雑多な短編集

ぬかてぃ、

立ち尽くす人とチューインガム

 そこに人は立っていた。

 何か言うわけでもなく、聞いてるようなそぶりも見せない。

 だが間違いなく立っていた。

 その姿を見たとき、僕は気にも留めていなかった。誰か人でも待っているのだろう。そんなものに時間を使っている余裕はなかったからだ。だからその人がなんで立っているのか僕は全く知らなかったし、じっと見ている今でさえ分かりかねる。

 少なくとも僕が意識する前から立っていて、そのベクトルを思いきり集中させている今でさえ立っているその人。

 その存在を気にしたときは疑問だった。

 なぜその人は立っているのだろう。

 とんと興味のなかった想像の白い壁に、その人という小さなシミが生まれたのはその時である。

何故、何のために、いつから、いつまで。

誰か待っているのか。男か。女か。何かをみつめているのか。何を、なぜ。

小さなシミがどんどんと白い壁を侵食していく。気付けば僕はその人をじっと見つめていたし、先ほどまでの用事などもう完全に忘れてしまっていた。

僕はポケットに入れていたチューインガムを一枚取り出し、おもむろに噛み始めた。ブルーベリーの味が広がっていく。ただ、その青色の甘さなど薄れるかのようにその人をじっと見続けた。

その人は動こうともしない。ただじっと立ち尽くしているだけだ。まるで駅前に作られた、バレエの踊り子を模した銅像のように、音も立てずにそこにいるのだ。

一瞬、声をかけようか迷った。

今や空気を入れすぎた風船のように窮屈になった僕の心は唇を動かさせるように信号を脳に送り始めた。口を開き、声帯を震わせろ、と槍のように脳のあらゆる場所を突き始める。

しかし、最後に理性が止めに入る。なんと声をかけろというのか。興味を隠しとおせるほど上品でもないが見ず知らずの人に素朴な疑問を投げつけられるほど品性を持っていないわけでもない。

興味と不安が入り混じる中でもその人は立っていた。

何か聞いているわけでもなければ、言いたいようなそぶりすら見せない。

ただ黙って立っていた。

興味と不安が萎んできたときには僕も段々と飽きを覚え始めた。

その人が立っている事などどうでもよくなってきたのだ。その人が立っていようが立っていまいが僕の人生は変わるわけではなく、かといってその人の人生になにか一点を残すようなものでもない。交わりあうような関係ではないのだ。

チューインガムの味も段々としなくなってきており、ポケットに入れた銀紙を取り出すとそこに吐き出した。口元に少し寂しさが残ったが、それもまた青い甘さがそう快感を残してくれる。

そろそろ行かなきゃ。

そう思って僕は小さくお辞儀をした。特に理由らしいものはなかった。無理に理由をつけるとしたらいい暇つぶしをありがとう、というところか。

するとその人はかぶっていた帽子を少し脱ぎ、もとに戻した。

それが僕に対する挨拶だったのか、それとも少し蒸れたからなのかはわからない。

 だが、口の中に残ったブルーベリー味のような気持ちになったのは間違いなかった。

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