Lost Soul ~託す想い~

南条

プロローグ

 とある囚人の手記より 



 人は自らの命の終焉を迎えた時、一体何を想い返すのだろう?


 過ぎ去った過去に対する後悔……?


 もしくは犯した罪に対する懺悔……?


 楽しく過ごしたであろう日々への執着……?


 はたまた愛しい人への想いか……?




 今となってはそれらを振り返る猶予などは残されていない。


 

 





王都 王宮 地下牢獄(夢)





 暗くジメジメとした石作りの牢獄。

 錆びついた鉄にこびりついた赤黒い血痕が、この場所での数々の囚人の顛末を悠然と語っているかのようだ。

 粗末な藁のベッドに、吐き気を催す異臭の漂う桶。

 まるで、希望を与えるかのようにぽっかりと空いた天井付近の窓。

 どんなに手を伸ばそうと届くことのないそれに、ある者は絶望し、ある者は歓喜し、それぞれ違った結末を迎える事になったであろう。


 じゃらじゃらと手足を拘束する鎖の枷は、今、私と現世をしっかりとつなぎとめている証に他ならない……。擦り切れ、皮膚が赤くただれようとしているが、誰も気に留めたりはしない。

 囚人が明日まで持たなくとも、彼等には何の問題もないのだ。


 何故なら――



 明日には、この痛みも、鎖の重さも、桶の異臭も……全てが消えるのだから。


「カシム……」


 顔を上げる気力もなかった。

 度重なる拷問と侮蔑に晒され、生きる気力はほとんど消えている。

 だが、私を呼びかけるこの声が聞こえている間だけ、意識はまだ現世に留まることを許してくれるかのようだった。

 

 ゆっくりと鉛のように重い瞼をこじ開けていく。


 そこには――




 色が溢れていた。

 


 金色……白……黒……赤……蒼……。

 

 懐かしい色合いに彩られた光景は、今の私には眩しすぎる記憶。


 脳裏に写るのは一人の少女……苦楽を共にし、励ましあい、危機を乗り越え……そして――憎しみあった。


「どうした……お前が、ここに来るなんてな……」


 ようやく見上げる事ができたその表情を私は永遠に忘れないだろう。


「……」


 何かを訴えるかのように開く口元。

 蒼色の瞳が真っすぐにこちらを見つめてくる。

 健康的な肌を覗かせる腕……まるで許しを請うかのように、檻の隙間からそれは入ってくる。

 だが、届くことはない……私はもう疲れたのだ。


「……っ!」


 何かを必死に訴えかけているが。

 まるでもやがかかったかのように見えにくい……耳に水が入ったかのように遠い。

 


 良く聞こえない……


 音を求めるように地面を這いずる。

 まるでその姿は亡者のように……ズルズル、ズルズルと……爛れた皮膚が痛み、床にはうっすらと血の痕が出来上がっていた。

 


 ようやく檻に指がかかった時。


 そっとその手を――暖かく柔らかい感触が包んだ。


 懐かしい……覚えている、この感触……。

 傷口に染み渡る春のように暖かい雨……。



「……ティ……」


 掠れ行く意識の中、ただ愛しいその名を呼んだ。


 



 帝国領内


 帝国『王都』平民街 カシムの屋敷






 ゆさゆさ……




 ゆさゆさ…………




「兄……様……」


 耳に誰かを呼ぶ声が聞こえる。

 ふわふわとした感触に包まれ、意識ははっきりとしない。

 まるで羽毛の中を漂っているかのように暖かい……この温もりの時間を抜け出したくない。


「兄様……起きてください」


 ゆさゆさと体を揺さぶられていることにようやく気が付いた。


「んっ……」


 もう朝か? とまだ開かない瞼を懸命に擦りながら、硬直した体を解していく。


「兄様……」


 まだぼやけた視界に特徴的な金色が見える。

 

「……おはよう、レティリス」


 慣れ親しんだその名を口にした途端、先ほどの夢の光景が蘇る。

 ぼやけたように霞んだソレは、はっきりとした形を成そうとしないが、今見た光景と重なるような錯覚を覚えた。


「……」


 小さく頭を振ると、ようやく意識がはっきりと繋がった。


 今が現実だと理解した途端に、不思議と視界がぼやけた。

 頬を一筋の涙が流れ、ぽたり、とシーツにシミを作った。


「兄様?」


 心配そうにこちらを覗き込むレティリス義妹、蒼と赤の瞳がこちらを真っすぐに覗き込んでくる。

 私は彼女の頬に手を添えた……白い肌は柔らかく、暖かい。

 開け放たれた窓から入り込む悪戯な風、金色の巻き髪が風に遊ばれ、私の鼻先をくすぐる……春の、匂いがした……


「大丈夫だ……」


 妹は私の手にそっと触れながら、こう言う。


「おはようございます。カシム兄様」


 

 

 私達の――物語が始まる。



 


 



 トントントン……


 キッチンから聞こえる音は、どうしてこうも食欲をそそるのだろう?

 規則正しく食材を刻み……グツグツと鍋で煮る音、香ばしいパンの焼ける香り。

 全てが眠りから覚めた身の腹にとっては、刺激的で甘美な誘惑だ。


 鏡の前で身だしなみを整える。

 一日の始まりはやはり身だしなみを整える事からだ、騎士である義理の父も、口うるさくよく言っている。

 若干癖の残る髪の毛を梳かし、ただ下ろしただけの髪型は楽でいい。

 全部後ろに梳かせと言われるが、妹に「誰?」と言われてからやらなくなってしまった。


「ふふふっ……嘘。兄様の事なら、どんな姿になっても分かるよ」

 

 妹は悪戯っぽく舌を出していた。

 ホッとすると同時に、もっとよく顔を合わせておこうと心に決めた。


「兄様~朝ご飯できました~」


 リビングから妹の呼ぶ声が聞こえる。




 朝食を終え、二人して屋敷を出る頃には、一時間ほど経過していた。


「兄様。いくら急いで行かなくていいからって、ゆっくりしすぎですよ」


 兵士の出で立ちに着替えたレティリスは、まるで子供を叱るように指を差して窘めてくる。


「そんなに慌てなくても大丈夫だよ」


「私は、兄様と違って色々とやることがありますの!」


 足早に王宮へと向かって走っていくレティリス。

 

 絢爛豪華な王城の影から往来を照らす陽光……遠くで鳴り響く教会の鐘の音を受け、一斉に飛び立つ鳥達。

 行き交う人々の喧騒をメロディに、石畳の道を歩き始める。




帝国領内


帝国『王都』王宮 王の寝所



 


「国王陛下、本日もご機嫌麗しゅうございます」


 格調高いキングサイズベッドに横たわる初老の男性。帝国国王『アルガス』

 

 齢四十にて、敵対するモンスターを蹴散らし、貧民にパンを与え、帝国の基盤を一代で築いた英雄王である。

 その強さは千の兵にも匹敵すると言われ、王の率いていた帝国重騎兵団は、騎士団髄一の機動力を持つ精鋭として、帝国の象徴となっている。

 だが、先に起きた亜人国との『奴隷解放戦争』にて、負傷し、現在は床に伏せていた。


「おお……カシムよ。今日も元気そうで何よりじゃ……」


 齢六十を迎え、すっかり衰えになられてしまった。

 毎日謁見しているとはいえ、日に日にやつれていく姿は見るに堪えない。

 私や父上が憧れた騎士のあるべき姿、英雄王アルガス。

 

「陛下、ご無理はなさらずに養生くださいませ」


 よわよわしく差し出された手を取る。


「お父様。あまりカシムを困らせてはいけませんよ」


 背後から凛とした声が響く。

 腰まであろうかという、銀色の巻き毛に漆黒のドレス…絵に書いたような美貌を漂わせる淑女……王女『アリシア』である。

 灰色の瞳は、全てを見通すかのように美しく、小顔で整った顔立ち……魅力的なボディライン。

 どんな男でも振り向かずにはいられないだろう。


「王女……ご機嫌麗しゅうございます」


 そっと、王の手をベッドに戻し、椅子から離れ跪く。

 

 騎士と王女としての忠誠の儀式である。

 

「畏まらずとも宜しいのですよ、カシム」


 王女はそっと、手を差し出し、白く柔らかな細い指が頬をなぞった。

 

「はっ……」


 立ち上がり、王女の脇へと退くと、入れ替わるように王女が陛下の傍へと歩み寄る。悲しげな表情のまま、陛下の手を取り、ゆっくりとあやすように寝かしつけている。


「いつも……すまぬ……アリシア……」


 疲れ果てたのだろう。陛下は眠ってしまわれた。

 柔らかな上掛けを掛けなおす王女の仕草は手慣れたもので、知らない者が見れば、年齢の離れた夫婦のように見えてもおかしくはない。




帝国領内


 帝国『王都』 王宮 謁見の間




 絢爛豪華な装飾が施された謁見の間。

 玉座へと続く赤い絨毯は塵一つなく、厳かな雰囲気の中、空席の王座の隣に王女が腰かけている。

 その側面に位置し、王女を警護するのは帝国近衛騎士団団長『聖騎士ホーリーナイトライアス』だ。


 姿勢を正し、一部の隙も見せずに威風堂々と立つ壮年の男性。

 見る者を畏怖させるほどの鋭い眼光、その身からあふれる騎士としての最高位、聖騎士としての威厳……それに裏打ちされた剣の実力。

 白のサーコートに白銀のプレートアーマー、背面で梳かれた黒髪……身長はかなり高く私でさえ見上げがちになる。

 

「カシムよ。王女よりお話しがある。心して聞け」


 緊張感の走る声だ……義理の父とはいえ、公の場、一人前の騎士と認められてからは、ずっとこのような態度だ。

 妹にはあんなに甘いのにな。




「父様……また、うたた寝して!」



 王宮での激務の合間に、フラっと父上は帰宅される。

 その度に、寝室にも行かずに暖炉のある居間で眠ってしまうため、妹が風邪をひかないか、いつも心配していた。


「うーん、レティよ……父さんは眠いんだ……お願いだ、ここで寝かせておくれ」


 王宮での威厳など、空に浮かぶ月に吹っ飛んで行ってしまったかのようである。


「もうっ……仕方ないなあ」


 頬を膨らませながら、父上に毛布をかけるレティリス。


「ありがとう。愛してるよレティ」


 差し出された手を取り、鼻の下に生えた自称『ダンディー』な髭を押し付けるように頬ずりしている。


「お髭がくすぐったいよお……」

 

 クスクスと笑いながら、優しく父上を見守るレティ。

 安心したように眠ってしまう父上……いつもの光景である。




 あまりのギャップに思わず頬がほころびそうになるが、グッと堪えた。

 




「カシム……任務があります」


 



 気持ちを正し、王女の言葉の続きに聞き入った。






「国境騎士団からの連絡が……途絶えました」




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