機種変するか否か葛藤する心情を、ポストアポカリプスSFにしてみました

陽澄すずめ

叡智の果実と自律人形

「ねぇ、シュリ。明日の天気を教えて」

『明日は晴天が予想されます。最高気温は三十七度、最低気温は二十八度。西からの風が強く吹くでしょう』

「明日も暑いね。砂嵐に気を付けなくちゃ。早めに寝床を確保しないと」

『近くの宿泊施設を検索します。……ここから西へ二十四キロメートルの地点に、簡易オアシスがあります』

「了解、シュリ。道案内して」

『最短ルートを検索中……。案内を開始します。交通ルールを守り、安全に走行してください。どうかお気を付けて』

「周り誰もいないからルールも何もないけどね。一応、安全運転で行くよ。このバイクもオンボロだし」


 上腕に括り付けた旧式の携帯型通信端末スマートフォンは、僕のおしゃべりに付き合い切れなくなったらしく、淡々と道案内を始めた。


『このまましばらく道なりです』

「だろうね」


 目の前に広がるのは、見渡す限りの荒れ果てた大地だ。

 遠くの方へと視線を投げれば、かつての文明の名残が見える。蜃気楼のように霞むビル群に、崩れかけた高速道路。

 僕のバイクが進むのは、もはや道ですらない。昔は道があったのかもしれないけど。


 予定通り、簡易オアシスに到着する。一軒のカプセルモーテルと自律式コンビニエンスストアがあるだけの場所だ。

 既にとっぷりと陽が暮れていたので、僕はモーテルのフロントに直行した。


「部屋ならいくらでも空いてるよ。好きなところを選んでくれ」

「助かるよ。長旅だったんだ」

「へぇ、どこから来たんだい?」

「『科学の都』さ」

「そりゃ確かに長旅だ。それにしてはあんたの端末スマホ、ずいぶん旧式だな」

「父親の形見でね」


 僕がそう言うと、主人は「なるほどね」とだけ呟いて、話題の向きを変えた。


「しかし、なんだってこんな辺鄙なところに? 『科学の都』なら不便なく暮らせるんだろ? 何もかもがオートメーションで動いて、一年じゅうリンゴの実がなる、科学と自然が融合した夢のような街だって聞いたぜ」

「あぁ、それも半年前までの話さ」

「何かあったのか?」


 僕は声のトーンを落とした。


害虫バグにやられたんだ」


 主人は一瞬、言葉に詰まる。


「……それは悪いことを訊いたな」

「いや、今はどこもそんなもんだろ。最初の害虫バグが襲ってきてから、あっという間だったよ。システムは破壊し尽くされて、街はもうめちゃくちゃさ。現行のシステムも、いつまで保つか」

「どこか行く当てはあるのかい?」

「西にある旧都を目指してるんだ」

「何だって?」


 思いがけず素っ頓狂な反応が返ってきた。


「あそここそ害虫バグの巣窟みたいなもんだよ。それ以前に砂嵐が酷くて、街そのものにすら近づけやしない。目的地を変えた方がいいよ」


 どうにも釈然としないまま、僕はガラ空きのベッドの一つに潜り込んだ。

 外では風がびゅうびゅうと鳴いている。それに紛れるようにして、僕は呟く。


「ねぇ、シュリ。父さんのメッセージを再生して」

『博士のメッセージを再生します』


 何度聴いたかも分からない録音データ。記録の日付は一年前。まだ僕の故郷が害虫バグに襲われる前だ。


『お前がこれを聴いているということは、私は既にこの世にいないのだろう。息子であるお前に、大事な使命を託す。もし「科学の街」のシステムに異常が出たら、旧都を目指せ。そこにある研究所に、私の開発した全く新しいシステム体系がある。それを持ち出し、世に広めるんだ。それが世界を救うことになる』


 僕の父さんは、最先端の技術者が集まる『科学の都』の中でも、最も優秀な科学者だと言われた人だ。


「ねぇ、シュリ。旧都は無事なのかな」

『検索システムを起動します。……データが見つかりません』

「行ってみないと分からないってことか」


 不安を煽る風の音に包まれて、僕は程なく眠りに落ちた。



 翌朝は、予報通りの晴天だった。風が強い。吹き付ける砂が弾幕を作っている。

 僕はゴーグルと防塵マスクで顔をしっかり覆い、旧都方向へとバイクを駆った。


「シュリ、こっちで合ってる?」

『このまましばらく道なりです』

「シュリ、そろそろ休憩しよう」

『近くの休憩所を検索します』

「シュリ、あとどのくらいかかる?」

『一日十時間走り続けると、二週間かかります』

「シュリ、この先の天気を教えて」

『二ヶ月先まで危険な強風が続く予報です』

「シュリ、父さんのメッセージが聴きたい」

『博士のメッセージを再生します』

「シュリ、何か歌ってよ」

『では、子守唄はいかがですか』

「シュリ、」

「シュリ、」


「シュリ……いつもありがとう」

『どういたしまして』



 かくして、僕は旧都に辿り着いた。

 だが話に聞いた通り、辺りには酷い砂嵐が吹き荒れ、わずか先の視界すらも不確かな状態だった。朽ちた巨大ビル群の合間を、猛烈な勢いで風が駆け抜けていく。いくらバイクでも街の奥へと進むのは骨が折れた。


 砂嵐の中を漕ぐ僕の前に、影が立ちはだかった。

 鋼鉄の身体に無数の脚を持つ、巨大なムカデ。

 システムに侵入して情報を奪い、付近にある建造物をも物理的に破壊し尽くす未知の生命体。

 害虫バグだ。

 気付けば僕は、銀色の化け物どもに囲まれていた。あるものは建物に取り付き、あるものは大地を這い、いずれもじわじわと僕に迫ってくる。


 一年前のあの日、父さんはいち早く街のシステムの異常に気付いた。

 そして街の外にある基地局の様子を見に出たところで、害虫バグに食い殺されたのだ。


 足がすくんで動けない。

 こいつらが……こいつらが、父さんを。

 僕がここから先へ進まねば、世界は終わる。

 無理やり自分を奮い立たせる。スロットルをフルに回し、どうにか害虫バグどもの隙間をすり抜けようとした。だが、突進してきた一体に呆気なく撥ね飛ばされる。


「うわっ!」


 一瞬、意識がブラックアウトした。

 目を開ければ、辺り一面の砂嵐。害虫バグたちの姿も見えない。

 絶望的な気分になった。この砂の幕の向こうで、今もあいつらが待ち受けているかもしれない。


「どうしたらいいんだ……」


 すると僕の腕でシュリが応答した。


『迂回路が見つかりました。ルートを表示します』

「えっ?」


 画面に代替路が示される。

 まだ手はある。シュリがそう教えてくれる。

 幸い、バイクはすぐ近くに倒れていた。


『案内を開始します』

「分かった、行くよ」


 僕はシュリの案内で街を出て、海岸線沿いをぐるりと回る道を辿った。砂浜を進んだ先に、洞窟が口を開けている。

 バイクを降り、シュリのライトを頼りに洞窟の奥へと進み入る。


『このまましばらく道なりです』


 シュリの言う通り、その先に研究所はあった。害虫バグの攻撃の及ばない、地下の施設だ。

 入り口のパネルにシュリを翳せば、扉が開く。

 奥へ、奥へ。複雑に入り組んだ研究所内部も、シュリのナビゲーションのおかげで迷うことはなかった。


「ここが最深部だね」


 最後の扉は、シュリをスロットに挿すことで開いた。

 その部屋に置かれていたのは、僕の身長より少し大きいぐらいの透明なケース。


 中には、一人の少女が横たわっていた。

 長い睫毛に、銀色の髪。とても綺麗な女の子だ。


 ケースに触れると蓋が開き、女の子が身を起こす。そして碧い瞳でじっと僕を見つめ、薄紅色の唇を開いた。


「おはようございます、主人マスター

「……自律人形アンドロイド?」


 まさかこれが、父さんの開発した「全く新しいシステム」なのだろうか。


「ねぇ、君は、僕の父さんから何か聞いてる?」

「『父さん』。該当するワードはありません」

「君を開発した博士のことだよ」

「あなたが私の主人マスターであると、博士が設定しました」


 やはり、この自律人形がそうなのだ。


「じゃあ、君を——」


 その時。

 ドォォォン……と、天井から激しい音がした。地鳴りに似た揺れも。


「なっ、何だ⁈」

害虫バグに見つかったようです。システムは緊急エマージェンシーモードに切り替わります」


 ケースの隣にあった装置が起動を始める。モニターには、デジタル表示のカウントダウン。


「一分後にこの施設は爆発します。害虫バグにシステム侵略されるのを防ぐため、また、強力な磁力で害虫バグを引き付けて殲滅するため、自爆するように博士が設定しました」

「何だって⁈」


 一分では逃げられるはずもない。

 僕は慌てて自律人形と共に部屋を出た。


「シュリ! どうしよう、爆発する」

『私のシステム介入により、爆破時刻を一時間後まで引き伸ばせます』

「頼む!」


 僕はシュリに手を伸ばす。だが。


『私の接続を解除すると、爆破時刻の引き伸ばしが無効になります』


 つまり、シュリを置き去りにしなければならないということだ。


「そんな……」


 しばし言葉を失う。

 ここまでずっと一緒だったのに。

 シュリがいなければ、ここへ辿り着くことさえできなかったのに。

 それにシュリには、父さんの最後の肉声が——


『博士のメッセージを再生しましょうか』


 シュリの言葉でハッとする。

 何度聴いたか分からない、父さんの遺言。一字一句違わず、覚えている。

 僕の果たすべき使命は何だ。父さんから託された使命は。

 本当は、分かっているはずだ。


「いや、大丈夫だ。僕は行くよ」

『どうかお気を付けて』

「シュリ……ありがとう」

『どういたしまして』


 いつもと変わらないやりとりを最後に、僕は自律人形の手を引いて駆け出した。



 僕らが旧都を離れる頃、背後で大きな爆発が起きた。

 胸が引き千切れそうだった。

 僕はバイクの後ろに自律人形を乗せて、振り返らずに走り続けた。


 無言のまま、バイクを駆った。いつの間にやら日暮れが近い。


「ねぇ、シュリ。この辺に休憩所は……」


 無意識に口を突いて、息が止まりそうになった。

 もうシュリはいないのに。

 代わりに、自律人形が応える。


主人マスター、『シュリ』とは私のことですか?」

「え?」

「今ここには主人マスターと私しかいません」

「あぁ、ごめん」


 僕は苦笑した。


「『シュリ』は僕の相棒の名前だよ。君にも名前を付けなきゃね」


 目の前には、見渡す限りの荒野。

 前へ進め。世界は広い。


主人マスター、これからどこへ行くのですか」

「このまましばらく道なりに進むよ。僕の故郷へ行こう」


 君にも、たくさんのことを教えてあげよう。

 僕とシュリが旅した、この果てのない世界のことを。



—了—

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