肯と鳴く猫と彼


戻ってきた琴葉の手には、お皿に載った茶色のクッキーが盛られていた。

片方は円形、片方は三角が重なったような長細い形になっている。


よく見てみれば、それは小魚を模しているようだった。



「……うん、おいしいわ。いつになく上出来よ」



カリ、と音を立てて味見した彼女は、満足げに笑う。

だがその表情は目の前の猫の行動で一変した。



「え!?」



琴葉の声と、ガシャンと何かが倒れる音。

なになにどうしたのよと立ち上がって部屋を見回す彼女の視線は、やがて1か所に絞られる。


わたしも驚いて視線の先―――後ろを振り向いてみれば、部屋の端においておいた花瓶が落ちていた。



かなり昔、兄の妻になる前の彼女から送られた一輪挿し用の細長い花瓶。

ガラスの中に花びらが入っており、夏は涼やかに、冬は春に想いを馳せる温かみを持った不思議な花瓶。

結婚式の引き出物、なんて建前はあったものの、旅行先で見入っていたガラス細工の柄を覚えていたんだろうか。

何もない日にプレゼントなんてもうできないから、と。

ほのかに瞳を潤ませて贈ってくれたことを思い出した。



「な、何してんのよマオ!!」

「……」



花瓶は無残に砕け、散らばっていた。

その傍らに座り、しっぽをひたりと床に放ったマオの瞳は、こちらをじっと見つめている。

何か言いたげだがわたしにはどうもわからない。

とりあえず見つめ返していれば、琴葉が再度放つぶつぶつとした声が耳に届いた。



「家から軍手と、分厚い袋を持ってこなきゃ。

 あと袋を縛る縄も……そういえばちょっと太いけどちょうどいいのが家にあったわ!」



彼女は1人でこの後の行動を決めたらしい。

うん、と頷くとクッキーが盛られた皿を持ち上げて、ゆっくりと丁寧にこちらへ歩き出す。



「はい、叔父さんが好きおからクッキー置いておくね!

 さてと、まずいろいろ持ってこなきゃ……」



随分と減ってしまった魚たちを1に置いた琴葉は、その奥に置かれた写真をひと撫で。

ぱたぱた…と軽い足取りはほんの数秒で扉が閉まる音に変わっていった。



訪れた静寂、この部屋にはもう、わたしと猫の2人きり。



再び訪れた穏やかな日差しは、本に光を、本棚に影を生んでいく。





「おいしかったか?マオ」



わたしは猫に声をかける。



「………」



マオは返事をせずじっとこちらを見る。




まばたきひとつしないその瞳は、何かを言いたげなような、言いたくないような感情を訴えてくる。


わたしはその潰れたような愛らしい顔を見つめて、おもむろに自分の首をかいた。





ごり。

異様にくぼんでごつごつとした手触りだった。






―――――――――――なーおと鳴く猫、まーおと鳴く猫





「……叔父さん、いつになったら帰ってくるんだろう。

 お父さん、早く、早く見つけてくれるよね……?」



『まーお』

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肯と鳴く猫、否と鳴く猫 綾乃雪乃 @sugercube

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