天井裏に捧ぐチョコレート
つるよしの
天井裏に捧ぐチョコレート
「あら、今年も沢山貰ってきたのね、雅也」
2月14日の夜のことだ。会社から、例年通り、大きな袋を抱えて帰ってきた俺を見て言った。
「ああ、義理チョコ禁止令が出される会社もあるようだが、俺の会社の女性陣は律儀に、毎年、男どもにチョコを貢いでくれるよ」
俺は妻の流美の顔を認めるや、苦笑しながら言った。
そして、コートを脱ぐと、慣例通り、俺は義理チョコの入った紙袋を流美に渡した。流美は袋を受け取りながらにっこり笑って言う。
「せっかくだから今年も、恵まれない人にあげましょう」
「発展途上国の子どもにでも贈っているのか?」
すると流美は微笑みを崩さぬまま、言葉を継いだ。
「恵まれない人が居るのよ、もっと身近にね」
「ふーん」
俺は呟いた。近くの児童養護施設にでも届けているのだろうか。
……優しい女だ。俺は思わずエプロン姿の流美を抱き寄せて、耳元で囁いた。
「君のそういうところが大好きだよ」
「雅也……耳元に息、吹きかけないで……くすぐったいわ」
「素直に感じるわ、って言えよ、流美」
「あっ、いやーん、まだ夕食前なのにぃ……それは、あ・と・で」
流美は頬を赤らめながら、身体をくねらせて、俺の身体から離れると、チョコの袋を抱え、キッチンに駆け戻る。
そして、俺たちはベッドに潜り込む時間になると、バレンタインの夜らしく、たっぷりと時間を掛け睦み合い、俺は満足して眠りに就いた。
「……ん?」
目がふと覚めたのは夜半である。気が付くと隣で寝ていたはずの流美が居ない。トイレにでも行ったかな、と思っていたが、枕元の時計が20分経過しても、流美は戻ってこない。……流石に、遅い。俺は気になってそっと寝室を出た。
すると、いつもは使っていない2階の客間から物音が聞こえる。
……なんだ?
物盗りだったら一大事だ。俺は、緊張しながら客間に向けて廊下を歩きだした。
客間のドアを開けると、そこには誰も居なかった。だが、部屋の中は薄ぼんやりと明るい。俺は天井を見上げた。電気は付いていない。
だが、俺の目は別のものを見いだし、驚愕した。
天井の一部に穴が開いている。いや、穴というか、天井の板が一枚外れている。そして、光はそこから漏れてきているのだ。そしていつもに庭仕事の時に使っている脚立が、その黒い穴に向かって立てかけられているではないか。
俺は早鐘を打つ心臓を手で押さえながら、天井裏へと向かう脚立にそっと足を掛ける。
そして俺は自分の目を疑った。
仄暗い天井裏では、流美と、金髪碧眼の外国人の男が、向かい合って談笑していたのだ。
「……まったく、いつも見せつけやがって。俺はおかげでいつも欲求不満だ」
「毎号差し入れている『PLAYBOY』でも読んで、耐えなさいな、これも任務よ……そんなことより、はい、お待たせ。今年の分よ」
そういうと流美は俺が持ち帰った、義理チョコの詰まった紙袋を金髪の男に渡した。
「サンキュー、ルミ。毎年すまないな」
「なんてことないわ、ドナルド。年がら年中ここで暮らして、食事といったらスニッカーズか、キットカットなんだから、たまには美味しいもの食べなさいな」
「……それもチョコだけどな、でも、このお前が毎年届けてくれるチョコとは、味が比べものにならないよ」
「それはなにより。さあさ、お食べなさいな、今年の分の義理チョコを」
「日本の女は、義理堅くて嬉しいよ。では、ありがたくいただくか」
ドナルドと呼ばれた金髪の男は、おもむろに紙袋に手を突っ込むと、チョコをむしゃむしゃと食べ始めた。
「……美味い。実にデリシャス、デリシャスだ」
流美は口元に笑みを浮かべて、懐中電灯をかざしている。……だが、急にその笑いが禍々しいものに変わった。
……変化は急激だった。
急に男が、口を押さえて、ばたり、と倒れた。その唇からは黒い血がおびただしく流れている。
「ギシェエエエ!! ルミ、お前、チョコに何か混ぜたな……!」
そんなドナルドを見て、流美が冷たく言い放つ。彼女の目はもはや笑っていなかった。
「……ごめんなさいね、ドナルド。私、同じスパイでも、今年から転職したの……CIAから、KGBに」
ドナルドが目を見開いた。彼は苦しい息の下から呻く。
「う、裏切り者……!」
「何とでもいいなさい。私がこの家を購入してから4年間、ずっとここを、あなたの住処として提供してきたんだから、恨み言より礼の一つでも貰いたい位よ」
「うう、ルミ…・…ファック……ユ……」
ドナルドはばったりと倒れ、事切れた。血と泡を噴きながら。最後までチョコの袋を手にして。
……どのくらい時間が経ったのか、唖然として天井裏をのぞき込んでいた俺は、流美の声で我に返った。
「あら雅也。見ていたの。だったら、あなたも消さねばいけないようね」
流美はそう言うと、ネグリジェから覗く豊かな胸元から、黒光りするトカレフを取り出した。
銃口がゆっくりと、呆然としたままの俺に向けられる。微笑みながら流美が囁いた。
「……
……翌朝は、燃えるゴミの日だった。
ゴミ袋をふたつ、両手にかかえてゴミ集積所の前に現れた流美を見て、箒を手にしたご近所さんが言う。
「おはよう、関口さん」
「あら、おはようございます。朝からお掃除ですか? ご苦労様です」
「いつもバレンタインの翌朝は、結構な量のチョコが捨てられてるのよ。その味をカラスが覚えちゃってねえ、荒らすのよゴミを」
ご近所さんが眉をひそめながら言う。
「そうなんですか~」
「まったく、捨てるくらいなら貰わなきゃいいのにねぇ、しょせん義理チョコなんて、意味ないじゃない。若い人のすることは分からないわ」
「……本当にね……」
流美は小さな声で呟きながら微笑んだ。
そして、流美は一礼すると、大きな二つの生ゴミの袋を置いて、鼻歌を歌いながら、朝の風の中を家へと戻っていった。
天井裏に捧ぐチョコレート つるよしの @tsuru_yoshino
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