第6話 妹の旅立ち

「貴様達……姫様に危害を加えたこと、その命を以て償うがよい」


 ライアスの放つ威圧に亜人達はすくみあがっている。

 味方だということは分かっていても、ライアスの実力を初めて目の当たりにし、私の背筋にも冷たいものを感じる。

 それほどまでにかの聖騎士の力は強大に感じられた。


 刃の切っ先が裏路地に差し込む陽光に照らされ、キラリと輝く。

 ジリジリとすり足で逃げ出すチャンスを伺う亜人達。

 逃すまいと圧を強めるライアス。

 

「お前等、ここは退け……こいつは俺が相手をする」


 裏路地の奥、影になっている場所から、気配を感じさせずにスッと長身の亜人が現れる。


「むっ……」


 ライアスが相手の亜人の実力を警戒したのか、目を細めている。


「ボ、ボス。分かりやした」


 亜人達はボスと呼ばれた男の現れた所から一目散に逃げだしてしまう。


 私とカシムがいるために、ライアスは賊を追えないのだ。

 追えば、ケガを負い動けないカシムと私は捕らえられ、最悪、王国が危機に陥る結果になってしまう。


 私は自らの行いを初めて悔いた。

 浅はかな考えのない行動をとった事を呪った。

 出来ることなら今朝に戻って自分を平手打ちしてあげたい。


 が、起こってしまったものは仕方がない。


 私はどうなってもいい。

 だけど、カシムだけは守ってあげたい。

 彼だけは誰にも渡さない。

 

 彼がいなければ、私は生きる意味を見失ってしまう。

 

 ――


「フン、手間をかけさせてくれる」


 ボスと呼ばれた男は悪態をつきながら、手にしたショートソードの切っ先をライアスに向けたまま、こちらを見据えている。

 

 ふと、亜人の男と目があった。


 思惑を読み取るなんて事はできないが、こちらを見つめて不意に男の口の端が吊り上がった。

 私を見て笑ったのかと思った。

 それなら、なんてことはなかったのだが。

 彼の視線は私の下で痛みに苦しんでいるカシムに向けられているのだと気づいた。

 

 そう――彼はカシムを笑っているのだ。


 とても許せるものではなかった。

 

 私の為に怒り、戦い、名誉の負傷をしたカシムは賞賛されこそすれ、侮蔑される言われはない。

 私に力があるのなら、今すぐにでもこの男を八つ裂きにしてやりたい。


 そんな猛烈な殺意が心を支配し、男を睨みつけていた。


「そんな怖い顔をされては、美しい顔が台無しですよ」


 ニヤニヤと笑みを浮かべながら男はひょうひょうと答える。


「貴様の相手は私の筈だが? 」


 ライアスが素早く間合いを詰め、男の剣を弾く。

 弾かれはしたものの、体制を崩すことなく後方に跳躍した男はスッと降り立つ。

 まるで背中に羽でもあるかのような、身のこなしだ。


「おっと、聖騎士様の剣は重いなあ。迂闊に近づくと一瞬で殺されてしまいそうだ」


 ケラケラと小馬鹿にしたように、肩をすくめる男。


「貴様は、ここで始末する。逃げた者達には既に追っ手もかかっているぞ? 」


「ご冗談を。貴方一人で来たのでしょう? もし追っ手なんているのなら、そこを動かないなんてことはしないはずだ」


「姫様にはカシムがついている。賊程度なら、カシムだけで事足りるわ」


「ククク、その賊に致命傷を負わされたそこの子供に何を期待しているのやら」


「……」


 私の胸元でカシムが唇を噛みしめているのが良く分かった。

 悔しさで体がブルブルと震えているのを感じる。

 私は傷口に触れないようにそっと抱きしめた。


「徒党を組まねば何もできない貴方達とは違いますわ。カシムは一人でも立ち向かいますもの」


「では、その時を楽しみにしておきましょう。カシムといったか、王女様の賢明な殺意に免じて命は見逃してやる」


 男は影に溶け込むようにゆっくりと路地の奥へと入り込んでいく。


「貴様、逃げるのか? 」


 ライアスが挑発するも、男はケラケラと笑いながら答える。


「聖騎士様と一対一で戦うほど、俺はバカじゃあない……だが、いずれ決着はつけてやる。ま、楽しみに待っていろ」


 男は路地の影へと溶け込むように完全に消えてしまった。


「あやつめ……」


 完全に気配が消えたのを見届けたライアスは剣を鞘に納め、こちらに屈みこんだ。


「姫、お怪我はございませんか? 」


「ライアス、私は平気です。それより、カシムを急いで王宮まで――」


「分かっております。カシム、もう少しの辛抱だ。痛むかもしれんが、抱えるぞ」


 ライアスが痛みでグッタリとしたカシムの身体を抱え上げる。

 そんなカシムを見つめながら、私もそれに続く。


「さあ、姫。私から離れないでください」


 私達は裏路地を抜け、往来へと出た。

 血まみれの少年を抱え上げる王国聖騎士を何事かと見つめる国民達。

 如何に自国民とはいえ、カシムを見世物にしているようで良い気はしない。

 

 私達は好奇の視線を避けるように足早に王宮へと戻った。





王都 王宮 王女の寝室 テラス



 

 ネグリジェの上から感じる外気の冷気に身を震わせた。

 どうやら物想いに耽りすぎていたらしい。

 カシムは暖炉もないあの冷たい地下牢獄にいるのだ。

 それを思うとこんな寒さどうって事なく思えてくる。

 

 どうにか彼を助けてあげたい……だけど、どうすれば。


 しばらく思考に耽っていると、とんでもない考えが脳裏を過った。


 私は急いで寝室へと戻ると、召使いをベルで呼んだ。




王都 王宮 謁見の間



 明朝、姫様に突然呼び出された。

 兄様は未だに牢にいるというのに、何も出来ない自分が歯がゆい。

 朝、いつものように兄様を起こしに行こうとして、誰もいないベッドを見つめて気づくポッカリと空いた心の隙間。

 今までどれだけ兄様の存在が大きかったかを思い知る。

 朝食をいつもと同じように作ってしまい、結局食べきれずに処分する羽目になった。

 私は一体どうすればいい……

 自問自答するも、答えを出せるのは恐らく姫様だけだろう。

 陛下がまつりごとを執り行えない以上、陛下の実子で王国一の才女と言われる姫様以外にはいまい。


「レティリスさん。お待ちしていました」

 

 玉座に腰かける姫様はいつもと変わらない……が、隣に佇む父様の表情は若干曇っているように見える。

 

 私が呼ばれた事を知らなかったのだろうか?


「お呼びでしょうか? アリシア王女」

 御前にて跪き、次の言葉を待つ。


「今日、貴方をお呼びしたのは他でもありません。カシムについです」


「! 」


「彼の立場は現在、非常に好ましくない状況です。彼を釈放するには真犯人を明らかにする必要があります」


「……」


 父様は黙って姫の発する言葉を見守っている。


「騎士見習いレティリス。貴方に騎士ナイトの称号を授けます。その力を以て事件の真犯人を見つけ出しなさい」


「姫様!? 」

 父様が驚きのあまり声を上げている。

 無理もない、父様が声を上げなかったら、私が声を発していた事だろう。

 何故、見習いの私に騎士の位を授けてまで……姫様の真意までは分からないが、私にとっては願ってもないチャンスでもある。

 

 兄様の為に事件の真犯人を追うチャンスを与えてくれるのだ。

 どんな狙いがあるにせよ、断る理由にはなり得ない。

 見習いではなく正式な騎士ともなれば、自国内、または隣国への調査へ出向く権限が与えられる。


 もちろん、他国への配慮をした調査であって、事は秘密裏に行わねばならない為、あくまで旅の冒険者などを装う事になる。

 王国の冒険者ギルドの発行する冒険者の証を携帯せねばならないだろう。


「私如きに過分な位を授けて頂き、ありがたき幸せ――その任、謹んでお受け致します」

「レティリス!? いかん、この案件は危険が大きすぎる。お前が出向くことはない、私が行くまでだ。姫、何卒、ご再考を……」


 父様……。

 ぎゅっと胸の前で手を握りしめる。


「ライアス、それはなりません。今、聖騎士である貴方が国境——ひいては、亜人国に踏み込もうものなら、それこそ戦争の火種になりかねません。我々は先の奴隷解放戦争を終えたとはいえ、まだ傷は癒えておりません。ですが、かの国に顔を知られていない彼女なら、何の問題もないでしょう」


「しかし――」


 なおも父様は食い下がるが、王女の決断は揺るがない。

 玉座からスッと立ち上がるとドレスの裾を揺らしながら、こちらへと歩を進める。


「騎士レティリス、国境の村で起きた事件の調査を命じます。見事、犯人を見つけ出し、生きて捕らえるのです」


「——はっ、仰せのままに」


 私は立ち上がると父様を見つめた。


「父様……私は父様の子です。必ず無事に生還してみせます。ですから――兄様の事、宜しくお願いします」


 深々と頭を下げ、決意を固めるように踵を返す。


「レティリス……必ず、生きて戻るのだぞ」


 背中にかかる父様の声。

 痛いほど伝わってくる実の娘を送り出す不安感。

 胸の奥がズキズキと痛むが、こんな事でへこたれていては、事件の犯人を捕まえる事なんてできやしない。

 迷いを振り切るように私は謁見の間を後にした。


王都 王宮 兵舎


 兵舎はいつも通りの姿を映し出していた。

 談笑する兵士達に交じって時折、女性騎士の姿も見える。

 本来なら、私もここにいる人々の輪の中にいなければならないのだが、今は姫様の秘密任務の為に、素性を隠さねばならない。

 騎士の位を得たとしても、公的には私は騎士見習いでしかないのだ。

 

 私の姿を見つけたらしい一人の騎士が声をかけてくれる。


 騎士というよりは魔術師といった風の出で立ちだ。

 複雑な文様の描かれた黒のローブに頭をすっぽりと覆うフード。


「——レティ」


「レミア……」


 フードを取ったそこには、茶色の長髪をなびかせ、こちらへと微笑みかけてくれる女性の姿があった。

 切れ長の瞳は鋭く――だけど、キツさを感じず、端正な顔立ちと透き通るような素肌……潤いを帯びた唇は並の男はおろか、女性ですら魅了するほどである。

 ボディラインはローブ越しでも分かるほど整っており、男女どちらでも通ってしまいそうだ。


「どうかしたの? 」


 レミアがこちらを覗き込むように声をかけてくれる。

 男装すれば、立派な男性に見える程の美形がこちらを覗き込むのだ、心臓の鼓動が聞こえるんじゃないかと思うほどドキドキしてしまうのは彼女と接する時の難点と言えるだろう。


「ううん……レミア。私これから任務で町を出ることになりそうなの。もし、貴方さえよければ、兄様の様子を時々でいいから、見ていてほしい」


「カシムさんの? でも、レティ貴方はどこへ? 」


「私にはやらなきゃいけない事があるの。ごめんなさいレミア」


「……」


 レミアはこちらを真っすぐに見つめてくる。

 しばらく見つめあった後、何かを察したかのようにレミアが口を開く。


「分かった。レティ。なら、私も付いていく」


「駄目よ。貴方には魔導兵団長の任があるはずでしょ? 」


「副団長がいるから大丈夫よ。それよりも貴方の事が心配だわ。ダメって言われても行くからね」


 こうなったレミアは頑固だ。

 私は諦めると同時に何だか少しホッとしていた。

 やはり、一人で未開の地へと赴く事になることに少なからず不安を感じていたらしい。


「分かった。じゃあ、レミア。宜しくね」


「ええ、レティ。必ず守ってみせるわ」


 これは秘密の任務だ。

 内容はレミアにも明かせない。

 彼女を巻き込む形になってしまうがやむを得ない。

 どの道、私一人では調査にも限界はあった。


「じゃあ、行きましょう」


 レミアは副団長宛のメッセージを魔法に載せて飛ばすと、私の後を付いて兵舎を後にした。

 

 兄様……必ず、貴方を救って見せます。

 だから、もう少しだけ……待っていてください。


 時刻は真昼を迎えようとしていた。


 

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