第7話 脱獄
王都 王宮 地下牢獄 尋問室 夕刻
バシィ! ビシィ!
何度目か数えるのも馬鹿らしくなる鞭が背中を打つ。
肉が擦り切れ、血が舞う。
鞭を振るう小太りの尋問官は麻のマスクを被り、表情は分からないが、愉悦たっぷりの声で喜々として鞭を振るっている。
こんな男、王宮にいたのか? と思う程に醜悪だ。
普段は関わることのない王国の暗部を垣間見た気分だ。
「ぐっ!」
くぐもった声を出し、必死に耐える。
油汗が止まらず、呼吸も荒い。
その様子を見た尋問官は手を止めると、私の頬を持ち上げ眼前で口を開く。
「いい加減に観念して、全部吐けよ。お前が全部殺したんだろ? 神殿騎士も、村人も……俺だってずっと鞭打つの疲れるんだよ。早く、認めてくれないか? そしたら、手当して牢獄に戻してやるからよ」
「——何度も言わせるな……確かに怪物との戦闘はあった。どういう原理で人々の姿を偽っていたのかは分からないが……確かにあの場には人を喰らう悪魔がいた」
「仮に、その悪魔とやらがいたとしても、お前が村人を殺した事実は消えないだろう? だったら、悪魔だのなんだの言わずに、認めて楽になったほうがいいぞ。お前が認めない限り、俺はお前への尋問をやめるつもりはないからな」
男が鼻息荒く、鞭をぎゅっと握りしめる。
「フフフ……尋問ね。拷問の間違いじゃないのか? 」
「口の減らねえ騎士様だ。てめえ、自分の立場分かってんのか? 」
さらに強く背中へと鞭が振るわれる。
傷跡をえぐるように鞭が唸り、背中に強烈な痛みが走る。
「うぐっ! 」
「痛いのは分かっているし、お前が吐かない限り終わりはねえぞ? 気絶したとしても、何度だって起こしてやるし、傷が深くなる前に治療して、また再開だ。終わらねえぞ? 」
「何度……言われ……ようが。断じて、私は仕組んでなど……いない。村での出来事は……全て、真実だ」
「ケッ。だから、悪魔がどうとかじゃねえ、お前が殺した村人は帰ってこねえんだ。お前は罪人なんだよ。だったら、とっとと楽になる為に、全部お前が仕組んだ事にすればいいじゃねえか。そしたら、楽になれるぞ? 」
この尋問官の言葉は酷く私の心に刺さる。
そう、確かに私は悪魔の姿となった人々を手にかけているのだ。
こればかりはもはや言い訳のしようもない。
私は呼吸を落ち着けると、口を開いた。
「私は……確かに、村人を手にかけた。だが、あの状況で、怪物と化した村人を見抜ける人物などいない。透過の御業ですら、見通せないものなど……只の人に見抜けるはずもない」
「その透過の御業を行使したのはどいつだ? 報告だと、そんな奴がいたとは聞いていないぞ?」
「何だと? 同行していた神殿騎士のパトリシアという騎士がいたはずだが」
「神殿騎士の遺体はたくさんあったが、お前の言う騎士の遺体は見つかっていない。故に、御業を行使したという事実自体がお前の話でしかない」
――どういうことだ?
あの時、確かにパトリシアの惨殺される姿を見た。
その後の記憶こそ途絶えているが、私は確かに救出され、無事でいる。
あの後、一体何があったというのだ。
覚えているのはレティリスの顔とあの悪夢のような光景だけ。
―—私は……どうやって悪魔を退けたのだ?
我ながら今の今までその事を失念していたのが、情けない。
意識を取り戻した時の映像が強烈すぎたのだ。
鞭の痛みと共に背筋を何か冷たい感覚が走っていく。
―—一体、何がどうなっている?
王都 王宮 地下牢獄 夜
あれから、意識を失うまで鞭を打たれ、その後本日の尋問は完了した。
恐らく明日もまた鞭のフルコースなのだろう。
何故か牢に戻された時には手枷と足枷は外されていた。
衛兵が付け忘れたのだろうか?
ぎいぎいと軋むベッドに横になりながら、天窓から見える僅かな夜空を見つめる。
パトリシアの遺体はどこへいってしまったのだろうか。
私の見たあの光景はどこからどこまでが現実だったのか?
分からない事だらけである。
どうにかして殺害してしまった人々を弔ってやりたい。
その為には、どうにかして牢を出なければならないが。
脱獄でもするしかないのかもしれないが。
それでは姫様を裏切ることになる。
姫の騎士である自分がそのようなことをすれば、姫の立場がさらに悪いものとなってしまう。
だが、五体満足でここから出れるとは思えない。
答えの出せない事を考え続けていると、どっと疲れが襲ってきた。
今はともかく、体力を回復させよう。
毛布一つない状態だが、意外とすぐに私の意識は眠りへと落ちていった。
夜中、不意に目が覚めた。
寒さで目が覚めたのかと思ったが、それは違った。
牢前の通路にいるはずの衛兵の気配がないのである。
ぴちゃんぴちゃん
天井から垂れる水滴の音だけが響き渡っている。
ベッドを離れ、鉄格子に張り付くように外を伺う。
本来なら点けられていなければならない通路のかがり火まで消されている。
真っ暗闇に包まれ、廊下の奥は伺い知れない。
―—妙だな。
現在、この地下牢獄に収監されているのは私一人とはいえ。
これほどまでに警戒を緩めるものだろうか?
王宮で何かあったのだろうか?
姫様の身に何かあったのだろうか?
押し寄せる不安に心をかき乱されていると、闇に包まれた廊下の奥、階段から明かりが漏れてきた。
コツコツと誰かが階段を下りてきているのである。
衛兵か? と思ったが、鎧の音がしない。
聞こえるのは衣の擦れ合う音と履き物の音。
どうやら、招かれざる人物のようだ。
牢の奥へと戻り、気配を殺しながら何者かが来るのを待った。
誰かは知らないが、一目拝んでやろうと思っていた。
明かりは私の牢に近づいてきた。
鉄格子の向こうにランタンを持つ人物の姿が現れた。
銀髪の巻き毛に漆黒のドレス。
見間違うわけもなく、忠誠を誓いし我が姫『アリシア』である。
「……姫!? 」
来たのが遺族の放つ刺客だったほうがよほど現実的に思える。
この妙な状況下で姫様が来るなど、誰が予想できようか。
「カシム……なんと、痛ましい姿に……」
私の姿を見た姫様は口元を抑え、悲痛な面持ちで崩れ落ちてしまう。
カランカランとランタンが地面に転がる。
「姫! 大丈夫ですか!? 」
慌てて鉄格子の傍まで駆け寄る。
隙間から指を出し、姫様へと伸ばそうとするが、届かない。
「ううっ……カシム」
姫は涙を流しながら、差し伸ばした指をそっと両手で握ってくれる。
その細い手は暖かく……小刻みに震えていた。
「姫……申し訳ございません。私は騎士に背くような事を……」
「いえ、カシム。貴方はそんな事をする筈はありません。貴方は私だけの騎士。私は誰よりも貴方を信じています」
「姫……」
涙を振り払い、真っすぐに姫の瞳がこちらを見つめる。
「ですが、貴方はこのままでは確実に命を奪われてしまいます。私は、そんな事になってほしくない」
ぎゅっと指を握る姫の手に強い決意を感じられる。
「お願いカシム。この国から逃げて。そして、貴方の妹を追って」
「!? 」
まさか姫様の口から脱獄しろという言葉が出るとは想像もしていなかった。
そればかりか、レティリスを追えとはどういう事だ?
「貴方の無実を晴らすために、彼女を危険な任務に就かせてしまいました。今、まともに動けるのは彼女だけだったのです」
なんという事だ。
私の犯した罪の償いを義妹にさせることになってしまうとは。
姫はそれを気に病んで私を脱獄させようと……?
いや、いくら姫様といえど、それでは自らの首を絞めるだけだ。
あの聡明な姫がそんな決断をするとは思えない。
「お気持ちはありがたいのですが、それは出来ません。姫様にかかる迷惑が計り知れない。下手をすれば、国王裁判にかけられます。私には姫様を危険に晒すような事は出来ません」
「良いのです。カシム、さあこの牢の鍵を使ってここを逃げるのです。私は貴方を見舞って襲われた……ということにしておきます」
「姫様……」
これ以上は姫様の決意を無為にしてしまう。
私も覚悟を決めるしかないか。
「必ず、レティリスと共に、姫の元へ戻ってまいります」
「頼みましたよ。カシム」
そっと握られた手に鍵が手渡される。
鍵を開けると、ぎいいと軋む音と共に鉄格子が開く。
姫様をその場に残し、私はそっと地下牢獄を抜け出した。
「カシム……」
座り込んだままの姫様はやがて、意識を失うように倒れこんだ。
王都 王宮 エントランス 深夜
王宮のエントランスの隅に地下牢獄への階段はある。
本来ならエントランスは夜中といえど、兵士が詰めているはずだが、何故だか今夜は誰もいない。
逃げ出すにはうってつけなのだが、馬鹿正直に正面から逃げても、外に兵士がいないのはありえない。
どうしようかと様子を伺っていると、見覚えのある背中がエントランス中央、王家の紋章のかかれた絨毯の中央にあった。
近衛騎士団団長、聖騎士ライアス。
「やはり、来たか。カシム」
気配を消している筈だが、完全にばれている。
腹を括るしかないか。
「父上……」
「皆まで言うな」
背中を向けたままライアスは無言で鞘に収まった剣を投げよこす。
右手でそれを掴み取ると、それは取り上げられていた私の騎士剣であった。
「父上、これは……」
「正面からは行くな。行くなら荷車に紛れていけ。手は打ってある」
「……父上、感謝致します」
ライアスの精一杯の想いであろう。
私はぺこりと頭を下げると、荷車の置いてある馬舎へと向かった。
「レティリスを頼んだぞ」
明かりの消され、月明かりが差し込むエントランスに立つ、聖騎士の背中は小刻みに震えているように見えた。
王都 王宮 馬舎 深夜
王宮の馬舎は夜間だというのに、衛兵の姿すら見えない。
父上の言う通り、やはり工作がされているのだろうか?
―—手はうってある
と、言っていたが、どんな方法で城を抜け出せというのだろうか。
馬舎には騎兵用の馬とは別に交易用の荷馬車などもある。
騎馬騎士団達が個別に扱う馬は別の馬舎で飼育されている。
こちらは普段用の馬舎であり、そこまで警戒は固くない。
荷車に紛れていけということなのだろうが、一人ではどうしようもない。
私が荷馬車の前で首を傾げていると、背後に気配を感じた。
「!? 」
振り返るとそこには、白金髪が美しい森人のハリーがいた。
「そろそろ来る頃だと思っていました。カシムさん」
「ハリー? 何故、ここに……いや、父上の計らいか」
ハリーは肯定の代わりに、荷馬車の手綱を握る。
「さあ、長居は無用です。人払いは一時的なもの。もう少ししたら交代の衛兵が参ります。彼らは事情を知りません」
「……ありがとう」
私は食料や備品の入った樽に紛れて姿を隠した。
少々窮屈だが、文句は言えない。
ハリーやライアスの計らいを無駄にはできない。
嘘をついてまで、私を逃がしてくれた姫のご厚意に報いるためにも。
「参ります……やっ! 」
バシンと手綱をしならせると、馬は一鳴きし、荷馬車をひき始めた。
―—必ず、この国へ戻ってまいります。アリシア姫
固く心に誓い、王宮の馬舎を後にした。
レティリスの出立から半日以上遅れての出発だった。
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