19 エピローグあるいはアイン・ジャールート
クトゥズことムザッファル・クトゥズは、他のマムルーク諸将の「何でお前が
「ふん、愚か者どもめ、モンゴルに相対する勇気もないくせに」
クトゥズとしては、モンゴルを退かせれば、その多大な功績は「暫定」の
あたかも、シャジャル・アッドゥルが十字軍を退けて
とはいえ、クトゥズとしてもモンゴルが脅威であることには変わりない。
「……ここは、あの
クトゥズは愚かではない。
必要とあらば、おのれを「仇敵」と憎む相手とも、平然と手を組むことができた。
「ホラズム族のベルケはおるか? バフリー・マムルークのバイバルスと
*
マムルーク朝の軍――クトゥズとバイバルスら二万の兵は、この地にまで進んでいた。
モンゴル帝国のフレグは、メソポタミアまで進撃したものの、兄・モンケの死を知り、次期ハーンを選ぶクリルタイに参加すべく、モンゴルまで戻るのを余儀なくされた。
代わりに、キト・ブカなる腹心を残した。
「おれは、単なる留守番に終わるつもりはない」
自身がネストリウス派のキリスト教徒だったと伝えられるキト・ブカは、フレグの帰還で減ってしまった兵力を、服属させた十字軍国家に兵を出させて補い、ダマスクスを陥落してしまう。
「どうだ、見よ。フレグさまがいなくとも、おれがモンゴルを広げてみせる、地の果てまで!」
意気軒昂のキト・ブカは、エルサレム王国のアッコンへと向かって南下する。
アッコンに至り、その兵力と糧食を吸収し、そのままエジプトへと乱入する算段である。
キト・ブカはエルサレム王国に檄文を飛ばす。
「共にキリスト教の仇敵たる
キト・ブカ自身がキリスト教徒であること、そして共通の敵であるエジプト・マムルーク朝を倒すことを訴えれば、すぐに靡くだろうという計算である。
もし、言うことを聞かなくとも、問題ではない。
「……そうなれば、踏み潰すまでよ。そして押し通る!」
キト・ブカはアッコンへと向かう進軍中に、そう豪語した。
そしてその豪語を、進軍路の路傍の木の陰に隠れた間者に聴かれていたことなど、想像だにしなかった。
*
ゼノビアからキト・ブカの豪語を聞いたバイバルスは、即座にエルサレム王国、アッコンに向かった。
モンゴルのあまりの容赦なさに、エルサレム王国は悩むが、そこをバイバルスが進言、あるいは
「エジプト、マムルーク朝としては、貴国に『中立』さえしてもらえれば、それでいい」
むろんマムルーク朝としてはそれを「協力」とみなすし、モンゴルが勝ったとしても、それは
この甘言に、エルサレム王国は、乗った。
「われわれは中立する。モンゴルにも
そして──ここからがバイバルスの策の肝だが──中立であるがゆえに、領内の通過は自由とし、どちらが通っても良いとした。
*
「首尾が良いな」
「恐悦至極」
クトゥズのぶっきらぼうな誉め言葉に、バイバルスは
クトゥズとしては、「マムルークらしさを演出した」と言いたいだろうが、実際は臣従を強要しているのだろう。
一方のバイバルスはここで揉めるよりも、モンゴル討伐の方が優先だし、せいぜい礼儀正しくしてやって、その上でどこかに領地をもらおうと目論んでいた。
仲間たち――そしてゼノビアとの「家」を手に入れるために。
「なら、アレッポの総督になれ」
進軍中、クトゥズはこともなげにそう言い放った。
この時、アレッポはモンゴルに征服されていた。
それの「総督」ということは、まずはモンゴルを討たなければならない。
そうでなければ、空手形だ。
「……言ってくれる」
クトゥズは冷然とシャジャル・アッドゥルを惨殺した過去がある。
それゆえ、モンゴルに勝ったとして、その総督就任も果たされるかどうか。
和解と言っても、せいぜい利用している間は殺さないでいてやるだけ、ということか。
「……ではモンゴルと戦い、勝ってみせるか」
バイバルスはクトゥズに一礼してから、馬に鞭をくれた。
目指すは、
そこでバイバルスはマムルーク朝の先鋒として戦い、そしてモンゴルを罠に嵌める役割を担っていた。
過酷な役割だ。
だが、勝つためにはこれしかない。
そして、勝ったとして。
「約束を果たさないやもしれぬ……いや果たさないこと必定じゃな、あの
ゼノビアは、クトゥズがホラズム王の子孫と称しているのを嘘と断じた。
それゆえ、約束も嘘だと断じた。
「ホラズム族としての意地ではない、おぬしを心配しておるのじゃ」
「それが言いたかったのか」
「そこは流すか、素直に感謝せい」
そして二人は笑い合い、仲間たちの待つ、戦場へと向かっていった――
一二六〇年九月三日。
アイン・ジャールート。
この地にてバイバルスはキト・ブカ率いるモンゴル軍と激突する。
そしてその戦いの果てに、イスラム世界に冠絶する王となるのだが、この時はまだ知る
【おわり】
聖王の侵略 ーバイバルス戦記ー 四谷軒 @gyro
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