第5話 騎士と姫

王都 王宮 謁見の間



「カシムを投獄するって本当なのですか!?」


 静寂に包まれた謁見の間に響く女性の声。

 褐色の女騎士の言葉だ。


「エレノア、王女の御前だ。控えろ」


 王女の隣に立つ聖騎士の言葉に、エレノアは怯むことなく王女に訴える。


「アリシア王女! カシムがどれだけ王家に忠実な騎士か……それは、貴方もよく知ってらっしゃるはず!」


「よせ、エレノア。お前まで投獄されるぞ」


 隣で跪く小柄な森人が窘めるが、彼女の訴えは止まらない。


「そんな事、関係ない! アタシは投獄されたって構わない! カシムが無実の罪で投獄されるって言うのなら、アタシらだって同罪よ!」


「エレノア!! それ以上言うな――」


 腰の剣に手をかける聖騎士の手は震えていた。

 彼女には分かった……彼とて、自らの息子同然のカシムを信じていないわけではないのだ。

 ただ、立場という物に縛られ、大っぴらに庇うこともできない自分に憤っているのだと。


「ライアス団長……」


 その様子を見た褐色の女騎士は俯いてしまう。


「エレノアさん……私とて、カシムを信じていないわけではありません」


 そう、信じていないわけではない。

 むしろ、カシムの事は誰よりも信頼している。

 だが、私の立場上、事実を踏まえた決断をしなくてはならない。

 今回の事件……生存者はカシム一人だ。

 彼の配下も神殿騎士団も全滅……レティリスとハリー達が駆け付けた時には、彼だけが血だまりの中、横たわっていたという。


「ですが、カシムだけが一人生存し、なおかつ村の騎士団や民を惨殺した痕跡を見過ごすことはできません」


 そう、村人を含め駐留騎士団の異様な死に方と、彼の剣により殺害されたであろう痕跡の証明は誰にもできない。

 この問題が解決されない限り、カシムの罪は揺るぎないものとなるだろう。

 

「その事ですが、アリシア王女。発言をお許しください」


 眼前に跪く美しい森人がこちらをじっと見つめてくる。

 澄んだ灰色の瞳はこちらの真意を見透かすかのようだ。


「騎士ハリー。発言を許します」


「ありがたき幸せ――あの村は異様な状況でした。村中、誰もいないのは偵察に赴いた私が一番よく知っております。それでいて、今回のような惨劇が起こった事……これはなんらかの策略によるものではないでしょうか?」


 彼の推察は実に賢明だ。

 状況証拠を聞く限りはそういう結論に行き着くだろう。


「ええ、もちろんその通りです。ですが、騎士団が全滅し、罪もなき民が殺されています……仮に騎士一人がやったのではないとしたら。共犯者、いや真犯人の存在を見つけなくてはなりません」


「……」


 ハリーだけではなく、エレノアやライアスの表情も曇った。


 当然だ、出来るわけがない――


 だから、私は彼らに告げるしかない。


「カシムの投獄は決定事項です。この判決に異議を申し立てるのであれば、それを納得させるだけの事実を示しなさい」


 王女は玉座から立ち上がると、ライアスを伴ってその場を後にした。


 



王都 王宮 地下牢獄




 ―—ぴちゃん


 静寂に包まれた室内に響き渡る水滴の音。

 断続的に繰り返されるその音を目覚ましに、重い瞼が開いていく。


 ——ここは、どこだ……?


 気怠さの残る体を起こす。

 寝かされていたのはボロボロの粗末なベッド、あちこちが痛み、ぎいぎいと軋んでいる。

 石造りの室内に天井高く誂えられた僅かな窓。

 あの向こうに待つ景色を求めて、一体幾人もの罪人が眠れぬ夜を過ごしたのだろう。

 そして、私が今その立場にいる。

 

 ベッドに腰かけたまま、地面に足を下す。

 木製の手かせと足かせが鬱陶しい。


 意識を失う前の景色を思い出す。

 私が殺した魔物が実は村人達だった……?


 ひどい話だ。

 自分の頭がおかしくなって幻覚を見たと思ったほうがよほど現実的に思えるが、今のこの状況を想像するに、現実は最悪の可能性が当たりらしい。


 ―—パトリシア


 あの惨劇を思い出すと彼女の顔がちらつく。

 出会って間もない神殿騎士だったが、私の心を救おうとしてくれていた。

 そんな聖母のような彼女が切り裂かれ殺害されてしまった。

 私は……どうやって彼女に償えばいい?


 



 ——殺せばいい


 一瞬、黒い思考が過った。

 あの悪魔を見つけ出し、仕留めきれと、頭の中で誰かが囁いている。


 そうだ、あの悪魔。

 

 見るものを恐怖させ、殺意を助長させる出で立ち。

 この世界で悪魔を見ることはほぼない。

 悪魔や天使は伝説上の存在とされており、人の住む世界で見ることなどない。

 

 だが、現実に悪魔はやってきていた。

 彼等の気まぐれか?

 悪魔や天使は基本的には身勝手な生き物だ。

 

 駄目だ。

 いくら考えてもあの夜の悪魔の事は分かりそうもない。

 

 それよりもまずは自分自身の事だ。


 牢獄に収監されているところを見る限りは、私は罪人となってしまったのだろう。


 罪人ともなれば、近日中に絞首刑か斬首刑になるのは間違いない。

 

 彼女達の仇も取れず、人生を終えるなど……だが、騎士として、守るべき民を手にかけた事実は消えはしない。

 

 受け入れるしかない……か……


 窓から見える夜空が遠い世界のように感じていた。



王都 王宮 王女の寝室 テラス


 

 カシム……


 今、牢獄に収監されている彼のことを思うと胸が痛む。

 明日には彼には執拗な拷問と尋問が待っている。

 無論、あの村での真実を吐かせるためだ。


 彼にそんな事話せるわけないというのに。

 王権を狙う貴族派閥の奴らは、この事件を機に陛下直属の近衛騎士団の権力を潰そうとしているようだ。


 ああ……カシム……


 胸を抑えながら、夜空を見上げる。

 胸に抱えた想いは誰にも打ち明ける事はできない。

 

 幼き頃より、慕った


 いついかなる時でも、彼は私を守ってくれていた。

 私と彼の出会いのあの日からずっと……

 



十五年前 回想



 彼と最初に出会ったのは五歳の時……

 ライアスに連れられ、王宮に初めて訪れていた時の事だ。


 私が王宮の庭を散歩していた時の事だ。


「これは、アリシア姫。ご機嫌麗しゅうございます」


「ライアス、ごきげんよう」


 片足を引き、膝を曲げ、スカートの裾をつまみ上げ背筋を伸ばしたまま挨拶を交わす。

 カーテシー挨拶を終えると、彼の連れている人物に気が付いた。


「これは、大変失礼を。カシム、挨拶をしなさい」


 カシムと呼ばれた男の子は私より少し大人びた雰囲気を持っていた……ライアスに聞いたところ、彼は九歳らしい。


「ア、アリシア姫。お、お初にお目にかかります。カシムと申します。以後お見知りおきを」


 たどたどしい挨拶の後、カシムは跪いて私に忠誠の誓いを立てた。


 美しい色とりどりの花が咲き乱れる花壇を背景に、カシムと私は騎士と姫となった。


 それ以来、王宮の庭で彼とよく遊んだ。

 ライアスがいつも傍にいるとはいえ、彼は片時も私の傍を離れる事なく守ってくれていた。


 ある日、私の我儘で彼を王都に連れ出した。

 ライアスの目を盗んでの初めての冒険だった。

 今、思えば軽率な行動だったと思う。


「ねえ、カシム。王都って人が一杯いるのですね」


 初めて王宮の外に出た私ははしゃぎながら、往来を走っていた。

 見失うまいと追いかけるカシムは必死だ。


「アリシア姫。お待ちください。あまり遠くへいくのは危険です」


「大丈夫ですよカシム。ここは王都ですよ? 何が危険なのですか」


 当時の私には王宮育ちの為に王都の現状など、知る由もなかったのだ。

 いや、そもそも知ろうともしていなかった。


 当時は奴隷解放戦争の数年前。

 亜人達が奴隷としてあちこちで酷使されていた時代だ。

 亜人国家が出来上がる前の話であり、王都に入る流民の多くが亜人達であった。

 

 そんな中、王都の治安はかなり悪いものとなっており、表の往来から外れた裏路地などは、王国の民に恨みを抱く亜人達による犯罪が多発していた。

 

 そんな事情を知らない私はカシムとはぐれ、そこに迷い込んでしまった。


 往来を外れた裏路地、薄暗く人気の少ないその通りは、昼間だというのに異様な不安感を感じる場所であった。


 カシムとはぐれてしまいましたわ……それに――少々疲れてしまっていますわ。

 動きやすい平民の衣装に着替えているとはいえ、その素肌などの美しさのせいで、ただの平民にはとても見えない。

 よくて貴族の娘といった所だろう。


 そんな異彩を放つ姿は当然、彼等の注目をひいてしまう。

 裏路地に屯している亜人達である。

 人とは色の違う肌や造形……初めて見る人達であった。


「……こいつ、貴族の娘か?」


 亜人の一人が口を開くと、路地のあちこちから数人の亜人が歩いてきた。


「この身なり……平民の服を着ているが、かなり位の高い娘じゃないか?」


「いや、こいつ恐らく王族だ。一度だけ王宮に入った時に見たことがある」


「そういや、お前。釈放されたとはいえ、元罪人だったな」


「ケッ、王族の娘かよ。ということは、アリシア姫か。これはいい、こいつを捕まえようぜ」


「ひっ……」


 思わず後ずさると、ドンっと何かにぶつかった。


 壁とは違うその感触に、肌を伝う汗が止まらない。


「お嬢ちゃん、こんな場所に来ると危ないぜ」


 ニヤニヤとこちらを覗き込みながら笑みを浮かべる男。

 私は初めて人の怖さを知った。


 後ろから両手を掴まれ、動きを封じられる。


「嫌です、離してください! 」


 必死に暴れるが、まだ八歳になったばかりの私が叶う筈もなく、組み伏せられる。


「暴れても無駄だ。お前は王家に対する人質になるんだよ」


「あーでも、こいつ肌綺麗だし、俺子供にしか興奮しないので、ちょっと遊んでもいいか? 」


 下卑た笑みを浮かべながら男が近づいてくる。


「別に構わんが殺すなよ? 」


「分かってるよ。へへへ……それじゃお嬢ちゃん、俺と楽しもうぜ」


「い、嫌です……近づかないで! 」


 男が何をしようとしているのかは分からなかったが、何か凄く嫌な感覚がしていた。

 この男に触れられたら、私は私じゃなくなってしまう。


 そんな予感がしていた。


 だから、私は必死に叫んだ。


「カシムっ! カシムっ! 」


 声の限りに叫んだが、すぐに男の屈強な手で口を塞がれてしまう。


「ここは普通の平民はまず来ないぜ? 」


「さてと……それじゃ、楽しませてもら……! 」


 男の言葉は中途半端なタイミングで途切れた。


 私を抑えていた男の拘束が緩み、男が膝をついて倒れてしまった。

 なんとか倒れてきた男を避けて、壁際に寄ると背後を振り返る。


「貴様達……アリシア姫に何をしている? 」


 そこには憤怒の形相に燃えるカシムがいた。

 普段の優しそうな表情とは打って変わった怒りに支配された彼の表情。

 私の為だけに、怒ってくれているのだ。

 助けられた安堵よりも、何よりも。

 私は彼のその想いに心打たれた。


「カシム……! 」


 私はすぐさま、彼の背後に回る。

 

 彼は小ぶりな剣を手にしていた。

 今まさに、男を切ったのだろう。

 その白銀の刀身には赤黒い血がこびりついていた。


「姫、今すぐお逃げください。往来に出て王宮までまっすぐ走ってください。そして、騎士団に報告をお願いします」


 彼はここに一人で残る気なのだ。

 如何に武器を持っているとはいえ、十二歳のカシムはまだ子供だ。

 大の大人三人相手に勝てるとは思えない。


「ケッ、剣持ってるだけでいい気になるんじゃねえよ。俺らは亜人だ、身体能力が高いのがウリでな。そんな小ぶりな剣は怖くねえぞ? 」


 対する男達は自信満々だ。


「姫、こちらへ! 」


 カシムに手を引かれ入り組んだ裏路地を走り出す。


「逃がすな、捕らえろ! 」


 男達の怒声が響き渡る。


 手を引かれながら息を切らし、路地を駆け抜ける。

 繋いだ手から、彼の焦燥感が伝わってくるのを感じる。

 淀んだ空気の漂う路地を抜けようとしたところで、男達に追いつかれてしまった。


「くっ……」


 私を背に隠すように、彼等に対峙するカシム。


「手間取らせやがって……」


 往来はもう目の前なのだが、そこを亜人の一人が通せんぼしている。


「男はいらねえ。とっとと死ね!」


 男がカシムに殴りかかっていく。

 その図体の屈強さ、亜人特有の強力な爪がカシムを狙って振り下ろされる。


「!!」


 ギィィィン!


 爪攻撃を剣で受け止めたカシムだが、あまりの膂力の違いに、武器が破壊されてしまう。


「なっ! 」


 カシムの驚愕する声が響く。


「これでてめえは終いだ! 」


 男の殴打がカシムを吹っ飛ばす。

 私を庇いながら攻撃を受けたカシムは壁際まで吹っ飛んでしまい、激しく打ち付けられていた。


「がはっ! 」


 吐血し、カシムは苦しそうに呻いた。


 私はすぐ彼の傍に行き、彼を庇うように彼に覆いかぶさった。


「い、いけません姫。早く、逃げて……ください」


「カシムを置いて行くぐらいなら死んだほうがマシです。それに……貴方となら、死んでも構いませんわ」


 私の率直な本心だった。

 私の騎士であるカシムとなら……どんな苦難にも耐えれそうに思えた。

 それほど、先ほどの彼の姿が心に焼き付いて離れなかった。


「ひ、姫」


「貴方は何があろうと私が守ってみせます」


 精一杯の笑みを彼に向けた。

 埃と汗で汚れた私の笑顔は彼の涙を誘った。


「姫、アリシア姫! 」


 覆いかぶさる私の下で彼の身体が震えているのがわかる。


「ケッ、青臭えガキ共だ。もう人質なんてどうでもいい、死ね! 」


 私達に向けて爪が振り下ろされた。

 

 裏路地に走る白銀の閃きにより、ブシャアと大量の血液が裏路地に飛び散る。


 目を瞑って堪えるが、痛みも衝撃もやってこない。


「ぎゃあああぁぁ! 」


 爪を腕ごと斬り飛ばされた亜人が痛みでのたうち回る。


「き、貴様! 」


 残りの亜人達が驚愕の声をあげる。


「カシム。よく姫をお守りした」


 聞きなれた声が耳に響く。

 私は安堵し、カシムの顔を見つめた。


「カシム、もう大丈夫ですよ」


「姫、あとはこの私にお任せを」


 駆け付けた聖騎士の静かな怒りの眼光が、亜人達を見据えていた。







 

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