第8話

 ダンの赤毛は、遠目にも鮮やかだ。

 それ以前に、彼の端末の位置情報を追うことは、ルルアの端末で未だ可能な状態だったため、彼女は、エアポートで彼の姿を発見することができた。

 エアポートは、人流や物流の一大拠点であるべき場所だが、しばしば敵対的な合成人間や、人間の犯罪者も出没する。稼働してはいるものの、荒んで寂れた臭いがした。

 ルルアは、コンテナの陰から、二つの人影を認めた。見たところ、二人きりのようである。

 片方は間違いなくダンだ。媚びるような笑顔で、相手に話しかけている。

 その相手は、身なりの良い男性だ。おそらくエイダン社長なのだろうが、帽子を目深に被っており、はっきりとはわからない。

 ルルアは、ダンへと照準を定めた。

 晴れた空に雷鳴が轟くように、銃声が鳴り響いたのである。

 ところが、どういうことだ?

 残念ながら、弾丸は命中しなかったようだ。ダンは倒れなかったから。

 それにしても、二人して、銃声すら意に介すことなく、会話を続けているだなんて……

「なにさ!もっとちゃんと苦しみなさいよ!あんたは、あたしみたいなゴミの撃った弾なんて届かないくらいの別世界に生きてるとでも言いたいわけ?」

 ルルアは、込み上げる怒りに任せて、コンテナの陰から飛び出し、二人に駆け寄った。

 二度三度と発砲を繰り返しながら……

 そして一発も命中せぬまま、ついに二人の会話が耳に入る距離まで肉迫した。

「昔の人間は言ったっしょ?『罪なき者のみ銃を撃て』ってー」

「謎ですね。発砲は高確率で罪です。初めての凶悪犯罪に限り、近接戦闘よりも遠距離射撃を推奨するといった、ブラックユーモアの類なのでしょうか?

 どう思われますか、初犯ですらなさげな、そこのお嬢さん!」

 強烈な違和感と警戒心が、ルルアの背筋を蹂躙した。

 そして、彼女の目の前で、赤毛のダンだったはずのものは真っ赤なポッドへと、また、ブラックユーモアを云々したものは真っ黒なポッドへと変容したのである。

「光学迷彩!?」

 その事実を悟ったルルアは、ポッドたちに背を向けて、一目散に逃げ出した。

 自分は罠に嵌められたのだ!

 だが、ダンにそのような知恵があるはずない。つまり、ダンの父親であるエイダンが、息子と親しくなりすぎたスラムの女を消そうと考えたということだろう。

 ルルアが、コンテナに囲まれた隘路に逃げ込んだとき、一本道であるその先に、一人の女が立ち現れた。

 ブロンドの、どこかで見たことがあるような、小綺麗な顔をした女だった。

「ねえ、助けて!嫌ならどいて!」

 エイダンが差し向けた殺し屋かもしれない女に、ルルアは、銃口を向けながら叫んだ。

 ところが、瞬く間に、ルルアの世界は一回転した。女は、ルルアの腕を掴んだかと思うと、隘路の出口目掛けて投げ飛ばしたのだった。

 そして、地面に大の字になったルルアに、「現行犯で逮捕します」と、手錠を掛けたのである。

「なんだ、警察の人だったんだ……」

 ルルアは、荒い息遣いの合間に、乾いた笑い声を立てた。

 赤と黒のポッドたちは、どうやら追ってきてはいないようだ。

「あんたの顔、どっかで見たと思ったら……こないだミスコンに巻き込まれてたお巡りさんじゃない?」

「……否定はしません。私は、COAのレンリ捜査官です」

 レンリにしてみれば、いきなりなかなかの黒歴史を抉られたのだった。まだ歴史と呼ぶにも日が浅すぎて、少しばかり目が泳ぐ。

「お巡りなら、なんか武器持ってるよね、寄越しな!手錠の鍵もだよ!」

 そんな捜査官に、未だ手錠を掛けられていないほうの手で、投げ飛ばされてもなお手放さなかった拳銃を、ルルアは向けた。

 レンリは、ただ僅かに眉を顰めた。それが、どこか憐れむような表情に見えたから、ルルアは、躊躇いなく引鉄を引いた。

 しかし、手応えはなく、カチリと小さな音がしただけだった。

「もう弾切れよ。発砲の回数を数えていればわかること。

 なにせ全弾が空砲だったから、音だけは大きくて数えやすかったわ」

 ルルアは、酷く驚いたように、目を見開いたのだった。

「あなたにも伝えておくわね。ダンの身柄は既に確保しました。あなたたちの家を出てエアポートに向かう途中でのことよ。

 ラヴィアンローズが遅ればせながら、脅迫電話について警察に相談してくれたので、彼はその件についても取調べを受けます。もっとも、二年前に盗まれたものと同機種のボイスチェンジャーを使用したと仮定して、加工前の音声を復元したところ、実の父親の耳にも、ダンの声にしか聞こえなかったようよ。

 エイダン社長はダンの更生を望みました。ダンの罪を揉み消そうとする者は、誰もいません」

 そして、エイダンもまた、身の安全の保証を求めて、司法取引を行いたいと、COAに出頭した。秘書であるジーリンがレンリを訪ねたのは、その段取りをつけるためでもあったのである。

 エイダンによると、かつて、ミカエラのチョコレート工場を我が物にしようと考えた際、裏社会の人間に「相談を持ちかけた」ことならあったという。相手の男は、その後、裏社会ならではの抗争により落命したと思われていたが、先日来、エイダンでも応じ切れないほど莫大な金銭を要求する連絡を寄越すようになったらしい。

 そこへ、残酷な偶然か必然か、工場の爆破事件まで発生したことで、さすがのエイダンも潮時だと考え、COAを頼ったのである。

 オーミは、レンリと監察官による聴取の途中で、エイダンが出頭したことについて知らされたのだ。

 全ての首謀者であるかのごとく吠え立てていた彼は、放心したように椅子に沈んだ。

 そして、後悔の念を語り始めた。二年前、映画制作会社での一件の事件化を阻止してしまったことについて。

 彼は当時、盗みを働いて解雇された若者たちに語り掛けたのだ。

「会社に搾取されていたことに腹を立てるのは当然だ。だが、今後は二度と盗みを働いたりせず、表の社会で頑張って真っ当に生きて、スラム育ちに対する色眼鏡をぶっ壊してやれ!それこそが、真の復讐だ!俺はおまえたちのことを信じてるからな!」と——

 そこに、犯罪を教唆する意図などなかった。

 しかし、アースフーズのチョコレート工場が、偽の合成人間によって爆破された後、秘かにオーミを訪ねてきたルルアが、ダンを巻き込み共に犯行に及んだことを告白して、「褒めてくれるよね?」と、上目遣いに微笑んだのである。

「二年前、オーミさんが信じてるって言ってくれたから、あたし、すっごく頑張ったんだよ!スラムの連中は、母親のお腹に脳みそを置き忘れて生まれてきやがるだなんて、もう言わせないために!」と、頬を紅潮させて続けたのだった。

 ルルアは確かに、二年前に映画制作会社で盗みを働いたうちの一人だった。しかし、オーミが伝えようとしたことが、彼女の心には酷く歪な形で根付いてしまっていたのである。

 オーミは誤解を正そうとしたが、ルルアは酷く混乱して、「ダンを殺してあたしも死んでやる!」などと口走った。

 そこでオーミは、一計を案じて、ルルアに拳銃を与えたのだ。「まずはこれでダンを仕留めることだけを考えろ」と言い含めて。

 実は、その拳銃に装填された弾の全ては、殺傷力など皆無に等しい空砲だったのである……

「オーミ班長、犯行を自供した人物を、なぜその場で逮捕せず、空砲の拳銃など与えたりしたのかね」

 監察官の疑問はもっともである。

 すると、オーミは、自嘲の笑みを浮かべたのだった。

「EGPDの俺が逮捕しちまったら、ルルアの身柄をCOAに引き渡すことは、まず不可能だ。

 今回の事件にゃ合成人間なんて、はなから絡んじゃいなかった。COAは早晩、手を引いちまうだろう。

 だが、もしも、『全ての犯罪が適正に裁かれる世の中を目指す』なんて青臭い理想を掲げた女捜査官が闊歩するCOAがルルアを逮捕してくれたら……ダンの父親の罪を暴くことにだって繋がるかもしれねえじゃねえか……

 エイダンの糞野郎が自分から出頭するなんて、思いもしなかったからよ……」

「オーミ班長、つまるところ、あなたは、エイダン社長を告発するきっかけになりうるからと、ルルアを利用しようとしたということですか?」

「そういうこった、レンリ捜査官。俺にとってのルルアは所詮その程度の存在で、あいつにとっての俺なんぞ、何の意味もねえ。むしろ害毒だ。

 悪いが、ルルアのやつには、そう伝えてやってくれねえか」

 ルルアの偶像にはなれない男は言った。彼にとっての偶像は、今なおミカエラ唯一人なのだろう。


「うわー、貸切なの?こんなの初めてだー!」

 ルルアは、エアポートで護送用のカーゴに乗り込むよう指示された際、まるで、遊園地を訪れた子供のようにはしゃいだのである。

 レンリから事実のあらましを聞かされて、いささか幼児退行してしまったのかもしれない。

 ルルアが、これから先、子供のような柔軟性を発揮して更生してゆくのか、それとも、頑是ない幼児のごとく自分の罪を認めようとすらしないのか、それはまだ、レンリにもわからない。

 ただ、ルルアは、「これ、いらない!」と、まるで飽きが来た玩具のように、オーミに与えられた拳銃を手放したのだった。

 

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