第9話 幻想ノ森
全身を打った衝撃で一瞬意識が飛んでいたらしい。
息の苦しさで意識を取り戻した。
ガボッ
意識した途端に口を開いてしまい、慌てて空気を求めて地上へと向かった。
「ぶはあっ! 」
空気を求めて水面に顔を出すと、飲み込んでいた水を吐き出すと共に激しく咳き込む。
「げほっ、ごほっ……」
呼吸を落ち着けつつ、辺りを見回す。
崖下は大きな空洞の様になっている。
飛び込む瞬間に見えた光景そのままだ……湖の傍の岩場には盾にしたハーピーの死体が転がっている。
あのまま、落ちていたら奴らと仲良くあの世に旅立っていただろう。
―—ハリーと合流しなければ
湖の端まで泳いでいくと岸に上がる。
すっかり服がびしょぬれだが、昼間なので動いているうちに乾く。
それに一刻の猶予もない。
早くレティリスに追いつかなければ……
崖下の空洞の先は谷底を走る川は地底湖から流れ出た水が川になっているようであり、国境付近の山にある川とはまた別のところに繋がっているようだ。
川に沿うように歩いていくと、峡谷を抜けた。
山脈と亜人国の間の場所……関所を通る正規ルートとは違い、こちらの道を来る人はまずいない為か、まったく手付かずの森林が広がっている。
と、いうよりも、ここだけ植物がたくさん生い茂っているといった感じか。
恐らく、ここが幻想の森。
人を寄せ付けないといわれる森か。
亜人国 森林地帯 幻想の森 昼
頭上を暖かい陽光が照らし、薄暗い森の道を照らしている。
進めば進むほど薄暗くなっているが、不思議と恐怖や不安は感じない。
あの悪魔に比べたら、こんな状況恐怖でもなんでもない。
だが、人を寄せ付けないという噂はどういうことだろう?
入るものを迷わすとか……?
辺りを見回すが、どこも同じような景色に見える。
なるほど……もし今通っている道がなければ、迷っていたかもしれない。
眼前には森の奥へと続く人の通れるだけの道がはっきりとある。
どう、考えても迷い様がないように思えるが……
私は森を抜けるために奥へと進んだ。
通った道がどんどん植物に覆われ消えて行っている事に気づかずに……
亜人国 幻想の森 中央部 昼
かなりの距離を歩いた後、不意に開けた場所へと出た。
木々の隙間から差し込む陽光が、流れる小川のせせらぎと共に幻想的な光景を作り出している場所だった。
先ほどまでの道とは違い、ここだけ明らかに世界が違うように見えた。
その一角、森で恐らく一番大きい巨木の根本に腰を下ろした。
思えば、戦って落ちた後ずっと休むことなく歩き続けたせいで、かなり消耗していた。
幸い、この場所はとても暖かく、モンスターの気配もない。
―—ふう
一息つきながら、辺りを見回す。
背中の騎士剣はベルトから外し、抱えるようにしていた。
―—ここは……一体なんだ?
名前の通り、幻想的な雰囲気の漂う場所だ。
外とここだとあまりにも世界が違いすぎる。
「ここは精霊の住まう地だよ」
突如、辺りに声が響いた。
まるで脳裏で考えた思考を見透かされたような言葉だ。
慌てて、鞘を手に立ち上がると辺りを見回す……が、木々が風に揺れるばかりで、誰もいない。
注意深く辺りを警戒するが、やはり誰もいない。
「そんなに警戒しないで、今そっちに行く」
柄を握る手に力がこもる。
精霊の住まう地だと……精霊とはこの世では神のようなものだ。
あらゆる御業の元となるマナの集合体。
そんな精霊が実体として、この場に留まっているというのか?
半信半疑で待っていると、目の前に突如、手のひらに乗りそうなサイズの羽の生えた少女が現れた。
美しい金髪に白い肌、森人のような尖った耳に、透き通る二枚の蝶のような羽根。
絵に描いたような妖精のイメージそのままだった。
普通御業に用いるマナの流れなど、術に精通し精霊との契約を終えている者にしか感じることなどできないはずだ……だが、何故か私にはソレが見える。
居場所を求めて眼前を飛び回る妖精に恐る恐る左手を開く。
「ありがとう」
妖精はちょこんと手の平に降り立った。
まるで重さを感じることはないソレに、本当に精霊なんだなと思った。
「君は……本当に精霊なのか? 」
恐る恐る眼前の妖精へと問いかける。
手の平で何かを感じ取るかのように、体を摺り寄せていた妖精は、こちらへと向き直ると口を開く。
「私は
「私が……? どうして分かるんだ? 」
「マナに愛されていない人は、例え森人であってもこの場所までは来れないよ。それがお兄さんがマナに愛されている証拠」
―—だから、人を受けつけない幻想の森か。なるほど、納得がいく。
「この中央部の大木はこの世界で死した人々のマナが還る場所……この世界で最もマナが濃い場所。この場所にお兄さんが来れたのはきっと意味があるよ」
「だが、私にはそんな事を考えている暇はない。一刻も早くここを出て仲間と合流しなければならない」
「大丈夫。お兄さんのお仲間さんは森人だよね? 彼は一足先に森の外へ連れ出してある」
「何だと? ハリーを? 」
「うん、お兄さんに合流しようと森を歩いていたけど、森が拒んでしまって、一足先に森の向こうに出ちゃってるよ」
「どうしてそこまで私を迎え入れようとする……? 私はただの騎士だ。今や騎士ですらないただの逃亡者だ。君達の思うような存在ではない」
「そんなことないよ。それに、私達はお兄さんを連れてきて欲しいと頼まれただけ。お願い、彼女に会ってほしいの」
手の平の上で踊るシルフは懇願するようにこちらを見つめている。
私をよほどその人に会わせたいようだ。
―—どうする?
彼女の言うことが嘘でないなら、ハリーの身に危険はない。
なら、ここを抜けるためにも彼女の言葉を否定する理由はないはずだ。
しばし悩んだ後、私は腹を括った。
「分かったよ。シルフ。君についていこう」
「本当? やったー! 」
眼前の精霊のはしゃぐ姿は妙に愛らしく、急く自身の心の内がポカポカとした気持ちになっていく事に気づき、自然と頬が緩んでいた。
「お兄さん。やっぱり笑顔が似合うね。仏頂面より、よっぽど綺麗」
シルフは私の肩に乗ると、耳元で呟く。
「余計なお世話だ。さ、案内してくれ」
「彼女はとっても恥ずかしがり屋なの。だから、夜まで待ってあげて。必ず出てきてくれるから」
「分かった」
数時間が経ち……
頭上の木々の隙間から見えていた空はやがて朱色を帯び、夜へと変わり。
木々の隙間から差していた陽光は月光へと変わり、昼間とは違った幻想的な風景を眼前にもたらした。
大木を背に瞳を閉じ、騎士剣を肩に預けその時をじっと待った。
やがて
「あ、あの……」
不意におどおどとした声が聞こえた。
やっとお出ましか……瞳を開いた時、眼前に写るその姿にしばし心を奪われた。
腰まであろうかという切り揃えられた黒髪に、優しい瞳と麗しい唇に整った鼻と輪郭。見るものを虜にするような肉付きの良い身体に纏った黒い衣に、背中に生えた蝙蝠のような翼。
肩で眠るシルフとは真逆の美しさだ……と、思った。
「君が……私を呼んだ精霊? 」
「あの……はい、そうです」
極端におどおどとした精霊だ。
もじもじと眼前で身体を揺らしている。
「私は騎士カシム……君は? 」
「私は……
これは本当に珍しい。
言い伝えなどでも火水風地の四大精霊以外の精霊はほとんど見つかった事はないとされている。その内の一体が私に会うためだけに出てくるとは……
「カシム……さん。あ、あの……私と、契約をしてください」
―—何の用事かと思えば契約だと……?
私は術者ではない。契約などしても、そんな知識はないのだが。
「私と契約……? 私は術師ではない。そんな力はないぞ? 」
眼前のシェイドはビクっと身体を震わせながら、こちらを俯き加減に見つめている。
バサバサと羽根を揺らしながら、差しだした手の平に降り立つ。
「ううん……貴方には術師とは違う力を感じる。それに……貴方と契約すれば、私はここを出ることが出来る」
「何故だ? ここを出たいなら君達なら出ていけるのでは? 」
少女はかぶりを振ると、答える。
「私達は……ここでないと、存在できないの。実体を保つにはマナに愛された人との契約が必要……」
なるほど、確かに街中で精霊など見たことはないし、聞いたこともない。
術師もあくまで、マナの力を借り受けているだけだ。
精霊についての知識など、ほとんどの人は知らない。
「君はここを出てどうしたいんだい? 」
「私、人の世界を見たい。ずっとここにいるだけじゃ見れないものを見たい。だけど、誰とでも契約できるわけじゃないの……私の力は闇。そして、貴方の纏うマナもまた闇の力……だから、貴方を連れてきてもらった。お願いします、カシム様。私と……契約してください」
眼前の少女は懇願するようにこちらを見つめている。
「君の気持は分かった。だが、私は目的があり、その為に行動する。君が思う程じっくりと人の世を見てやれないが……構わないかい? 」
「か、構いません。 ……ありがとうございます」
ぺこりとお辞儀した彼女はとても嬉しそうに微笑んでくれていた。
先ほどまでの緊張とおびえの混じった表情とはとても違う、屈託のない笑顔。
これが本来の彼女の素顔なのだろう。
「では、貴方の魂と同化します。目を閉じて、心を落ち着けてください」
「分かった」
瞳を閉じじっと、彼女の声に聞き入る。
「これは……なるほど。でも大丈夫……貴方とずっと共に……」
すうっと身体に何かが入ってくる感覚があった。
それは例えるなら悪寒が走るときのような感覚に似ている。
背筋をぶるっと何かが駆け巡る感覚。
だが、悪寒と違いまったく嫌な感覚はない。
恐らく……これが契約完了ということなのだろう。
「契約……終わったみたいだね」
いつの間にか起きていたシルフが眼前でこちらを見つめている。
「シェイドはもう私の中にいるのか……」
「うん、あの子を……ヨロシクね」
「ああ……分かった」
「さ、森の出口まで案内するね」
森の奥へと飛んでいくシルフを追い、歩いていく。
深い森はすぐに抜けることが出来、そこには峡谷の出口が広がっていた。
亜人国 森林地帯 山脈 幻想の森
「誰だ!? 」
森の出口で野営をしていたハリーが森から出てきた私にすぐに反応し、弓矢を構える。
「私だ。クルツ」
両手を上げ、そっと彼に近づく。
「……良かった。アルバート。森に入った所で完全に見失ってしまって、どうしたものかと思っていました」
ハリーはすぐさま弓を下ろし、胸を撫でおろしている。
「心配かけた。少し森で迷ってしまったが、なんとか抜けてこれた。やはり本職の森人には森じゃ勝てないな」
「この森は私を受け入れてはくれませんでした。なので、カシムさんが無事で何よりです。お怪我などはございませんか? あの高さから落ちてまったく無事とは……」
慌てて私の傍まで来ると、体中をべたべたと確かめ始める。
よほど、ケガしてないかが心配なようだ。
私やライアスへの忠誠心が厚いのは良いのだが……ちょっと心配症な所がこの完璧な森人の唯一の欠点だな……と、思った。
「大丈夫だ。とりあえず今夜はここで休もう。そして、明日朝発とう」
「はい、アルバートは先にお休みください。私が火の番をしております」
「すまない。クルツ。お言葉に甘えさせてもらうよ」
焚火の前に再度座り込むクルツに背を向け、彼の用意してくれた布の敷物で横になった。
「アルバート」
「どうした? 」
「無事でよかったです」
「だい……じょうぶだ」
疲れが限界に来ていたのだろう。
すぐさま、泥のような眠りに私の意識は吸い込まれていった。
Lost Soul ~託す想い~ 南条 @kyojikuzu
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