第1話 予兆
とある囚人の手記より
やり直したいと思った事は何度もあった。
あの時、どうして、その選択をしてしまったのか?
何故、もっと最良の選択を選べなかったのか?
少し勇気を出せば、選べた選択だったかもしれない……
そんな後悔を抱えながら、人は短い人生を駆け抜けてゆく。
私には……振り返る事すら許されなかった。
帝国領内 ガレサ平原 平原の野営地にて
今朝とは違う……
そう気づいたのは、羽毛のような感覚ではなかったからだ。
どちらかといえば、人肌のような温もりを感じる世界を漂っていた。
生命のゆりかごにいるような安堵感ではなく、もっと違う……そう、愛犬と共に眠っているような温かさだ。
それは、ぎゅっと身体を包み込んでくる……だが、これも非常に心地が良く、私は心地よさに身を委ねようと、抱きしめた。
「やん」
やん……?
どこかで聞いたような声だった。
浅い眠りだったせいか、すぐさま瞼が開く。
目の前に犬のような耳が見えていた。
胸元が妙に暖かい……誰かを抱きしめていたようだ。
使い古されたテントに誂えられた簡素な寝床。
天井に吊り上げられたランプはご丁寧に消されていた。
「おい……そこで何をしている」
「カシムに……抱かれて……るの」
目の前の亜人の女は頬を赤らめ、俯いてしまう……なんだかんだいって恥ずかしいのかと思いきや、翡翠色の瞳を潤ませて、何かが起こるのを期待しているようだ。
はあ……と深くため息をつき、私は身体を起こした。
「やん、寒い」
女の抗議の声を無視し、立ち上がりランプの火を灯す。
暗くなっていたテント内に暖かな光が満ちる。
「いい加減にしないと……って……え?」
怒るぞと言いかけて、思わず変な声を出してしまった。
上掛けの取れた亜人の女性は、鎧を脱いでいた……褐色の肌に、小ぶりな胸……亜人特有の地毛に覆われたその姿は、ひどく官能的ですらあった。
尻尾をくねくねと動かし、肩まである赤髪をいじりながら、こちらを見つめていた。
「副団長……お目覚めですか……っ!」
私が起きた事に気づいたのだろう。
大柄な騎士がテント内へと入って来た……が、寝床にいる全裸の亜人を見て、硬直してしまっていた。
「あ……あ……あ……」
口をパクパクとさせてしまっている。
「ヨハン、違うんだ。いや、違わなくともないが、いや、でもやっぱり違うんだ」
何を言っているんだ?
動揺の為か、私の言葉は支離滅裂だ。
目の前にいる『騎士ヨハン』に対して、何故か言い訳を始める自分がおかしい。
「何故、副団長は鎧を着たままなのですか!」
「注意する所、そこですか」
クールにツッコミを入れる小柄な男性が、騒ぎを聞きつけたのかテントに入ってくる。
「いや、でも『ハリー』殿! 鎧を着たまま寝るのは身体が痛いであります」
どうやら、亜人女性騎士『エレノア』の全裸を見たショックで一時的に、エレノアが見えなくなっているらしい。
器用な瞳を持っているものだ。
「やん……カシムう……ここ来て」
ぽんぽんと寝床を叩くエレノア、こいつには羞恥心というものがないのだろうか?
「とりあえず、お前は服を着ろ」
脱ぎ散らかしたであろう、衣服を掴み乱暴に投げつける。
「ひっどーい……ん、でも……そこもいいかも」
寝床の上でもじもじとしている……可愛いのだが、こいつとだけは絶対にそういう関係になれる気がしない。
何故ならエレノアは小悪魔の様に、私を弄ぶ事に喜びを見出しているからだ。
カシム~と、言いながら椅子に腰かける私の太腿を『アタシ専用の椅子』と言ったり、私のベッドに無断で侵入してきたりと、とにかく困らされ続けている。
レティリスに一緒に寝ている所を発見された時は、殺されるかと思った。
はあ……と深いため息をつく。
「カシム副隊長」
テントを離れ一人夜景を眺める私の背にハリーが声をかける。
気配を感じない足運びの為か、いつも驚かされる。
森人は狩猟を生業とする。
獲物に悟られないように動く方法を心得ており、それは実生活でも常に発揮されている……その為か、こういう状況で背後を取られた場合。
彼が敵になった場合が脳裏を過り戦慄する。
「……どうした? ハリー」
なんとか平静を保ち、振り向く……特に表情に変化はない。
「はっ、王女からの任務内容……国境騎士団消息不明の件です」
「偵察の結果はどうだ?」
ハリーには一足先にこの先の村の偵察を頼んであった。
音信不通の内容が定かではない為、いきなり全員で村へ到達するのは危険、何故なら……これが敵の待ち伏せではない……という証拠はないからだ。
「それは……」
ハリーが口籠る。
いつもは冷静沈着、事実しか述べない彼が口籠るとは……
嫌な予感を覚えた。
「村には……誰もいませんでした」
「何だと……?」
訳が分からなかった。
騎士団との連絡が途絶えたというだけではないのか?
「村には……言葉通り誰も……敵すら、いませんでした」
この報告に私の心は大いに困惑した。
ただ、何かのトラブルで伝令が戻れない。
その程度の事だと思っていたのだ。
だが、こうなると話は変わってくる。
「同行している『
帝国領 国境の山脈 麓 森林地帯
麓の村へは広大な森林地帯を抜けていかねばならない。
そこに待つのは生い茂る木々と野生動物……そして、モンスターである。
この世界には動物の他に、人以外の生き物がいる。
緑の肌を持つ汚れた小鬼『ゴブリン』、どん欲に全てを喰らい尽くす『オーク』、伝説上の存在とされている竜種『ドラゴン』。
どれも野生動物との生存競争を常に行っている為か、驚くほど絶対数は少ない。
この森には下級モンスターである小鬼も若干だが住み着いている。
奴らは普段は大人しく人間にちょっかいをかけることはほとんどない。
が、満月の夜は別だ。
満月はモンスターの精神の波長を乱し、凶暴化させてしまう。
モンスターはよく月から来たと言われているが、それも頷いてしまうほど、月の与える影響は大きかった。
不味い事に今宵は満月。
襲撃は必然であった。
赤黒く汚れたボロボロのダガーを武器に、こちらへと飛び掛かってくる小鬼。
人の動きに似た……だが、人とは似ても似つかない俊敏な動作で騎士団を翻弄しようとする。
深い森林の隙間を駆け巡る彼等は、森の悪鬼そのものだ。
「くっ……」
交差する刃……騎乗しながら戦う騎士団は圧倒的に不利だ。
広い野戦ならまだしもせまい森の道での戦闘は、困難を極めた。
「サー・カシム、このままではいずれ犠牲者が出ますわ、なんとか広い場所へ……」
王女の指示により、同行する事になった教会組織、『
完全に不意を突かれたにも関わらず、未だ負傷者を出していない所は大した指揮だ。
だが、そんな彼女にもさすがに焦りの色が見える。
「分かっています……ですが、後少しの辛抱です」
そう、私は待っていた。
「グギギッ!」
不快感極まる雄たけびを上げ、パトリシアの頭上から小鬼が飛び降りてくる。
あんな高い樹から奇襲してくるなんて!
「パトリシア殿!」
「きゃあ!!」
間に合うか!?
武器を投げて間に合うか!?
落ち着け、しっかり狙うんだ……!
駄目だ、間に合わない!!!
「間に合いました」
「!!」
耳元で囁く声に心底、安堵した。
ヒュン!っと空を切り裂く音と共に、耳元を一本の線が走る。
「グギッ!?」
線は矢となり、小鬼の額を射抜いた。
紫の血をまき散らしながら、小鬼が息絶える。
こんな芸当ができるのは一人しかいない。
「お待たせしました。副隊長!」
後方で戦っていた彼等を。
小鬼は奇襲を得意とする。
となれば、森の地形を利用し、左右または、背後から仕掛けてくると踏んだ。
そして、見事それは的中した。
後方に配置しておいた、私の部下達がこちらまで戻って来たということは。
「カシム~。皆無事だよ!」
「エレノア!」
エレノアが凄まじい俊敏さで森の木々を駆け抜け、小鬼を次々に切り裂いている。
その手に光る二刀のショートソードが闇夜に舞う度、小鬼の悲鳴が木霊する。
エレノアが最後に残った一匹に接敵する。
一際大きい巨体の小鬼……ホブゴブリンか。
「フン、ホブね……アンタの相手はアタシじゃないよ!」
エレノアがホブの脇をすり抜け注意を引くと、彼女の動きに一瞬気を取られたのか、ホブがその動きを目で追った……それが命取りとなった。
「おおおおおりゃあああああ!!!!」
凄まじい雄たけびのままに、ホブに迫るヨハン。
その手に持つ六尺にも及ぶ
「ガッ!」
ホブを真一文字に両断し、ヨハンはふうと一息ついた。
その背後に迫る小鬼、ヨハンは気づいていない。
「ヨハン!」
ハリーが叫ぶ。
弓を引き絞るよりも速く、小鬼の首が宙を舞った。
「油断しちゃだめよ、ヨハン」
エレノアだった。
ヨハンの背中を守るように立ちふさがっている。
「よし、お前達。一気に殲滅するぞ!」
「はっ!」
帝国領 国境の山脈 麓 森林地帯 小鬼襲撃後
「皆さん、なんとか無事のようですね」
神殿騎士のパトリシアによる『
遠くから小川のせせらぎが聞こえる。
「副隊長、あの川を越えた所です」
「パトリシア殿」
私が前方の小川を指差す。
「……行きましょう」
私達は清らかな水の流れる川を越え、森を抜けた。
帝国領 国境の山脈 麓 国境騎士団駐屯地『村』
森を抜けた所は窪んだ大地になっていた。
荒涼とした開けた大地の中心に、まるで要塞のように防御を固めた村がポツンとある。あれが、話に聞く国境騎士団の駐屯地。
遠目からでも分かる強固な村……いや、もはや砦か。
村全体を覆う石壁にのこぎり型の
門付近には
亜人国との国境沿い……しかも小鬼の生息地なら、これぐらいしなければならないだろう。村の重要度が良く分かる。
「静かですね……」
騎乗したまま隣に来たパトリシアが口を開く。
「ええ……部下の報告では誰もいないとのことです」
「一体、何があったのでしょうか? ともあれ、まずは村へ入ってみましょうか」
「……念の為、私の部下から使いを出しておきます」
「……頼みます」
「エレノア、ハリー」
「はっ」
「王都に報告を頼む、私とヨハンはこのまま村に入る」
「え、でも、アタシも一緒の方が……」
珍しくエレノアが納得しない。
いつもなら、命令には素直に従うのだが。
「王都まで何もないとは限らない、また小鬼がいた場合、ハリー一人では危険だ」
「……」
エレノアは俯いていたが、やがて決心した様に顔をあげた。
その表情はいつもの姿であった。
「分かった。カシム、ヨハン、気を付けて」
「任せるであります。カシム副隊長は必ずお守りするであります」
ビシッと敬礼をするヨハン。
「アハハッ、ヨハンが一番心配だよ」
「では、我々は一刻も早く王都へ。そしてすぐに戻ります」
エレノアとハリーは二人で馬を駆り、全速力で戻っていった。
見上げる大きな城門は、私達を威圧するかのように、高くそびえていた。
扉を数人がかりで押す……もっと抵抗があると思っていた大扉は、何の抵抗もなくあっさりと開くのであった……
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