第2話 殺意

 とある囚人の手記より





 犯した罪に対する罰とは何か?



 罪に等価な罰など存在しない……



 あるとすれば、それは死だ。



 罪人の死こそが、残された人々への償いとなる。



 だが、結局はそれも、ただただ空虚な事



 万人に許される償いなど……ありはしない。











帝国領 国境の山脈 麓 国境騎士団駐屯地『村』





 初めに感じたのはどうしようもないだった。


 それは本来そこにあるべきものがなく、あるはずのないものがあるような違和感。

 

 心にねっとりと絡みつく不安……


 生活感を残したままの砦内部は、まるで今しがたまで人が生活していたような気配が残っている。

 点けっぱなしのランタン……出来上がったばかりのシチューの香り、炉に火が入ったままの鍛冶場……カウンターに広げられたままの酒瓶。

 

 だが、何より気持ち悪い感覚があった。


 視線である。


 そう、の村に視線を感じるのだ。


 神殿騎士団と協力して総出でくまなく調べた。


 民家も商店も兵舎も物見櫓も……井戸の中に至るまで隈なく調べたのだ。


 だが、誰一人見つけることはできなかった。


「主たる光の精霊アスカの名の元に、我が眼に真実を見せよ!」


 聖職者であるパトリシアが呪術の類を警戒して、『透過みやぶり』の御業を使い、砦全体を調べるが、何も見つからない。


「どうなっている……?」


 困惑のあまり頭を抱えそうになる。


 ハリーの報告は全て事実だ……砦内部には誰もいない。

 透過の御業にも検知されない……だが、やはりおかしい。

 このどうしようもない気持ち悪さ。

 誰も感じていないのか……?

 

 周りを探索する神殿騎士団やヨハン達からは、特にそういう雰囲気はない。

 今も黙々と村内を捜索している。


 感じているのは……?


「パトリシア殿……おかしなことを言うようだが……」


「どうされましたか? カシム殿」


「何か……視線のようなものを感じないか?」


「視線……?」


 キョロキョロと辺りを見回すパトリシア。

 やはり、私にしか感じないのか……?


 

 時間だけがどんどん過ぎる中、騎士達の間にも疲労が見え始めていた。

 当然だ、真夜中から行進して、小鬼の襲撃にこの異常事態の調査。

 月はとうの昔に沈み、村全体を陽光が照らしている。

 

 幸い、村の兵舎はそのまま使えそうだったので、そこで休息させてもらうことにした。

 

 今まさに、食べていたであろう料理、栓を開けられたワイン瓶。

 火の焚かれた暖炉……使い込まれヨレヨレになった手拭。


「ここも……今まで使っていたような跡が……」


「……副隊長。どうしてしまったのでしょうね。この村は……」


 木製の板が張られた床に座り込んでしまうヨハン。


「私にも分からない。だが……一つ言えるのは、この村に何かとんでもないことが起こった。ということだけだ」


 




 その日は、交代で見張りをしながら休息を取った。

 皆、かなり疲れていたのだろう……夕食もそこそこに次々と眠りについてしまった。


 私は兵舎を離れ、村の広場で石のベンチに腰かけている。

 疲れて眠ってしまったヨハンの代わりに見張りだ。

 私も疲れているのだが、よく働いてくれた部下の為にも、先に休ませてあげようと思った。

 彼は今、兵舎で大いびきを掻きながら幸せな夢を堪能している事だろう。


 すっかり太陽は沈み、空には月が出ている。

 残念なことに晴天とは言えない為……雲のかかった空はどんよりとしている。

 

 ぼーっと空を眺めていると、不意に声をかけられる。


「カシム殿……見張りですか?」


「パトリシア殿……眠られていないのですか?」


「あなたこそ……ずっと指揮してらしたでしょ? お休みになられては」


「そうもいきませんよ。交代の時間までは起きています」


 そう言いはしたものの、かなり瞼が重い。

 どうやら、想像以上に疲れているようだ。


「お隣、失礼します」


 隣に腰かけるパトリシア。

 一人じゃなくなったという安心感からか、睡魔の限界を迎えてしまったようだ。


「っ……」


 フラフラと寄り掛かるように倒れてしまった。


「ほら、やっぱり無茶をされてる。今はこのまま、眠ってください」


「そんな……わけには……」


「大丈夫です。ほんの少しだけでも……お休みになってください」


 パトリシアは、私に優しく膝枕をしてくれた。

 何だか、懐かしい感覚を感じる。

 


 そして、今、気づいた。


 彼女は……




 パトリシアの姿が亡き母に重なる。




 母に……似ているのだ、と……



 

 


 夢を見た……


 子供の頃の記憶。


 私が唯一覚えている過去……



 






十八年前 回想


 

 

 

 


 その村は貧しかった。

 

 徳ある国王によってかなりの貧民が平等に救われた筈……だったのだが、この村の領主は王宮を欺き、領民を搾取し、私腹を肥やしていた。

 

 当然、村人は王都にその事実を伝えようとする。

 

 だが、それをしようとした人物は二度と戻ってくる事はなかった。

 

 民は領主に口封じの為に、殺害されていたのだ。


 私の母もその一人。


 あまりの圧政に耐えられず、まだ六歳の私を連れて村を飛び出した。

 


 王都へと続くガレサ平原の街道をただひたすらに走る。

 まだ六つの私は手を引かれながら、雨でぬかるんだ地面を必死に蹴った。

 肌を濡らす大粒の雨のせいで、服が張り付き動きにくい……だが、私の手を引く母は懸命に走った。


 

「もう、あの場所むらには……いられない!」


「ごめんね、カシム……ごめんね……」


 泣かないで母さん。

 

 どうして、母さんが謝らなきゃいけないの?


 悪いのは、母さんを追いだしたあいつ村の領主だよ。

 

 





十八年前 回想 辺境の村






 父さんが帰ってこなくなってから、母さんはよく領主様の屋敷に行っていた。

 そこで、どんな事を聞かされたのかは母さんは教えてはくれない。

 

 けど、ある日、母さんは泣きながら帰って来た。

 

 僕が「どうしたの?」と問うても、母さんは泣くばかり。

 

 僕はただ、何も出来ずに母さんに抱きしめられていた。


 どれぐらい泣いていただろうか……母さんは突然泣き止むと、窓の外を伺い始めた。

 何かあるのかなと、覗こうとしたら止められた。


「あいつら……」


 母さんが怒っているのが分かった。

 僕の手を無意識に強く握っている。


 僕はじっと耐えていた。

 

 ハッと気づいた母さんが、力を緩めてくれた。


「ごめんね、カシム。痛かったね……」


「ううん、だいじょうぶ」


「いい、カシム。今からちょっとだけ走るよ。大丈夫、母さんがついてる」


「うん、わかった」


 誰かが家の中に入ろうと、玄関の扉を叩いていた。

 母さんは、僕を窓から外へと出し、二人して家の裏手から走り出した。


「あの人の残してくれた馬に乗るのよ!」


 裏手には父さんの愛馬が繋いであった。


「大人しくしててね。大丈夫、きっと大丈夫……」


 僕と母さんが騎乗した時。


「いたぞ、こっちだ!」

 

 兵士に見つかった。

 数人の兵士が慌てた様子でこちらへと駆けてくる。


「やっ!」


 愛馬の手綱を引き、馬を走らせる。

 一鳴きした馬は、追ってくる兵士を振り切るように急加速した。


 そのまま、村の通りに出る。

 集まっていた兵士達を蹴散らすように駆け抜けていく。


「逃がすな! 撃て!」


 立ち並ぶ兵士達が、ギリギリと引き絞った弓から、無数の矢が解き放たれる。

 

「うっ!」


 母さんが苦しそうに呻いた。

 だけど、母さんの胸に顔を埋めるように抱かれている為、何が起こったのかが分からない。

 

「大丈夫……っ……大丈夫っだからっ!」


 僕に心配させまいとしているのか、強く抱きしめられたまま、ただ馬の駆ける音を聞いていた。


 ただただ……母の苦しそうな吐息だけが、聞こえていた。


 

 どの程度走った頃だろう……母さんは馬を止めてしまった。


「くっ……」


 母さんが震えているのが分かった。

 もぞもぞと母さんを見上げる。

 

 母さんは前を見ていた。

 前を見ながら、何かに怒っているように見えた。


「どこに逃げるのですか、奥さん」


 この声……どこかで……


「貴方の力の及ばない所よ!」


 母さんはすごく怒っている。

 こんなに怒った母さんは見たことない。

 ぎゅっと強く抱きしめられる。


「だから、誤解ですよ。貴方の旦那さんはモンスター討伐に赴いて……」


「貴方の屋敷に向かって帰ってこなくなったのよ!? モンスター討伐? 嘘もいい加減にして!」


「出鱈目を言うのはおよしなさい。旦那さんは屋敷には来ていませんよ?」


「では、どうして、あの人の剣が貴方の家にあったの!? あの人が愛用の剣を手放すなんてありえないわ」


「あれは借金の肩にもらったものですよ。貴方のお家、お金がなくて困ってたでしょう?」


「あの人は、お金の為に騎士の誇りである騎士剣を手放す事なんてしないわ!」


「どうあっても私のモノになるつもりはないと?」


「お金の為に、貴方に身体を売るつもりはないわ」


「ちっ、こっちが下手に出ていれば……おい、殺せ」


「はっ……」


「っつ!!」


 母さんは手綱を強く引き、馬を急発進させたようだ。


「撃て! 殺せ!」


「うううっ!!!」


 苦しそうな母さんの声が聞こえる中、馬が一瞬凄く暴れた。

 ヒヒーンと大きく、苦しそうに一鳴きした。


 馬の駆ける音の合間に、男の吐き捨てるような声が聞こえた。


「ちっ、夫婦そろって楯突きやがって……貧民風情が……」


 その声と言葉が何故だか、脳裏に焼き付いて離れなかった。


 



 しばらく走った後……愛馬は倒れて動かなくなってしまった。

 母さんは、弔う事もできないほど、苦しそうで……背中には無数の矢が刺さっていた。

 母さんのボロボロになった服が赤くなっている。


「母さん、だいじょうぶ……?」


「だいじょうぶよ……うっ……だ、だいじょうぶよ……」


 母さんは僕の手を引いて必死に走った。

 大粒の雨が降ってきて、体がびしょぬれになっても走った。

 雨を吸った地面がぬかるんで、足がとられる……思うように走れなくて、進まない。

 だけど、母さんは懸命に手を引いてくれた。


 追っ手はもう来ていなかった。


 平原をずっと進んだ場所にある小川の橋。

 ここを越えれば、あとは王都まで真っ直ぐだと、母さんは言った。

 そこにいけば、母さんは苦しくなくなるのかな……そう思っていた時。


「へっへっへ……」


 汚い恰好をした男が四人いた。

 大雨の中、フードつきの外套を羽織り、通せんぼをするように、橋の前にいる。


「そこを……どいてください……」


「こいつでいいのか?」


 男の一人が口を開いた。


「ああ、見つけ次第好きにしろってさ」


「っていっても、もう死にかけじゃねーのか?」


「ああ、だから、って事だろ?」


 意味は分からないけど、何故だか凄く怖くなる言葉だった。

 寒いのかなと思う程、体中がガタガタと震えてきて止まらない。


「こんな所で、死ねないわ……」


 母さんは僕を離れた所に行くように指示をした。

 母さんの影になっている僕に、大雨のせいか、彼らはまだ気づいていないようだった。

 言われた通り、近くの木の傍に隠れるように、様子をうかがった。


 母さんは後ろ手に隠した短剣を握りしめている。


「へっへっへ、この女、やる気だぜ?」


 男達が肩を小刻みに揺らしながら、母さんに迫っている。


 男の一人が母さんの身体を触った。


「汚い手で触らないで!」


 男の手を払いつつ、母さんは短剣で男を刺した。

 お腹の辺りが真っ赤に染まって、男は苦しそうに倒れた。


「てめえ!」


 男達が一斉に持っていた武器を抜いた。


 大雨の音に混じって聞こえる金属音。

 瞳に写る交差する白刃と飛び散る血飛沫。

 ゆっくりと倒れこんでしまう母さん。

 男達が倒れた母さんの衣服をはぎ取り、覆いかぶさっている。

 何をしているのかは分からない。

 雨と涙で前が見えない。

 恐怖と悲しみでガタガタと震えが止まらない。


 それ以上に……こいつらを許せない。


 

 ふつふつと感じた事のない感情が沸きあがってくる。



 その時の僕は知らない感情——怒りだ。





 




 母さんが倒れた時に、飛ばされたらしい短剣、僕はそれを拾った。



 雨音に混じって残った男三人の荒い声が聞こえてくる。

 何かは分からないが、とても気持ち悪い声だ。

 そして、見れば見る程許せない行為だ。


 今すぐにでも、その行為を止めさせてやりたい。


 いや、ころそう。


 こんな奴等、死ぬしかない。


 許せない。


  

 一心不乱に何かをしている男の背中に、僕は体当たりをするように、短剣を突き刺した。まるで刃が吸い込まれるように男の背中に消えていく。


「がっ!」


 男はそのまま、母さんに覆いかぶさったまま、動かなくなった。


「何だこのガキ!」


 僕を見た男達は、母さんから離れると僕を殴り飛ばした。

 意識がふっと飛びそうになるほどの衝撃だった。

 痛い!と声を上げることもできないほど、痛かった。

 

 倒れこむ僕の周りに男たちが近づくと、武器を手放しているせいか、ひたすらに僕を蹴ってくる。

 雨に濡れて重くなった靴で、何度も何度も何度も、お腹や顔、足、腕、色んな場所を蹴られた。


「こいつこいつこいつ! 仲間を殺りやがって……」


「おい、こいつも殺しちまおうぜ」


 男が武器を拾ってきたようだ。


 僕も殺されるのか……?

 痛みと雨で体が熱いのか寒いのか良く分からない。


 でも、母さんを助けたくても……僕にはもう、身体を動かす力もなかった。


「じゃあな、餓鬼。あの世でママによろしくな!」


 

 目の前が真っ赤に染まり、僕はそこで意識を失った……





 






 

 




 

 



 

 

 

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