第2話 俺が我慢すればいいだけのこと。
この界隈が載る海図には、南北に長い大陸のように見える場所がある。だが実のところ、その場所は大陸ではない。上から順に、ノザンロード、セントロード、一番下にサザンロードと言う名の、三つの島で構成されている。
島々の間は橋で渡れるほど隣接しており、まるで肩を寄せ合っているかのよう。そのため、一つの長く大きな大陸に見えてしまうのは仕方がない。北に行けば
この三つの大きな島は、ひとつの国が治めていた。国の名はエメロード。王都は真ん中、セントロードにある。三島ともに共通して言えるのは、中央に高い山が存在する。遙か昔に、海底が爆発して出現した島々だと、古くから残る文献にはそう記されている。
セントロードにある王都では、豊富な湯量を誇る温泉が湧いており、観光地としても有名だ。農産物だけではなく、森林資源も鉱物資源も豊富で、近隣諸国と比べると、十分に自給自足が叶う国である。
この国は女王陛下が治めていて、王配殿下とも仲睦まじいと知られていた。王家があるのなら、もちろん貴族と呼ばれる者たちもいる。そして王家や貴族の家々には、ある特徴が顕著に表れる。それは魔力についてのことだ。
この世界の人々は皆、多かれ少なかれ、体内に魔力を内包している。うちの領民の皆さんも例外ではないが、一般的にはそこまで多いわけではないらしい。らしいという言い方をする理由は、俺が領民の皆さん一人一人に、聞いて回った訳ではないからだ。
簡単な魔術を行使するための、補助をしてくれる魔術道具がある。それは比較的安価であり、人々の生活にも浸透している日常生活には欠かせないものだ。例えば魔術道具を使えば、料理に必要な簡単に火を熾すことができる。だが、道具を利用する際には、僅かながらの魔力が必要になる。中には魔術道具を使わなくとも、魔術の行使が叶う者もいる。その場合は、指先に火を灯すことができるというわけだ。
ただその行使自体も、一日あたりの回数的な限界がすぐに訪れる。理由は、領民の皆さんの多くは、魔力をそれほど多く内包していないからだ。女王陛下、王配殿下を始めとした王家の方々。公爵家を筆頭とする、貴族の家々。俺も例外ではなく、体内に内包する魔力の量が多い赤子として生まれてくる。
貴族の家以外からも、魔力の多い子が生まれることもある。その際、その適正に応じて魔術を行使できるよう、学ぶことが許されている。本人の努力次第によっては、武官や文官などに任官することも難しくはない。
とはいえ、何も任官するだけが道ではない。魔術は簡単なものから難しいものまである。物を創造、加工するのも魔術が応用されることもあるからだ。怪我を癒やす手段にも、魔術が使われている。それこそ、様々な職業に生かすことも可能だ。
王族や貴族は昔から、家の発展のために魔力の多い人を迎えることもある。そうして、血を重ねることで、内包する魔力の多い子を得ることができた。それが王族であり、貴族というものである。
公爵を始めとして、侯爵、伯爵、子爵、男爵。北のノザンロードと、南のサザンロードには、国境を守るという名目から辺境伯領がある。ノザンロードには辺境伯閣下がおられる。だが、サザンロードは、現在のところ跡継ぎがおらず、空位となってしまっている。
先代の閣下が引退したことと、閣下と夫人の間には、爵位を継ぐご子息に恵まれなかった。ご息女はおれらるのだが、女辺境伯として爵位を継ぐ自信がないのだと聞く。もちろん、他の家には女性が領主になっている家もなくはない。だが辺境伯ご息女には、荷が重かったのだろう。
そのため、サザンロードの北側に位置する地を治める筆頭伯爵、ブルーマウント伯爵家が、サザンロードのとりまとめを行っている状態だ。現在は、ブルーマウント伯爵閣下の、ご次男の成人を待っている状況だとか。そのタイミングを待ち、ご長男が辺境伯家ご息女との縁組みが行われるとのことだ。
サザンロードの南、遙か先の海域には別の大陸があり、国も複数存在している。だがこのエメロードは、ここ百年近くの間、争いごとに巻き込まれたことがない。辺境伯が現在空位だとしても、十年ほどであれば問題視はされないのだろう。
その辺境伯領は、ここからやや北東にある開けた地。一番南にない理由はわかってくれるだろう。領地として開けている場所が、回りが高い山に囲まれた、陸の孤島と呼ばれるほどに、他の家々から見たら、不便な領地だということになる。
俺の住むこの領は、辺境伯領よりも南にある。海の幸もあり、多くはないが山の幸もある。右回りの航路でも、左回りの航路からも、月に数回交易船が到着する。大きな問題がないく平和だから、俺もそこまで心配はしていない。
西にも東にも、お隣の開けたところへ行くのに、陸路では軽く山越えをしなければならない。馬車で行くなら、夜通しで駆けても軽く三日はかかる。隣接しているからとはいえ、けっして近いとは言えないものがある。
俺の名はレイウッド。レイウッド・シーヒルズ。二十九歳。これでも一応、シーヒルズ男爵家のの領主だ。ご存じの通り、連戦連敗の独身貴族。仕方ないだろう? 悪く言われる噂を、俺自身の手で払拭するのは難しいのだから。それに全てが嘘という訳ではない。だが俺だって、そこそこ、いやそれ以上に努力はしているのだから。
この地は海も近いことがあって、俺も含め、領民の皆さんの生活は、漁業と海産物の加工、製塩に支えられている。俺の家や、領民の皆さんが食べていくのには困ってはいない。他の領からの船による交易も多少はあるが、他国との直接の交易を行っているわけではないから、港はいつも静かなものだ。
領の主な収入源は製塩とその売買だ。エメロードでも、一番美味しいと言われている。他の領との違いは、製塩方法。普通の塩は、塩田でゆっくりと水分を蒸発させる。俺の提案で、ある方法を試しに試みたところ、きめの細かい塩が出来上がった。
それ以来、うちでは細かさを変えて、二種類の塩を作り上げることにしていた。一番きめの細かい『粉塩』と呼ばれるものは、殆どを女王陛下へ献上する。もう一つの『粉塩』よりも少し荒い塩をお金に替えて、王都で交易品を仕入れ、
だが、二年目のことだった。俺が領主の座を引き継いだばかりで、若いからというのもその理由だっただろう。塩を産出し、交易品としている領の領主から、製塩方法の秘密を教えろと言われる。だが俺は、頑なに断った。俺が損をするだけなら構わないが、うちの領民さんたちの生活に関わることだから、首を縦に振るわけにはいかない。
塩の秘密は守り通した。そのおかげもあり、家人たちに十分な手当を渡すことができている。だが確か、その翌年からだった。俺が夜会に出席すると、『魚臭い』と揶揄されるようになったんだ。これは、俺だけにしか影響がないから、俺が我慢すればいいだけ。甘んじてこれを受けよう、俺はそう思うようにしたのだった。
うちの屋敷には、俺の他には、執事のアルフを含め、屋敷の維持に携わってくれている家人が数名。執務を手伝ってくれている、家人が数名。父さまも母さまも別邸にいるから、屋敷には俺とアルフ、俺の世話をするために、交代で宿直してくれる家人が二名だけ。基本、他の家人たちは自宅から通ってくれている。
家督を継いだのは、俺が十九歳のとき。学園を卒業してすぐに、父さまは家督を俺に譲った。俺に家督を譲ると、父さまは母さまと一緒に、西側にある別邸で静かな隠居生活を送っている。絵を描いたり、釣りをしたりして、毎日を楽しんでいるとのことだ。
上に姉が一人いたが、十年前ほどに王都近くに領を持つ、フェルミット・ヴェンドナー伯爵の元へ嫁いでいった。フェルミット閣下は、姉さまより一つ年上。女王陛下へ塩を献上し、
姉さまは、俺が成人し家督を継ぐまで嫁がないと、いつも言っていた。俺より五つ年上だった姉さま。本当なら適齢期を過ぎてしまってはいたのだが、フェルミット閣下もそれは承知してくれたとのことだった。閣下は、姉さまが学園に在学しているときの、先輩だったと聞く。週に一度は、姉さまから遭いにいっていた。二人とも、愛し合っていたのは俺にも十分理解できていた。
俺が王都にいるときは、夕食の祭に王都の情勢や俺に関する噂を教えてくれる。俺にとっても領主としての良き先輩であり、優しい義兄さまなんだ。おかげさまで、『魚臭い』と吹聴したのが誰か、ある程度掴めるまでになったわけだ。姉さまと、フェルミット閣下には頭が上がらない。
父さまと母さまは、長年子供に恵まれなかった。姉が生まれた歳には、父さまは三十五歳だった。母さまは三十歳。俺が生まれたのはその五年後。十年前に俺が爵位を継ぎ、姉さまが嫁いだときには、父さまは五十九歳。母さまは五十四歳だった。
歳を過ぎてから恵まれた、姉さまと俺。その分大事にされたのは、十分わかっている。俺が家督を継ぐには、父さまは本当にギリギリの年齢だった。だから、父さまと母さまが俺のお嫁さんを用意できなかったのは、申し訳ないと言われてしまった。
それくらい自分で探すから、後はゆっくりしていていいよ。俺はそう、父さまと母さまに言ったんだ。そうしたら、憑き物が落ちたような嬉しそうな表情で、屋敷を出て、次の日からは悠々自適な生活を送っている。そう、お世話に向かったアルフの父であり、今は父さまと母さまだけの執事、マークから聞いたものだった。
だから俺は、十年経った今でも独身だ。浮いた噂も全くない。とにかく毎日が忙しくてね、そんな些細なことにこだわっている余裕はないんだ。父さまには『縁のようなものだ』と諭され、母さまからは『もう少しだけ、頑張りなさいね』と苦笑される。そりゃ俺だって、お嫁さんは欲しい。だから毎年、夜会に出席させていただいてる。
俺の家。シーヒルズ家の魔術系統は風。風は帆を張り、べた凪な海を進んでいける糧となる。ときには風を操って、
風の魔術は、製塩にも有利だった。女王陛下に献上する、きめの細かい『粉塩』ではない方。そちらは風の魔術を利用して作っている。他の領からの密偵が来ているのは知っているよ。その者たちにもわからない場所に塩田を造り、魔術を駆使してこの領の上に吹く、亜熱帯の暖かい風を操り、日の光よりも早く海水を乾燥させる。どこの領の塩より白い、旨味も強い上等な粗塩。うちの領自慢の、特産品が出来上がる。どこよりも、高い評価をいただいている。
一年に一度、女王陛下に上納するため、王都へ伺うことになっている。その際は、社交が行われる夜会にも顔を出す。もちろん、お嫁さんを見つけるためでもあるわけだが、そこはほら。
『陸の孤島』と呼ばれているのは知ってる。それは事実だから言い訳ができない。その上、『魚臭い』と揶揄される。他の貴族男性から言われるのは慣れてる、少しだけ凹むけれど。
風に乗ってくる、南からの潮の香り。魚介を煮たり焼いたりする際に出る、磯の香り。
王都に住む貴族の間でも、城下町に住む人々の間でも、海で獲れる魚介は美味とされている。それなのに揶揄されるのはきっと、田舎者という意味も含んでいるのだろう。もちろん、俺が製塩の技術を渡さないから、というのもあるわけだ。
田舎者と一握りに腐そうとするなら、隣接している辺境伯領をも辱めるのと同意。山に囲まれた港町のような、俺と俺の領地だけを差すために、『魚臭い』とあざ笑っているのだろう。だが今年は、タニアが助けの手を差し伸べてくれたことにより、多少の溜飲を下げることが叶った。毎年夜会に出席してはいたが、彼女が出席したのは今年が初めて。本当、助かったよ……。
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