第06話 控えめに言って……詰んだよね
僕はこの世界に来てから一番の危機にあっていた。
やばい。これは流石にヤバすぎる!
オナニー休憩だと一安心していたところで、まさかの戦闘に入るなんて。
聞いてませんよ!? そんなこと!
「ギチギチギチッ!」
「うわっ、キモ!」
よだれ?というか溶解液的な汁を口から滴らせながら、巨大蜘蛛が上から落ちてくる。
ずり落ちたジャージを元に戻してなんとか回避に成功するが、場所が悪かった。
洞窟の入り口は蜘蛛の向こう側だ。あそこに行くためには必ず、蜘蛛の横を通り抜ける必要がある。
あぁ、嫌だ。マジ嫌だ。
でも、かといってこのまま洞窟の奥に逃げたとしても最悪、袋小路になっている可能性がある。それを考えたらこのまま蜘蛛の横を通り抜けるのが正しいんだけど、
「……分かっていても、嫌なものは嫌だよね」
「ギチュ?」
「いや別にお前に言った訳じゃないから」
落ち着け、僕。
とにかく、今はなんとしてもこの戦闘を回避することを考えるんだ。
……いや、でもよくよく考えてみると、戦って勝てる可能性はあるんじゃないか?
前に見た二メートルの虫よりもこの虫は小さい。目測だけど、だいたい百二十センチくらいだろう。
だけど僕のパンチで倒せるかな? うーん。流石にそこまでは弱くはないか。
頭の中でどう動くか決めかねていると、蜘蛛は痺れを切らしたのか僕に向かってジャンプしてきた。
「ふぇふぉ!?」
突然の攻撃に素っ頓狂な声を上げてしまう。
攻撃自体は反射的に後ろに飛ぶことで、避けることに成功した。
が、問題はそこじゃない。その威力だ。
僕が数秒前まで立っていた場所には巨大蜘蛛の前足がぶっ刺さっていた。
……えぇ。どんな切れ味だよ。まったく。
岩に突き刺さるって、普通に考えてヤバいよね?
こんなん、素手で倒せるわけがないです。はい。
「だったらもう方法は一つしかない」
某有名漫画の第二部主人公の台詞を思い出しながら、僕は一目散に洞窟の内部に走っていった。
慌てて巨大蜘蛛も追いかけてくる。が、あの鈍重な体では僕ほどの速さで走ることはできないらしい。
……ほっ。これで一先ず危機は回避した。でも、この先に出口がなかったらおしまいだ。
(頼むからあってくれよ! 出口!)
心の中でそう願いながら奥へと一心不乱に駆けていく。
だが、やはりこの世界は僕にとことん厳しいらしい。願いも虚しく、僕の前に現れたのはむき出しになった岩盤層だけだった。
「嘘だろ……くそっ!」
ここで固まっていてもしょうがない。
僕は切り替えのできる男だ! 幸いにも巨大蜘蛛がここに来るまでに少しの猶予はあるだろう。
しかし、またしても、そんな僕の希望を打ち砕くようにすぐに蜘蛛は現れた。
どうやら、壁に糸を張り付けてその反動を利用して飛んできたらしい。
岩を切り裂く鎌に知性まであるのか、この化物――!
「っ……だからって、こんなところで死んでたまるかぁっ! うぉりゃぁ!」
やけくそになって僕は飛んできた蜘蛛が地面に落ちる前にその横を走り抜けた。岩盤を蹴りつけて加速を行う。
この行動は巨大蜘蛛も予期していなかったようだ。
八つの視線に驚きが含まれていのを通り過ぎながら感じた。
「ギチュチュチュ!?」
「はっ! 残念だったね! これに懲りたら僕のことを食べるのは諦めて――」
「ギチューッ!」
「ヒィッ!? なんか余計にやる気になってるんですけどぉ!」
恐るべし蜘蛛の執念!
だけど、僕だってこんなところでやられてやるわけにはいかない。まだ一回もこの世界に来てからオナニーしてないのに死ぬなんて絶対に嫌だ!
疲労感に苛まれる体に鞭を打ちラストスパートをかける。すると、ようやく僕が待ち望んでいたゴールの姿が見えてきた。
「も、もうすぐで出口だ!」
外から陽光が差し込んでくる。あと数歩でこの地獄ともおさらばだ!
脳内でアドレナリンがドバっと出てくるのが分かる。ここまでくれば、もう平気だろう!
……だが、この時の僕は完全に失念していた。この世界に来てから、希望的観測はまったく役に立たないということを。
歓喜に打ちひしがれていた僕の足に何かが引っかかる。違和感を覚え、視線を下に向けるとそこには真っ白な糸が左足に絡みついていた。
「なっ!?」
「ギチギチギチーーッ!」
視界がブレる。宙に放り出された僕に次に襲い掛かったのは落下の衝撃だった。
グホッ!? うぅ……肩痛ぇ。
動きやすさを考慮したジャージでは防御力など無いに等しい。叩きつけられたダメージの大きさに肺の中の空気が一気に漏れた。
「ギチュチュチュ!」
「痛っ……って、またかよ! ふべっ!?」
どうやら、よっぽどこの蜘蛛野郎はさっき僕に出し抜かれたのが気に入らなかったらしい
捕食するのではなく、まるで子供が力加減を知らずに玩具を壊すように糸で捕らえた僕を洞窟のいたる場所に叩き付けた。
こいつ……完全に僕を弄んでやがるっ!
前の世界では味わったことのないような苦痛に意識が朦朧とする。だけど、ここで負けるわけにはいかない。
何より、こんなふざけた蜘蛛によって僕の人生が終わらせられるというのが我慢できなかった。どうせ死ぬなら、せめて可愛い女の子の膝の上でオナニーしながら死にたいわ、ボケ!
怒りを気力に変え、なんとか意識が飛ばないように歯を食いしばってこらえる。
そして、決めた。
……こいつには何が何でも一発、食らわせてやる!
「ギギギチュ?」
そんな覚悟を決めてから少し経ち、声を上げなくなった僕のことを見ながら蜘蛛野郎が首を傾げた。きっと僕が怖がらなくなったのが、面白くないのだろう。
すると、もう飽きたと言わんばかりに急に蜘蛛は自分の糸を手繰り寄せ始めた。遊ぶのに飽きたらすぐ食べるのか、この野郎。
どうやら、こいつは完全に僕のことを玩具だと認識しているらしい。
ふふふっ、今に見てろよ。お前はこれで終わりだと思っているらしいが、それは違う。
――僕はお前に近づけるこの時を待っていたんだ!
「くらえ、このクソ蜘蛛!」
「ギギッ!?」
ぐったりとしていた演技をやめ、反撃に転じる。
本能的にわかる。ここで仕留められなかったら僕はこいつにきっと食われるだろう。
だから殴る拳は止めない。一発、二発、五発、九発……十五発!
固い外殻を殴り続けたためか、殴っている僕の拳にも血がにじむ。
だけど、確実にこれは効いてるぞ! このまま畳みかければ――っ
「えっ?」
不意に体から力が抜けて地面にうつ伏せに倒れた。
見てみると右手が痙攣している。どうやら、蜘蛛が死ぬよりも先に僕の体の方が限界を迎えたらしい。もう指一本、動けそうにない。
……まあ、ちょっと前まで平和な世界で悠々自適に生きてた高校生が三日もサバイバルした上、戦闘なんてすればこうなるのは当然か。
場違いなほど冷静な自分の思考に少し驚きつつも、僕はすぐに別のことを考える。
あぁ、どうせ死ぬなら異世界でもオナニーしておけばよかったな。
そんなことを考えている間にも、蜘蛛は糸を引きずり僕のことを食べようとしている。
動けない僕はうつ伏せのまま引きずられて死を待つのみだった。
(いや、納得できない)
……本当に、ここで僕の異世界ライフは終わりなのか?
せっかくこんなファンタジーな世界に来たのにまだケモ耳を見てないんだぞ。エロいエルフのお姉さんも、エッチなビキニアーマーの女騎士も皆、まだ僕は出会っていないというのに!
「……たまるか」
奇跡なんて起こるはずがない。
この世界に来てから、そんなことは嫌というほど思い知った。
だから、僕は願わない。ただ、思いを叫び続けるだけ。
「……終わってたまるか」
オナニーせずに終わってたまるか。
そう、心の中で大きく。ひたすらに叫び続けるだけ――っ!
「オナニーせずに終わってたまるか!」
僕が咆哮したその時だった。
この世界に来てから初めての奇跡が僕の前に訪れたのは。
《
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