【KAC202110】仮想世界の見知らぬ二人が、同じ未来へ歩き出す(お題:ゴール)
すっかり夏の日差しになった、七月の週末。俺は実家のある地方都市、
大学時代からの約十年、ずっと避け続けてきた故郷。足を向ける気になれたのは、逃げ続けていたものと向き合う覚悟をしたからだった。
俺は大学に進学する時、恋人のハルを残して上京した。
ハルは幼馴染で、俺たちは子供の頃からずっと一緒だった。なのに「離れることが怖い」というハルの不安を、当時の俺は全く理解してやれなかった。
そして、俺が東京へ発った翌日、ハルは公園の展望台から落ちた。
ハルの寂しさを無視した俺が、死のうとさせてしまったのか――そう考えてしまった俺は、入院したハルにメールすらできなかった。お前のせいだと言われるのが怖くて、俺はハルから逃げ出したのだ。
ハルの方からも連絡は来ず、そのまま俺たちの関係は終わったのに、俺はハルを忘れられなかった。日常のありとあらゆるところにハルとの思い出は潜んでいて、思い出す度に未練と後悔が襲ってきた。
俺は、VRMMOの世界へ逃げ込んだ。ハルの思い出とは無縁の世界で生きていたくて、ひたすら仮想世界へ入り浸った。
だけど、もう逃げるわけにはいかない。
今の俺には好きな人がいる。仮想世界の中とは言えど、
新たな道を歩む為には、ハルと決別しなければならない。
空港の到着口を出て、スマホの電源を入れた。
連絡先一覧の中には、ずっと消せなかった「
ロビーの片隅に立ち、思い切って通話をタップすると、無事にコール音が鳴った。
『もしもし、
数コールで通話は繋がり、ハルの声がした。俺を「陽太」と呼ぶのは両親とハルぐらいで、普段は名字の「
しかし、すぐに名前を呼んでくれたということは……ハルもまだ、俺の連絡先を残していたのだろうか?
余計な感情を振り払うように、俺は軽く息を吐いた。
「ごめん、いきなり電話なんかして」
『大丈夫、ちょっとびっくりしただけ。元気だった?』
「ああ、元気にしてたよ。ハルは?」
『すっごく元気だよ、ふふっ』
特に迷惑そうな気配もなく、昔と変わらない声がした。
今の俺が大切に想う人、ミナミさんの笑顔が脳裏に浮かぶ。二人は似ているのだ……声も、間の取り方も、おそらく表情の作り方も。
急にどうしたの、とハルが言った。
「いま、福海に帰って来てるんだ。顔を見て話がしたい、会って貰えるかな」
『……うん、いいよ。一度はきちんと話さなきゃって、私もずっと思ってたから』
断られるだろうと思っていた俺の頼みは、あっさりと聞き入れられた。
ハルに言われた住所へタクシーで向かい、洒落たアパートの二階へと階段を上がる。呼び鈴を鳴らすと、すぐに扉が開いた。
白いブラウスにカーキのスカートを身に着けたハルが、やわらかな笑顔を浮かべている。昔と全然変わらない。あの頃よりは少し痩せたし、背中まであった髪は肩上まで短くなっているけど……つまらない男になった俺と違って、ハルは今でも可愛いままだ。
「久しぶりだね、上がって?」
招かれるまま、室内へ足を踏み入れる。小さなキッチンの奥には二部屋あって、その一方に通された。座卓やテレビが置かれた和室は、ハルの実家の茶の間みたいだ。
暑かったでしょう、と笑顔で麦茶を出すハルの姿が、互いの家を行き来していた頃の記憶を引き出してくる。
「ごめんね、来て貰っちゃって。夕方までに終わらせたい仕事があって、出かける時間が取れそうになかったの」
「いや、忙しいのにごめん……ハル、家で仕事してるの?」
「家で仕事してるっていうか、仕事場に住み込んじゃったって言うか……地元、ちょっと居心地悪くて、実家出ちゃった」
ハルは苦笑いを浮かべて、首元のペンダントに軽く触れた。アクリル製の四葉のクローバー、中学生の俺があげたものに違いなかった。付き合い始めて最初のクリスマス、恋人になって初めてのプレゼントだ。ハルがしあわせになりますように――俺はあの日、そう言ってこれを渡したんだ。
実はね、とハルが呟く。
「展望台から落ちたの、知ってるでしょう? あれ、このペンダントを取ろうとしたの。空にかざして見てたら、うっかり柵の外側に落としちゃって……でも、自殺未遂だと思ってる人、結構多くって。陽太くんもでしょ?」
笑顔でさらっと言われてしまい、申し訳ないと思いつつも、俺は正直に頷いた。ここで嘘をついてしまったら、わざわざ会いに来た意味がない。
「思ってたよ、俺のせいで飛び降りたんじゃないかって……ごめん、俺、ハルから逃げた。ハルに責められるのが怖くて、俺はずっと逃げ続けてた!」
俺が頭を下げて詫びると、ハルはしばらく黙り込んでから、んー、と可愛い声で唸った。
「同じだよ?」
「え?」
「逃げたのは、お互い様なの。私も連絡しなかったのは、終わりにするのが怖かったから……でも、もう終わらせないと、ね」
ハルの声が、震えた。
ペンダントをぎゅっと握り締め、まっすぐに俺を見つめたハルは、それでも笑顔を浮かべてみせた。
「陽太くんも、終わらせに来たんでしょう?」
「……ああ、そうだよ。お互いの道を進む為、俺たちの初恋を終わらせに来たんだ」
「うん、そうだと思ったよ……!」
ハルはすがるように抱きついてきて、その表情を隠すように、俺の胸へと顔を埋めた。
ごめん、ハル。俺は今更のこのこ現れて、ハルの気持ちを掻き乱してる。だけどこのステップは、きっと必要な事なんだ……俺だけじゃなく、ハルにとっても。
ハルの髪を、指先で梳いた。これが最後だと思いながら。
「ハル……忘れたくても、ずっと忘れられなかった」
「私も、いつも思い出してばかりで、似てる人を探したりしてた」
「俺もそうだよ、ハルの事ばかり考えてた。だけど俺、大切にしたい人ができたんだ……その人を、ハルの代わりにしたくないんだ」
「うん、わかるよ、私にもいるから。大切にしたい人……大切に、してくれる人!」
震える声のまま、ハルは叫ぶように言った。
良かった。素直にそう思えた。ハルを大切にしてくれる、俺じゃない誰かがいるのなら、ハルは必ず幸せになる……俺が隣にいるよりも、はるかに幸せなゴールがある。
だったら俺はもう、何の未練も後悔もない。
さよならだ、ハル。世界で一番大好きだった、いつも笑顔の女の子。
「ハルが、しあわせになりますように」
「陽太くんも……!」
俺たちは、強く強く抱き合った。
初めての恋の結末は、ただそれだけで十分だった。
◆
夜には東京の自宅へ戻り、いつものように仮想世界へダイブする。
ログインすると邸宅のリビングにいて、ミナミさんはいつも通りに〈
「あっ、お帰りなさい!」
こちらに気付いて笑顔を浮かべたミナミさんは、作業を中断して駆け寄ってきた。
今日、ミナミさんと会ったら、最初に言うことは決めていた。
「俺……ずっと忘れられなかった人と、きちんと区切りを付けて来たよ」
えっ、と驚く声がする。
動きが止まってしまった彼女を、ぎゅっと抱きしめた。五感が再現されるこの世界では、彼女の体温まで伝わってくる。
「今日、十年ぶりに故郷へ帰って、その人と会って来たんだ……俺は、ミナミさんの事が」
「待って!」
ミナミさんは凄い勢いで身体を離し、唇を震わせながら俺を見つめている。
もしかして、迷惑だっただろうか。これまでの全てはリップサービスで、本当は仮想世界の中だけの関係を望んでいたのだろうか――ほんの一瞬で、様々な事を考える。
しかし、彼女の口から漏れたのは、意外な言葉だった。
「スザクさんの故郷って、福海市ですか?」
「え、何で……」
言いかけて、まさか、と思う。ひとつの可能性が
一年前、俺たちはこの世界で知り合った。それは単に、ゲームシステムが不具合を起こしたせいだった。
このゲームを始めたミナミさんが、開始チュートリアルに促されてフレンドマッチングを起動したところ、本来ならば同じレベル帯のキャラクターを選ぶはずのシステムは、何故か高レベルの俺を結び付けてしまった。たったそれだけの話で、誰かが仕組めるような事ではないのに。
ミナミさんは真剣な顔で、俺の返事を待っている。
「……福海市だよ。まさか、ハル?」
「やっぱり……陽太くん!?」
俺たちは顔を見合わせた。
まさか、ミナミさんがハルだなんて……嬉しくないわけではないが、同時に血の気が引きそうだった。これまでの事を思い返すと、俺、かなり恥ずかしい事をいろいろ言った気がする……その辺はお互い様なのか、ミナミさんも顔が赤いままだ。
「もしかして、って思った事はあるの。ゲームの会員登録に使ったSNSで、ずっと陽太くんが友達候補に出てきてたから……結構、それで知り合いとマッチングする事、あるんだって」
ミナミさんが言ったSNSは、ゲームの登録用にアカウントを作っただけで、普段は全く使っていない。友達候補なんて気に留めた事さえなかった。どちらも電話番号を消せずにいたから、優先的に表示されてたんだな……仕組みさえわかってしまえば、別に運命でも奇跡でもない。俺たちの煮え切らなさが、互いを引き寄せただけの話だった。
ああ、俺たちは離れる事が出来なかった。こんな形で出会っても、結局は惹かれ合ってしまった――観念するしか、ないじゃないか?
「……この世界でも、
ミナミさんはふんわりと笑って、よろしくお願いしますね、と言った。その表情はハルそっくりで、そりゃ似てて当然だ、と苦笑する。
しあわせにするよと、俺は言った。
俺たちの初めての恋は、まだまだゴールなんか見えない。
仮想世界で再び出会った君と、これからも、ずっと一緒だ。
(了)
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