだ。予定くらいは確認しろよと苦情を言えば、どうせ予定なんかないだろネトゲ中毒め、と返って来る。正解すぎてぐうの音も出ない。俺たちはVRMMO〈
迎えには行かず、食わせてもいい冷凍食品の確認だけしておく。酒は飲まない、どうせ食後は揃って仮想世界にダイブだ。
久しぶりな気がしないよな、と笑いながらやって来た来島は、髪が完全な金髪に染まっていた。ヒヨコヘッドだ。コイツは地元で「売れないローカル芸人」という極めて個性的な職業に就いているので、俺たちリーマンにはありえない髪色を維持している。
ワンルームの狭苦しい部屋で、冷凍チャーハンを耐熱皿へぶち込んでいる俺に、最近どうよ、と来島が問う。ゲーム内では毎日のように喋っちゃいるが、コイツはゲーム内に
「どうもこうも、仕事とトゥラリエの往復」
ゲームの舞台である大陸の名を出すと、来島は俺も俺も、と嬉しそうに言った。
「でも
不意を突かれ、チャーハンを床へぶちまけそうになった。これは俺がネトゲ内の彼女とシステム的なパートナー契約を結ぶ、つまり「結婚」をするという話だ。
「お前、なんでそれわかってて、今日うちに来たんだよ」
「そりゃ連休だからだけど? 須崎こそなんで今日なんだよ、別に記念日とかじゃないだろ?」
「それは……」
「あ、ゆっくり時間が取れる日じゃないと、契約後にイチャイチャできないもんな!」
「うるせえ!」
図星を指されて叫ぶ俺を見て、来島はゲラゲラ笑っている。昔からこういう奴だけど、面と向かってやられるのは久々すぎて対応に困る。
「お前、もう帰れ!」
「まあまあ、遠路はるばる結婚祝いを持ってきてやったんだからさ?」
来島は悪びれもせず、電子マネーのプリペイドカードを差し出した。三千円分。こんなネタの為に上京してくるとか、どれだけ俺をからかいたいんだ。
金髪の鬼畜な芸人は、呆れる俺に構う事なく、いいないいなと何度も呟いている。
「あー、俺もひとりくらい彼女が欲しいわー」
「彼女はひとりでいいだろ」
「いやいや、ゲーム内と
まあ、そういう可能性もなくはない。既婚者なのに他人と恋人ごっこをしてるプレイヤーだって、そこまで珍しいことではない。他人がどうしようと関係ないが、俺には無理だ。
五感が再現されていて、擬似とはいえ性的な行為さえ可能な世界で、そういう意図を持って相手のアバターに触れる事は、はたしてロールプレイと言い切れるものなのか?
「俺はミナミさんだけでいいよ」
「まあ、須崎はそうだろうな」
来島は羽織っていたシャツのポケットから煙草を取り出し、俺の許可なく火を点けた。
「……ハルちゃんの事は、もういいんだよな?」
来島が余計な事を口にして、閉じ込めていた記憶が溢れ出す。
溜息をごまかしたくて、来島の煙草を奪い取り、一年ぶりに紫煙を吐いた。
◆
まだ地元にいた頃、俺にはハルという彼女がいた。
ハルは幼稚園から高校までずっと一緒で、そこそこ親しい幼馴染だった。
俺は子供の頃からハルの事が好きで、中学生の時に想いを伝えた。その日から特別な関係になった俺たちは、いつだって同じ景色の中にいた。
ハルは、どんな時も笑ってくれる女の子だった。
俺が東京の大学を受けると決めた時、ハルは笑顔で「頑張ってね」と言った。合格したと言った時も、ハルは嬉しそうに「おめでとう」と言った。
そんなハルが、高校の卒業式の日、初めて不安を口にした。離れるのが怖いと言って、今にも泣き出しそうな顔をした。
いま考えれば、それは当然の事だった。なのに俺は「心配しすぎだろ」と笑うだけで、ハルの言葉を真剣に受け止めなかった。年に二回は帰って来るし、卒業後も地元に戻る予定なのに、何が怖いのかわからない。まさか浮気を疑ってるのか……そんな無神経な言葉さえ、口にした。
その時も、そうだよね、とハルは笑った。
俺が東京へ発った翌日、ハルは地元の公園で、展望台のてっぺんから落ちた。
大怪我をして入院したハルは「柵の向こうに小物を落として、拾おうとして滑って落ちた」と言ったらしいけど、そんな行動はハルらしくないと思った。
本当は死のうとしたんじゃないのか?
俺が原因なんじゃないのか?
罪悪感に
ハルの方から連絡がくる事もなく、俺たちはそれきりだったけど、俺の中には常にハルがいる。
ハルが好きそうなものを見つける度に、どうしているのか気にしてしまう。
ハルに似ている女性を見かける度に、また会いたいと願ってしまう。
俺の
忘れられなくて、ずっともがき続けていた。
一年前、ゲームの中でミナミさんと出会った。
彼女に惹かれていくにつれ、俺の
しかし俺の想いは、はたして本物と呼べるだろうか。
いつも笑ってくれるミナミさんを、俺はきっと、ハルの代わりにしているのに。
◆
意外なことに来島は、チャーハンを平らげて少し喋ったあと「このあと用事がある」とどこかへ出かけて行った。俺の事情はわかってるわけだし、おそらく今日はもう来ないだろう。
グラスモニターを装着して、ベッドに転がり〈
ログインすると、俺は邸宅のリビングにいて、キッチンでミナミさんが料理をしている。いつも通りの光景だけど、彼女が着ているのは普段と違う純白の
「あっ、おかえりなさい!」
俺の姿を認めた彼女は、嬉しそうに微笑んだ。
さっきの会話のせいで、ハルが重なる。違う、彼女はハルじゃない……俺の態度に違和感があるのか、ミナミさんが微かに首を
「嫌な事、あったんですか?」
「いや、なんでもないんだ……ごめん」
そう、なんでもないんだ。ハルを好きだったのは
頭の中からハルを追い出したい。今すぐに。
俺はソファーに腰掛けて、ミナミさんに手招きをした。傍にいて欲しかっただけで、それ以上を求めたわけではない。
しかし彼女は俺の隣に座ると、そのままぎゅっと抱きついてきた。
「何でも、話して下さいね?」
本気で心配してくれてるのが伝わる、優しい声だった。この仮想世界の中で唯一の真実、ボイスチャット越しに伝わる「本物」の気配。
彼女の想いが胸に突き刺さって、俺の心を容赦なく
様々な感情が渦を巻き、どうしようもなく溢れ出す。
俺はミナミさんの奥にいる、
だけど、駄目だ。どうしたってハルを重ねてしまう俺は、彼女の
そんな関係の先に、いったい何があると言うんだ?
真剣に想いを伝え合って、お互いの体温を感じても、一緒に朝を迎えても、それでも
そんな関係は、不毛だ。最初からわかっていたはずだったのに。
ハルを忘れられない限り、俺の心はどこにも行けない。
「ミナミさん……パートナー契約は、やめておこう」
「どうして、そんな事を言うんですか?」
少し拗ねたように、ミナミさんが俺を見つめている。
言ってしまったからには、ハルの事を話すしかない。今ならごまかす事もできるし、撤回して飯事を続ける事だってできるけれど、不実な態度は取りたくなかった。
「
一度放った言葉は、決してなかった事にはならない。これで飯事も終わりだ……そう思ったのに、ミナミさんは一瞬だけキョトンとして、それからニッコリと笑った。
「同じですよ?」
「え?」
「私にも、そういう人がいます。別にいいと思うんです。似てる人を好きになろうと、面影を重ねようと、お互いの傷を舐め合うだけだろうと。少しでも生きる事が楽になるのなら、私たちの関係にはちゃんと意味がある。そう思いませんか?」
彼女は笑顔で言い切った。
俺、全く敵わないな。このまま手のひらの上で転がされるのも、案外と悪くないかもしれない……そんな事を思い始めた俺に、ミナミさんはそっと囁いた。
「大切な人の事は、大切なままでいいんですよ……そんなあなたが、私は好きなんですからね?」
その声があまりに優しくて、思わず叫んでしまいそうになった。ああ、君はいったいどこまで、俺の心に入り込む気なんだ!
ミナミさんは何度だって、俺の歪んだ世界を正してくれる。彼女の強さと一途さに、俺は尊ささえも感じていた。
(了)
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