第7話

 ダンが物を壊す音が止んだ。

 彼は、喚き散らすことまで止めてしまった。

 そして、一転して上機嫌となって、父親であるエイダンと携帯端末で通話しているのだ。それも、エイダンの方から電話してきたのである。

 最悪だ——

 ルルアは、床にへたり込んで、その様子を呆然と眺めていた。

 ここは、ルルアとダンが同居している小さな家だ。

 明後日のコンクールを中止するという連絡を一旦は寄越したラヴィアンローズから、製菓用のチョコレートを改めて準備できたため、やはりコンクールを開催するという知らせが届いた。それが、ほんの十五分ほど前。

 ダンは、怪獣が怒り狂ったかのように暴れ回り、やがて、拳や額から自分の血を流し始めた。

 ルルアは、うっかり殺されない程度に逃げ回りながら、そんな有り様をざまあみろと見物していたのだ。

 そもそもルルアは、ダンに近付くために、製菓専門学校へと入学したのだ。

 そして、一年後輩だったはずが、ダンが成績不良で留年して同学年となったころ、二人は交際と同居を開始したのである。

 ダンがアースフーズ社長の一人息子であることは、学内の皆が知っていた。しかし、粗暴な性格で、父親の後継者にもなれず、金回りも悪すぎるということのほうが一層広く知れ渡っていた。

 ダンがルルアを抱き寄せるように仕向けることは、そう難しくもなかったのだ。

 寝室は同じで、食事の準備もルルアが担当する——

 これならいつでも殺してやることができると、ルルアは、優越感を愉しんだ。

 同居に先立ち、アルバイト先で好機に恵まれて、あれやこれやと役立ちそうなものを入手できたことも、優越感に拍車をかけていた。

 その気になれば、人目を引く派手な「事故死」に追い込むことだってできるのだ。

 だって、ダンは、ミカエラさんの仇の一人息子なんだから……

 実のところ、ルルアは、ダンに殺意を抱きつつも迷いを捨てきれないでいた。ダンは、あくまで仇の子供であって、仇本人ではないからだ。

 そして、ずるずると月日が流れるうち、エイダン社長のお膳立てで、ダンはショコラティエのコンクールに出場することとなった。

 どう見ても親心だろうに、ダンは、ルルアの青い髪を掴んで引きずり回すほどに荒れ狂ったのだ。

 親父は、この俺に恥をかかせようと企んでやがるんだ!と……

 ダンが唯一望んだのは、コンクールを中止させることだった。ダンが個人的に欠場すれば済むではないかとルルアは意見したのだが、それすら、俺様一人だけが赤っ恥をかいて親父の思う壺じゃねえかと、ダンは断固拒否したのである。

 そして、ラヴィアンローズに脅迫電話をかけるという幼稚な手段を、ダンが思いついた時、ルルアもまた閃いたのだ。

 ダンが立派な犯罪者となってくれれば、躊躇わずに殺せるのではないかと。

 ルルアは、「秘蔵のコレクション」の中から、ボイスチェンジャーをダンに与えてやったのだった。

 ところが、脅迫電話を繰り返しても、ラヴィアンローズは、コンクールを中止しようとしなかった。それが、ダンに更なる罪を重ねさせるための口実となったのだ。

 ルルアは思った。かつて映画制作会社で盗みを働いた際、女優が着用したドレスなどに嬉々として手を出していた、彼女以外の連中は、やはり愚かだったのだと。

 チョコレート工場に関する資料は、ジーリンを通じて容易に入手できた。

 かつて、オーミに淡い思いを寄せていながら、ミカエラ一筋の彼には見向きもしてもらえなかった彼女は、スラムを捨て、聖女の仇に取り入っていた。だが、おかげで、かつては妹同然だったルルアの役に立ってくれたのだ。

 ルルアとダンは、自分でも驚くほどに手際よく工場の爆破を果たした後、自宅で安酒で乾杯した。

 終にラヴィアンローズから、コンクール中止の一報が届き、ダンの口から楽しそうな笑い声が溢れた。酔ったダンが、荒れるのではなく笑うだなんて、おそらく初めてだし、間違いなく最後だろう。

 ルルアは、自分の頑張りを報告するために、ダンが酔い潰れて眠った隙に、とある人物の元を訪れた。そして、最後の仕上げに使うべき、一丁の拳銃を入手したのだった……

 どうしよう。コンクール決行の知らせを受けて錯乱するダンがいい気味だったから、まだ使わずにおいてあげたのに。

 父親と電話で話すダンは、ルルアと乾杯した時よりもずっと幸せそうなのだ。

「じゃあな、親父。あとはエアポートで」

 その通話を、ついにダンは終えた。そして、透明人間とでもすれ違うように、ルルアのそばを通り過ぎたのだ。

「ちょっと!どうしたの、出掛けるの?」

 声は届いたようで、ダンは鷹揚に振り返る。

「親父と話しに行く。あんのクソジジイ、やっとこさ俺様へ財産の生前贈与をする気になりやがったらしい。

 おかげでこんなボロい家とも、安い女とも、きれいさっぱりオサラバだぜ!」

 ルルアは油断していたのだろう。ダンの膝蹴りを、鳩尾にまともにくらってしまったのだから。

「おまえなんかが二度とこの俺様に近付いたら、ゴキみたいにぶっ潰してやっからな!

 ゴキ未満のゴミをゴキ並に扱ってやるってんだから、文句ねえよなあ!?」

 そんな捨て台詞や、ドアが開閉する音を耳にしながら、ルルアは、すぐに追うことはできなかった。

 透明人間のように扱われるのは、子供のころから慣れっこだ。しかし、暴力の痛みは身体をスルーしてはくれない。涙を流してのたうち回らなければならない。

 エアポート……

 しかし、ルルアは、ダンが通話の最後に口にした言葉を記憶に留めていた。

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