第8話 断崖絶壁


王都国境 山脈 関所 脱獄から一週間後 朝



 亜人国へ入るのはやはり容易にはいかない。

 王都から捜索の騎兵が放たれたという話は聞かないが、亜人国へ入る為にはどうしてもこの山を通らないといけない。

 が、関所での審査が思った以上に厳しい。

 顔は知られていないとはいえ、敵対していた過去のある国からの入国だ。

 それに事件のあった日からまだそこまでたっていない。


 荷馬車の中で重病人を装って私は床についている。

 は上手くごまかしているようで、今のところお咎めはない。

 だが、あまりもたつくと何時、王都からの追っ手が来ないとも限らない。

 

 私は脱獄囚だという事実に変わりはないからだ。


 関所の手前、崖側の道幅が広くなっている場所で立ち往生する事、丸一日。

 入国に手間取る他の商人達の不満の声は尽きない。


 荷台にクルツがやってくる。


。容体はいかがですか? 」


「……ごほっごほっ、今の所は……平気だ」


「それは何よりです。ですが、まだ当面動けそうもありません。何やら亜人国で騒ぎがあったようで、今は入国そのものがしにくくなっております」


「そうか……しかし慣れないな」


「しばしの辛抱です。慣れないのは私も同じです」


 どこで誰に聞かれているか分からない為、本名は名乗らず偽名で呼び合っている。

 私はアルバート、王都で治らない病を治すため亜人国の特異な医療を求めてやってきた流民……ということになっている。

 亜人国には特異な医療法があるという伝聞をそのまま使わせてもらっている。

 情報源は元亜人国民の同僚からだ。

 

「だけど、このままでが埒が明きません。商人の話によると数日前にこの関所を二人の旅人が通過したとのことです。風貌は言うまでもなく……」


「妹の事か……二人? あと一人は? 」


「フードやローブを纏っているので顔までは分からなかったと。だけど、男性に見えたとの話です」


 妹に同行している人物が気にはなるが、今はどうやって関所を越えるか……か


「少々危険な道のりにはなりますが、崖沿いを進むルートがあります。ですが、そこは人一人が通れるかどうかという断崖絶壁。下手をすれば命を失いかねません。商人達ですら存在こそ知ってても、誰も行きたがらない道のりです。それにその先は人を拒むという幻想の森があります」


「……なら、迷う理由はあるまい。そこを進もう。荷馬車はどうする? 」


「適当な商人に買い取ってもらうつもりです。後の路銀は必要でしょう」


「分かった。では支度をしよう」


 身支度を終える頃には商談も終わり、荷馬車は一人の商人が買い取っていった。

 

 王都と亜人国国境の山脈。

 谷間風が吹きすさぶ岩だらけの不毛な大地に降り立ち、これから進む僅かな希望の道のりを見つめる。

 進むのを普通なら絶対に避けるような道無き道。

 

 私達はこれからそこへ行こうとしていた。



 王都国境 山脈 断崖 幻想の森への道



 ガラガラガラ……深い谷の底へ足元の石が落ちていく。

 見た目以上にこの道は狭い……気を許すと天国への階段を駆け足で登ってしまいそうだ。


「アルバート。お気をつけください」


 先を歩く森人は道を確かめながら私を誘導してくれる。

 崖を歩き始めてまだ一時間も立っていないが、疲労はかなりのものだった。

 いつもの鎧姿なら間違いなく通れない道だったと実感する。

 脱獄囚で騎士の位を剥奪されたために、外套と旅用の衣服だけだ。

 上半身にくくりつけた革のベルトで背中に騎士剣を括りつけてはいるが、やはりこの狭い場所では邪魔に感じる。

 

「あと、どのぐらいだ? 」


「話だと、この狭いところを越えれば、断崖は抜けれる筈です」


「分かった」


 私達は逸る心を落ち着けるように、慎重に進み始めた。


 そんな時、上空から飛んできた何かの気配を感じた。


「はっ!? 」


 気づくのがもう少し遅れていたら、その足に見える強靭な爪の犠牲になっていただろう。


 美しい女性の上半身に鳥の手足……だが、その行動は野生そのもの。

 彼らは私達を獲物しょくりょうとしか認識していないようだ。


半人半鳥ハーピーか!? こんな時に! 」


 ハリーがすぐさま、弓を構える。

 

「クッ! 」


 かろうじてしゃがむ事で攻撃を避け、断崖すれすれを滑るようにハーピーは飛んでいく。

 恐らく、もう一度狙いを定めて襲ってくるつもりなのだろう。

 

「アルバート! こちらへ! 」


 崖が広くなっている場所でクルツは弓を構えて、ハーピーを捕捉しようとしている。

 私はその場所へと飛び移ると、剣を抜こうとしたが、この閉所では存分に振るう事など出来はしない。

 となれば、私はハリーの援護をするまでだ。


 ハーピーを捉えた矢が空を走る。

 ザクッと音を立て、矢がハーピーの露わになった胸元を貫く。


「ぎゃああアア! 」


 断末魔の叫びと共に、一羽は谷底へと落ちていった。

 彼が注意深く辺りを警戒する中、彼の死角をカバーするように、背中合わせになる。

 一羽だけとは限らない。

 ハーピーはある程度集団でいるのが常だ、


 辺りを注意深く見回していると、何か歌声のようなものが聞こえた。

 か細く聞こえていたその音色はやがてはっきりと、こちらの耳の奥へと侵入してくる。


「!? ハーピーの歌声です。アルバート! 聴いてはいけません! 」


 いち早く気づいたハリーは耳を抑えているが、反応が遅れてしまった私はその歌声をはっきりと聴いてしまった。


 意識が混濁していくようなふわふわとした気持ちになる歌声。

 ハーピーの歌声は意識を奪うという話は本当のようだった。

 手足の力が抜けていき、崖にてバランスを失う。

 谷底へと意識と体が吸い込まれていく。

 

「アルバート!! 」


 ハリーの伸ばした手は空を切り、私は谷底へと落下していく。

 数羽のハーピーが私を取り囲むように滑空していた。


「貴様!! 」


 怒りに燃えるハリーの一矢が歌を歌うハーピーを射抜くとハーピーは谷底へと落下していった。

 

「アルバート……どうか、どうか! 」


 ハリーは祈るような気持ちで谷底を目指し、道を進み始めた。








 崖の岩肌が次々に視界を過ぎ去っていく中、ふわふわとした意識のまま、眼前を飛び回るハーピーの姿が見える。

 頭ではどうにか状況を変えないといけないと分かるはずなのに、体は一切言うことを聞こうとしない。

 

―—俺は……死ぬのか……?


 そんな考えが頭に過ると共に、レティリスとアリシアの笑顔が脳裏に過る。


 大事な義妹と忠誠をささげた最愛の姫。

 二人を守る為に、旅立ったんじゃないのか!

 しっかりしろ、それでも姫の騎士か!


 

―—死ねない!



 歌声の呪縛を精神力で打ち破ると、意識がはっきりと覚醒する。

 今、まさにこちらへと爪を向けて飛んできたハーピーの攻撃が視界に写る。

 背中の騎士剣を引き抜き、ハーピーを打つように剣の腹で叩く。

 

 重たい衝撃とともに、ハーピーは気絶する。

 叩いた体勢からハーピーの身体を足場に近くの崖目掛けて飛ぶ。


 もうこの策しかない!


 剣を振りかぶった時の勢いのまま、空中疾走し土壁を騎士剣で抉るように剣を食い込ませる。

 一瞬とはいえ、落下は止まる。

 土壁に剣ごと張り付くようにし、後方へと視界を向ける。

 怒りに狂った二羽のハーピーが迫ってくる。

 獲物を完全に仕留めようと、殺意が剥き出しだ。


「お前達の身体を使わせてもらう! 」


 意を決して壁を蹴り、宙へと舞う。

 谷間へと差し込む陽光の光を受け、騎士剣がハーピーの視界をくらませる。


「ぎゃっ!! 」


 呻くハーピーの一体を串刺しにし、並んで飛んでいたもう一体の身体に輪っか状にしたロープを投げつけ、自由を奪う。


 ハーピーを思いっきり引き寄せ、その身体に串刺しにしたハーピーごともう一羽を刺し貫く。

 剣を軸にモンスターを下に、その上に回り込む。

 二羽を盾にするように、崖下の大地へと向けて、落下していく。

 

 よほど上手くタイミングを見て、飛ばなければほぼ間違いなく死ぬ。

 おまけに下が岩場ではないという前提あってこそだ。

 川や草むらなら生存率はあがる。

 それ以外だと、確実に死ぬだろう。


 分の悪いなんてレベルじゃない賭けだ。

 

 普段なら絶対にしないが……もうこれしかなかった!


 次々と眼前の景色が変わっていく中、土壁の景色が途切れ、一瞬、真っ暗な闇が見えた。

 崖下は空洞のような広場になっていた。

 ハーピーの遺体の向こうに見える水面を確認した。


「!!!! 」


 刺し貫いていた騎士剣を引き抜き、鞘に納めると同時に、二羽の身体を足蹴に眼前に見える水面へと飛ぶ。

 



 全身を打つ強い衝撃を感じながら、私は冷たい水の中へと落ちていった。 

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