第2話

 それは、軽快なドラミングのようだった。

 かと思えば、大地の鳴動のごとき迫力を伴ってもいる、類まれなる足音である。

 アルドは、うたた寝に意識を漂わせながら、「……来る?」と察知した。

 はたして、ものの数秒後、ドアに人型の穴を穿ったのではないかという勢いで、葡萄色の髪の少女が、部屋に飛び込んできたのである。

「ご機嫌良う、アルド!けれど、人間界の平穏なんて、所詮は儚いものですわ……

 故に、びっくり仰天のあまり堕天したって昇天したってかまいませんことよ!

 見よ!この燦然と輝くゴールデンチケットを!」

 葡萄色の長い髪を、顔の両側でたわわな房のごとく結び、中世の王女のドレスよりもフリル満載の服を普段着とする、その乙女——シュゼットは、片手を腰に当て、もう一方の手で、金色のチケットを高々と掲げたのである。

 差し当たり、この部屋の平穏はたった今、彼女によって破られた。

 ところで、部屋の主であるアルドの寝起きは、あまりよろしくない。

「あれ……シュゼット?悪い、オレ、遅刻したのか?」

 寝台から身を起こしつつも、あまりにも低いテンションで目をこすった。

 まずここは、アルドの自宅ではない。AD1100年の世界で、ひょんなことから押さえることができた、学生寮の一室である。

 アルドは本日、シュゼットたちとバトルシミュレータで鍛錬する約束があり、こちらの時代を訪れたのだが、少しばかり時間の余裕があったために、ここで仮眠をとっていたのである。

 この時代の道具である「アラーム」の使い方も覚えてセットしていたというのに、自分はうっかり寝過ごしてしまったのだろうか?

 まだぼんやりとした頭でそんなことを考える間、アルドは、シュゼットのせっかくの口上や決めポーズを、まるっと無視してしまっていた。

「ア〜ル〜ド〜っ、このわたくしを見殺しにするとは、いったいどういう了見ですの〜〜っ」

 シュゼットが、ギラリと輝く槍の穂先を鼻先へと突きつけてくれたことで、ようやくスッキリと目が覚めたアルドだった。


 シュゼットが、果たし合いではなく話し合いを選んでくれて、本当によかった。

 彼女とアルドは、壁際のテーブルセットに腰を落ち着けたのである。

 まず、彼らの本来の待ち合わせまでには、まだ時間的に余裕がある。しかしシュゼットには、一刻も早くアルドに告げたい知らせがあり、この部屋を訪れずにはいられなかったというのだ。

「実は、明後日、あのラヴィアンローズで、新人のショコラティエ向けのコンクールが開催されますの。あ、『ショコラティエ』というのは、チョコレート職人のことですわよ、念のため。

 わたくし、そのコンクールに参加するためのチケットを、再び堕天するかという瀬戸際で掴み取ったものだから、こうして知らせに来てあげたんですのよ!」

 アルドは、この時代よりも800年ばかり昔を生活の拠点としている。そんな彼に配慮した物言いを、シュゼットはしてくれた。なお、彼女が常用する設定の数々に関しては、彼もすっかり慣れっこである。

 アルドは、時空を超えた旅を続けている冒険者だ。そしてシュゼットは、彼にとっての未来であるこの世界で生まれ育った、頼もしい仲間なのである。

 ところで、「ラヴィアンローズ」なら、アルドも知っている。曙光都市エルジオンに店舗を構える、有名で大人気の菓子店なのだ。

「すごいじゃないか、シュゼット、チョコレート職人としてコンクールに参加するなんて」

「しませんわよ!」

 アルドは、心からの笑顔で賛辞を贈ったのだが、その相手から食い気味に否定されてしまい、頭上に大きな疑問符を浮かべる。

「わたくしは、チョコレートのお菓子を作る側ではなくて、試食して詩的な感想を述べる側——審査員ですの!

 芸能人の審査員を募集していたから応募したん……」

「やっぱりすごいじゃないか!芸能人として認められたってことだろう?さすが映画に出ただけのことはあるよな」

 ところが、シュゼットは、またもや槍を持ち出したのである。

「アルド、最後までよ〜くお聞きなさ〜い!認められやしませんでしたわよ、今回は!

 わたくしはまだまだ女優としては駆け出しだから、オーディションにも落っこちることのほうが多いんですの!ああ、人間界——芸能界って、なんて残酷で美しい……

 ただ、芸能人枠では落選したけれど、常連客代表として、審査員に選ばれたのですわ〜」

 シュゼットは、頬をぷっくりと膨らませたかと思うと、槍の穂先で自身の喉元を突く小芝居を披露したりと忙しかったが、結局は審査員に選ばれたということで、笑顔の花を咲かせたのである。

 そして、アルドの目の前で、金色のチケットを瞬時に二枚に増やして見せた。

 とは言っても、ぴったりと重ね合わせていた二枚を、トランプの手札のように広げただけだったが……

「さあアルド、驚きと喜びと絶望と見まごうばかりの希望が奏でるハーモニーに打ち震えなさい!あなたはわたくしのパートナーとして、一緒に審査に参加するのですわ〜!」

 アルドは、炸裂したシュゼット節を呑み込むのに、少々時間を要してしまった。

「え……いや、そんなの、いきなり言われたって無理だよ!オレはシュゼットみたいに、甘い物に目がないわけでもないし……」

「わたくしには、甘い物と人物を見る目はありますの!アルドはわたくしに幸運を授けてくれるじゃない!初めて映画に出たときだってそうでしたわ〜〜」

「いや、あれはシュゼットの実力だから!」

 そのとき、二人の頭上で、壁掛け式の大型モニターが点灯した。アルドがあれこれ慌てふためいた拍子に、卓上にあったリモコンを押してしまったらしい。

 そして、ニュース番組とおぼしき映像と音声が流れだしたのだ。

「昨夜、大手食品メーカー、アースフーズが経営するチョコレート工場が、一部爆破されるという事件が発生しました。人的被害はなかったとのことです。

 しかし、施設の復旧には時間を要し、衛生上の観点からも、アースフーズは、この工場からの製品の出荷を、当面の間、見合わせるということです」

「な、なな、なんですってーーーっっ!?」

 シュゼットは、最大風速のごとき勢いで、大型モニターの直下に移動した。

「そんな……アースフーズって……明後日のコンクールには、このメーカーが製菓用のチョコレートを提供してくれるはずですのに……」

 彼女は、声を震わせた。そして、彼女の携帯端末も受信に震えたのだ。

「コンクールの中止に関するお知らせ……」

 シュゼットは、届いたメッセージのタイトルを読み上げたかと思うと、石像のごとく固まった。

「すっごく楽しみにしてましたのに……」

 石化に留まらず、みるみる風化してルチャナ砂漠の砂と化してしまいそうだった。

「シュゼットーーーっっ」

 アルドの悲痛な叫びが、学生寮の一室にこだましたのだった。

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