第28話(最終話) みんなちがって

 サンパウロでは国内線から国際線カウンターまで長い距離を歩かされた。すれ違う人々の顔はバリエーション豊かだ。白人、黒人、インディオ、日系人に中東系……そして最も多いのは、それらが溶け合わさったような容貌の人々。

 途中、土産物店にはサッカーブラジル代表のユニフォームが吊られている。カナリア色のユニフォームを着て活躍する選手には、その体に幾分か黒人やインディオの血の流れていない者はいない。母国では英雄ヒーローの彼らも、欧州のチームでプレーする際には差別的な罵言に晒されることがあるのだと聞く。



 はだの色による差別にピンとこない日本人だが差別の悪疫から免れているなどとゆめ慢心してはなるまい。

 被差別部落の歴史は、差別を生み出す人間の業の深さを我々に思い知らせて餘りある。更に云うなら学校に於けるいじめなどは、最も歪んだ形で差別の本能が子供たちに表れた姿だろう。

 弱い者を踏みつけるのが、人間が生きていくため必要な本能なのだろうか。集団と異なる者をいぶり出して、身勝手な理屈で価値の優劣をレッテル付けて、謂われなき優越感に浸ることが、心豊かに生きるため人間には必要と云うのだろうか。


 せっかく人を愛する本能が人には与えられているのに、同時に我々には人を憎み蔑む本能が与えられているようだ。だがここで自然をにくんでも致し方あるまい。我々が想いを致すべきは、如何に人を愛す本能を発揮し、人を蔑む悪弊を遠くへ追いやるかだろう。


 その点、ブラジルの人々の実践から、日本人をも含む世界の諸民族が学ぶべき処はすくなくない。

 彼らの内にも差別や確執のあることは論をたない。醜い心も、まして犯罪は軽犯罪から殺人までを日常茶飯事とする国だ。それでも、同じ街に住み同じ組織で働く様々な人種・民族は反目よりも融和をよしとし、憎むよりも愛し、共に楽しむことを第一としているように見える。その融和の象徴がサッカーであり、ダンスであり、祭りであるのだろう。

 この国では、かつての征服者のすえと奴隷のすえとが結ばれて一家を営み、民族浄化から避難してきたユダヤ人とナチスの残党とが共存しているのだ。


 遠ざかる南米大陸の灯を眼下に見ながら想った。

 近頃ハリウッドなどでつとに見られるように、膚の色や人種の違いについて触れることを避けるのも一つの道ではあるだろう。だが目指すべきゴールはその先にある筈だ。

 違いを無いことにして目を逸らすのではなく、違いを認めたうえで両者が互いに相手を尊重すること。



「みんなちがって、みんないい」

 皆がう云ってわらえる世界が来るとい。




(了)

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世界の車窓から殺し屋日記2 ブラジル編 久里 琳 @KRN4

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