第3話 とける

 送風口から吐き出される風の音だけがする車内。雪が降る同じ速度で、沈黙はつもっていく。


 高三の夏の夜、俺は由奈が食べたいと言うから、冷飯ひやめしでケチャップご飯をつくっていた。

 中三の腹をすかせた由奈は、出来上がりを待ちきれず、俺の横に立って味見をねだった。


 まだ、ケチャップがご飯になじんでないのに、フライパンにスプーンをつっこみテラテラ赤くひかるご飯をすくって頬張った。


「おいしい」とひとこと言って閉じられた唇に、ケチャップがついていた。ケチャップがついてると教えても、舌でなかなかぬぐえない。


 その様子を見ていたら、唇についたケチャップの味を無性に確かめたくなり、由奈の唇をなめていた。


 そこに、まだ帰らないはずの母親が帰ってきた。はたから見ればキスをしている兄妹。信じられない……というよりも、一瞬だけ不潔な感情を顔にはりつかせ、母親は何事もなく「ただいま」と言って、子供たちのいかがわしい行為をなかったことにした。


 俺の大学進学先を東京に変えるよう母親が勧めてきたのは、それからしばらくたってのことだった。


 俺にとったら、血のつながらない妹との淡いキスの思い出。母親にとったら、なかったことにしたい事実。ふたつの思いは、けっして歩み寄らない。


 かじかむ手でハンドルを握りしめ、車を発車させた。そっと静かに、ゆっくりと。今この車内につもった沈黙をこぼさないように。


 家に帰ると由奈は、こんこんと眠り続け夕飯にも起きてこない。

 心配する俺に母親は言った。


「いつも、こんな感じやけん」


 これじゃあ、いてもいなくてもいっしょだ。俺がこの家を出てから由奈は一人、部屋に閉じこもっていたのか。俺が、そうさせたのか?


                    *


 昨日より早めに朝起きると、風呂場からシャワーの音が聞こえてくる。食卓の上には、一段へったおせちがのっていた。


「由奈、何か食べたのか?」


 台所にいる母に言うと、

「夜中に起きて、用意しといたおせち食べたみたい。夜勤すると生活リズムがバラバラになるんよ。ひどい時は、二日寝続けたこともある。ナースの仕事は大変。体こわさんか心配っちゃ。今日はあんたがいるから、がんばって起きた言うとった」


 なんだ、ただ眠たいから寝てただけか……心配しなくても、母親とはうまくやっているみたいだ。

 シャワーの音がやんだ。しばらくして、肩にタオルをかけた濡れ髪の由奈が出てきた。長い髪から、ポタポタと水がしたたっている。


「おまえ、髪かわかせよ。カゼひくぞ」


「もう、世話やかんでいいっちゃ。子供やないけん」


 由奈を二度子供あつかいした俺へ、母親がカラッとした声をむける。


「あんたらは、お母さんにとったらいつまでも子供っちゃ」


 父親まで来て、

「そうや、すっかり大きなって、かわいげはなかけど」

 そう言って、豪快に笑う。


 昨夜までの重苦しい空気がウソのようだ。四人そろったことで、あるべき家族の姿をとりもどしたように風通しがいい。


 また、昨日と同じ雑煮を食べたが、まるで味が違っていた。おいしい。

 由奈は、初売りにいく予定だったが、この大雪のため今日は一日家にいると言う。

 食べ終えて、外を見ると雪はやみ青空が広がっていた。太陽光が雪面にあたり、キラキラと乱反射している。


 重く暗く湿った雪景色が、一晩でその様相を激変させた。


「由奈、雪だるまつくらんか?」


 なんでそんなことを言ったのかわからない。ただ、家族そろった明るい空気に高揚したのか。ただ、見慣れぬ雪に興奮したのか。それとも、親に子供扱いされたからか。


 由奈は断ると思ったら、意外にも承諾した。

 また、父親のクマみたいなジャケットを借りようとすると、母親がとめる。


「あんたが、高校の時着てたジャンパーが置いてあったの忘れてたけ、それ着い」

 二階からもってきたのは、細身で丈の短い赤いダウン。あの頃より少し太った自分に入るかといぶかったが、すんなりはいった。


 由奈もコートを着て、中学の時から使っている白いニット帽までかぶって完全武装している。

 二人そろって、外へ出る。晴れ渡った青い空の下は、雪をかぶった街並み。軒には大きなつららが下がっている。


 清々しいほど冷たい空気を肺いっぱいに吸い込んだ。肺のすみずみまでいきわたる、新鮮な空気。

 なんて気持ちがいいんだろう。おまけに、中身は大人なのに、多感だった頃の服装をしている自分たち。気持ちがどんどん、あの頃に戻っていく。


 庭の芝生の上につもった冷たい雪にふれると、湿気の少ないパウダースノーは手袋をした指の股からするするこぼれていく。両手でかき集め、丸める。

 

 そうだ、高校生の冬休みに同じような大雪が降ったんだ。たしかあの時、雪合戦をして二人ではしゃいだ。俺が面白がって、由奈めがけてどんどん雪の玉を投げたら、由奈は本気で怒っていた。


 由奈は覚えているだろうか? この楽しかった思い出を。


「なあ、覚えてるか? おまえが中学の時……」


 雪の上に立ち、空をぼんやり見あげていた由奈に聞いた。

 ニット帽をかぶった幼さが残る顔は、ゆっくり俺の方をむいてニヤリと不敵に笑う。


「覚えてるよ、お兄ちゃんとセックスしてたこと」


 由奈に向かって投げようとしていた雪の玉が、ポロリと手の中からこぼれ落ちた。


「昨日から何にも言わんから、忘れとるのかと思った。私とやりまくってたこと」


 ……せっかく、雪が隠してくれたことを暴くなよ。この代わり映えしない住宅地が、おとぎの国みたいになってたのに。

 義理の妹と淡いキスの思い出をもつ、過保護なテンプレ義兄のふりしてたのに。


 俺の唇が、由奈の体で触れていない部分なんてなかった。

 妹の体の味は、隅から隅までとっくに味わっていた。だから、まだ味わってないケチャップのついた唇をなめたかった。淡いもくそもない、ただそれだけ。


「俺たち、どうかしてたよな……」


 何時から、やってたんだっけ?

 たぶん、高二の夏だったと思う。少年のような体つきの由奈が、ある日気づけば丸みを帯びた女の体に変わっていた。いっしょにすごした年月は、たった三年。妹を女として見るのに、邪魔にならない年月だった。


 両親は不在、夏休みの暇な時間を持て余していた俺たち。リビングの床でゲームをしながらじゃれ合っていた拍子に、俺の手が由奈の膨らみはじめた胸にふれた。


 高校生男子の性欲はリミッターがはずれ暴走。気づいたら、裸の妹を組み敷いていた。さすがにまずいと途中で由奈に謝ると、俺に抱きついて「いいよ。最後まで」と耳元でささやいた。


 その言葉で、何もかもどうでもよくなった。


 それからタガがはずれ、毎日毎日飽きもせずやりまくっていた。ソファーの上で、俺のベッドで、由奈のベッドで、風呂場で。家中いたるところで。


 母親は早い段階で、俺たちのことを気づいていたはずだ。二人の体液が染みついたシーツを洗濯していたのは母親。生ぐさいにおいを発するゴミ箱の中のティッシュ。それを捨ててたのは母親。


 キスという決定的な場を目撃するまで、一年も放っておいた。都合の悪いことは見て見ぬふりで。

 大人になって、わかる。なかったことにできるのは、ずるい大人の特技だ。


「ほんと、サルみたいだったよね。私たち」

 そう言って、あの頃どうかしていた由奈はスニーカーで雪をけった。


 気温はどんどんあがり、日なたの雪はもうとけはじめている。とけてぬかるんだ雪は、汚い。真っ白だった道も、黒いアスファルトがのぞいている。

 きれいでうつくしいものが、一瞬で魔法のようにとけていく。


「私、好きだからやってたのか、やってたから好きだったのか、今でもわかんない」


 つきあげられるリズムに体をゆらしながら、熱を飲み込んた声で、何度も言ったくせに、「お、兄、ちゃん、だい、すき」と。


 でも俺も、愛や恋が何なのかわからなかった。ただ、「好き」という言葉を免罪符にして、妹の体をむさぼっていた。


「お兄ちゃんは、私の欲を満たしてくれる人だから」

 そう言って、はじめてから揚げを食べた時と同じ顔をしてわらった。


「俺は、から揚げ粉かよ」

「あっ、そうだよ。から揚げ粉だ。お手軽で安心できるいつもの味。うまいこと言うね」

「ばーか! なめるな!」


 俺はすばやく足元に落ちた雪玉をひろい、由奈へ投げつけた。


 投げつけた雪玉は見事に命中。由奈は「もー!」と怒りの声を発し、俺めがけて雪をぶっかけてきた。


 二十四の兄と二十一の妹の上に、サラサラのパウダースノーが降り注ぎ、雪を掛け合いはしゃぐ二人を白く輝かせていく。


 たぶん俺たちがしていたことは、間違っていた。間違っていたけれど。抜け落ちたピースを埋めるように、あの時どうしても由奈とひとつになりたかった。


 そのピタリとはまったピースの名前を、俺は知らない。



               了

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雪の街 澄田こころ(伊勢村朱音) @tyumei

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