第4話 発現

―—母を失った。


 あの時、私は母の危機に際して何も出来ずに、見ているだけだった。

 無力な自分が許せなかった。


 命の危機を当時の騎士ライアスによって救われ、彼に鍛えられ騎士となりえた。

 ヨハンやエレノア、ハリー達との出会いと成長の日々……


 あの日を除けば……辛くもあるが、充実した十八年間だった。



 ブシャア!!


 全身に返り血を浴びた。

 夥しい血の量。

 むせかえるような匂い……手に張り付いて離れないぬるぬるとした感触。


―—この血は。


 眼前に映し出される、先ほどの瞬間の映像。

 彼女を囲む魔物による血の惨劇。

 それはまるで、魔物に捧げられた供物のように、囲まれ容赦なく切り刻まれる。

 

 時に取り残されたように、世界は静止していた。

 切り裂かれた彼女も、爪を刺したままの魔物も、全てが止まっていた。


―—何故、私は意識がある?


 自問するが、とても答えなど出せそうもない。

 走馬灯という奴なのか、どうかも分からないが、まともな精神状態でないのは間違いないだろう。

 彼女が殺された時……私は確かに絶望した。

 自らの無力さに打ちのめされた。


 そして、今こんな世界に迷い込んでしまっている。

 

―—これは、お前が抗うことを放棄した結果だ


 突然、声が反響した。

 世界はまるで黒い塗料をこぼしたかのように黒く染まり、塗りつぶされた色達が絡み合い、一人の人型を形作っていく。


 そこには一人の金髪の騎士が立ち尽くしていた。

 

 六尺ほどの身長に、肩まであろうかという長髪……切れ長の瞳は鋭く、常にこちらを真っすぐに見据え、口元は不敵な笑みを浮かべている。

 高い鼻に整った頬……


 どこかで見たような顔だと思った。

 いや、見たことがあるわけだ。

 

 ―—これは私自身だ


 いつも纏っている白銀のスケイルメイルに、父の形見の騎士剣。

 真っ白な外套。


 お前は誰だ……?

 何故、私と同じ姿をしている……?

 

 そう、言葉に出そうとしても、声が出ない。

 まるで私の口がないかのように、言葉が出せない。

 いや、そもそも、私の体はあるのだろうか?


 不意に沸いた疑問に自らの姿を見るために視線を落とす。

 

 そこにはがらんどうの闇が広がっていた。


―—今は私の時間だ。お前は引っ込んでいろ


 眼前の私はそう言葉を発した。


 何だと……? どういうことだ!?


 疑問は言葉にならない。

 だが、彼はこう答える。


―—お前には見ている事しかできない……ということだ。


 そして、私の意識は闇に呑まれるように消えていった。



 意識を取り戻した瞬間に眼前に迫っていたのは醜い魔物の爪だった。

 勝利を確信し、歓喜の笑みと共に振り下ろされる黒く血に濡れた爪。

 

 ガキィン!


 膝をついたまま、剣の腹で爪を受け止める。

 耳障りな金属音と共に、振動が全身を駆け巡る。


「!?」


 驚愕に歪む、魔物の表情。


 爪を受け止めたまま、周りを見回す。

 以外は全て殺されているようだ。

 眼前にはズタズタにされたであろうパトリシアの遺体が転がっている。


 無言のまま、受け止めた爪ごと魔物を弾き飛ばし、立ち上がる。


 魔物はパトリシアの周囲の魔物達と合流するように、後退した。


「やれやれ、醜いなあ……人間ってのは。ここまでして一人の騎士を陥れたいものかね」


 カシムは首をポキポキと鳴らしながら、ゆっくりと歩き始める。


「……」


 魔物達は騎士の変貌ぶりに驚いたのか、後ずさっている。

 

「おや、の癖して、俺が怖いのか? ククク……まるでのような反応だなあ」


 血だまりの広場の中央で対峙する両者。

 曇り空の間から差し込む、月光が広場を照らす。


「だが、貴様等には感謝もしているんだ。だから……この力を使わせてもらうよ」


 ジャキン!


 胸の前で騎士剣を掲げる。

 月光の光を受けた鍔の宝玉が黒く輝き始める。

 宝玉を中心に漆黒のオーラが剣を包み込んでいき、白銀の刀身はその身体を乗っ取られるように黒い刀身へと変貌していった。


「闇の精霊の加護を受けし、この剣で……死ぬがいい」


「グオオォォ!!」


 五体の魔物が雄たけびをあげながら、突っ込んでくる。

 それぞれが渾身の力を振るうように、爪を振りかぶり、今まさにカシムを切り刻まんと殺到していた。


 だが、その爪はカシムを切り刻む前に停止してしまう。

 あたかも見えない壁があるかのように、黒いオーラが爪を止めていた。


「純粋なる騎士に背き、今我が前に立ちふさがりし、怨敵を滅さん……」


 眼前まで迫った爪など意にも介さずに、目を閉じ詠唱を行うカシム。

 黒いオーラは渦状に変化し、その様相を変えていく。

 この世に恨みを持つ死霊の群れが漆黒の渦となり、カシムを包み込んでいく。


 その姿を見た魔物は恐怖に駆られ、我先にと逃げ出そうとする。


Vortex of death!死の渦


 死霊の群れが魔物を襲っていく。

 この世のものとは思えない声を上げながら、死霊は魔物を渦に巻き込みその身体を引き裂いていった。

 

 あたかも海の渦潮に巻き込まれた人のように……


「ギャアアアァァァ!!!」


 赤い血を辺り一面にまき散らしながら、はズタズタに引き裂かれてしまった。

 死霊は剣の宝玉へと戻り、その輝きを失う。


「……」


 カシムは血まみれで倒れたままの彼女を見つめる。


「さてと……うっ!」


 剣を構えようとした途端に立ちくらむカシム。


「うぐっ……奴め、もう……目覚め……」


 カランカランと剣を取り落としてしまい、倒れこむカシム。


 

 

 また、ここに戻された。

 眼前に広がるのは漆黒の世界だ。

 だが、今度は誰もいない。

 先ほどはなかった身体の感覚もある。


―—クッ……力を使いすぎたか。


 脳裏に悔しそうな声が響いてくる。

 

「どういうことだ? お前は誰だ!?」


―—俺はお前さ……今は退いてやるが、いずれ必ず……


 声は小さなくなり聞こえなくなっていった。


 それと同時に世界がぐにゃりと歪み、私の意識は再び闇へと落ちていく。

 

 



 

「……様!」


 誰かの声が聞こえる。


「に……様!」


 この声……心から安堵する声だ。


「兄様!! しっかりして!」


 何故……ここでレティリスの声が聞こえる……?


 私は……彼女の死を目撃してしまい、それから――


 ゆっくりと意識が戻り始め、鉛の様に重い瞼が開いていく。

 

「レティ……リス?」


 眼前には涙を流しながらこちらを心配そうに見つめる義妹がいた。


 よほど心配していたのだろう、赤と蒼の瞳から止めどなく涙が零れている。


「良かった……兄様。無事だったのですね」


 どうやら、仰向けの私は義妹に膝枕をされているようだ。


 何故、ここにレティリスがいる……?

 魔物はどうなったんだ……?


 無意識の内に状況を確かめようと、首を動かした。


 私はこの瞬間を忘れることができない。



 空から差した陽光により、まるで魔法が解けるかのように黒く歪な魔物達の死骸が、人間の姿へと変わっていく瞬間を。

 


 切り裂かれ、貫かれ、胴体を切断された数々の遺体へ。




「何だ……これは……」




 酷く……悪趣味な、夢の様だった――

 

 


 

 

 

  

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