小さな教会の鐘が鳴る 前編
17時になると鐘が鳴る。
いつから始まったかは知らないが少なくとも私が物心ついた時には鳴っていた。甲高い、からんからん、といった音が町に響き渡るのを幼少期から知っていた。
その鐘がある場所は小さな教会だ。住宅街から少し離れた場所に建てられている。どうみたって綺麗な建物ではない。いつ建てられたのか想像もつかないし興味もない。別段キリスト教ってわけでもないし。
その昔は「ここに住んでいる人はみんなあの教会で結婚する」と茶化されてショックを受けていたものだ。
結婚ってのはもっと大きな教会で外国人の神父だか牧師だかに誓いを捧げ、ステンドグラスから入る太陽の光に包まれながらキスするものだと思っていたからだ。
あんな小汚ない場所でやるなんて、そんなみみっちい事をしたくないと幼心に思ったものだ。
年を取って考えてみたら姉も母もあそこで結婚式を挙げていないし、なんならそのような催しが一度でもされたという話すら聞かない。
つまりそれを聞いて泣きわめく私を見て喜んでいる姉の悪知恵でしかなかった。馬鹿みたいな嘘をつく姉も姉だが、それを真に受けて一々泣く私も私だ。
つくづく子供ってのは変な生き物だ。漫画やアニメに出てくる主人公のように輝かしい人生を送るもんだと勝手に思い込んでいるのだ。
そんな出鱈目話に泣かなくなった中学生の頃だ。
付き合ってる彼氏のいたずらに誘われてあの教会に入ったことがある。
私の町ってのはそんなに大きくないから中学生になってもそんな子供っぽい遊びばかりしていた。
そのくせ性の知識や経験だけは半端者のくせに一丁前で、その頃には私も経験を済ませていた。
あの男が教会に行きたかった背景には、誰もいなければことの一発くらいはあの男も考えていたのかもしれない。一々自分や彼氏の家で、というのはリスクが多いし一々ホテルを借りるほど金もなければ場所もない。体のいいラブホテルが欲しかったのだろう。
今考えたらもう少し身体を大切にしてやればよかったと後悔をしている。一方でそんな性欲に身を委ねた馬鹿な中学生二人がいなければ教会のことを知るよしもなかったのかもしれない。
教会は古い長らく重く、しっかりとしたものであった。
私がゆっくり門を開くとあの男は我先にと飛び込んでいった。もう気分は冒険家かなにかなのだろう。あの無鉄砲が彼の魅力とか言っていたんだから幼いとは罪だ。
私も続けて入ると、薄暗い堂の先に十字架が立てられているのが目にはいってきた。灯りはつけていないらしい。
恐る恐る入っていくとあの男は辺りを走り回ると「思ったより綺麗じゃん」と変に興奮していた。
確かに綺麗ではあった。あちらこちらに経年劣化のような汚れはあったものの、廃屋のような雰囲気はない。とはいえ全くひとけがないのも事実であった。
それはあの男も同じ事を思っていたようで、ある程度落ち着いた後、ニヤニヤしながら私の肩を掴み、顔を私の唇に近付けてきた。
今なら言える。あいつ、最高のラブホテルを見つけたからとりあえず一発かまそうと思ったのだろう。ちょっと嫌気が指したがそれでも惚れた相手、唇を重ねようとした時、教会に声が響いた。
「なんをしよるんか!」
その声に男は驚いて私のことなど知ったことではないと飛び出して逃げてしまった。
私も驚いてしまい、文字通り腰を抜かしてしまってそこにへたりこんでしまった。
すると十字架の方から固いものを叩くような音が聞こえてくる。それが段々近付いてくると足音であることが分かった。
「あんたたち、いや、一人は逃げたんね」
そこには白髪まみれでしわくちゃの老婆がいた。
私は顎を震わせながら彼女をみた。子供の頃読んでもらった昔話に鬼婆がいたが、そんな人が本当にいたのか、などと思っていた。混乱していたのだろう。
「まああんただけでもいいったい。なんしようとしとったとね」
それはもう剣幕ではなかった。
だがそれが怒鳴り声に感じる程緊張していた私は泣き崩れてしまった。
私はこの老婆に殺されてしまうのだ。なんでかは分からないけど。そうだ、勝手に家に上がり込んだから。ここはこの老婆の家だったのだ。この婆は近所でも鬼として知られていたから誰も触れていないんだ。
そんな子供っぽい事を思いながら必死に泣いていた。
しかし、それは私の想像でしかなかった。
老婆はしかめっ面をして大きくため息をついたあと、静かに腰を下ろした。
「もう泣かんでいいったい。もう怒っとらんから。別に取って食いやせんけん」
ここで恥ずかしい話なのだが恐怖がピークに達していた私はそこで漏らしてしまった。
考えてみたら私はここがなんだか怖い場所というイメージを植え付けてしまっていたのだろう。こんなところで結婚したくない、という幼少期の感想からなぜそう思ったかの問いに対して朧気ながら「ここは危険な場所だから」と思ってしまっていたのだ。
中学生にもなればそんなのは馬鹿げた妄想とは気付いていた。だがそれを断定できるものもなかったのは事実で、結局その「馬鹿げた妄想」を否定する現実が出てしまったことによる絶望もこのような子供っぽい行動になってしまったのだろう。私の芯は「ビビり」なのだ。
しかし老婆は鬼婆ではなかった。
濡れたスカートを見るや否やポケットからハンカチを取り出してそこに当ててきたのだ。
その意外な行動に驚いてしまった。涙がスッと引いていく。
「いい年した女の子がしかぶったとか言ったら恥ずかしいっちゃろ。後でなんか着替え貸しちゃるけちょっと押さえとき」
この時やっぱり私は子供だったと改めて思う。
ちょっと優しくされただけなのに鬼婆はいきなり優しい老婆に代わり、その安堵感がどっと押し寄せ、また泣き始めてしまったのだ。
それを老婆は黙ったまま頭を撫でてくれていた。
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