ねえ、一緒に走ろう

無月弟(無月蒼)

ねえ、一緒に走ろう


 今日は高校に入学してから、初めてのマラソン大会。

 ダルいとか、寒いとか言っている生徒もたくさんいるけど、アタシ、椎名三美しいなみみはやる気に満ちていた。


 アタシは走るのが大好き。陸上部にだって入っている。


 校内のマラソン大会だからって、決して手を抜いたりはしない。

 体操服に着替えてグラウンドに出て、寒さで固まっている筋肉をほぐしていると――


「……ねえ」


 不意に誰が声をかけてきて。見るとそこには、セミロングの髪をした小柄な女子が立っていた。


「ねえ、今日の持久走、私と一緒に走らない?」

「へ?」


 いきなりの提案にキョトンとする。


 まず、アンタ誰よ? 

 クラスの女子じゃないし、陸上部の子でもない、初対面の彼女。なのにいきなり、一緒に走ろうってどういう事?


 だいたいアタシは、この『一緒に走ろう』が好きじゃないの。

 持久走って、自分の力を全部出しきって、高みを目指すものじゃない。なのに他人にペースを合わせてたら、それができないもの。


「あの、悪いけどアタシは自分のペースで走りたいの」

「……一緒に走って。お願いだから」

「いや、だからね」

「走って」


 何なのこの子、しつこい。

 こっちはウォーミングアップしたいってのにさ。よーしこうなったら。


「分かったわよ。走ろ走ろ」

「うん、約束だから」


 そう言うとセミロングの子は、去って行ってしまった。いったい何だったの? 

 まあいいや、でも悪いけどマラソンが始まったら、自分のペースで走らせてもらうから。

 一緒に走りたいのなら、アタシについてきなさい。


 さて、気を取り直して、柔軟運動の続きを……。


「椎名三美さん」

「ひゃ⁉」


 再び声をかけられた。

 さっきの子が戻ってきたのかと思ったけど、今度はツインテールの女の子で。私と目を合わせるようにじっと見つめられる。


「さっき誰かから、一緒に走ろうって言われました?」

「……言われたけど」

「そうですか……あの、それなら私とも一緒に、走ってくれませんか?」


 またか!

 さっきの子と一緒で、この子とも初対面のはずなのに。話した事の無い人と一緒に走るのが流行ってるの? 


「あーもう、わかったから。一緒に走りたかったら、アタシについて来てよね」


 さっきよりもぞんざいに返しながら、ツインテールちゃんをあしらう。

 ま、ついてこれるなら、だけどね。



 ◇◆◇◆


 開始前に一悶着あったけど、その後は何事も無く、ついにマラソン大会が始まった。

 最初は男子がスタートして、しばらくした後に女子が走り出す。


 アタシは開始早々トップグループに入ると、その後ペースを落とすことなく。軽快に飛ばしていく。

 二年生や三年生を押さえて、順位は現在トップ。学校を出て、町中をどんどん走って行く。

 さあ、このままペースを維持していけば、一位でゴールも夢じゃない……。


 ザッ、ザッ、ザッ、ザッ。


 ふと後ろに気配を感じる。

 嘘、誰かが追い付いてきたの?


 そう思った瞬間、並ぶようにすぐ横に、ぬっと頭が現れた。

 それは今朝一緒に走ろうって声をかけてきた、セミロングの女子だった。


 この子、アタシの走りについて来てるの⁉

 驚いていると、彼女は並んで走りながら私に目を向けて、にっこりと笑いかけてくる。


「ありがとう、一緒に走ってくれて。嬉しいなあ、一人で走るのは寂しかったの」


 その言葉に……いや、声をかけるという行為に、アタシはカチンときた。


 ほほーう、マラソン中にお喋りとは余裕ですなあ。

 喋ったらその分息が乱れて、ペースを保てなくなるというのに。

 一緒に走ろうとか、お喋りしてくるような人に負けてたまるか。


 そう思ってペースを上げたけど、彼女はニコニコ笑いながら、すぐ横にピッタリとくっついてくる。

 嘘でしょ、かなり飛ばしているのに、なんでこの子は笑っていられるの?


「私ね、ずっと誰かと一緒に走りたかったの。酷いんだよ。一緒に走ろうって約束したのに、みんな私を置いて先にゴールしちゃうんだもの」


 こっちは真剣に走っているってのに相変わらず暢気に話しかけてくる彼女。

 だけどふと、彼女の言葉に違和感を覚える。


 先にゴールするって、アンタ先頭を走ってるでしょうが。

 すると声に出していないのに、私のツッコミが聞こえたみたいに彼女は続ける。


「私ね、走るのが苦手だったの。マラソンが好きじゃなかったの。けど、皆といたら楽しいかなって思って、一緒に走ろうって友達と約束してたの。けどね、みんな嘘つきなの。ペースを上げて、私を置いていくんだよ。ホント、ヒドイヨネ……」


 瞬間、ゾクゾクしたものが背筋を走った。

 さっきまで楽しそうに話していた彼女の声が、何故か急に不気味に感じられたのだ。


「私はそんなみんなに追い付こうと、必至で走ったの。前を走る背中だけを見てね。だから周りが見えていなかったの。走ってるトラックに気付かずに、道路に飛び出して。……ねえ、アナタは一緒に走ってくれるよね。約束シタモノネ。ウラギラナイヨネ。ズットズット、イッショダヨネ。ハハハハハハハッ!」


 ――――ッ⁉ こいつ、ヤバい!


 笑っていたはずの顔はいつしか、まるで屍のように精気を失っていて。光の宿っていないうつろな目をしている。

 声だけは笑っているけど、それがかえって不気味で。その時アタシはふと、前に陸上部の先輩から聞いたある出来事を思い出した。


 確か一昨年のマラソン大会で、トラックにはねられた女の子がいるって。

 そして去年のマラソン大会では、その子の霊が目撃されたとか。


 あんなの、ただの冗談だと思っていたけど。


「イッショニハシロ、イッショニハシロ、コレカラズット、イッショニハシロー!」


 ヒイィィッ!


 ケタケタと不気味に笑う彼女を見て、思わずペースを上げる。

 いや、ペースなんてもう、考える余裕はなかった。とにかくこの子から離れたくて、無我夢中で走って。

 だけど、いくら飛ばしても彼女はアタシのすぐ横を、ピッタリとくっついて離れない。


 ど、どどどどうしよう。このままじゃきっと、大変な事になる。

 誰か、誰か助けて……。


「そこまでです!」


 不意に前から、凛とした声が聞こえた。

 見ると道路の先に、今朝一緒に走ろうと声をかけてきたもう一人の、ツインテールの女の子が立っている。


 何、もしかしてアタシを、挟み撃ちにするつもり⁉


 だけどツインテールの子はアタシに目もくれずに、すぐ隣を走る彼女にスッと詰め寄り、そして――


「浄!」


 彼女の胸に手を当てて何か叫んだかと思うと、手から光が放たれて。それが段々と大きくなっていく。


 何これ、何が起きているの⁉


「ア、アア……」

「あなたはもう十分走りました。苦手なマラソンを頑張り続けて、立派でしたよ。だからもう、ゴールしてもいいんです。きっと皆、笑顔で迎えてくれますから」


 放たれていた光はだんだんと弱まっていき、隣を走っていた彼女の輪郭も、徐々にぼやけていく。

 そして光が完全に消えた時、もうそこにセミロングの彼女の姿はなく。ツインテールの女の子と腰を抜かして道路にペタンと座り込むアタシだけが残されていた。


「い、いったい何だったの? あなたいったい何者なの? それに、あの子は」


 震える声で問うと、ツインテールの女の子は私に向き直って、そっと手を差し伸べてきた。


「私は一年四組の水原知世みずはらともよ。ただの祓い屋です」

「は、祓い屋?」

「はい。お気づきだと思いますけど、さっきの彼女はこの世のものではありません。二年前のマラソン大会で事故に遭って、以来ずっと独りでゴールすることなく走り続けていた、孤独な魂です」


 やっぱり、そうだったんだ。

 祓い屋だという水原さんの事も気になったけど、それ以上に胸を突いたのは、ずっと独りで走り続けていたという彼女のこと。


 マラソンは、ゴールがあるから頑張れるのに。二年間ゴールできずに一人ぼっちだった彼女は、いったいどんな気持ちだっただろう。


「アタシ、一緒に走ろうって言ったあの子にまともに取り合わなかったけど。悪いことしたのかなあ」

「何も知らなかったんだから、仕方がないですよ。彼女だってきっと、怒っていないはずです。きっと今ごろ病院で目を醒まして、ゴールできた喜びを家族と分かち合っているはずです」


 だといいけど……って、へ? 病院って。


「あれは生霊だったんですよ。魂が体を離れていたせいで、本体は病院で寝たきり状態でした。一年のうちに今日しかチャンスがありませんでしたけど、ちゃんと導きましたから、もう安心です」


 ええと、つまり彼女は、生きてるってこと?


 だったら今度、お見舞いに行こうかな。怖い思いはしたけど、一緒に走った仲だし、あんな話を聞いた後だと、このまま忘れるなんて出来そうにないしね。

 そんなことを思いながら、立ち上がって汚れを払っていると。


「こらー、水原ー! 何をやってるかー!」


 体育の先生が声を上げながら、鬼の形相でこっちにやってくるのが見えた。

 そして水原は、青ざめた表情をしている。


「先生怒っているみたいだけど、どうしたの?」

「それは……し、椎名さんが悪いんですよ。私、走るの苦手なのに。一人で先に行っちゃったら守れないじゃないですか。だから仕方なく、アレに乗って追いかけてきたんです」


 水原さんの指差す先にあったのは、何と自転車。

 そう言えばアタシ達が来るのを待ち構えていたけど、自転車を使って先回りしてたってこと?


 アタシとしては感謝だけど、事情を知らない先生はそりゃあ怒るよね。


「だから一緒に走ろうって言ったのにー」


 ごめん。あれって、アタシを守る為に一緒に走ろうとしてたんだ。


 で、涙目になる水原さんは体育の先生に連れられて学校まで連れ戻り、一から走り直すことになった。


「あの、私さっき全力で自転車を漕ぎましたし除霊したばかりなので、へとへとなんですけど」

「いいから来い! 走らんと単位をやらんぞ!」

「そんなー!」


 悲痛な叫びを聞いて、こんな事なら一緒に走ってあげてたら良かったと後悔する。


 ごめんね水原さん。どうやら彼女のゴールは、当分先になりそうだ。

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