第6章 迷いしイチゴミルク

 目の前に三つのドアがあった。それぞれの表面にA、B、Cの文字が書かれており、左から順に赤、緑、黄色に染まっている。それぞれ円いノブが付いており、如何にもドアといった感じだった。蝶番はしっかりと固定されているが、開かないということはなさそうだ(当たり前だ)。


 ドアの前にぼうっと突っ立っている少年が言った。


「これ、どこに入ったらいいの?」


 彼の隣にいる少女が応える。


「うーん……」


「君の直感はどこに入れと言っている?」


「うーん……」


「君は、この中だったらどの色が好き?」


「うーん……」


 少年は少女の肩を軽く叩き、自分の方に注意を向ける。


「ねえ、聞いている?」


「聞いているよ」


「じゃあ、どれに入るの?」


「分からないんだよなあ……」少女は言った。「どれにしようかなあ……」


「だからさ、君の直感はなんて言っているの?」


「今は直感は使えない」


「え、どうしてさ」


「使えないから」


「だから、どうして?」


「今は眠っているらしい」


「は、眠っている?」


「ときどき休憩しちゃうんだよね、この子」少女はまるで直感が生きているかのように表現する。「だからどうしようもなくてさ……。ああ、もう、仕方がないから、順番に入っていこうよ、順番に」


「Aから?」


「そうそう」


「それが、君の直感?」


「そうだよ」


「なんだ、全然大したことないじゃないか」


「黙れ」


 少女がドアのノブを握り、二人は赤い色をしたAのドアの中に入っていく。ドアは静かに閉まり、エントランスには誰の姿も見えなくなった。


 今日の朝のこと、少女が目を覚ますと、昨日の夜大切に仕舞っておいたイチゴミルクがなくなっていた。小さなパックに入った飲料を確かに冷蔵庫に入れたはずなのだが、どこを探しても見つからなかったのだ。それで、捜索範囲を家全体にして探したところ、なんとポストの中に奇妙なカードが入っているのが見つかった。カードは横長の白い封筒に入っており、カード自体も白い紙でできている。強度はかなりあるが、それほど厚くはない。そこには文書ソフトで出力された明朝体の字でこう書かれていた。「イチゴミルクは三つのドアの中のどこかにある」。


 三つのドアとは何のことだろう、と少女が考えていると、いつの間にか、目の前にそれらしきドアが出現していた。たった今まで玄関に立っていたはずなのに、いつしか、彼女は見たこともない亜空間のような場所に立っていたのだ。周囲は真っ白で、上も下も、右も左も区別がないような、そんな不思議な空気感が漂う場所だった。そして、少女の隣には幼馴染の少年が立っていた。彼曰く、何か、目が覚めたらこの場所にいた、ということらしい。ドアが三つあるので、その内の一つを選んで入ってみようという話になり、たった今Aのドアを選んだというわけだった。


 ドアの中にも同じような亜空間が広がっていたが、ドアが三つ並んでいる場所、つまりエントランスとは違って、その先は一本の廊下になっていた。しかし、壁はあるが、天井はない。上には先ほどと同じように真っ白な空間が広がっているだけであり、壁も透明で、足もとと左右が囲まれていることを除けば、エントランスと大した違いはなかった。


「これ、何なんだろう……」歩きながら少年が言った。「なんか、意味が分からないんだけど……」


「当たり前じゃん、そんなの」少女が話す。「勝手に人のイチゴミルクを奪うなんて、とんでもないやつだよ」


「え、いや、そうじゃなくて……」


「見つけ次第引っ叩いてやる」


 少年は少女の隣を歩いていることにちょっとした恐怖を覚えた。


「でもさ、もう少しよく思い出してみたら?」少年は言った。「何か忘れていることがあるんじゃない? 昨日の夜、本当にちゃんと冷蔵庫に仕舞ったの? 夜中に起きて、自分で飲んだりしていない?」


「するわけないじゃん、そんなこと」少女は少々不機嫌のようだ。「なんでそんなことするわけ? 今日の朝飲むために買ってきたんだから……。……しかも、私一人分じゃないんだよ。君の分まで合わせて二つも買ってきたのに……」


「え、そうなの?」


「そうだよ。決まっているじゃん」


 なんだかありがた迷惑なような気がしたが、少年はその感想を口にはしなかった。


「で、どうしてイチゴミルクにしたの?」


「飲みたかったから」


「あそう」


「何? ほかのものがよかった?」


「うーん、僕はねえ……。……あの、なんていうのか、イチゴミルクの砂糖どっぷり感があまり好きじゃなくてね……」


「そうなの?」


「そうそう」


「じゃあ、えっと……、何がよかった?」


 少女にいつも通り素直なところが見られたので、少年は若干安心した。


「いや、まあ、でも、君が買ってくれるなら、何でもいいよ」


「何それ」


「え、いやあ……、別に他意はないけど」


「うん」


「なんか、そうかなって思って」


「意味が分からない」


「嘘?」


「え?」


「いやいや、何でもないよ。とにかく、どうもありがとう」


「どういたしまして」


 間もなく視界が開けた。少し大きめの部屋のようだ。しかし、廊下と同じように四方が囲まれているだけで、家具らしいものは何もなかった。相変わらず天井もない。床はもちろんあった。部屋という空間を規定するものはすべて透明で、その先には真っ白な亜空間が広がっている。


「うーん、見たところ、何もなさそうだけど」周囲を見渡しながら少年が言った。「ここじゃないみたいだね」


 少女は答えない。


 彼女は部屋の中央まで歩いていき、そこにしゃがみ込んで何かを拾った。


 少年は彼女の傍に近づく。


「何、それ」彼は訊いた。しかし、訊かなくてもそれが何かは明らかだ。


 プラスチック製のストローだった。二本ある。


「ストロー」少女は端的に答えた。「そういえば、昨日あのイチゴミルクを買ったとき、ストローは付いていなかった」


「確か?」


「うん」少女は少年を見る。「だって、パックに付いていなかったから、私、店員にわざわざ指摘したんだから」


「その店員もくれなかったの?」


「そう……。不自然だなって思ったんだけど……」


「面倒だからそのまま帰ってきた?」


 少女は黙って頷いた。


 いずれにせよ、ストローがあって不都合ということはないので、二人はそれを貰っておくことにした。まさか、誰かの落とし物ということはないだろう。こんな所にほかの人間も呼び出されているとは思えない。ましてや都合良くストローを落とすなんて……。


 その部屋にはそれ以外何もなかったので、二人は引き返してエントランスまで戻った。


 今はAのドアを開けてAの部屋に移動したから、次は必然的にBのドアを開けることになる(厳密には必然的ではないが、少女の勘がはたらかない以上そうするしかない)。


 Bのドアを開けた先は、Aの場合と少し違っていた。


 白と黒が反転している。


 つまり、Aのドアを開けた先に続いていた廊下では、黒い縁で白い空間に壁や床が示されていたのが、Bの廊下は白い縁で黒い空間に壁や床が示されている。一見して変な感じがした。そもそも、現実世界では境界線というものは存在しない。存在するとしても明確に黒い線が表れることはない。もしかすると、これは……。


「まるで、数学の世界のようだ」廊下の入り口に立って、少年は思いついたことを口にした。「境界線がはっきりしているなんて……」


「でも、厚みはあるみたいだね」


「厚み? ……ああ、そうか……」彼は頷く。「線が物質として存在しているということだね」


 廊下に足を踏み入れると、二人の背後でドアがゆっくりと自動的に閉まった。


 細長い閉鎖的な空間に二人きりになる。終着点は見えない。


 二人は前に進んだ。


「いやあ、なんか、頭がおかしくなりそうだなあ……」きょろきょろしながら少年が話す。「まるで迷路みたいだ」


「迷路?」


「迷路って、こういうイメージじゃない?」


「よく分からないけど……。……まあ、でも、頭がおかしくなりそうていうのは、分からなくもないけどね」


「そうでしょう?」


「他人のイチゴミルクを勝手に持っていくやつがいるなんて、ホント、頭がおかしくなる」


「……いや、そこじゃないんだけど……」


 さっきのAの廊下よりも随分と靴音が響いた。壁や床の材質が違うのかもしれない。しかしながら、それらがいったいどのような物質で作られているかは分からなかった。エントランスやAの部屋は白かったが、あれは亜空間そのものが白かったからだ。そうなると、このBの廊下は亜空間そのものが黒いのではなく、壁や床が黒い色をしていると考えられる。頭上も黒かったので、この廊下には天井があるのかもしれない。


「あのさ、一つ訊いてもいいかな?」歩きながら、少年は少女に尋ねた。


「いいけど」


「もし、この先の部屋にも、Cの部屋にも、その……、君が探しているイチゴミルクが見つからなかった場合、どうするつもり?」


「どうするって、そんなの決まっているじゃん。この空間ごと爆破する」


「爆破って……。……そんなことができるものを持っていないじゃないか」


「君が着火剤になれば?」


「は、着火剤? いやいや、百歩譲って着火剤になるのはいいとしても、燃やすものが何もないんだったら、僕が着火剤になっても意味がないだろう?」


「私が爆弾になる」


「へ、へえ……」少年は笑いそうになるのをなんとか堪えた。「ああ、なるほど……」


「何? 何か言いたいことがあるの?」


「いや、ないけども……」


「ないけども?」


「いや、ないです。何もありません」


「よろしい」


「まあ、でも、あと二つも部屋が残っているわけだし、うん、きっと、見つかるはずだよね、その、イチゴミルク」


「それはどうかな」


「え、期待していないの?」


「期待しても、事実は変わらないから」


「でも、人間の心的事実には多少変化があるよ」


「そんなことどうでもいい。とにかく、見つからなかったら空間ごと吹っ飛ばす」


 少年は恐怖で何も言えなくなった。


 間もなく視界が開け、目の前に先ほどよりも幾分広い部屋が現れた。これがBの部屋だ。Aの廊下に比べてBの廊下は若干長かった気がするが、それはこの部屋が大きいせいかもしれない。AとCの部屋よりBの廊下が少し前に出ることで、Bの部屋を大きくすることができるという意味だ。


 まず、部屋の中央に木造の正方形のテーブルがあるのが目についた。


 少年と少女はそれに向かって歩く。


 歩きながら周囲を観察したが、この部屋も廊下と同じで、天井を含めたすべての平面が黒く、それらを規定する線は白かった。Aの廊下と部屋からも分かるように、廊下と部屋の構造はリンクしているようだ。したがって、廊下が白ければ部屋も白いし(正確には透明だが)、廊下が黒ければ部屋も黒い。ただし、そこに何らかの意味があるとは思えない。まず最初に真っ白な亜空間があって、その結果としてAの廊下と部屋が白くなったから、ちょっとしたデザイン性を考慮するつもりでBの廊下と部屋を黒くした、という程度でしかないだろう。何の根拠もなかったが、少年はそんなふうに考えた。


 正方形のテーブルの前にやって来る。


 二人でそれを見下ろした。


 近くで見てみると、テーブルというよりは、それは何らかの収納機能を備えた戸棚のようなものであることが分かった。手前に大きな引き出しがあり、それがテーブルの高さのほとんどを支配している。つまり、四本の脚が極端に短い。引き出しの把手は黒く染められた円い木材で、鍵がかかっている様子はなかった。


 少年と少女は一度互いに顔を見合わせる。


 それから、少女は頷いて、把手を握って引き出しをそっと手前に引いた。


 中に何かが入っている。


 とても小さなアルミホイルのようなものだった。


 少女はそれを手に取る。


「何これ……」彼女は言った。「……え?」


 少女の隣から、少年は彼女の手もとを覗き込む。


「銀紙みたいだけど……」


「どうして、こんなものが入っているのかな?」


 二人は暫く黙り込む。


 しかし、すぐに少年に閃きがあった。


「あ、分かった」彼は言った。「それって、もしかすると、紙パックのストローを刺す部分じゃない?」


「え?」


 少女は少し考え込むような顔をする。それからぱっと表情を明るくし、声を出しながら何度か頷いた。


「ああ、なるほど……」


 銀紙は長方形の形をしているが、飲み口の裏側に付けられているものだとしたら、そのような形をしていてもおかしくはない。銀紙そのものがストローに合うように円い形をしているのではなく、パックに円い穴を開けて、その裏側に銀紙が貼り付けられているということだ。


「でも、どうしてこんなものが入っているんだろう……」少女はすぐに難しそうな顔に戻る。


「さあ……」少年も唸った。


「何か、思いつくことがある?」


「そういうのは、君の担当じゃなかったっけ?」


「少しは休ませてよ」


「うーん、何かなあ……」少年は腕を組んだ。「何も思いつかないけど……。……ああ、じゃあ、たとえば、こんなのはどうかな? 商品を買ってきて、飲料を飲もうとしたんだけど、その穴に刺すのがなんだかもったいないような気がして、パックを解体して銀紙を丁寧に剥がした。それで、それを大切にそこに仕舞った。……どう? 少しはありえそうじゃない?」


「ふざけているの?」


「は? いやいや、ふざけてなんていないけど……」


「そんなことをする人がいると思う?」


「いるんじゃないの? たとえば、君とか」


「それ、言うと思った」


「なんだ、自分でも分かっているんじゃないか」


「うーん、でもねえ……。……じゃあ、いったい誰がそんなことをしたって言うの?」


「それは……、きっと、ここに住んでいる誰かだよ。それしか考えられないじゃないか」


「そんな人がいるの? それなら、その人は何のために私たちをここに連れてきたの? 君の仮説を採用する場合、私のイチゴミルクを奪ったのはその人ということになるよね? だって、そうじゃないと、私たちをここに呼んだこととの関係がなくなってしまうから……。わざわざ他人のイチゴミルクを奪って、紙パックに付いている銀紙を丁寧に剥がして、それを隠して私たちに探させるって……。そんなことをする人がいる? そうだとしたら、さっきのストローとの関係は?」


「いや、そこまでは分からないけど……。……まあ、適当に考えた仮説だから、気にしなくていいよ」


「気になるなあ……」少女は少年を睨みつける。「……まさか、君が仕組んだんじゃないよね?」


「それって、僕が君のイチゴミルクを奪ったと疑っているってこと? 酷いなあ」


「そこまでは言わないけど、何か企んでいるんじゃないかな、と思って」


「神に誓ってしていないよ」


「本当に?」


「本当に」


 暫くの間少女は少年を品定めをするような目で見ていたが、やがて視線を逸らして溜息を吐いた。


「まあ、そうだよね……。君みたいな人間にそんな高度なことを考えられるわけがないし」


「なんだか今日は不機嫌だね。そんなにイチゴミルクを勝手に飲まれたのが嫌だったの?」


「当たり前でしょう!」少女は大きな声を出す。「他人のものを勝手に飲んで、怒らない人がいるわけ?」


「僕は怒らないけど」


「君はね、君は」


 そのとき、少女は銀紙が二枚あることに気づいた。


「あれ? なんか、触っていたら、もう一枚出てきた……。……重なっていたみたい」


「え、本当に?」少年も彼女の手の中のものを見る。「ああ、本当……。……じゃあ、この銀紙は、君が買ってきたイチゴミルクに付いていたものとは限らないね」


 納得がいかないみたいだったが、少女は渋々頷いた。


 二人はBの部屋をあとにする。廊下を歩いて再びエントランスに戻ってきた。


「さあ、もう、残されたドアはこれ一つだけだけど……」少年がCと書かれた黄色いドアを指差して言った。「まあ、これしかないんだから、これしかないんだよね」


「何言っているの? 当たり前じゃん」


「どんどん進んでいこう」


「進むのにも限界がある」


「どうして? 疲れたの?」


「物理的に」


「物理的に疲れたってこと?」


「物理的に進むのに限界がある」


「何言っているの? 当たり前じゃん」


 少女は少年を睨みつける。そのまま彼に何も言わずに足を踏み出し、彼女は勝手にドアを開けて中に入ってしまった。


 少年は慌てて少女のあとを追う。背後で自動的にドアが閉まった。


 その先に続く廊下は、Aの廊下とほとんど変わらなかった。いや、まったく同じといって良い。詳細に調査すれば多少は違いが見つかるかもしれないが、双子のように、瓜二つとでも言えば伝わるだろうか。


 もはや何も躊躇せずに、二人は先へと進んでいく。


「あのさ、これは僕の予想なんだけど」歩きながら少年が言った。「この先にある部屋にも、何か置いてあると思うんだよね」


「だから、それくらい私にも分かる」少女は相変わらず不機嫌そうだ。


「え、そう? そうかあ……。なかなかの名案だと思ったんだけど……」


「君の頭はどうかしているみたいだね」


「酷いね、まったく。君の冒険に付き合ってあげているというのに」


「嫌なら帰ってよろしい」


「特に嫌じゃないけど」


「じゃあ、黙ってついてくるように」


「うんうん。元気だね。安心したよ」


 先ほどよりも歩調が速くなったせいか、すぐにCの部屋に辿り着いた。こちらもAの部屋と何も変わらない。Bの部屋のように中央にテーブルが置かれているということもなく、真っさらな平面が四方に向かって広がっていた。


 そして、部屋の中央に何かが落ちていた。


 少年が予想した通りだ。


 二人はそれに近づき、少女がしゃがみ込んで拾い上げる。


 防水加工がされた白い厚紙だった。


「これは……」少年が呟く。


「たぶん、飲料のパック」少女が機敏に反応した。


「やっぱり……」


「何、やっぱりって」


「いやいや、だってさ、考えてみなよ」少女を見下ろしたまま、少年は説明した。「最初の部屋からはストローが、そして次の部屋からは銀紙が見つかったとなれば、もう残された部屋からは紙パックが見つかるしかないでしょう」


「うーん……。……まあ、なんとなく規則的なものを感じるのは確かだけど……」


 少女が拾った紙パックは立体ではなかった。小学校の算数の授業で習うように、それは綺麗に開かれて展開図の状態になっている。四つの長方形と一つの正方形が組み合わせられており(正確には、紙が組み合わせられているのではなく、一つの台紙にそれらの折り目がつけられている)、長方形の上部にはパックの注ぎ口を形作る線が入っていた。


 そして、二人ともすぐにそれに気づいた。


 ストローを刺すために作られた穴には、銀紙が貼り付けられていなかった。


「これでどうしろっていうの?」少女が誰にともなく尋ねる。


「うーん……。でも、パーツは揃ったわけだから、これで紙パックは作れることになるね」


「自分で?」


「そうだよ」


「どうして……」


「いや、なんとなく……」


 最後のCの部屋にもそれ以上のものはなかったから、二人は引き返して白い廊下を戻った。やがてドアが見えてきて、無事にエントランスまで戻ることができた。


 さて……。


 これからどうしたら良いだろう、と少年は考える。


 きっと、少女も同じことを考えているに違いない。


 これでは、結局イチゴミルクを飲めないままになってしまう……。


 とりあえず、二人は三つの部屋から回収したアイテムを床に並べて、試行錯誤してそれらを組み合わせてみることにした。


 最も苦労したのは、やはり紙パックに銀紙を貼り付ける作業だった。二人は糊を持っていなかったので、どうやって紙面に金属箔を貼り付けたら良いのか分からなかった。銀紙にはストローを刺すわけだから、紙パックと銀紙がある程度の強度で貼り付けられていないと、ストローを刺そうとした瞬間に銀紙が剥がれてしまう。


 考えた結果、苦肉の策として、二人は予めストローに銀紙を突き刺しておくことにした。ストローの尖っている方から銀紙を刺し、それを上の方まで持ち上げていって、普通とは反対側から、つまりパックの内側から外側に向けてストローを刺すことで、外からはストローが銀紙に刺さっている状態に見えるようにしたのだ。苦し紛れの好い加減な処置だったが、二人にはこれ以上のクオリティで飲料のパックを再現することはできなかった。


 そうして完成された紙パックだったが、当然それはイチゴミルクそのものではない。というよりも、それ以前の問題として、飲料ですらないのだ。防水加工が成された厚紙で空間が仕切られているだけで、中には何も入っていない。そして、イチゴミルクなら、普通はピンクや白、それにクリーム色といった色彩でパッケージがデザインされているが、それはまったくの真っ白で、全然イチゴミルクという感じはしなかった。


 これは、より一層彼女の機嫌を損ねるだけでは……、と思って少年が少女に目を向けると、その通り、少女はもう熱された薬缶のようにかんかんの様子で、いつ爆発してもおかしくないような状態になっていた。


「こ、こんな……」少女が呟く。「……こんなに手間暇をかけさせておいて、出来上がったのが……、こんな……」


「いやいや、まあまあ、少し落ち着こうよ」少年はにこやかな笑顔で諭す。「怒り狂っても何も解決しないし」


「こんな……、塵を作ったところで、いったい、何になるというのか……」少女は彼の話を聞いていない。


「ねえ、聞いている?」


「聞いていない」


「あ、聞こえているんじゃないか」


「煩い!」少女は大声を出した。「もう、どうするの!」


 少年は驚いて一歩後ろに下がる。


「せっかく買ってきたのに! 二人で飲みたかったのに!」そう言いながら、少女は少年との距離を詰める。


「いやいや、だからさ、少し落ち着いて……」


「落ち着いていられるか!」


「うん、まあ、そうだけど……」


「分かったようなこと言って!」


「いや、分かっていないって」


「理解してくれないなんて!」


「じゃあ、理解するから……」


 突然、少女はその場にしゃがみ込み、肩を震わせて黙ってしまった。


 少年は呆気に囚われる。


「……泣いているの?」


「泣いているよ……」少女は答えた。彼女の顔の下に水滴が零れていく。「……どうして……。……どうしてこんな目に遭わなくちゃいけないの……。ただ、二人で、飲み物を飲みたかっただけなのに……」


 少年は急に彼女が可哀相に思えてきた。


 たしかにそうだ。


 買ってきた飲料を奪われた挙句、意味の分からない空間に飛ばされて、結局は探していたものが見つからなかったとしたら……。


 きっと、自分なら一生立ち直れないだろう。


 少年は少女の肩に触れる。


 それから、何も言わずに彼女の細い胴体をそっと抱き締めた。


「僕が、代わりに買ってくるから」


 少女は答えない。少年の袖がみるみる内に水分を吸収していく。


「また、買えばいいじゃないか。ね? 一生飲めないわけじゃないんだから……。コンビニに行って、ちゃっちゃと新しいものを買ってくればいいだけだよ。そうだろう?」


 少女は涙を流しながら頷く。


 少年は彼女の背中をそっと撫でた。


 そのとき、少女の背後に放ったらかしにされていた二つのパックに変化が起きたのを、少年は見逃さなかった。


 彼女を抱き締めたまま、少年はじっと目を凝らす。


 真っ白な二つの紙パック。


 それが、今、ピンク色に染まろうとしている。


 遠くから眺めていても、その変化ははっきりと見てとれた。


 いや……。


 そうではない。


 遠くから眺めたからこそ、その変化が起きたのではないか。


 少年は閃いた。


 そうだ、その通りだ。


 ああ、なんて素晴らしい発想なのだろう。


 今まで気づかなかったのがおかしいくらい。


 そう……。


 気づかなかったのだ。


 どうしてだろう?


 少女の背後に置かれた二つのパックは、今や完全にイチゴミルクのそれになっていた。


 これで、少女の笑顔を取り戻すことができる。


 そう、笑顔を引き起こすのは、いつだってくだらないジョークだ。


 少年は可笑しくて思わず笑い声を上げた。


 位置・塵・look!

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