第5話

 アルドとシュゼットは、COAが用意してくれた実験室へと、足を踏み入れた。

 そこは、窓一つ無い、とても滑らかな密室だった。床も壁も天井も、夜空の如く深い藍色でありながら、ところどころに蒼白の線や斑点を浮かべている。

 アルドには、それが、魔術的紋様なのか科学的回路なのかもわからない。しかし、冒険の旅を続ける中で、似たような部屋に出くわした経験なら、何度かあった。

 例えば、「庭園の島」の奥深くに隠匿されている一室だ。

 シュゼットにも意見を求めようとしたが、彼女は、実験室の中央に設置された、蓋の無いシンプルなタンクに、既に魅入られていた。グラインドを待つ天然カカオ豆が、そこに納められているのである。

「ああ、かわいいかわいいお豆さんたちよ……滅せよ!」

 彼女が早速突きつけた槍から、風属性の力が迸る。

 あまりの威力と、床の滑らかさもあって、少女自身がみるみる吹き飛ばされるように後退したかと思うと、なんと、両足の裏を壁面に密着させて踏ん張り、文字通り斜め上からタンク内に注力するに至ったのである。

 ものの見事な曲芸っぷりだ!

 そして、アルドも驚いてばかりはいられない。彼女をサポートして手数を稼ぎ、アナザーフォースの発動につなげることこそ、彼の役割だ。シュゼットという名の人間グラインダーにとって、アナザーフォースこそが、端的に言って、究極の時短術なのだった。

 


「もしもし、チーフ。

 ええ、その程度の爆発には耐えられる実験施設を押さえていただきたいんです。

 いえ、意図的に爆発させるわけではありません。ですが、風属性の力で粉末が飛散したところへ、火属性の力も加わる……つまり、粉塵爆発が発生する可能性を排除できないんですよ!」

 レンリは、シュゼットたちが身支度に奔走する間、直属の上司であるチーフに連絡して、人間グラインダーが人畜無害に活躍しうる舞台を調えたのである。

「ここへ来れば思い出す……」

 彼女は、暫し腕組みして歯噛みする。以前、任務でこの島を訪れた際、同期の同僚に上から目線で服装を否定されたことを思い出して、腹を立てたのだ。そう、ここはポイントT–412ことトト・ドリームランド——閉園して既に廃墟化した元遊園地である。中でも仮想劇場と呼ばれる、スタジアム状の開けた空間に、彼女は今、佇んでいるのである。

 幸い、今回はセティーは不在であり、前回の任務の際と同様、レンリの直属の上司であるチーフが一緒だ。COAの中間管理職である、グレイヘアの男性だ。

「チーフ……そのファッション、お気に入りなんですか?」

 レンリは、言葉を選びつつ尋ねた。彼女が、アースフーズの工場を訪ねたおりと同じ仕事着に着替えたのとは対照的に、チーフは、前回の「潜入捜査」時と同じく、ずいぶんとはっちゃけた格好で現れたからである。

 それは、ガンマ地区の広告に躍る「そうだ海へ行こう」というキャッチコピーに触発された休日のお父さん風と言うべきか、白い短パンと派手なシャツという組み合わせを基調として、ペンライト等のカラフルな小物をこれでもかとばかりにトッピングしたことにより、推しのタレントを命がけで追尾するファンの様相を呈していた。

 彼が乗りたいのは、海の波ではなく、ファンたちが引き起こすウェーブであろう……

 そうだ!あの時、レンリの服のことを上から貶しておきながら、セティーは、チーフのこのファッションについてはノーコメントだったのだ。それがまた腹立たしいではないか!

「ははは……この格好のおかげで、中間管理職のストレスが洗い流されて、身も心も若返るように思えてね」

 そう言われて、レンリの腹立ちは一気に萎んだ。かと言って、笑い返すこともできない。チーフが彼女の正義感に肩入れしたために、上層部から睨まれてしまったケースが過去にあったからだ。

「それは素晴らしいプラシーボ効果デス、ノデ!ヘッド・オブ・ヒデリイワシも信心からと言いマス、ノデ!」

 そうだ、今ここにはもう一人いる。若い女性が少々ボイスチェンジャーを使用したようなその声は、アンドロイドであるリィカのものだ。

 彼女もまた、アルドの旅の仲間であり、いずれシュゼットたちがカカオのグラインドを終えたら、その品質が所定の基準を満たすかどうかを鑑定するために待機しているのだ。

 それ以前に、人間グラインダーの熱意が爆発事故など招いた場合には、救護係として活躍してもらうことになってしまうだろうが……

 レンリが視線を送った先には、廃墟とは不釣り合いに滑らかな光沢をたたえた立方体が存在する。一般的な住宅がすっぽりと納まりそうな大きさだった。

 それは、「キュービック・ラボ」。KMS社製の仮設の実験室だ。仮設とはいえレンリが要求する強度を満たすとのことで、チーフがKMS社と話をつけて、人気の無いこの廃墟に可及的速やかに設置してくれたのである。

 そして、人間グラインダーとその相棒は、既にその内部で奮闘しているのだ。

「しかし、あの格好の二人が現れた時には、まずはギョッとして、それから『ようこそ地球へ!』と挨拶すべきかと迷ったよ。まさか、片方はアルドくんだったとは!」

 チーフは、アルドとは顔見知りなのだが、丸々とした防護服やガスマスクでラッピングされていたおかげで、リィカによる生体認証無しには、そうとは気付けなかったのである。

「そして、頭の両側にたわわな綿飴をぶら下げたほうは、シュゼットくんと言ったか?今回の主力は彼女のほうだとは、頼もしいことだな」

「チーフ、名前は合っていますし、確かにたわわでしたが、あれは髪の毛の房です。とっても綺麗な葡萄色なんですよ」

「そうか……やっぱり若さゆえの美しさっていうものもあるんだよなぁ……」

 いささかしんみりと、自身のグレイヘアを撫でたチーフだった。

「敵性勢力を検知しまシタ、ノデ!仮想劇場のエントランス付近に、個体数10を超える模様デス、ノデ!」

 やおらリィカが警告を発した。この島には人気が無いことは確かだが、魔物は出没するのである。

「あれは……トトくんか?」

 斧を構えたレンリの隣で、チーフは言った。

 この遊園地のマスコットである、カンガルーをモチーフとした着ぐるみが、両手を広げて、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、一体だけ、エントランスから姿を現したのだ。

 男の子という設定のトトくんだが、腹部には育児袋が存在している。なかなかのイクメンかと思いきや、その育児袋からは、寄生植物めいた、緑色の何者かが覗いているのだ。

 この島に出現する中では雑魚でしかない、パラサイト・トトという魔物だった。

「一体だけ……さては、斥候だな?」

 チーフは、言うが早いか、「うおおお!」と雄叫びをあげて、単身、猛進したのである。

 そして、丸腰でのたったの一撃でパラサイト・トトを粉砕した!……などという奇跡が起こるはずもなく、むしろ、雑魚魔物にジャンプキックをお見舞いされたチーフの体は、秋の木の葉のごとくひらり、くるくると宙を舞って、スタート地点よりも後方へと、ずべしゃと着地したのである。

 レンリにとっては、既視感に満ち溢れた光景だった。

「どうだ……我々の戦力を過小評価させてやったぞ!」

 駆け寄り、安否を確認した部下へと、未だ起き上がれぬグレイヘアの指揮官は、意外にもサムズアップして見せたのだった。

 戦闘はまるでダメな彼なりの戦略だった……というのか?

 一方、パラサイト・トトは、あっさりと背を向けると、エントランスの方へと戻って行った。

 レンリは追わない。エントランスの向こうには、敵の群れが陣取っていることがわかっているのだから。

「チーフさん、『どうだ』ということデス、ノデ、只今の後方伸身宙返りを採点規則と照合しマス、ノデ。あ、やはり着地が大きく乱れたことが、第一の減点対象デスネ!さらに、加齢に由来する柔軟性の低下や、関節の可動域の減少が観測され……

 ハッ!?どうしたのデスカ、チーフさん。パワーヒール照射中にもかかわらず、体力ゲージがジリ貧デス!」

 リィカは、将来的にはヘルパーアンドロイドを目指しているらしいのだが、その前に、言葉責め……もとい、言葉の暴力という概念を学ぶ必要がありそうだった。

 チーフは、今にも吐血しそうな風情で、他意のなさすぎるアンドロイドを、じとりと見やった。

「それはさて置き……頼むからさて置いてほしいのだが……実は今回、きみたちが魔物と戦闘する際には援護をしたいと考えて、それ相応の武器を手配したのだよ。ドローンでここまで届けられるはずなんだが、遅いな……」

「チーフ、それってもしかして……複数の砲身を備えた、サブマシンガンではありませんか?」

「その通りだが……なに!?どうしてわかったのだ、レンリ捜査官!」

「今、ミミちゃんが持って来てくれたからです」

 ようやく半身を起こしたチーフも視認した。エントランスから、ピンクの兎——この遊園地の第二のマスコットキャラである——の着ぐるみが、これ見よがしにサブマシンガンを構えて入場してくるのを。

 その周囲には、まるで取り巻きのごとく、十体以上のパラサイト・トトたちが付き従っていた。

 あたかも、裏社会の姐御のごとき風格である。

 レンリは、かつて初めてミミちゃんと遭遇した際、単なる兎の着ぐるみだと思い込んでいたのだ。

 ところが後日、アルドの仲間としてこの島の探索に付き合ったところ、実は、この廃墟に巣食う魔物たちの中では最強であり、しかも、一度倒しても何時間かたてば復活する厄介な存在であると判明したのである。

「やーーーっといなくなったと思ったのに、まーーーた現れたのね、悪者め!」

 ミミちゃんは、女児が癇癪を起こしたように声を張り上げた。

 今日も今日とて、見慣れぬドローンをはたき落としたら、物騒な貨物を発見したので、悪いよそ者をやっつけるべく、兎の姐御はお出ましになったというところだろう。

 しかし、レンリたちは、唯々諾々と駆逐されてやるわけにもゆかないのだ。

「この島から出てけーーーっ!みんなで棺桶に入って出てけーーーっ!」

 やたらとシビアな要求を突きつけながら、ミミちゃんは、サブマシンガンをぶっ放した。

「カタストロフ・モード起動!」

 リィカは、すかさず味方二人の前へ出て、汎用性の高いシールドを展開する。

 しかしレンリは、その庇護下からすぐさま離脱した。そして、ミミちゃんを取り巻くパラサイト・トトたちへと、次々と斬りかかったのだ。

「トトくんたちに何すんのーーーっ!この通り魔めーーーっ!」

 通り魔呼ばわりは心外だが、サブマシンガンの標的がレンリに絞られたことは、彼女にとって好都合だった。しかも、ミミちゃんは、パラサイト・トトたちが被弾することには躊躇いを感じるらしい。

 やがて、パラサイト・トトが三体がかりで、レンリを取り押さえようとした。

 ミミちゃんからは、レンリの姿が見えなくなった。

 そしてレンリには、サブマシンガンの射撃音が聞こえなくなったのである。

 だから、レンリがトトたちをまとめて踏み台にして跳躍しても、彼女の斧がミミちゃんの脳天にめり込むまでの間、被弾せずにすんだのだった。

 レンリは、踊るように軽快な身のこなしで、二度三度とミミちゃんに斬りつけた。

 その後一転して、全速力で戦場からの離脱を試みたのである。

 どうやら、小型の円盤状の爆発物をばら撒くという、真の目的には気付かれずにすんだようだ……

「今よ、リィカ!」

「承知しマシタ。いよいよ安全装置を解除する時がやって来たようデス、ノデ!」

 アンドロイドの両眼が、赤く危険に底光りする。

「ノデデデデーーーイッ!」

 リィカは、愛用の槌を構え直したかと思うと、ハンマー投げの選手よろしく自身ごと回転して勢いを乗せて、投擲したのである。

 アンドロイドならではの緻密な演算に基づき、狙い定めたのは、ミミちゃんの「頭上」だった……

「もーーーっ!なんなのよーーーっ!」

 ミミちゃんは、飛来するハンマーを狙撃する。

 そして、ピンクの兎の直上で、安全装置を解除されたハンマーは、薬玉よろしくパッカンと開くと、中身をぶち撒けたのである。

「キャーーーッッ!?」

 可燃性の粉末が降り注ぐ中、ミミちゃんは、単に目潰しを食らったとでも思ったのだろう、サブマシンガンの乱射をやめない。

 やがて、小さな爆発音が一つ。それは、瞬時に連鎖的に誘爆して、辺り一面を火の海へと変えたのだった……

「ウフフ……説明しマショウ、チーフさん。ワタシのハンマーには、粉末状の医薬品がワンサカ詰まっていたのデス!ワタシは人間やエルフの魔法使いではありマセン、ノデ、戦闘中の回復は、もっぱら医薬品に頼りマス!それが可燃性であったため、粉塵爆発を誘発したのデス!」

 リィカは、キュービック・ラボの陰にチーフを担ぎ込んで、得意げに語ったのである。仮設の実験室とはいえ、粉塵爆発から身を守る遮蔽物としては、確かに充分すぎるほどの強度だった。

「そうね。そして、私がばら撒いたディスクボムが、爆発の威力を増大させているはずよ」

 レンリも無事に遮蔽物の陰へと回り込んでいた。

「……仮に、これでもミミちゃんを倒せなかったら、絶賛フル稼働中の原子炉の扉を開け放つような真似をしなければいけないわけだけど……」

 チーフが設置してくれた仮設の実験室には、仮設ゆえの瑕疵があった。内部と穏便に連絡を取る手段が存在しないのである。

 ミミちゃんを倒しきれないので加勢してほしいと、アルドやシュゼットに頼むとしたら、実験室のドアを外部から強引に開くよりほかにないのである。

 外界から隔絶されて、こうしている今まさにアナザーフォースの嵐が吹き荒れているかもしれない禁断の小宇宙を……

 やがて、爆発は沈静化した。

「メインターゲット、大破しマシタガ、現場に残存していマス!」

 レンリは舌打ちした。

 パラサイト・トトたちはことごとく燃え尽きた。しかし、ミミちゃんは、頭をパックリと斬り裂かれ、表面のそこここが炭化しながらも、消滅はおろか活動停止にすら至っていなかったのである。

「トトくん、どこーーーっ?独りはイヤよーーーっ!」

 迷子のごとく叫びながら、地響きするほど地団駄を踏んだではないか!

 キュービック・ラボの陰に三人が隠れていることには気付いていないようであるが……

「大破と認定するには元気すぎマス。敵ながらアッパレデス、ノデ!」

「チーフ、こうなったらアルドとシュゼットに応援を……」

 腹を括って具申したレンリだったが、チーフはなぜか、黙って空を指差したのである。

「なぁっ!?うわぁ……」

 チーフが指差す先を見やったレンリは、言葉にならない率直な声をあげた。

「ミミちゃん、いったいどうしたんだい?」

 地団駄を踏むピンクの兎へと、天上よりその声は降り注いだ。

 いつのまにか、純白の天馬に跨って、カンガルーの着ぐるみが滞空していたのだ。

 真紅のマントを翻して、育児袋には、豪華な薔薇の花束を挿して……

「僕はプリンス・トト。ミミちゃんのことを迎えに来たんだ!」

 そして、人間ならば前髪が生えている辺りをかきあげる仕草をしたのである。

 仮設実験室の陰では、レンリが腕を組みながら、自身の肩の辺りをさすっていた。

「なんだか寒いわ……あいつ、ボイスチェンジャーを使っても、喋り方エトセトラは普段のまんまじゃない!」

 ボイスチェンジャー以前に光学迷彩をフル活用して、魔物の王子様に化けているわけだが。ついでに、空陸両用の空飛ぶバイクを、天馬に見せかけているのだろう。

 レンリには、同期の同僚約一名のことを、「あいつ」呼ばわりする癖があった。

「ミミちゃん、どうか悲しまないで。敵は消えたよ。

 さあ、涙なんて置き去りにして、僕たち二人だけの夢の世界へ行こう!」

 プリンス・トトは、両腕を広げた。

 典型的には、お姫様の傍らに跪き、手を握るなどすべき場面だろうが、触れられては光学迷彩による偽装がばれてしまうため、天上での一人芝居が続いていた。

「言っておくが……私はごくシンプルに応援を要請しただけであって、ああいった芝居を要求したわけではないからね」

 レンリの隣で、チーフの口調は、どこか言い訳がましかった。

「これではキュン度は測定不能デス!モチロン低すぎるという意味デス、ノデ!」

 天馬の王子様に関する下馬評は芳しくはなかったが、やがて、三人の耳をつんざくように甲高い声が響き渡った。

「プリンス・トトちゃまーーーっ!プリティー・ファビュラス・ゴージャス・プリンセス・ミミちゃんが今行くわーーーっ!」

 ミミちゃんは、天上めがけて、諸手を突き上げて宣言したのである。

 丈夫なはずの仮設実験室が、ガタガタと揺れた。物陰で三人組がずっこけたせいだった。

 天馬の王子様は、くるりと向きを変えると、仮想劇場の外へ向かって、ゆっくりと飛行する。

 プリティー(中略)ミミちゃんは、もはやサブマシンガンをも置き去りにして、彼を追って跳ねて行ったのだった。

 彼女がエントランスを出て暫くたったころ、爆音と共に巨大な火柱が立ち昇った。

 セティーのことだ、大方、自作の支援用ポッドに、普段よりも強力な爆弾を搭載して自爆させたのだろう……

「自戒を込めて胸に刻むよ。ハニートラップにどはまりした者の末路は、おおよそあんなものだ」

 セティーの応援によって窮地を脱したものの、やけに神妙な表情で、チーフは言った。

「チーフ……もしかして、死ぬほど痛い目に遭った経験がおありなんですか?」

「ほあ!?いやいやいや……」

 その時、携帯端末が鳴ったから、レンリは、チーフへの追撃を諦めた。

 会ってお話したいことがあります——

 それは、少々意外な人物からの連絡だった。

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