第6話
はい。私は、スラムに生まれ育ちました。おまけに持病もある。
あんな立派な工場に就職できたときには、夢なら醒めないでと舞い上がりました。
ミカエラさんが「スラムの聖女」と呼ばれていたのは、当然です。自力であれだけのチョコレート工場を起業して、スラム出身者を数多く雇用して、貧困家庭向けの奨学金制度まで創設したんですから。
夢なら醒めないでほしかったけれど……結局、悪夢に上書きされてしまった。
アースフーズが工場の買収を持ちかけてきた暫く後、ミカエラさんが突然事故死して、私たち工員は、みんなアースフーズのエイダン社長を疑いました。裏社会に依頼して、買収話を突っぱねたミカエラさんを殺したのではないかと……
結局、工場はアースフーズのものとなり、ある日、何食わぬ顔をして、エイダン社長が視察に訪れました。
大柄な男性の工員が、突然、エイダン社長に殴りかかろうとしたんです。
私は、たまたまその場に居合わせたんですが、咄嗟に、持病の発作を抑えるためのスプレー薬を取り出して……その工員の顔に噴きかけました。彼は、手で顔を庇った隙に、社長の取り巻きたちに制圧されました。
はい。私はその一件によって、エイダン社長の目に留まり、こうして社長秘書を務めるまでになりました。
ただ、スラムへの里帰りは一生できないと諦めています。聖女の仇に取り入ったようなものですからね。
私だって、ミカエラさんを悼んでますよ。でも、だからこそ、社長に取り入って甘い汁を吸い、社長の財産を1Gitでも多く消費してやるという復讐の道を選んだんです。合法的ですよね?
あの子もそうなんだと思ってました……
あの子は、私の妹同然です。血の繋がりこそありませんが。
ミカエラさんの奨学金制度はエイダン社長によって廃止されてしまいましたが、あの子は、なんとか製菓専門学校へ入学したかと思ったら、社長の息子であるダンと親しくなったんです。ダンは、経営者としての才覚は皆無だから手に職を付けろと、父親から厳しく言い渡されて、しぶしぶショコラティエを目指したようです。
ただ、後継者にはなれないとしても、遺産は相続できますよね?
あの子は、暴力を振るわれたくらいでは、ダンに食らいついて放さなかった。
そして、つい先日、チョコレート工場の詳細な資料が欲しいと、私に連絡してきたんです。ダンが、せめてあの工場だけでも将来任せてもらえるようにと、ショコラティエとして頑張るだけではなく、工場について学びたがっているという話でした。
社長にお伺いを立てたところ、思いの外、大喜びで許可してくれました。私もほくそ笑みましたよ。ダンを通じて、あの子が、より多くの金銭を入手できるようになるのではないかと……
けれど、「合成人間」たちが工場を襲ったんです!
私は、思い出さずにはいられませんでした。今から二年ほど前、あの子がアルバイトをしていた映画制作会社で、撮影用の資材の盗難騒ぎが起こったことを……
EGPDの警察官たちも、庁舎の廊下で束の間のコーヒーブレイクを楽しむことくらいはするものだ。
だが、そんな警察官たちが、手にしたコーヒーを取り落とさんばかりに慌てて姿勢を正す事態が発生した。
COAの捜査官が、予告なしに来庁したのである。
ただ、EGPDの面々に緊張が走ったのは、レンリ捜査官と並んで歩く監察官の存在によるところが大きかった。
監察官とは、不正を行った警察官を取り締まる役職なのである。
レンリと監察官は、迷い無く一室へと踏み込むと、横柄にもデスクに両足を乗せている警察官へと歩み寄った。
「やっと来やがったか。監察官殿に話を通すとは、律儀だねえ」
「オーミ班長、君が現在担当している事件と、過去に担当していた事件に関して聴きたいことがある。まずは拳銃を始めとする支給品を返上したうえで、聴取に応じたまえ。これは命令だ」
髪も無精髭も白茶けた男へと、監察官は、苦く重々しい声で宣告した。
「悪いな、監察官殿。聴取に応じるのはやぶさかじゃないが、拳銃は返上できねえ。
実は、失くしちまってなあ……」
「なんだと!」
監察官は色をなす。
「なるほどね」
レンリが、随行していた人員に目配せするや、そのうち数名が、心得たとばかりにどこかへ向かう。
オーミは、COA捜査官の落ち着き払った態度に、血走った眼を向けながら舌打ちしたのだった。
厳重な警備が敷かれた取調室へと場所を移して、先にオーミと正対して着席したのは、レンリだった。
「まずは、二年前に発生した、映画制作会社での盗難事件について話してもらいましょうか」
「結局事件化なんてしてねえだろ。被害者ヅラしてやがったやつらが、訴えを取り下げたんだからよ」
オーミは、被疑者用の椅子に身体を拘束されることには、さして抵抗しなかったが、その口調は噛み付かんばかりであった。
今から約二年前、エルジオンの一角に立地する映画制作会社が、スラムに生きる若者たちを、一度に十人以上雇用するという出来事があった。それは一見したところ、慈善的な美談のようであったが、程なくして、会社側が、撮影用資材の数々を盗難されたと、EGPDへと訴え出たのだ。
盗まれたものの大半は、人気の俳優に縁のある品々だった。しかし、それ以外にも、ボイスチェンジャーや、合成人間の外見を得られる光学迷彩のジェネレーター、そして複数種の爆発物といった、物騒な犯罪にも転用しうる資材が消えたというのである。
エルジオンの市民たちは、こぞってスラム育ちの手癖の悪さを噂し合った。しかし、自身もスラム出身であるオーミが捜査に当たったところ、資材の盗難それ自体は事実らしかったが、それ以前に、会社がスラムの若者たちを、違法に劣悪な労働環境で搾取していたことが判明したのだ。
結局、映画製作会社は、被害届を取り下げた。一方で、スラムの若者たちは悉く解雇されてしまい、ある種痛み分けのような格好となった。
消えた資材は、スラムの闇市で換金されたか、換金に失敗したのであれば地上にでも投棄されたのだろうと推定され、事件化が頓挫したことによって、犯人の特定には至らぬままうやむやとなったのである。
「俺は、解雇されたやつらに言ったさ。『信じてるからな』って。そしたら、ほとぼりが冷めた今になって、やつら、諸悪の根源たるエイダン社長に一泡吹かせてくれたってわけさ」
「つまり君は、二年前の時点で、犯罪を教唆していたと認めるのかね!」
レンリの傍らに陣取る監察官は、机に拳を打ち付けたのだった。
「オーミ班長、あなたのお話には、説得力と飛躍の双方を感じます」
レンリは、真っ直ぐに彼を見つめた。
「あなたは、『合成人間』がフェイクであると、私よりも早くに見抜いていました。しかし、そのことを明かそうとはしなかった。そして、犯人が使用した爆発物に関するデータをCOAと共有してくれたものの、『過去に盗まれた爆発物』については、最初から一切の言及を避けていた。調査すれば確実に判明する事実なのに。
これらの行動は、実行犯を庇って、多少なりとも時間稼ぎを試みたと解釈できます」
オーミは鼻を鳴らしたが、反論はしない。
「一方で、映画制作会社に恨みを抱いた若者たちの標的が、曖昧な教唆を受けただけで、アースフーズへと変更されるでしょうか?」
「ミカエラはスラムの聖女だったんだぞ!ミカエラが健在なら、奨学金制度も存続していたろうし、あんな劣悪な映画会社に搾取されずに済んだかもしれない!
それくらいは、無学な連中にだってわかるさ!」
レンリは、一つ頷いた。
「確かに、ミカエラさんは、あなたにとっては聖女であったようですね。彼女の生前、聖女に交際を申し込むのは畏れ多いからと、ボディーガードになりたいと申し出たことがあったそうじゃないですか」
(ジーリンか……)
オーミは、察した情報提供者の名を、心の中で吐き捨てた。
ジーリンは、今やアースフーズの社長秘書である。オーミとはスラム時代からの知人であることを、レンリの前ではおくびにも出さないつもりかと思いきや、結局COAに尻尾を振るとは……
ミカエラをスラム時代から慕っており、ボディーガードになりたいと申し出た男なら、少なくとも三人存在した。苦学して警察官となったオーミ、エイダン社長に殴りかかろうとしたところをジーリンに阻まれた工員、そして、進んで裏社会に身を投じたハーディーなんて野郎もいた。
結果的には誰一人、ミカエラを守ることなどできなかったが……
「あなたの教唆を彼らが汲んだと仮定しましょう。けれど、相手は、会社に搾取されたと知った途端に盗みを働くような思考回路の持ち主たちです。即物的な報酬を用意する必要があったはずですよね?」
「……どうだっけな。その辺りも、『調査すれば確実に判明する事実』なんじゃねえのか?」
オーミは、皮肉を交えつつも明言を避けて、レンリから視線を逸らす。
「私の推理では、かつて映画制作会社で窃盗を行った者たちの中で、盗品を用いて工場を爆破した人物は、ただ一人だけ。その一人だけが報酬を入手したはずです。そして、その報酬こそが、あなたが失くしたという支給品の拳銃です!
出所不明の密造品などではなく、正規の支給品……きっと大切に使おうとするでしょうね」
レンリは、ポーカーフェイスで攻める。その推理をほんの少しばかりインスパイアしたのが、実は、あの、ミミちゃんであることは、口が裂けても白状するつもりなど無かったが……
ミミちゃんは、偶然にもサブマシンガンを入手したせいで、それで戦うことに固執してしまった。実のところ、彼女の徒手空拳による攻撃のほうが、射撃よりも威力が高いことには気付きもしないまま、プリンス・トトに心を奪われて身を滅ぼしたのである。
「ご高説に酔うのも結構だがなあ、レンリ捜査官、そして監察官殿、これだけはハッキリさせておいてやるよ。
聖女の仇討ちはまだ終わっちゃいねえ!そして、全ての首謀者はこの俺様なんだってことをなあ!」
オーミは、どこか手負いの獣のように吠え立てたのだった。
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