【KAC20219】仮想世界の見知らぬ君が、現実の僕へ手を伸ばす(お題:ソロ〇〇)

 現実リアルはすっかり雨模様、六月も終わろうという週末。

 俺はVRMMO〈FantasticDays!ファンタスティックデイズ〉の世界で〈剣士ソードマン〉の〈Suzakスザク〉として、恋人のミナミさんと一緒に快晴の草原を歩いていた。

 ベータテストからプレイしている俺と、正式サービスからプレイを始めた彼女は、知り合って一年が経った今もレベル差に悩まされていた。一緒に遊べない事はないが、対等な立場でコンテンツを楽しむ為には、もう少しレベルを上げて貰いたいところだ。

 回復職ヒーラーの〈聖職者クレリック〉をしている彼女は攻撃系のスキルに乏しく、ソロでモンスターを狩る事が難しい。暇さえあれば狩りをしている俺と違って、生産系のサブ職業を楽しんだり、普段パーティーを組んでいる仲間とお喋りに興じるのも好きなタイプだ。五感が再現されるこの世界では、町のカフェでお茶を飲むだけでも楽しいらしい。

 仮想世界の「暮らし」を楽しんでいるミナミさんを、今日はピクニック感覚でフィールドに誘ってみた。

 少し前までの俺は、所有しているレア武器を欲しがるプレイヤーPキラーKから狙われ続けていたけれど、最近は諦めたのか滅多に襲われなくなったので、こうして彼女を連れていても以前ほどのリスクはない。

 こんなのどかな時間も、悪くない。

 しばらく草原でウサギ型のモンスターを狩り、彼女のMマナPポイントが尽きたところで休憩することにした。MPがないと魔法が使えないので、回復職ヒーラーはただの人になってしまう。

 フィールド上に点在する東屋あずまやへ入って、長椅子に二人並んで座り、ドリンク代わりの〈MP回復ポーション〉を彼女へ渡した。この透明な青い液体は気の抜けたラムネの味がして、安っぽさがちょっと癖になる。

 ポーションを飲みながら他愛もない話をしていると、そういえば、とミナミさんが手を打った。


「明日から、イベントが始まりますね!」

「ああ、宿屋の悪霊退治?」


 彼女が話題に出したのは、明日から二週間行われるソロ専用イベントだ。

 イベントクエストを受けると「宿屋の客室に出没する悪霊を退治する」という設定のミニゲームがプレイできて、イベント報酬は得点ランキングの最終順位によって変わる。期間内なら何度も再挑戦できるし、キャラクターの職もレベルも問わない為、誰でも高額報酬が狙える仕様になっている。


「いいイベントだよね、あれならミナミさんも、ランキング上位を狙えるよ」

「そうでしょうか!」


 軽い気持ちで言った台詞に、ミナミさんはキラキラと目を輝かせた。こういう時にやたらと謙遜せず、素直に喜ぶ彼女の事を、俺は本当にかわいいと思う。


「ミナミさんは動きがいいし、普段ソロで戦えないのは職業のせいだから、今回のイベントは十分いけるんじゃない?」

「じゃあ……スザクさん、私と勝負をしませんか? ランキング順位で負けた方は、勝った方の命令をひとつ聞くなんて、どうでしょう!」


 思いもよらない事を言われて、俺は即座に反応できなかった。

 確かにこのイベントだったら、俺たちの条件は同等だけど……ミナミさんが、俺に勝負を挑むだって?


「俺に勝つつもり?」

「やるからにはもちろんです! ソロプレイのイベントだと、こんな勝負でもしないと、一緒に遊んだ気にならないですしね!」


 なるほど、目的はわかった。

 面白い、やってやろうじゃないか。恋人だろうと容赦はしない。どのみち俺はランキングの上位を狙っていくのだから、手加減などしている場合ではない!


「手加減はしないからね」

「望むところです!」


 ミナミさんは楽しげに笑っている。ゲーム内でパートナー契約を交わしていて、現実リアルの恋人同士と変わらないスキンシップが可能な男を相手に、よくこんな提案をしたなと思うけど……それは俺への信頼なのか、そもそも負けると思ってないのか。


「どんな命令でも、ちゃんと聞かなきゃダメですよ?」


 曇りのない笑顔で、彼女は言った。完全に後者だった。

 一年前はVR操作すらマトモにできなかった彼女が、ネトゲ中毒の俺を相手に、すっかり勝つ気満々だった。



 俺も彼女もイベント期間中は宿屋に篭り、延々とミニゲームを繰り返した。ハイスコアだけがランキングに反映されるので、プレイ回数は多ければ多いほどいい。

 イベントクエスト専用のスキルを使い、客室に出没する悪霊をひたすら叩いていく。

 ソロイベントは苦手だ。MMOなのに他人との接触が無いという時点で気分が乗らない。操作感もリズムゲームに近いし、正直言って好きじゃない。元彼女のハルと遊んでいたゲームを思い出してしまう。もう忘れてしまいたいのに、こんな些細な事でもハルは出て来るのだ。

 嫌気が差しながらも、止められなかった。現在のランキングが怖い。上位ランカーはベータテスト時代からガチでプレイしてる連中ばかりなのに、俺と対して変わらない順位にミナミさんがいる。

 彼女の何が恐ろしいって、現実リアルでは在宅仕事をしているという事実だ。どんなペースで案件を捌いているかは知らないが、もしも終盤に不眠不休プレイでもされようものなら、勤め人の俺ではとても対抗できない。

 このまま負けたら、俺はいったい何を命令されてしまうんだ?

 必死に悪霊退治を続けたけれど、ミナミさんの順位はどんどん上がっていく。最終ランキングの順位は俺が十五位で、ミナミさんはなんと六位だった。



 共有する邸宅で、二週間ぶりに顔を合わせたミナミさんは、全身で喜びをあらわにしていた。

 鎧を脱ぎ、カジュアルパーカーを着てソファーへ腰掛けている俺のところへ、イベント報酬のクロネコパーカーを羽織った彼女が駆け寄ってくる。


「本当に勝てちゃいましたーっ!」


 ソファーが軋み、やわらかな身体が俺の上に乗る。大はしゃぎで抱き付いてきた彼女を突き放すわけにもいかず、複雑な気持ちで受け止めた。

 ミナミさんに負けたのか、俺。

 いや、むしろ彼女に勝ったプレイヤーが、このサーバーに五人しか存在しない事の方が衝撃だ。


「ああいうの、得意なんだね」

「ふふっ、リズムゲームみたいで楽しくって! つい張り切っちゃいました、昔はよく遊んでて……」


 そこまで言って、彼女はしおれるように黙り込んだ。

 俺と同じように、忘れたい思い出だったのかもしれない。


「で、俺はミナミさんの命令を聞くんだよね?」


 場の空気を変える為、俺は自ら地雷原へと踏み込んだ。いったい何を言われるのやら、全く予測できないが、そこまでの無茶は言い出さないと信じたい。

 ミナミさんは笑顔になって、そうですよっ、と手を打った。


「約束ですからね、ちゃんと聞いて下さいね!」

「わかってる、お手柔らかに頼むよ」

「どうでしょうね、ふふっ」


 俺の不安をよそに、ミナミさんが耳元へ唇を寄せてきた。こういう時は甘えているのだ。これはもしかすると、とんでもないお願いをされるかもしれない。


「……ぎゅって、してください」


 予想に反して、たったそれだけだった。

 あまりにもささやかすぎる願いに、つい拍子抜けしてしまう。たったそれだけの為に、二週間も宿屋へ篭ってたのか? たかがハグくらい、言ってくれればいつだってしてあげたのに――そう言いかけて、俺は随分と長い間、自分からミナミさんへ触れていない事に気付いた。最後に彼女を抱きしめたのは二ヶ月前、パートナー契約を交わした日だ。

 この世界でパートナー契約を交わすと、アバターを性的ハラスメントから保護するプログラムがお互い無効になる。つまり俺とミナミさんは、キス以上のスキンシップをする事が可能だ。

 それまではハグが限界だった。キスをしたいと思っても、身体を繋げたいと思っても、そういう意図を持って接触する事すらできなかった。だから俺たちは事あるごとに抱きしめ合って、言葉を尽くして想いを伝え合っていた。

 しかし、何でもできるようになったからこそ、俺は彼女へ触れなくなった。

 俺はハルを忘れられない。それを打ち明けた時、彼女は「私も同じ」だと言った。つまり俺たちは、互いに誰かの代わりでしかない。なのに深い関係を持つなんて、すべきではないと考えた。ミナミさんを好きだという感情も、俺の中には確かに存在するのに、そんな形で彼女を利用したくなかった。

 安易に触れてしまえば止まらなくなりそうで、俺から触れる事はなくなっていた。触れられる事を拒みはしなかったけど……寂しい思いを、させていたのか。


「約束……ですよ?」


 腕を伸ばそうとしない俺へ、ミナミさんが念を押してくる。

 俺に触れられたい、ただそれだけで、サーバー六位というハイスコアを叩き出したのか……拒否などできるわけもなく、言われるままに抱きしめた。


「ごめん、寂しかったんだね」

「寂しかった、です」

「もうひとつ、君の言うことを聞くよ。それで許してくれる?」


 ミナミさんは驚いたように身体を震わせ、どうして、と呟いた。

 抱えた寂しさを吹き飛ばせるなら、どんな事でもしてあげたかった。今の俺にできる事なら、それがどんなにワガママな願いであろうと、絶対に叶えてあげたいと思った。

 彼女が辛い思いをするのは、嫌なんだ。

 別々の場所で暮らしているひとりぼっち同士が、仮想世界で飯事ままごとをしているだけでも、この感情までが偽物なわけじゃない。

 しばしの沈黙のあと、俺から身体を離したミナミさんは、頬を赤らめて俺を見つめた。


「じゃあ……いつか、現実リアルで、会いたいです。ずっと私の中にいる、忘れられない人の事、あなたが上書きしてくれませんか……?」


 そう言った彼女の目は潤んでいて、今にも泣き出しそうに見えた。

 俺は即答できなかった。互いの現実リアルに踏み出すのには、覚悟がいる。ひとつ何かを間違えば、今の関係すらも失ってしまう。

 それでも、君が望むのなら。

 仮想世界の見知らぬふたり、ひとりぼっち同士の飯事……そんな関係は、いつか必ず終わらせよう。


「いいよ、きっと会おう。俺の中にいる人の事を、君が上書きしてくれるのならね」


 その返事を聞いた彼女は、俺の袖で涙を拭いた後、もちろんです、と言って笑った。


(了)

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