第10話
そのチョコレートケーキのCMは、いかつい男たちが、黒服にサングラスといういでたちで、重厚な金庫室の周辺を警備している場面から始まる。
しかしながら、金庫室の内部には、全く趣の異なる黒い影が、どこからともなく舞い降りるのである。
まずは、葡萄色の豊かな髪がたなびき、そして、小ぶりな黒い翼が背中でぴょこぴょこと羽ばたいていることが明らかとなる。
それは、少女の姿をした悪魔だった。翼の邪魔にはならないように、背中がざっくりと開いた、黒く光沢のあるマイクロミニのワンピースを纏っているのである。
「これが、富よりも魂よりもイケてるという、人間たちが秘蔵するお宝ですの?」
小悪魔の赤ワイン色をした瞳が、好奇心を一杯にたたえて、台座に据えられた、子供の背丈ほどもあるチョコレートケーキをまじまじと見つめる。
小悪魔役のシュゼットは、まるで初見であるかのように演じていたが、実のところ、コンクールの審査員として、これと同じケーキをたらふく試食したのだった。
他の審査員から、単なるチョコレートの地層だとか、いくらなんでもカロリーが高すぎて商品化には向かないといった批判が出る中、「おかわり!」という素朴にして最高にパワフルな賛辞を、シュゼットとその相棒であるアルドが連発したのである。
それこそが、このケーキをコンクールの特別賞へと、さらには、期間限定とはいえ商品化へと導く原動力となったのである。
CMの中で小悪魔は、至福の笑みを浮かべたかと思うと、コンクールでも果たせなかった本懐を遂げた。
人間の子供ほどボリューミーなチョコレートケーキを、みるみる一人で完食してしまったのである。
そこへ、ようやく異変を察知した様子で、黒服の警備員が踏み込んでくるのだ。
「フェアヴァイレ ドホ!」
その台詞は、古典文学からの引用だ。剣に姿を変えた悪魔と、人間の騎士との攻防を描いた中世の傑作である。
ただし、添えられた字幕は、「ちょ、待てよ!」と、ずいぶんと砕けていた。
そして、古今東西、待てと言われて大人しく待つ小悪魔などいない。
小悪魔シュゼットは、唇に手を寄せて、投げキスでもするつもりかと思いきや、指先に残ったチョコレートをペロリと舐める。
「魂より美味しいですわ♡」
そして、カメラ目線で捨て台詞を決めた後、上方へと飛び去って、CMは終了する。
深く考えるべきではないのだろうが、金庫室の天井に問題があるのではなかろうか……
しかし、このCMの放映が開始された時、指摘されたのは、その点ではなかった。
例えばCGクリエイターといった、映像の創作や解析を生業とする人々が、「小悪魔が深呼吸二回分ほどの超短時間でケーキをたいらげる映像に、編集や早回しその他加工の痕跡が一切無い!」と騒ぎ立てたのである。
「COAの中間管理職」とのみ名乗るグレイヘアの男性が、「あれは本物です」などと物々しく発言したこともあって、名店ラヴィアンローズもビックリというほどに話題を呼ぶことになったのだった。
その甲斐あって、シュゼットが、アースフーズが経営権を手放したチョコレート工場のCMキャラクターに改めて抜擢されたのは、それから幾許かの月日が流れてからのことだった。
シュゼットとチョコレート工場 如月姫蝶 @k-kiss
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます