第7章 マンドレイクの根ではない

 新しい家が建つことになった。建つことになった、と如何にも他人事のように語っているが、新しく建つことになったのは少女が住む予定の家だから、少なくとも、少年にとってまったく関係がないわけではなかった。だから、正確にいえば、新しい家を建ててもらうことになった、といった表現が最も相応しいかもしれない(最も、と限定しておきながら、かもしれない、とほかの可能性を許容する表現を使うのは、如何なものか)。少女からその話を聞いたとき、少年は少なからず驚いたが、三秒後には得体の知れない嬉しさが湧き上がってきたことも事実だった。


「一つ気になるんだけど、そんなお金がどこにあったの?」そのとき少女が住んでいた家のリビングで、少年はマグカップを片手に尋ねた。


「もちろん、自分で稼いだの」そのとき少年がやって来ていた家のリビングで、少女はビスケットを片手に答えた。


「へえ……。そりゃあ、凄い」少年は感嘆の声を上げる。「僕には絶対に無理だなあ」


「やる前から諦めているんだから、見込みがなくてもおかしくはないね」


「いやいや、そういう意味じゃなくてさ、そういう欲がないんだよ」少年は弁解する。「君は、もちろん、新しい家が欲しい、と思ったから新しい家を買ったんだろう? 人が何か行動するときには、必ずそうした欲というものが存在する。論理的な思考に則って行動しているつもりでも、実は感情的な判断が先にある。だから、君はその感情的な判断に従ったのちに、それが実現可能かどうかを論理的に思考した、ということになるよね?」


「うん、そうだね」


「いやあ、凄いなあ……。そんな素晴らしい欲を持てるなんて」


「君には欲しいものとかないわけ?」


「うーん、ないね。ぱっと思いつかないし……」


「へえ……。ま、そういう人もいるのかな」


「君にはまだほかに欲しいものがあるの?」


「あるよ、いっぱい」少女はビスケットを齧る。


「たとえば?」


「宇宙船とか、フリスビーとか、ハイスペックなゲーム機とか」


「宇宙船はちょっとスケールが大きすぎると思うけど……。あとの二つは、今すぐにでも手に入れられそうだね」


「でもさ、そんなにほいほいと何でもかんでも手に入ったら、つまらないでしょう?」


「そうなの?」


「そうなの」少女は頷く。「だから、今は我慢している」


「我慢しているのが楽しいわけ?」


「なんか嫌らしい質問だね」


「そういう意味で質問したつもりじゃないけど……」少年は笑う。「でも、その感覚は僕にも分かるよ。ある程度我慢して仕事をしてから、思いっきり遊びたい、みたいな感じだろう?」


「そうそう、そういう感じ」


 というようなやり取りがあってから三週間後に、少女の新しい家は完成した。その新しい家は、それまで彼女が住んでいた家があるのと同じ街にある。しかも街の入り口の付近に建てられた。もちろん、それは彼女がそうするようにオーダーしたからだ。その辺りにはもともと空いている土地があり、それを買い取って新築の住宅を建てたというわけだ。


 そして、現在。


 二人はその新しい家の前に立っていた。


「いやあ、素晴らしいね」家を見上げながら少年が言った。彼は自分の額に掌を翳し、廂のような形を作っている。なお、今は曇っていて、太陽の光が強いわけではない。


「でしょう? 頑張った甲斐があったなあ」少女が反応する。


「頑張ったって、君が建てたわけじゃないじゃないか」


「仕事を頑張ったってこと」


 それまで少女が住んでいた家とは違って、こちらはありとあらゆる部分が木材で作られている。その木材は中でも高級なものらしく、たしかに若干艶があるように見えなくもなかった(欲のない少年には、高級なものとそうでないものとの判別がつかない)。いわゆるログハウスと呼ばれる建物の代表的な形状をしており、家の正面から見て右側から伸びる階段が玄関へと繋がっていて、屋根は一般的な三角の形状をしている。壁面は当然丸太材を組み合わせて作られており、如何にもそれっぽい感じがすると表現すればそれだけで事足りそうだった。窓は玄関を挟んで左右に二つあり、四分割するように十時に木材が嵌め込まれている。外から見ると煙突があるのも分かった。立派な煙突で、赤茶色のレンガを基調としている。


 二人は九十度方向転換する階段を上り、玄関の前までやって来た。玄関のドアもかなり立派だ。このドアは丸太材で作られているのではなく、巨大な一枚板がそのまま使われている。ドアの隣に長方形の細長い穴が開いており、それがポストの役割を担っているみたいだった。


 少女は玄関のドアのノブに鍵を差し込む。鍵も如何にもそれっぽい形状で、少年はファンタジーの世界に来たような気分になった。


 二人揃って家の中に入る。


 室内は酷く簡素な作りになっていた。なんと、部屋が一つしかない。つまり、この広大な家のすべてがこの空間に凝縮されているのだ。


「これは驚いたなあ……」少年は言った。


「何が驚いたの?」靴を脱ぎながら少女が尋ねる。


「いや、だって……。……まさか、部屋が一つしかないとは思わなかったから」


「これは住居じゃないからね。一種の別荘みたいなものだよ。キャンプに来た感じで使えればいいかなと思って……」


 天井は限りなく高い。それがこの部屋の広大さを引き立たせている。照明器具は、天井ではなく、四方を囲む壁にそれぞれ一つずつ設置されている。LED製の細長いタイプの照明で、一つの部屋に四つも設置する必要があるのか疑問だった。


 少女は床に仰向けに寝転がる。


「ああ、やっぱりいいなあ……」彼女は言った。「憧れていたんだよね、こういう感じ……。……やっと夢が叶った」


「これならバドミントンをしても安心だね」


「うん。思う存分できる」


 まだやるつもりなんだ、と少年は思った。


「昼寝をするために来たの?」彼は質問する。


「ん? うーん、まあ……」少女はすでに目を閉じていた。「特に目的はないけど……。何でもいいよ。とりあえず、のんびりできれば……。何だかんだ言って疲れているし……」


「へえ……。君が疲れるなんて、余程大変なことがあったんだね」


「うん、君がいつも近くにいるからさあ」


「え、僕のせい?」


「嘘だよ」ぱっと目を開けて、少女はにっこり笑った。「ちょっと焦った?」


「かなり」


「素直で面白い」


「君ほどじゃないと思うけど……」


 少年は部屋の中をゆっくりと歩く。見える範囲に窓は玄関の傍にある二つしかないが、天井の方から僅かながら部屋に明かりが差し込んでいた。ここからでは確認できないが、どうやら天窓があるようだ。まだ建てられたばかりだから、木材の匂いがかなり残っている。自然の中にいるような感じがするといっても差し支えないが、その表現は少し違うだろう。自然というよりは、大地と表現した方が近い。そう、大地……。聖なる大地の上を歩いているような気がするのだ。


「ねえ、あのさ」歩きながら少年は少女に声をかけた。


「ねえと、あのさでは、どちらとも意味が同じだよ」


「うん、じゃあ、あのさ」


「じゃあと、あのさだったら、少し意味は違うかな」


「僕、今日からここで過ごしてもいいかな?」


「え、どうして?」少女は起き上がる。


「いや、なんとなく……。なんか、不思議な感じがしてさ。前からこの場所を知っているような……。そんなはずははないんだけど、以前に訪れたことがあるような、そんなノスタルジックな経験をすることってあるだろう? それと同じ。今の自分ではない過去の自分が、前にここに来たような感じがするんだ」


「へえ、変なの……」少女は首を傾げる。「まあ、でも、ここは自由に使ってくれていいよ。独り占めしたらもったいないし。何人で使っても土地代は同じだからね」


「本当? どうもありがとう」


「燃やしたりしないでね」


「うん、それはたぶんしないと思う」


 少年は少女の隣に腰を下ろす。


 彼は横を向く。


 少女も彼を見た。


 数秒間無言で見つめ合う。


 視線がぶつかった。


 何も感じないわけではない。


 しかし、怖くはない。


「何?」少女が首を傾げる。


「いや、何も」彼女の顔を見つめたまま彼は応えた。


「何か用事?」


「いや」


「じゃあ、何しているの?」


「いや、何もしていないけど」


「向こう向いてくれないかな」


「どうして?」


「どうしても」


「いや、遠慮しておこう」


「いやいや、いいって。そんな気を遣わなくていいから」


「君の方こそ」


 沈黙。


「で、何をしているの?」少女が尋ねる。


「いや、だから、何も」


「あっち向いてくれない?」


「君が向いたらどう?」


「なんだって!?」


 そう言うなり、少女は少年の頭を思いきり引っ叩いた。


「調子に乗るんじゃない」


 少年は頭を摩りながら謝る。


「はい、すみません……」


「ああ、もう、なんか、無償に腹が立ってきた」少女は立ち上がった。「何か食べ物持ってこようかな……」


「いってらっしゃい」少年は手を振る。


「君も手伝ってよ」


「面倒臭そう」


「当たり前じゃん」少女は少年の手を引っ張り、彼を無理矢理立ち上がらせた。「ほら!」


 少年は仕方なく彼女についていく。二人は揃って玄関の外に出た。


 少女の旧家はメインストリートから一本入った先にある。家は道の正面に建っていて、その大きさから遠くからでも目立つ。この一帯には赤い屋根を備えた家が多いから、それが少女の家のチャームポイントになることはないが、黒い門が建っていたり、やたら多くの植物が門の隣の壁に置かれていたりと、ほかの家とは違う部分も多々あるから、やはり目立たないとはいえない。むしろかなり目立つ。この街の中で少女の家が最も目立つといっても過言ではない。


 少年は外で待つことにした。靴を脱ぐのが面倒だったからだ。


 空を見上げる。


 それにしても……。


 少女の行動力にはいつも驚かされる、と彼は思った。それは今瞬間的に思ったことではなく、少女と会う度に常々感じることだ。以前、彼女がこの家の中で突然バドミントンをし始めたことがあったが、あのときもかなり驚いたし、近くの公園からホッピングを使って帰ろうとしたときも驚愕だった。そうした発想をすることは誰にでもできるが、それを実際にやるとなるとかなりハードルが高くなる。彼は少女のそうした行動力を多少尊敬していた。いや、本当は多少ではない。かなり尊敬している。それでも、少しでも自分に自信が持てるように、意図的に彼女を認めないようにしているところがある。本来はそんな必要はないが、なぜかそうした態度をとってしまう。しかし、それはあくまで表面上の振る舞いにすぎず、本心から彼女に対する尊敬を排除しようとしているわけではなかった。


 そして、今回もまったく驚かされた。


 働くのは当たり前だとしても、そうして貯めた資金を別荘の建設に当てる人間がどれくらいいるだろう? いないとは言わないが、彼女の年齢では非常に珍しいのは間違いない。現代にも過去にも共通していえることだが、若い人間ほど形の定まらないものを欲しがり、年老いた人間ほど形が定まったものを欲しがる。前者の例でいえば、青春や友情、それに恋愛といったものだろうか。後者の例は言うまでもない。その代表が今回彼女が購入したものだからだ。


 少年の背後で玄関のドアが開き、少女が姿を現す。彼女はビニール袋を片手に提げていて、空いている方の手でドアの鍵を閉めた。


「お待たせ」門を閉めてから、少女は言った。「色々持ってきた」


「色々って?」


「お菓子とか、ジュースとか」


「いや、その中身」


「クッキーにビスケット、バウムクーヘンにタルト、あとは……、そう、ドーナツを持ってきたよ。飲み物は砂糖入りのミルクコーヒー」


「へえ……」お菓子の内容が豪華すぎたから、少年の口からは感嘆詞しか出なかった。


 二人でもと来た道を戻り、少女の新築の家へと向かう。空は相変わらず曇っている。そんなに短時間に天気は急変しないようだ。人間の機嫌ほど気分屋ではないらしい(機嫌と気分の違いは不明)。


 街の入り口付近にやって来る。


 しかし、そのタイミングで二人の足は止まった。


 少女の家。


 玄関のドアが開いている。


 二人がこの家を出るとき、すぐに戻るから、という理由で少女はドアに鍵をかけなかった。


 特に盗られるようなものは置いていない。


 けれど……。


 まさか勝手に他人の家に入る人間がいるとは……。


 あるいは、動物だろうか?


 少年と少女は顔を見合わせ、少年が一度頷いたのをきっかけに、再び足を進めて家のすぐ傍まで近づいた。


 階段を上る前に正面から部屋の中を覗く。


 しかし、開かれたドアの隙間が小さくてよく見えない。


 二人は階段を上って玄関の前にやって来る。


 両方の窓からも覗いてみたが、そこからも室内の様子を見ることはできなかった。


 ドアは僅かに開いているだけで、近づいても中に入らない限り誰がいるのか分からない。微妙な隙間が却って人為的なものを感じさせ、二人は恐怖を覚えた。


 二人はもう一度顔を見合わせる。


 ここは少女の家なのだから、ほかの人間が入るのはおかしい。


 正義は貫かれるべきだ。


 というなんとも頼りない勇気とともに、少年がドアのノブに手をかける。


 そのときだった。


 彼がノブを捻る前にドアがこちら側に開き、そこから小さな女の子が飛び出してきた。


「ばあ!」女の子が声を出す。


 二人は後ろに退いた。


 三人とも固まる。


「……誰?」少年が恐る恐る尋ねた。


「え、私?」女の子はきょとんとした表情で首を傾げる。「知らないの? こんなに有名なのに」


 少年は少女を見る。


「ルンルン」


「え?」一瞬、少年は彼女の頭がおかしくなったのかと思った。


「ルンルンっていう子」少女は言った。「この街の住人」


 少年は再び前を向き、目の前の女の子を見る。


「そうそう、覚えていてくれたんだ。わーい!」そう言うなり、女の子は両手を真横に広げてその場で回転し始める。「まあ、有名だから当然だよね!」


「何の用事?」少年は質問する。


「え?」ぴたり、と動きを止めて、女の子は無表情になった。「ああ、いやあ、なんか、新しい家ができたって聞いたから、どんな感じか見に来たの」


「なるほど」


「何、なるほどって。面白い。変な人だね、君って!」


 ルンルンと呼ばれる女の子は、黒いだぼだぼのパーカーを羽織り、奇妙なイヤリングを両耳に付けている。衣服の上からでも、冗談だと思えるくらい四肢が細いのが分かった。少年の隣にいる少女よりは幾分幼そうだ。不健康という感じはしないが、健康的だとも思えない。手首はパーカーの袖に完全に隠れていて、腕を動かす度に生地がぱたぱたと宙に踊った。


 ルンルンを正式に少女の新居に入れて、三人はお茶をすることにした。木造のまったく新しい室内を目にした途端、ルンルンは声を上げながら走り始めた。勝手に人の家に侵入していたようだが、部屋にはまだ立ち入っていなかったらしい。なんとも中途半端な無法者だ。


 少女が持ってきたお菓子と飲み物が床に並び、それを取り囲むように三人は座った。


「凄いなあ〜」片手にクッキーを、もう片方の手にミルクコーヒーが入った紙コップを持ったまま、ルンルンが言った。「いやあ、私もいつかこんな素敵な家に住みたい」


「えっと、ルンルンは、どこに住んでいるの?」少年は尋ねる。彼女の名前を呼ぶのにちょっとした抵抗があった。


「私? 私はねえ、この街に住んでいるんだよ」


「家は?」


「家はないの。街全体が私の住処なんだあ……。いいでしょう?」


「うん」少年は適当に頷く。「いや、それって、どういう意味?」


「彼女はこの街の精霊なの」少女が真面目腐った顔で説明した。「私がこの街に来たときには、彼女はもうここにいたよ。なんか、ずっとこの街を守ってきたんだって。私が越してきた日に、彼女が色々と歓迎してくれたの」


「精霊って? 何から街を守っているの?」少年は質問する。


「悪者からに決まっているじゃん」笑いながらルンルンは答えた。「ほかに襲ってくるやつなんていないでしょう?」


「随分と抽象的だね」


「そうだよ〜。私はねえ、一つのものに執着しないんだあ。だから、具体的なものは駄目。そういうわけで、この街の住民は皆好きだけど、特定の個人に肩入れはしないよ」


「へえ……」少年は適当に相槌を打つ。


「この飲み物、美味しいね」突然表情を変えて、ルンルンは少女に尋ねた。「どこの星の飲み物?」


 お菓子を食べながら、少年はルンルンの様子を観察した。別に変な目で見ているわけではない。むしろ、一緒にいて楽しいタイプの人間だと認識している。いや、彼女は精霊らしいから、少なくとも人間ではないだろう。空気中から湧いて出てくるような感じだろうか。


 ルンルンの性格について、幼い見た目をしているが、その中にどことなく大人びたものが存在するなと少年は思った。その予感が何に由来するかは分からない。なんとなくそんな気がしただけだ。一般的に雰囲気と呼ばれるものだが、雰囲気の発生源を突き止めるのは困難を極める。温泉の源流を探し当てるようなものだ(この例えはまったく例えになっていない)。


「ねえねえ、君さ、彼女とはどういう関係なの?」ルンルンが興味津々といった顔で少年に尋ねた。


「彼女って?」少年は惚ける。


 両手が塞がっているルンルンは顎で少女を示す。


「ああ、彼女……」彼は応えた。「うーん、幼馴染かな」


「それだけ?」


「それだけって?」


「いやあ、なんかさあ……」にやにやしながらルンルンは話す。「怪しいなあ、と思って」


「別に怪しくなんかないけど」少女が応答した。


「でもさでもさでもさ、でもさ」ルンルンは落ち着きがない。「もし、二人が、なんていうのか、そういう関係なら、街を挙げて式を執り行わないといけないと思うんだけど、どうかな?」


「何の式?」少年が質問する。


「そんなの、決まっているじゃん」


「へえ」


「君、何か隠しているな?」


「いや、何も」


「あのね、ルンルン」少女が諭す。「彼、あまりそういう話が好きじゃないんだよ」


「え、どうして?」ルンルンは首を傾げた。


「なんか、奥手だから」


「えええ!」オーバーなりアクションをするルンルン。「意味が分からないよ!」


「何が?」少年は溜息を吐く。


「だってさ、だってさ、えええ!」ルンルンは落ち着きがない。「でもさでもさ、そんなはずがないでしょう!?」


 少女は取り乱したルンルンを介抱する。


「まあ、とにかく、今のところはそういう式は必要ないから、お気遣いなく」


「そうかあ……」少女の言葉を受けて、ルンルンは意気消沈してしまった。「イベントができる絶好のチャンスだと思ったんだけどなあ……」


 訳の分からない沈黙が下りる。


「あああ……。なんか最近つまらないよね、何も起きなくてさ……。街にもなかなか人がやって来ないし、ほかの街でもイベントとかやっていないしさあ……」


「イベントがしたいの?」ドーナツを片手に少女は訊いた。


「いやあ、まあ、イベントに拘っているわけじゃないんだけど、なんか、こう、盛り上がることがしたいな、と思ってさ」


「ルンルンが企画すれば?」


「ええ、私があ? いやいや、そんなのつまらないじゃん、たぶん。ねえ?」


 ルンルンは、否が応でも少年に絡みたいらしい。


「うん、まあ……」彼は適当に応えた。


「ほらほら。だからさあ、君たちが何か企画してよ、企画」


「うーん、そんなこと言われてもねえ……」少女は天井を見上げる。


「具体的に、何をしたいわけ?」少年は尋ねる。


「いや、本当は何もしたくないんだけどさ!」ルンルンは笑顔で言った。


 沈黙。


 なんか、厄介なのが来たな、と少年は思った。


「ルンルンは、最近はどこに住んでいるの?」少女が尋ねる。「街の中のどこ? 具体的な場所は?」


「それがさ、ずっと住まわせてもらっていたお爺さんの家が、突然倒壊しちゃってさ……。だから、今ちょうど探しているところだったんだ、新しい住処を。それで、タイミングよく君の新しい家が建ったから、ちょっと、どんな感じか見学させてもらっていたんだけど……」


「うちに住むの? 全然いいけど、まだ何もないよ」


「え、いいの?」少女の言葉を聞いて、ルンルンは目を見開いた。「本当に? うん、いいよ、何もなくても。特に必要なものはないから」


「僕はどうすればいいわけ?」少年が誰にともなく尋ねる。「僕も彼女の同居人なんだけど……」


「へえ〜」ルンルンは声を出した。「それはそれは……」


「君は向こうの家で過ごしたら?」少女が当たり前のように提案する。「本当は、ここは別荘にするつもりだったけど、ルンルンがこう言うし、私は彼女とここで暮らすからさ」


「ありがたいような、そうでもないような……」少年は呟く。


「君もルンルンと一緒に住みたいの?」


「いやあ、そういうわけじゃないけど……」


「私は誰と住んでもいいよ、ただで住まわせてもらうわけだから」ルンルンの声は弾んでいる。「もちろん、君がいても構わない」


「じゃあ、大人しく、僕は向こうの家に住むことにします」


「了解」少女は頷いた。


「へえ……。なんか、この人変わっているね。次亜塩素酸でも混ざっているの?」ルンルンが尋ねる。


「まさか」少女は答えた。「昔からこうなんだよ、彼」


 少年は苦笑いする。彼にその自覚はなかった。


「ああ、なんかお腹が膨れて眠くなっちゃった」そう言って、ルンルンは勢い良く床に仰向けになる。


「寝ていいよ」少女が言った。


「そう? じゃあ、お言葉に甘えて……」


 ルンルンは目を閉じる。彼女はすぐに眠ってしまった。


 沈黙。


「こんなのがいたんだ」


 暫くしてから、少年は言った。


「うん……。ずっと前かららしいけど……。噂によれば、この街ができたときからいたとか」


「何か関係があるの? その、この子とこの街には」


「さあ、分からないけど……」


「元気な子だね。自分を精霊だと思っているなんて……」


「え、いや、思っているんじゃなくて、彼女、本当に精霊なんだよ」


 少年は顔を上げ、少女の顔を見る。


「それ、本気?」


「私が嘘を吐くと思っているの?」


「思いたくないけど、思わざるをえない」


「失礼すぎる」


「精霊って……。この街を悪から守るって言っていたけど、具体的にどんな悪を想定しているわけ? そもそも、どうして守る必要があるの? それで彼女に何か利益がある?」


「さあねえ……。それが楽しいだけなんじゃない?」


「君みたいだね」


「何か言った?」


「うん。君みたいだ、と言ったんだ」


「どこが?」


「なんか、突拍子もないところが」


「ああ、そういうこと」少女は意外にも納得する。「うん、まあ、そうだね。だから気が合うのかも……」


「まあ、嫌いではないかな」


「好きにはなれない?」


 少年は笑った。


「多少ね」


 ルンルンは無防備に眠り続けている。何も心配事がないような、子どものように無邪気な寝顔だった。事実として彼女は子どもだし、特に心配するようなこともない。


「えっと、本当に僕一人であの家を使っていいの?」紙コップにミルクコーヒーを注ぎながら、少年は質問した。


「うん、いいよ。火事さえ起こさなければね」


「なんか、ちょっと寂しいような……」


「え、寂しい?」少女は首を傾げる。「意味が分からないんだけど」


 少年は少女をじっと見つめる。


「ごめん、冗談」少女は笑った。「毎日会いに行くから、心配しないで」

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