隣に座る人
イヤホンから音が漏れている。
何を聴いているのか分からないがギターであろう音がシャカシャカと鳴っている。普段なら気にならないこんな音も数人もいない電車の中ではレールの繋ぎ目を渡る時のがたんごとんという音に劣らない感覚を覚える。
本を読んでいた私は唇を歪ませながら今のページに紙縒りを挟んだ。先ほどまで目の先は宇宙のどこかをさまよっていたのに訳も分からないしゃかしゃかという音が途端に私の住んでいるところを思い出させたのだ。私はスペースオペラの主人公でなければそれによりそうヒロインでもない、通勤ラッシュ時にも関わらず客もまばらな田舎にある会社のOLであることを嫌というほど認識させられるのだ。
イヤホンの先を見てみると、お世辞にも頭のよさそうとは思えない金髪がさも昨日の夜はオールしたぜといわんばかりに白川夜船で身体を椅子に預けている。口から流れるよだれがさらに未来のことなど考えていないといわんばかりに流れていた。
つまりこのイヤホンから流れている音は誰にも聞かれていないのである。それどころか雑音の一つとして捉えてしまっている私が唯一の視聴者とさえなっている。口の中に苦みが広がったような面持ちにならざるを得なかった。
こいつは私の夢をそのイヤホンで強制的に目覚めさせた一方で、自分はそんなこと知ったこっちゃないと寝息を立てているのだ。迷惑千万とはまさにこいつのことを言うと思っても差し支えない。なんでこんな男のために通勤時間のささやかな心地よさを邪魔されなければならないのか。
一瞬席を変えようと思ったが私の降りる駅までせいぜいあと二つ。変えるのも面倒といったところだ。大体こいつのやった事は私の機嫌を損ねたというだけで何かをやったわけではない。私の身体をまさぐったわけでもないし、怒りを振りまいて自動ドアを蹴り続けているわけではない。何の因果か分からないが私の隣に座って寝ているだけだ。私の肩を借りてすらいない。
だがそれが余計に苛立つのだ。何も迷惑をかけているわけではないから私は理由なくこいつに自分のフラストレーションをぶちまけるわけにいかない。イヤホンから音漏れしているだけでこいつの頭を思い切りぶったりしてみろ。途端に私は異常者として扱われることになる。逆の立場になったとして、私が音漏れしているから急に誰かに頭を叩かれたとかなったらその理不尽さに怒り狂うだろう。注意一言で終わる話なのにいたずらにトラブルを招いたと同然だ。
かといって注意しようにもこいつの意識はもうこの電車の中にはない。夢を見ているのか見ていないのかすら私には分からない。ただ少なくともここにある多くの音や感触に気付けない世界の住人であることは間違いない。だから私が必死にこいつに怒りをぶつけたところでこいつの耳は機能しない。イヤホンにふさがれているから余計にどこか彼方であろう。
私は読んでいたSF小説を無造作に鞄の中へ投げ込んだ。とてもじゃないが気分じゃない。そろそろ駅が近づいているから片付けたのだ、と自分を宥めることはできるものの、もう小説の余韻を味わう事すらままならない。
次は〇〇、次は〇〇。
アナウンスが聞こえる。私の降りる駅だ。
おもむろに立ち上がり、ずんずんと足音を立てるように自動ドアの前に歩く。がに股だとスカートが少しきつく感じる。
ちらりと先ほどまで座っていた場所を見る。男は黒髪まじりの汚らしい金髪を揺らしながら眠っている。これほどまで気持ちよく眠れるとはさぞうらやましいものだ。心の中で男の顔に唾を吐き出すと同時に電車は止まった。
雑多な短編集 ぬかてぃ、 @nukaty
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