第3話

 シュゼットは、矢も盾もたまらず、ラヴィアンローズへと向かった。現状、コンクールの中止が決定事項なのだとしても、過去の経験もあって、何か自分にできることはないものかと、店側に直接尋ねずにはいられなかったのだ。

 そしてその傍らには、アルドの姿があった。つまるところ、いつも通りに付き合いの良い彼なのだった。

 曙光都市エルジオンのガンマ地区——商業が盛んなその一角に、ラヴィアンローズの洒落た店構えが見えてきた。

 しかし、勢いこんでいたシュゼットが、急停止したのである。ぷっくりと頬を膨らませながら、どこか遠慮がちに。アルドもまた、おそらく同じ理由で、無言で立ち止まる。

 ラヴィアンローズのエントランスを正面から塞ぐようにして、先客がいることが聞こえてきたからだ。

 赤毛の、声からして若い男性が、店員相手に絶叫するように謝罪しているらしかった。

「親父の工場が合成人間にやられたせいで、ほんっとすいません。コンクールの中止って、すっげえ迷惑っすよね!」

 彼は、何もそこまでというほどの大声を張り上げながら、頭を下げては上げ、また下げている。お辞儀というよりもまるでヘッドバンギングのようだった。

「え……犯人は合成人間なんですか?」

 すっかり困惑した様子だった店員の男性は、それは初耳とばかりに質問した。

 すると、赤毛の青年の頭部が、中途半端な高度で停止したのである。

「ねえ、ダン、いくらお詫びせずにはいられないからって、ちょっと声が大きすぎるわ」

 青年の傍らに立つ女性が、すかさず割って入った。ダンと呼ばれた青年とは同年代だろう、青い髪をした女性だ。

「野次馬が集まりでもしたら、それこそお店に迷惑だと思うの」

 ダンのことを宥めるように、その肩先に手をやる。

「ぐぬぬ……あの女の人、今、こっちを見ましたわよ、アルド!」

 少しばかり離れた場所で遠慮していたのに、シュゼットは、野次馬と間違われたと歯噛みする。しかし、大声での謝罪はむしろ迷惑ではないかという考えには、彼女も完全に同意なのだった。

「なんだよルルア、おまえなんかに何がわかる!」

 ダンは結局、当たり散らすように、青い髪の女性を突き飛ばして走り出す。そして、シュゼットたちのそばを一目散に駆け抜けていった。ルルアもまたすぐにダンを追って走り去ったから、怪我などはないようで何よりだったが……

「ふえ?なんだかなあ」

 シュゼットは小首を傾げた。ダンは、逃げるように駆け抜けながら、顔を歪めて笑っていたのである。

 だが、彼女が彼に構っている暇などない。

 ダンに応対していたのは、以前、シュゼットが窮地を救ったことがある店員だった。その手が空いた今度こそ、シュゼットが話しかける好機ではないか。

 ところが、店員は、すぐさま店の内側を向いて、別の誰かと話しだしたのである。

 もはやシュゼットは、ズカズカと入店することをためらいはしなかったが。

「ふええぇぇぇっっ」

「あら、あなたたち?」

 店員と話していたのは、そして、シュゼットたちに声をかけてきたのは、ピンクのプリーツワンピースを纏ったブロンドの女性——レンリだった。


「レンリってば、もう、ビックリですわ!『私も仕事よ。気にしないで』なんて返信してくれたのに、こ〜んなエレガントなお洋服で、あ〜んなところにいるんですもの。

 わたくしの魔眼が、うっかり謎のドッペルゲンガーだと勘違いするところでしたわ〜!」

(あ、今日は認めるんだ……)

 饒舌なシュゼットの傍らで、アルドは思った。

 彼女が持っていると主張してやまない、一目で真実を見通すという設定の「魔眼」——それが誤判定する可能性をシュゼットが自分から認めるとは珍しい。

 レンリは、職務中は結んでいることが多いブロンドの髪を、今は解いて自然に肩へと流している。それが、ワンピースのプリーツと相俟って、まさにエレガントな曲線美を描いていた。

「オレもよく似合ってると思うよ、レンリ。でも、どうしてあの店に……」

 COAの捜査官だって、私服を褒められれば嬉しいものだ。彼女は、にっこりと微笑んでから語り始めた。

「これでも仕事なのよ。ただ、捜査の主導権を握っているのはEGPDだから、彼らの手前、プライベートでお茶してるように装いたかったというわけ」

 そこへ現れたシュゼットが、即時的かつ自主的かつ超大型台風的に問題の解決を熱望したのを、レンリは押し留めて、物量作戦さながらに大量の菓子のテイクアウトにより懐柔して、場所を変えることを望んだのだ。

 結局、アルドは、シュゼットと二人で飛び出した学生寮の一室へと、レンリを加えた三人で戻ることになったのだった。

 衝撃的なニュースを受けてこの部屋を飛び出す前、シュゼットは、このままでは人間の姿形を保てなくなってしまいますわ〜などと、ブツブツと呟きながら、バトルシミュレータで共に鍛錬するはずだった仲間たちへと、『なんということでしょう!運命の悪戯で行けなくなってしまいましたの……』などと、律儀に断りのメッセージを送ったのである。『どんな残酷な運命であろうとも、自力でねじ伏せて見せますわ!』と、読む側にとっては謎でしかないであろう決意表明まで添えていたのが、なんとも彼女らしいが……

 それを受け取ったうちの一人が、レンリだったのである。

「私は、アースフーズのチョコレート工場が爆破された事件について情報収集してるんだけど、コンクールの中止という不利益を被ったラヴィアンローズに聞き込みに行ったら、あの店には、一週間以上前から、コンクールを中止しないと放火するぞという脅迫電話が何度もかかっていた……なんて、わかっちゃったのよねえ……」

 レンリも、店員と顔馴染みになり、店長からも恭しく挨拶される程度にはラヴィアンローズのリピーターであるため、彼らもすんなりかつこっそりと証言してくれたのだ。

 ただ、せっかく情報を得たというのに、レンリは眉根を寄せたのである。

「あ、そう言えば、あの赤毛の男の人……なんで笑ってたんだろう?」

 シュゼットが思い出したように言った。店員相手にコンクール中止のことを謝っていたにもかかわらず、去り際には確かに笑みを浮かべていた男のことを。

「笑っていた?……そうだったの……

 彼はダン。エルジオンの製菓専門学校を卒業したばかりで、コンクールにエントリーしていたショコラティエの一人よ。連れの女性はルルア。ダンとは学校の同期で、在学中から交際していたらしいわ」

「なんだかやな感じの人でしたわね!連れの彼女さんへの態度も最悪ぅ〜〜。もちろん、コンクールの中止はとーーーっても気の毒ですけれど……」

「彼は……いろいろとアレではあるんだけど……実は、アースフーズの社長の一人息子なのよ。ただ、あまりにもアレだから、会社経営の後継者には決して指名しないと、社長が株主総会において明言したようね。そして、店員も店長も口を揃えていたことなんだけれど、父親の会社から希少かつ貴重な天然のカカオ豆由来の製菓用チョコレートを提供することと引き換えに、コンクールに出場することになった、ショコラティエとしても正直ぱっとしない人物らしいわ」

「ふえぇ、ラヴィアンローズこそ至高なのに……お菓子の材料の大半は合成物だからって……」

 かつてそれにまつわるトラブルを、シュゼットはアルドと共に解決したことがあるのだった。

「それはそうと、ダンは合成人間とか言ってなかったか?」

 アルドは、腕組みしながら指摘する。

「オレとシュゼットが見たニュースでは……途中からだったせいかもしれないけど……合成人間が犯人だなんて言ってなかったんだよな」

「ええ、報道では伏せているはずよ」

 レンリは、そう言いながら、手持ちの端末を室内の大型モニターに接続した。

 司政官は、捜査情報をアルドに流すことに関しては、もはや黙認状態である。時空を超越する冒険者の力を適宜借りつつ、異分子である彼の動向を把握しておきたいのだろう。

 ほどなく、事件を捉えた防犯カメラの映像が、時系列順に大型モニターへと映し出された。

 二体の合成人間が、外壁を爆破して工場内へと侵入。稼働中だった数少ない設備の一つを、手際良く爆破。その後、スプリンクラーが反応して土砂降りのごとく放水する中、逃走するのである。

 爆破されたのは、グラインダーだ。シュゼットは、虚しくぶちまけられた夥しいカカオ豆の屍たちのために、服喪の血涙を暫し流した後、「どう思う?」というレンリの問いを受け止めた。

「なんだか、映画を見ているようですわ〜〜」

「あら、さすがは女優さん……ってところかしら?でも、どうして映画みたいだと思うの?」

 シュゼットが口にしたのは、至って素朴な感想のようなものだった。しかし、レンリの反応からすると、存外いい線を行っているらしい。

「え?ふえぇ、お願い、ちょっと考えさせてぇ!

 監督さんに言われてるんですの!無闇に魔眼に頼るのではなく、しっかりと観察眼を養いなさいって。

 そうすればいつかはきっと、人間の役もゲットできるからって……」

 シュゼットを銀幕デビューへと導いた映画監督とは、アルドも面識がある。

 どうやら、素のままで人外の異種族を熱演できるというシュゼットの個性を否定することなく、役柄の幅を広げようとしてくれているようだ。

 そして、人間の役を演じることこそ、女優シュゼットの当面の目標らしい。

 レンリは、快く映像をリピートしてくれた。シュゼットを宥めるために買ってくれたはずの菓子の山から、片手間に嬉々としてマドレーヌをつまみながらであったが……

「あ!……ねえ、爆破は二回なのに、消火用のスプリンクラーが作動したのは、二回目の爆発のときだけなんですの?」

 シュゼットの気付きに、レンリは頷く。

「二回目のほうが火の手が大きかったんじゃなくて?それこそ、映画の爆破シーンみたいに、ちゅちゅちゅどーーーんって感じだし……」

「ご明察ね、その通りよ。初回の爆破に使用されたのは、解体工事などに多用される、音も炎も振動も極力抑えた爆発物だった。だけど対照的に二回目は、破壊力を抑制して、華やかな爆炎を追求した代物……まさに映画撮影用ね」

 EGPDのオーミ班長は、約束通り、『使用された』爆発物に関するデータをレンリに送ってきたのである。

 そして、実際の犯行を記録した映像に映画的な印象を与えたのは、その爆発物だったというわけだ。

「ふふん♪わが未来の栄光を担う観察眼の幼生に、極上の褒美を与えねば!」

 正解へと至ったシュゼットは、葡萄色の髪の房を軽やかに跳ね上げると、いよいよ菓子の山の頂を極めようとした。

 そのとき、暫し腕を組みつつ考え込んでいたアルドが発言したのである。

「ちょっといいか?オレは爆炎よりも、合成人間の動きが気になるな。どうも小股でちょこちょこと歩いているように見えるんだよ。

 こういう大柄な合成人間とは何度も戦ったことがあるんだけど、なんだか不自然に感じるんだよなあ」

 映画人ではない彼が、別の角度から観察眼を発揮したのである。

「そうね。彼ら二体の歩幅は、人間の成人並みだと判明しているわ。人間よりも明らかに長身なのにね」

 レンリまで同調したからには、シュゼットも、改めて映像と睨めっこせざるを得なかった。

「んば……ひゃめ!ひゃめをばじぃ、んぐうっ、ゲホゲホ……」

 シュゼットが言おうとしたことを、甘い物を力一杯頬張ってなどいない人間の言葉に翻訳すると、

「あ……雨!雨を弾いていませんわよ、この合成人間たちのボディーは!

 もしかして、撮影用の光学迷彩ではなくて?」

……となるらしい。

 ほどなく、涙目のシュゼットは、レンリに背中をさすられながら、そういう真意を告げたのだった。

 彼女は、スプリンクラーによる降雨が、二体のメタリックなボディーの表面で弾き返されることなく、その内側へと透過していることに気付いたのだ。

「光学迷彩って……合成人間が人間に化けるときに使う、あの技術か?」

 アルドの認識ではそういうことになる。この時代を生きる仲間の一人が、合成人間へと本体よりも小柄な人間の姿を与えて、その技術のことを光学迷彩と呼んでいたからだ。

 光学迷彩は、本来は軍事技術で、兵士や兵器を透明化すべく開発された。その後、元の姿形を透明化したうえで、新たなビジュアルを構築するという方向に発展したのだ。

 ゆえに、伝統的な着ぐるみと併用して、怪獣映画などで重宝されている。

 一方で、犯罪目的で悪用される事例も後を絶たないのだ。

「そうか!自分より小柄なものにも大柄なものにも化けられるんだから、犯人の合成人間たちには、人間が化けてるかもしれないんだな!」

「ええ。人間もしくは、人間と同等の体格の何者かが、巨体の合成人間に変装していると見るべきでしょうね」

「はあ……おのれ愚かな人間どもめ……これじゃあ、犯人どもを殲滅したところで、ラヴィアンローズのコンクールは復活しそうもありませんわねえ……」

 アルドとレンリの会話が白熱したところへ、少々物騒なもう一人の溜め息が重なった。

 卓上のうず高い菓子の山は、いつの間にやら消えてなくなり、空いたスペースに、シュゼットが突っ伏しながら戦慄していたのである。

 いつもながら、シュゼットの口は甘い物だけを容赦無く吸い込む時空の穴で、胃袋は丸ごと一個の異世界なのではないかと思われた。

 そして、充分な甘味が染み渡った彼女の思考は、先刻この部屋を飛び出した当初の目的へと回帰したらしい。そのまま暫し、「冥府魔道」がどうしただの、「血祭り」がこうしただの、果ては「せっかくアルドと……」などと独り言を呻いていたシュゼットは、

「ふあっ、閃きましたわ!」

 そう叫ぶと同時に、ガバリと身を起こしたのである。

「ねえ、レンリ!天然カカオ豆に予備はありませんの?破壊されたのがグラインダーだけならば、わたくし自ら、その代役を務め上げて見せますわよ!」

 レンリは、大きく青い双眸を、ゆっくりと二度ほど瞬いた。

 容姿端麗な少女は、キリリと表情を決めて、きっぱりと言い放ったのである。しかし、既に思春期から離脱した捜査官の全脳細胞が、その発言内容を読み込むことに難色を示したのである。

「ええっと……ちょっと何言ってんだかよくわからないんだけど……

 シュゼット、あなたも知っていると思うんだけど、天然カカオをグラインドするとなると、ペースト状になるまで、それこそミリどころかミクロンのオーダーで細かく挽き潰さなければならないのよ?

 それに、工場内で専用の設備を使っても72時間かかる工程なんだから、明後日のはずだったコンクールに、今から間に合わせようとしたってとても無理だわ!」

 レンリは常識的に反論したが、思春期満開の乙女の妄言はパワフルだ。おかげで、レンリの脳内に、「わたくし、このたびグラインダーに転生いたしましたの!」と称して、かつてシュゼットだった何者かが、粛々とクルクルと回転しながらカカオを挽こうとするイメージが浮かび上がってしまったではないか。

 それはしかし、とてつもなくシュールで、まさに1ミリどころか1ミクロンも現実性が感じられなかった。

「なによ!結局のところ、可愛いお豆さんたちを、木っ端微塵かつ完膚なきまでにぶっ潰してしまえば良いのでしょう?

 それにわたくし、所要時間を短縮する手段については、火を見るよりも明らかな、素敵な心当たりがありましてよ!」

 シュゼットは、チラリとアルドを見やったのである。

「ああ……なるほど。確かに素敵ね」

 レンリまでもがアルドのことを、剣を佩いたその腰の辺りを注視したではないか。

「え、なんだよ二人とも……」

 アルドは腰が引けた。音を立てて血の気も引いた。自分以外の二人がいつのまにか通じ合ってしまったことが、なぜだか恐ろしくてならなかった。

「オレにも説明してくれよ……」

 慄く年下相手に、レンリは、いつもよりも愛想良く微笑みかけた。

「大丈夫よ、アルド。痛くはないから。

 ただね、猫に弄ばれてこんがらがった毛糸玉は、とにかく解けそうな場所から解してゆくしかないって話よ」

 わからない。むしろ、余計にわからなくなった。アルドこそが弄ばれてこんがらがった気分である。

「もっとちゃんと説明してくれーーーっっ」

 時空を超える冒険者の悲痛な叫びが、またもや学生寮の一室にこだましたのだった。

 

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